大空の影になりたい夜の子の話   作:雪の細道

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14:往く者、待つ者

ぴちょん、とどこかで雫の落ちる音が静かに響く。

 

水音以外の一切が止まったその中で、桜はゆっくりと静かに瞼を開いた。

 

「ん……」

 

目に入った景色は、意識を手放す前と全く同じ無機質で真っ白い廊下の壁が映る。

 

一体どれほどの時間眠っていたのか。

 

硬い床の上で眠っていたせいか、体の節々が痛むものの実験による痛みはすっかり治まっていた。

 

「すごい静か……本当に誰もいないのか」

 

どこかで雨漏りでもしているのか、規則的に響く水音を除きそれ以外の音がまるで聞こえない。

 

もしかしたらどこかに生きている人が……と淡い期待を抱くものの、身体をよろめかせながら見回った部屋にはどこも生きた人間は無く、あるのは血だらけで息絶えた死体だけだった。

 

1番最後に辿り着いた部屋、第5研究室とプレートの掲げられた部屋に入ると、そこは一際状態が酷く白衣の大人達はどれも凄惨な死に方をしている。

 

「第5研究室……反乱者……ここに骸が」

 

毒殺にかけられる前、かかってきた電話で聞いた内容を思い出しながら照らし合わせる。

 

おそらく、この研究室で骸は能力に目覚め、その力で憎きエストラーネオファミリーの大人達を殺害したのだろう。

 

窓越しに垣間見たその子供に思いを馳せ、桜は重い足取りでその部屋を後にした。

 

ほとんど窓のない薄暗い廊下を歩き続け、迷子のように研究所内を彷徨い数十分後ようやく桜は外への扉を見つける。

 

ギイィィ……と重量感のある扉を開けると、そこにはおそらく数ヶ月ぶりに見る晴れ渡った空が広がっていた。

 

拐われた春頃からすっかり季節は夏に移り変わり、ジリジリと焦がすような太陽が肌を照りつける。

 

「これからどうしたらいいかな……ここがどこなのか全然分からない」

 

周りには民家らしき影も見当たらず、途方に暮れ桜は盛大なため息を漏らす。

 

太陽の高さから推測しておそらく日の入りまでまだ時間があると考え、桜はひとまず研究所からまっすぐ伸びる一本道を進むことに決めるのだった。

 

 

──……

───………

────…………

 

何個目かの畑と小さな林を過ぎた頃、歩みを止める桜の目にはその状況にやや不釣り合いな存在が映っていた。

 

「なんで……ここに……」

 

唐突に穀物畑からゆるりと姿を現したのは、かつて桜が前世で最後に見たオッドアイの黒猫だ。

 

自らを現実から引き離しフィクションの世界へと転生させたと思われるその存在に、桜は混乱と衝撃でうずくまる。

 

「こんな時になんでよ……」

 

聞きたいことは山ほどあった。

 

実験直後の体力の衰えがなければ、言葉が通じるかどうか分からなくとも掴みかかって問いかけていただろう。

 

しかし桜の身に起きたイレギュラーな今、その問いかけすら難しいほどに余裕がなかった。

 

そして何より、桜の目の前にいるその黒猫が、何となくあの時の黒猫とはやや違うように見えたのだ。

 

あの時の怪しげな黒猫と違い、今目の前に佇むそれは周りが穀物畑ということもあり他の猫と何ら変わりない普通の猫に見えた。

 

「変なの……私どうかしちゃってるよね……」

 

自嘲気味に笑う桜を黒猫はしばらく見つめると、小さくにゃあとひと鳴きし桜の前をゆったりと歩き出した。

 

まるで"ついてこい"と言わんばかりに数歩先で立ち止まり、こちらを宝石のような綺麗な双眸で射抜く。

 

黒猫に導かれるようにして小高い丘や畑と林をいくつも抜け、太陽がオレンジから薄紫色に変わり始めてしばらく経った頃。

 

ようやくひとつの村らしき家々が見えてくる。

 

「やっと着いたぁ……あれ?」

 

ふと周辺を見渡すと、ここまで道案内をしてくれた黒猫はいつの間にか姿を消していた。

 

まるで桜の求めるものが分かるように村まで導いてくれた黒猫は一体何だったのか。

 

「なんか、変わった黒猫だったなー……それにしてもお腹空いた……」

 

1日にたったひとつのパンしか出てこなかった研究所にいたためか、桜の身体は当初よりすっかり痩せ細っていた。

 

