大空の影になりたい夜の子の話   作:雪の細道

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序章*幼少期編
プロローグ


星が綺麗に瞬く夜、月明かりと街灯に照らされた一人の少女が住宅街にいた。

 

白と黒のセーラー服を揺らめかせながら急くように歩くその姿は、およそ学校帰りといったところだろうか。

 

春から夏に変わる節目なのか、スピードを落とさず歩く少女――影宮 桜の額にはうっすらと汗が滲み出ていた。

 

 

コツコツとローファー特有の重低音を鳴らし歩き続けていると、不意に右肩の学生鞄からバイブレーションが伝わる。

 

 

静まり返った住宅街に少しばかり響く音に若干驚きつつも桜はスマートフォンを取り出した。

 

 

親友から届いたメッセージに添付されたアニメ画像にクスッと笑みを漏らすと、桜は街灯の下で立ち止まり慣れた指使いで手早く返信し再び歩きはじめる。

 

 

しかし、その足は前方に怪しく光るものによって止められた。

 

 

「あれは……猫?」

 

 

上空では風が強く吹いているのか、先程まで自身を照らしていた月は雲に隠れてしまっていた。

 

 

猫好きの桜にとっては、猫の姿が見えなくなる原因は全て忌ま忌ましく感じてしまう。

 

 

雲に隠れた夜空を見上げて眉間にシワを刻んだ表情はいささか不良のようだった。

 

 

夜空に向けていた視線を前方の猫に戻すと、願いが届いたかのように再び月が顔を覗かせる。

 

 

綺麗な満月が明るく照らすと、そこには毛艶の良い漆黒の猫が佇んでいた。

 

 

「すごい……黒猫エースじゃないけどイケメンだわ~」

 

 

あまり猫好きでもない親友がその場にいたら「猫にイケメンもくそもあるか」とツッコミをいただきそうだ。

 

 

感嘆のため息を漏らす桜だったが、そこでふとしたことに気づく。

 

 

「あの黒猫、オッドアイだ……」

 

 

驚くように呟くのも無理はないだろう。

 

 

桜が知っている知識では、オッドアイはその特殊な病気ゆえに色素の抜けた白猫が圧倒的に多いからだ。

 

 

そうそうめったに出会えるものでもない出来事に、桜は内心で自分の好運に感謝する。

 

 

雲が風によって消えたおかげで煌々と月に照らされた黒猫を、桜は自身の目と記憶に焼き付けるかのようにジッと見つめた。

 

 

艶やかに輝くツヤツヤとした漆黒の毛並み、ピンと立つ形の良い耳、引き締まったようにしなやかなその肢体から優雅に揺らめく長めの尻尾――……

 

何より、月明かりに反射して宝石のように澄んで煌めく、綺麗な紺碧と碧緑のオッドアイ。夜特有の暗さで瞳孔は太くなり、いっそう猫特有の可愛さが引き立つ。

 

 

警戒しているのか定かではないが黒猫も桜と同じように相手を見つめていた。

 

 

そのうち、桜は黒猫に触れたい衝動に駆られる。

 

 

「触っても……大丈夫、かな」

 

 

誰に確かめるまでもなくポツリと呟いた言葉は静まり返る住宅街に響いた。

 

 

何処か遠くで興味深い音が聞こえるのだろうか、黒猫は時おり片耳を動かす。

 

 

自分の好きな黒猫か、それとも黒い毛並みにオッドアイという珍しい猫に出会えたからなのか。

 

桜はいつの間にか右手を握り締めていることに気づいた。

 

 

汗ばんだ右手の平を見つめ、桜は決心するように足を一歩踏み出す。

 

 

自身と黒猫の距離はおよそ3メートルほど。

 

 

その距離を少しずつ縮めていくが、黒猫はさして動じることもなく佇んでいた。

 

 

一度だけ砂利を踏んだために僅かな音が足元から漏れる。

 

しかし、それすら何でもないように目を閉じる黒猫に、桜は感服してうっとりとため息を零した。そしてついに桜は黒猫の元に辿り着く。

 

 

どうやら人なれしているらしい。

 

 

見上げる黒猫に出来るだけ近づこうと屈み込み見つめると、猫式挨拶である鼻キッスをお見舞いされる。

 

 

嬉しさで体を震わせる桜は端から見れば立派な猫馬鹿に見えることだろう。

 

 

幸いなことに、その恥態を目にする哀れな通行人は全く通らなかった。

 

 

しばらく悶えた後、桜は撫でくりまわしたい気持ちを抑えるように、おそるおそる右手を黒猫に差し出してみる。

 

 

フンフンと鼻を鳴らしながら自身の手を嗅ぐ仕草にさえ、桜には特上級の可愛さに見えてしまう。

 

 

一通り手の臭いを嗅いだ黒猫は、まるで興味が失せたように顔を別方向に逸らした。

 

