その日、桜の日常はいつも通りの朝から始まった。
七時に起床し八時に朝食をとり、お昼を挟んでその前後で語学の勉強や修行等々──。
勤勉に、そして少しばかりの息抜きと共に程良く組まれたスケジュールをこなして終わるのが桜の日常だった。
夕方、ほんの休憩時間に桜はアジト内の探検と称して未だ知らない部屋を訪れていた。
無論、九代目に”ここは開けてはいけないよ”と念押しされた部屋は素通りしている。
いずれ使うことになるから、と最初に見せられただけの部屋をいくつも見て回り、どこにどんな資料があるのか、どんな武器を置いているのかなど桜は興味の赴くまま歩を進めた。
このボンゴレに来た頃は、ちぐはぐな階段と変わった配置に飾られた花瓶や絵画にずいぶん翻弄されたものだ。
あまりに複雑怪奇な構造に戸惑った桜は、ここに地図はないのかと家光に聞いた時に苦笑いを浮かべられたことを思い出す。
「まあ実際クーデターなんて起きるんだから、これくらいの構造が当たり前だよね」
さすがの九代目もあれほど大規模な内部抗争までは予想していなかっただろうが、それがなかったとしてもこの複雑な作りはマフィアとしては大正解とも言える。
今ではそのほとんどを記憶できた桜だったが、それでも知らない部分はまだある。
ふと足を止めると、うっすらと暗い影を落とす通路が目に留まった。
一階から地下へと階段を降りたその通路は、奥へ奥へと向かうほど人目を避けるようにひっそりと照明が弱められ、花瓶に活けられた花も何となく褪せた色をしている。
「ここ……は、確か止められてなかったはず。パパに案内された時も特に変な感じしてないし」
未知の世界へ踏み込む好奇心と小さな背徳感で鼓動を打ち鳴らし、桜はその薄暗い通路へ一歩踏み出した。
そろりそろりと歩き進めるうち、通路は奥の方で区切るように折れている。
何か重要な資料でもあるのだろう、どこの部屋にも鍵がかけられており中の様子は窺えない。
角まで来たもののそれまで全ての部屋は硬く閉ざされていた。
「この分だと、奥まで行っても収穫はなさそうだな」
諦めたように戻ろうと背を向けた瞬間、ガチャンと何かが割れる音が響いた。
びくりと肩を震わせそっと後ろを振り向くと、一番奥の部屋がわずかに開いていることに桜は気づいた。
気配を殺し静かに近づくと扉の奥からは猛獣のような、唸り声にも似た低い呼吸音が漏れている。
言いようのない不安にふと扉のドアノブを見ると、そこには一部が溶かされた南京錠がぶら下がっていた。
どこかで見たことのあるようなその南京錠に桜は思わず後ずさる。
緩めた気配に気づかれたのか、中から聞き覚えのある怒声が地鳴りのように響いた。
「誰だ」
掘り起こされた記憶に、嘘であってほしいと叶わぬ願いを胸に抱きながら重い扉を開けると、やはりそこには怒りを湛えたザンザスが佇んでいる。
「ザン兄……」
机や床に散らばったいくつもの紙切れ、二本あるうちの片方が倒れた燭台とわずかな光に照らされた表情で、桜は全てを悟る。
そしてザンザスもまた、桜の隠しきれていなかったその顔で察してしまうのだった。
「てめぇ……さては知ってやがったな?」
「そ……それは……」
実際、九代目からは何も知らされていないので知らぬ振りをしてとぼけることもできたはずだ。
しかし桜は前世がある故にその経過も末路も記憶に残している。
知らないとも言いきれない状況で、桜は無責任に嘘をつくこともできなかった。
肯定をしたわけではないが、はっきりと否定もせず濁したその言葉にザンザスはさらに怒りを肥大させた。
「知ってた上で隠してオレに近づいてたわけか。ハッ!いい殺し屋になれるだろうな」
涙を浮かべてその場にへたり込む桜を冷たい目で見下ろし、ザンザスは吐き捨てるようにその場を立ち去った。
近くに落ちていた紙切れを拾い上げると、そこにはザンザスにまつわる数年間が記されている。
所々読めないイタリア語もあったものの、そのほとんどが桜の持ちうる知識で読み取れた。
思わず紙切れをぐしゃりと握りしめ両の手に熱がこもると、ふわりと深い夜色の炎が上がり紙切れはほどなくして灰も残さず燃え散った。
重要な機密書類を燃やしてしまったことに後悔の念がよぎるが、ザンザスの顔を思い出したことでそれもすぐに消え去ってしまう。
ザンザスに真実を知られてしまったこと、それを知っていたことを見抜かれてしまったこと、様々な後悔が桜の心を埋めつくした。