せめて食べ物でも物色してから出れば良かったな、などとぼんやり考えながら村へと目指す一方、桜はふと己の姿をしげしげと見返す。

 

身体は肋骨や肩の骨がうっすら浮き出るほどに痩せ、肌のいたるところには注射痕や管を刺していた痕が残っている。

 

頭の一部を開かれたために数ヶ所は剃られ、洗ってない髪はフケと脂で見るに堪えない様子に変わっていた。

 

「これは……なんというか、だいぶまずいな」

 

薄汚れ、などと生易しい表現では済まないほどに汚れた自らの姿に顔をしかめ、せめて洗い流せるところでもないかと桜は遠目に辺りを見回す。

 

その時ふと桜の目に入ったのは、村から程なく離れた対角線上にポツンと建つ教会だった。

 

あそこなら、と桜はわずかな願いを胸にその教会へと足を進める。

 

 

 

目に見える距離にあったのに、教会に着く頃には太陽はとっぷりと丘の向こうに隠れ周辺は薄暗くなっていた。

 

「うーん……」

 

やっとの思いで辿り着いたその教会は、廃墟といってもおかしくない程に寂れている。

 

勝手に入っていいものか、と思案するが既に歩く体力も残っていない。

 

何とか現状を乗り切るべく教会に入ると、外の見た目同様、中は完全に荒れ果てた状態のようだ。

 

椅子は倒れたり壊れたりと砂ぼこりにまみれ、正面に置かれた十字架とマリア像は雨のためか青鈍色に変色し一部が欠けている。

 

隅にひっそりと佇むグランドピアノは、昔の軽やかな音色も忘れられたかのように色褪せ、シックな色合いのピアノカバーはかろうじて布の形を保っているもの、その姿は長年の劣化によりカバーの体を成していない。

 

両脇のステンドグラスや屋根もほとんどが抜け落ち、もはやちょっとした雨宿りすら向かないほどに朽ち果てていた。

 

人の気配が全くない屋内に桜はやや安堵し、どこかに水場はないものかと周辺を見渡す。

 

「そういえば、教会って神父さんとかが仕事をするような部屋があるはずだよね。そこら辺にシャワー室とかないかな」

 

虚空を見つめしばし思案した後、桜は次々と扉という扉を開けて回った。

 

その内のひとつに、やはり想像した通りの仕事部屋らしき空間を見つける。

 

もちろんそこも礼拝堂同様にホコリまみれで荒れていたが。

 

そしてシャワー室こそないものの、仕事部屋の奥に通じる扉の向こうにはトイレと洗面台が備え付けられていた。

 

おそるおそる水道の蛇口をひねると幸運なことにちょろちょろと水が流れ出す。

 

「……っよかった~……」

 

相当長い間使われていなかったためか、錆が混じっているような赤茶色ではあるもののやっと手に入れた水に桜はホッとため息を零した。

 

なんとか透明にならないものかと数十分待ち続け、徐々に色が薄くなる水にそっと口をつける。

 

「うわまっず!飲むにはちょっとだめだな……身体洗う程度かな」

 

飲み水にするのを諦め、着ていた検査衣を脱ぐと桜は少しずつ手のひらに水を貯めては体にかけていく。

 

あまり清潔とは言い難い水が治りきらない傷口に触れた瞬間、ビリビリと突き刺すような痛みが一瞬で全身をかけ巡った。

 

「ッ~~~~!!!いっったぁ……」

 

水を新たにかける度にズキズキと痛む手術痕に声にならない雄叫びを上げた。

 

何度かそれを繰り返し、目立った汚れをようやく落とせたかと言う時ふと桜は目の前の鏡に気づく。

 

半分近くが割れており途切れているものの、残った一部の鏡に映る自身の姿に桜は驚愕の表情を浮かべた。

 

「……えっ!?なに、これ……」

 

驚きに見開いたその目に入った姿は、半獣に近いような獣の耳が頭からひょっこりと出している。

 

ハッと気づき身体を捻って後ろの下半身を見ると尻からはふっさりとした黒い尻尾が生えているではないか。

 

あまりの驚きように逆立ったそれはまるでタヌキのようだ。

 

「まさかこれ、実験の影響……?」

 

もう一度鏡をよくよく見れば、虹彩は赤く変色し瞳孔はまるで猫のように縦に細長く変形している。

 

割れて見えない部分を映そうと立ち位置を変えると、首筋から頬の一部にかけて鱗のようなものも見て取れる。

 

「あぁ……これじゃ、本当に化け物って感じ……」

 