 

(「これは撫でてもよろしいという合図だよね!」)

 

 

黒猫の反応を勝手に解釈し右手をそのまま頭に乗せる。

 

 

人なれしているゆえか、もしくは予想通りだったのか。

 

 

黒猫は驚くこともなく桜に大人しく撫でられていた。

 

 

そのうち気持ち良さそうに瞳を細め喉笛を鳴らし始める。

 

 

指先から伝わる温もりと、ゴロゴロと鳴らす小さな振動に桜は頬を染め愛しそうに見つめ撫で続けた。

 

しばらくそうして和んでいたが、不意に鳴らしていた喉をピタリと止め右手から離れる。

 

 

名残惜しげに右手を見つめる桜だが、黒猫と出会ってからずいぶん経ったはずだ。

 

 

スマートフォンを再び取り出して時間を確認すれば、すでに30分ほど経過していた。

 

 

アルバイトの帰りであったため、母親が心配することはないだろう。

 

 

しかしもうすぐで日付が変わる時刻。

 

過保護というほどではないが、日付が変わっても帰宅しなければきっと電話をかけてくる。

 

 

 

 

“そろそろ帰らなきゃ”

 

 

 

そう思って立ち上がり、別れを惜しむように黒猫をまた見つめた。

 

 

「にゃーぉ」

 

 

自身を見上げ、初めて鳴いた黒猫は僅かにハスキーがかった中性的な声だった。

 

 

声が聞けてよかった、と小さな笑みを浮かべたその時、やけに生温い風が住宅街を吹き抜ける。

 

 

もうすぐ夏だからだろう。

もしかしたらひと雨来るのかも──

 

 

そう思い特段気にすることもなく、何となしに空を見上げてみた。

 

 

やはり上空の方は強風のためか、満月が雲に隠れ明かりだけうっすらと見えていた。

 

 

流れる雲の中に分厚い部分があったらしく、月明かりさえ分からないほどに辺りを暗くしたあと再び満月が顔を出す。

 

 

「……んん?」

 

 

星が瞬く夜空に浮かんだ満月は、うっすらと赤みを帯びていた。

 

 

 

目の錯覚かと思い軽く目元を擦りもう一度空を仰ぎ見る。

 

 

しかし、錯覚かと思った赤みは先程よりも色濃くなっていた。

 

 

「異常現象、とか?」

 

 

ひとり呟く桜だったが、黒猫に続いて奇妙な満月に気をとられていることに気づき、右手に持ったままであったスマートフォンのディスプレイを明るくした。

 

 

“20XX.05.24(月)/23:58:46”

 

 

日付がまだ変わっていないことに安堵すると、スマートフォンをスリープモードに戻し学生鞄の内ポケットに滑らせるように仕舞う。

 

 

しかし、夜空を再び確認しても赤い満月は何も変化がない。

 

 

──否、変化は確かにあった。

 

ただ、その変化がひどくゆっくりとしたスピードだったために桜が気づけなかっただけである。

 

 

「にゃー」

 

 

突如聞こえた声に、桜はビクッと肩を震わせた。

 

 

未だに足元で佇む黒猫に、大丈夫だよと言うように目を向ける。

 

 

黒猫に目を向けたところで桜はとあることに気づいた。

 

目を向けた先──黒猫がいる自分の足元に、真っ白い霧が漂っているのだ。

 

 

不思議に思い顔を上げれば、先ほどまで何ともなかったはずの周りに一瞬で霧が立ち籠めた。

 

その霧の濃さは家の形がかろうじて分かる程度にまで深く、異常気象と言ってもおかしくないほどであった。

 

 

そしてその霧の出現と同時に、桜に突如として眠気が襲い掛かる。

 

 

視界がごく僅かに揺らいだ程度の眠気だったが、それが疲れによるものではないことは明確だった。

 

 

得体の知れない状況と眠気に困惑し不安になりつつも、桜はどうにか自身を落ち着けようとお守りとして首から下げていたネックレスのチャームをワイシャツの上から握りしめる。

 

 

が、どうやらこんな非常事態でも相変わらずの猫馬鹿なのか、そばにいる黒猫が心配になり足元に目線を落とした。

 

 

そして黒猫と目が合ったその瞬間、それが切っ掛けのように突如として眠気が最高潮に達する。

 

 

すさまじい勢いで迫ってきた地面と激突し倒れ込む桜には、それでも黒猫から目を逸らさない意識だけがぼんやりと残っていた。

 

 

 

ついに日付が変わったその時。

 

果てのない不安と黒猫への想いをないまぜにしながら、桜は霞みがかる視界をゆっくりと静かに閉ざすのだった。

 

 

一人の少女を見守るモノは、一匹の黒猫とミッドナイトブルーの夜空に浮かぶ赤い満月──……

 

 

 

 

 

 

__to be continued

 

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