「せめて……私だけは味方でいたかったのになぁ……」
ぽつりと呟いた言葉は誰に聞かれるでもなく虚空に消える。
呆然と座り込んだままザンザスのあの表情を思い出しては後悔するうち、部屋の中がふっと暗闇に包まれた。
燭台の蝋燭が燃え尽きてしまったようで、部屋には先ほどまで灯っていた火の温もりすら消え失せている。
徐々に室温も下がっていくうち、桜の頭も比例するかのように冷静さを取り戻す。
「知られたものはもう元には戻らないし、いつまでも後悔してる場合じゃないよね」
涙で濡れた頬をぐしぐしと袖で拭き、立ち上がった桜は今しがた胸の内で決めた、ある目的のため部屋を後にした。
───…………
────…………
「──そうか」
心配そうな眼差しでこちらを見つめる九代目。
先ほどの報告にと面会の予定もないのに桜は突然部屋を訪れ、それを拒否することもなく受け入れたのが数分前のことだ。
ただならぬ様子の桜からぽつりぽつりと明かされた事の顛末に、九代目はただ静かに聞き届けていた。
地下室の閉ざされた部屋で暴かれた資料、そしてそこに書かれた真実を見てしまったザンザス。
起きてしまったこと、そしてこれから起きるであろう展開に桜は自分でも何かできないかと考えたのだ。
考えた末にたどり着いたのは、やはり自身が一刻も早く力を身につけクーデターの被害を押し留めるということだった。
そのためにも桜は修行を進めるべきだと考え、九代目に計画の改善を申し出たのだ。
部屋に来た時とは打って変わり堰を切ったように話す桜に九代目は静かに問いかける。
「本当にそれでいいのかい?」
「もう一刻の猶予もありません。少しでも早く九代目のお力になれるように成長しないと、守れるはずの人も守れません」
九代目が落ち着けるようにと出したハーブティーにも口をつけず、桜は焦りのためか小さく貧乏ゆすりまでしていた。
「君の言いたいことは分かった。でも賛成はできない」
予想に反した答えに桜は驚いたように顔を上げた。
今までのように控えめながらも応援してくれると、そう思っていたからだ。
「何故ですか!?これから起こるクーデターで何人も死んで何人も傷つくんですよ!それが少しでも抑えられるならそれでいいじゃないですか!」
思わず声を荒らげた桜に九代目は静かにティーカップを置く。
「まあ少し落ち着きなさい。私とて、むやみやたらにに血を流そうとは思わんよ。何も問題なく穏便に済ませられるならきっとそうしただろう」
「だったらどうして……」
「理由はいくつかある。まず一つめだが……これは最初に桜ちゃんから話を聞いて危惧したことだ。君は全く別の世界から転生したと言い、驚くことにこの世界でこれから起こることも知り得ている」
桜がボンゴレに引き取られ、初めて九代目が桜と面会した頃を脳裏に思い出す。
「君によりもたらされる知識でこれから起きる被害は防げるだろう。だがしかしその行動の変化で世界は無数に枝分かれするのに、誰にもその分かれた道を選ぶことはできない。そこで失われるべきでなかった命さえ危うくなる道になるかもしれん。それは桜ちゃん、君とて例外ではない」
異分子のような存在の桜を気にかけてくれる九代目の心遣いに、桜は一瞬の迷いを見せてしまう。
「バタフライ効果、という言葉を知っているかい?”非常に小さな出来事が、最終的に予想もしていなかったような大きな出来事につながる”ということだ。本来あるべき流れを変えて守れるはずの誰かを失う可能性がある。そこを分かってほしいんだよ」
「”守れるはずの誰か”……」
その言葉を聞いて真っ先に思い出したのは、自分を家族として慈しみ大切にしてくれる家光や奈々、そして片割れとして生まれた綱吉だった。
本来そこで守れたはずの枠から”誰か”がこぼれ落ちてしまう──……。
桜の行動原理でもある沢田家から守れなかった人間が出てしまったら本末転倒だ。
そんなことは何としてでも避けねばならない。
唇を噛みしめる桜を見つめて九代目は続ける。
「そして理由の二つめ。これが必然だからだ」
「必、然……」
テーブルのハーブティーに反射して九代目の悲痛な瞳が揺れる。
「あの子を迎えたその時から、遅かれ早かれこうなることは覚悟していたんだよ。あの子にはボンゴレを継承することはできない、その真実をいつか必ず伝える時が来る。そのしっぺ返しが君の言うクーデターだったとしても、それもまた必然なんだよ」
「でも……他の人は……」