何となく見下ろした胸から下も、鱗やら羽毛やら動物らしき体毛まで覗かせていた。

 

何が発端か分からぬまま変わり果てた自身に、桜はフッと自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

「こんなんじゃ、あの村に行って助けを求めるなんてこともできないな」

 

帰る方法も分からず誰かに助けを求めることも叶わず、まるで出口の見えない迷路に迷い込んだように桜はがっくりとうなだれた。

 

温暖な気候のためか、水をかけた身体は何をすることもなくすっかり乾ききっている。

 

それに気づき再び検査衣を羽織るも、既に桜には何かをしようという気力も底を尽きた。

 

重い足取りで礼拝堂に戻り、朽ちて柔らかさを失った布地の長椅子に寝転んでピアノカバーにくるまると、桜はそのままゆっくりと眠りに落ちるのだった。

 

 

──……

 

ボンゴレファミリー本部、その九代目が使う執務室にて。

 

そこでは2人の男がテーブルを挟んで向かい合っていた。

 

部屋中のカーテンは閉め切られ、最低限の明かりのみで外部を拒絶したその空間には以前よりもやや穏やかに変化した静かな空気で満たされていた。

 

「やっと……見つかったようだね」

 

長い沈黙を破った九代目がそう呟く。

 

その視線の先には、テーブルに置かれた最新の調査資料へと向けられていた。

 

「だいぶ骨が折れましたが、これも九代目のおかげです」

 

「いいや、家光が頑張った結果だろう」

 

調査資料には目撃情報や考えられる複数の逃走経路、潜伏に使われそうな建物などが事細かにまとめられている。

 

あちらこちらに追加で貼られた小さなメモ書きなど、その膨大な情報量から窺い知れる努力は相当なものだ。

 

「テベレ川から海へ出たところまでは掴んだものの、そこから先に繋がる情報が全く途絶えた時は本当にどうなることかと思いましたが──……」

 

厳しい表情から僅かに安らいだ様子に変わるのを見て、九代目も労うように笑みを浮かべる。

 

「そんな絶望的な状況でも諦めずに探したんだろう。あの子のために」

 

「……ええ」

 

気持ちに比例するように、右手の書類にはぐしゃりと握りしめた跡が残る。

 

「では、早急に部下を手配して向かわせようか。この北イタリアの片田舎へと」

 

書類の1番最後に確認のサインを書くと九代目はテーブル下の引き出しから別の真新しい紙を取り出した。

 

「すみません、その件についてなんですが……」

 

「?」

 

「向かわせるのは男の部下じゃなくて、なるべく同性で歳の近い人間にしていただけますか」

 

家光のやや変わった要望に、九代目は一瞬驚いた顔をしたものの──、しかしすぐさまその意図を読み取り静かに頷いた。

 

「いいだろう。それならヴァリアーのあの子を向かわせよう」

 

「ヴァリアー……?あそこにそんな幼い子いたでしょうか」

 

聞き覚えのない情報に首を傾げる家光。

 

「家光はまだ知らないだろう。つい先日入隊したばかりでね、まだ歳も10歳とのことだ」

 

「……!そんなに若いなら、確かに適任ですね」

 

「ああ。後は連絡兼補佐役としてガナッシュにも同行してもらう」

 

その後、日程やルートの予定を手短にまとめると、2人はようやく安堵するように深く息を吐いた。

 

「本当に、桜のためにここまでありがとうございます」

 

「ああ……しかし保護するまでは油断するなよ家光」

 

「ええ、承知しております」

 

僅かに流れたピリつく空気を受けるように、ろうそくの灯りが静かに揺れる。

 

 

───………

────…………

 

 

夜が明けたのだろうか。

 

射し込む光で眩しさに桜はうっすらと目を開けた。

 

木々のかすれる音に鳥のさえずりがどこからか聞こえ、教会の中は初夏の暖かさに包まれている。

 

「これからどうしようかな……ん?」

 

己の行くべき道を考えあぐねていると、遠くからかすかに複数人の匂いと話し声を感じ取る。

 

それが実験によって手に入れた嗅覚と聴覚によるものだとは知らず、桜は予想外の展開に思わず警戒するように窓際へと静かに走り寄る。

 

外の様子を伺おうと窓からそっと顔を覗かせると、教会の出入口付近で複数人の男女が何やら会話をしていた。

 

一方はこの村の住人だろう、畑仕事でもしているような服装にナタや斧を手にしている。

 

«だから言ってるだろう!昨日の夜ここに痩せこけた熊が入ったんだって!»

 

«人を食う前に退治してくれよ!»

 

«オレ達を疑うのか!?»

 

険しい表情と荒々しいイタリア語が飛び交う。

 

その様子から自身が怪しい人間として追われているのだと気づき、桜の緊張に比例するかのようにその姿も徐々に変わっていく。

 

一方、村の通報で呼ばれたであろう警察らしきスーツ姿の若い男が、村人達をどうにか落ち着かせようと穏やかな口調で話しかけていた。

 

«まあまあ落ち着いてください、疑ってるわけじゃありませんし、熊だったら気配で分かりますから。それにほら、ちゃんと猟銃もあるのであなた方はしっかりお守りしますよ»

 

スーツの男からやや離れた場所には、同じスーツ姿で桜よりやや年上ほどと思われる少女がしかめっ面でそっぽを向いている。

 

村人達から漂う肥料の臭いが気に食わないのだろうか、苛々した様子の彼女は時たま村人達をチラリと見やっていた。

 

«ねえガナッシュさん、まだなの?早く帰りたいんだからさっさとそいつら黙らせてくれない?»

 

一向に状況が変わらないことに我慢の限界が来たのか、少女は苛立たしげに拳銃を取り出した。

 

«なんだお前は!こっちは命がかかってるんだぞ!»

 

«まあ落ち着いてくださいよ、ひとまずそのナタを下ろして……»

 

割って入るガナッシュに村人はキッと睨みつける。

 

«大体お前も何なんだ!どうしてこんな何の役にも立たん子供を連れてくるんだ!オレ達は熊が出たって通報したんだぞ!»

 

«……へー、あっそう。だったらあんた達が自分で熊退治すれば?こんな”子供”じゃ頼りにならないんでしょ»

 

さぁどうぞ、と言わんばかりに教会へと手を差し向ける少女に、村人達も触発されるように苛立たしげに教会へと足を踏み入れる。

 

«お前らじゃ話にならん!»

 

«あたしらだってイノシシくらい仕留めたことあるんだからね!どこよ!出てきなさい!»

 

しかし、その村人達を迎えたのは痩せこけた熊などではなく、恐怖と緊張で小さな獣へと変貌した桜だった。

 

鋭く尖った牙と爪に加え、ピンと立った耳と人間らしき手足という狼人間を思わせる出で立ちに村人達は一瞬怯むものの、元より培っていたその結束力で一斉に飛びかかった。

 

«熊じゃなくて狼人間よ!»

 

«死ね化け物が!»

 

手にしていた棍棒やナタを振り回し村人達は勇ましく応戦するものの、しかし熊と同じくらい獰猛な桜に太刀打ちできないと判断したのだろう。

 

村人達は徐々に追い込まれ、椅子を盾にしながら扉の向こう側へ命からがら逃げ出した。

 

そして桜といえば、我を忘れ獣へと変貌したためか反動で襲いかかる痛みで苦痛にのたうち回っていた。

 

しばらく転げ回ったのち、勢い余って椅子の足に後頭部を強打し再び桜の意識は暗闇へと投げ込まれてしまうのだった。

 

«派手に暴れ回ったなぁ……»

 

«あれが例の保護対象ですか?臭くて汚いし、まるでスラムのドブネズミだわ»

 

村人達と入れ替わるように入ってきた2人は各々思ったままの感想を吐露する。

 

«それが九代目からの指示だからな。帰ったら報告後回しでシャワーでも何でもいいから、とにかくこの子を担いで先に車に戻っててくれ。オレは村人達へ駆除したことを伝えてくるから»

 

少女を宥めつつ手短に指示を出すと、ガナッシュはすぐに踵を返して教会を出ていった。

 

«はぁ……全く、こんなクソガキの面倒見るなんてこれっきりにしてほしいわね»

 

ぶつくさと文句を垂れるその10歳の少女が、クソガキ呼ばわりをしたこの少女と長い付き合いになるとはこの時誰も知る由もないことだ。

 

 

___to be continued.






*後書き*

イベント用の短編を更新し早くも1ヶ月半経ちました。近々更新すると言っておきながらとんでもなく無様ですね。
いただいた感想で恐れ多くも私の体調を気遣ってくださった方もいたのに、まさかの体調不良が2回ほど続いてました。咳のしすぎでまた肋骨折れるかもしれませんが、私の執筆欲は折れないので次話も楽しみにお待ちくだされば幸いです。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
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