「名も知らぬ部下達を気遣ってくれるんだね。それは良いことだけど、マフィアである以上彼らも覚悟の上だ。クーデターで死ぬことになってもそれは避けられない運命であり必然だ」
「……」
何も言い返せない桜の無言が静まり返った部屋に溶け込む。
そんな様子を見ながら九代目は一呼吸置いて続けた。
「そして最後、理由の三つめ。これは桜ちゃん、君にとってかなり厳しいことを言うが聞いてくれるね?」
こくりと頷く桜に、半ば強引な流れにしたことを後悔しつつも九代目は口を重たく開く。
「残酷なことを言うが、君は少々驕りがすぎる。力をつければ誰かを守り、助けられると思っているようだがそれは違う」
「……っ!」
「まず、君はまだ六歳になったばかりだろう。焦って知識ばかり詰め込んではいるが、やはり殺し屋になるためのスキルや体力は当然大人には劣る。君の言うクーデターが半年か一年後かはともかく、近いうちに起こるとして、それまでに他人を助けるくらいに力をつけるなど到底無理な話だ」
冷静に淡々と現実を突きつけられ、桜は何も反論できずぐっと唇を噛み締めた。
「私にはボンゴレのボスとして君を守る義務がある。未熟で育ちきらないのに、他人を助けて盾にでもなろうとするような命知らずな子を易々と戦場に送れるものか」
ため息混じりにそう告げると、すっかり冷めきったハーブティーを一気に飲み干し九代目は立ち上がる。
「賢い君なら分かってくれるね?この話はこれで終わりだ。もうすぐ夕飯の時間にもなる、そろそろ部屋に戻りなさい」
「九代目、」
部屋の外へ待機させた部下を呼び戻そうと踏み出した九代目の背に、桜は最後の案として声をかけた。
「誰かを助けるための修行がダメなら、自衛としての修行だったらいいですよね?」
九代目のこれまでの話を聞くうち、桜は確かに自身の行動が思い上がりだと気づいた。
自分が死ぬ気で頑張れば、原作の中で死んでいた人たちも救えるはずだと、まるで神様気分で心の底から思っていた。
しかし桜はあくまでも運良く前世の記憶を持ち越して転生しただけのただの人間だ。
日本という安全の保障された国で何の不自由なく生まれ育ち、片やザンザスは銃弾が飛び交い盗みが横行するような地域で生まれている。
他人をどうこうしようなど、比べようもないほどに非現実的な話だ。
それならば、と桜は思い立つ。
先ほど九代目が言った”守る義務がある”という言葉に、桜は我慢できないほどのもどかしさを抱いた。
まだ幼く、未熟故に九代目はそう言っただけかもしれない。
しかしマフィアの世界に足を踏み入れてしまった桜としては、自分の身くらい守ることができなければこの先ずっと足手まといになると考えた。
「まだ修行中の身である私が他人を助けるなんて、確かにおこがましい話です。思い上がりも甚だしいですね。でも、自分の身を自分で守れるようにするのはクーデターに限らず絶対必要なことですよね」
”あくまでも自分の身を守るため”。
そういうていで主張すれば九代目と言えど賛成せざるを得ないと思ったのだ。
そして桜の予想通り、話は終わったものだと思っていた九代目は予期しない提案にひっそりと眉を寄せていた。
”本当に困った子だ”、そう言わんばかりの表情に桜は多少の罪悪感を抱く。
「やっぱり、だめ……でしょうか」
窺うように見上げる桜の目には、少しばかりの不安となるべくならそうして欲しいという自己主張が見え隠れしていた。
「全く困ったものだね……君には負けるよ」
「じゃあ……!」
思わず嬉しさに立ち上がる桜に九代目はやや厳しい目で見つめた。
「ただし!あくまでも私がさっき言った理由の通り、周りの流れに介入せず100%自分の身を守るだけに徹し
、クーデターが起きても一切関与しないと言うなら手筈を整える。約束を守れるかい?」
「……はい!」
満足気な表情を見せた桜の様子に苦笑いを浮かべ、九代目は静かに部屋を後にした。
九代目の了承を得られたことにより、桜はいよいよ本腰を入れるべく瞳をやる気で燃え滾らせた。
「クーデターまであと半年……それまでに修行頑張って早く一人前にならないとね」
この時の判断が全くの役立たずになるとはつゆ知らず、部屋を灯すろうそくの炎だけが未来を暗示するように揺らめいていたのだった。
___to be continued.
*後書き*
どうやらストックがあると余裕ぶっこいて執筆が進まなくなるタイプだと自覚しました。そんなわけでカレーのようにじっくり寝かせておいた最新話です。
小説とは関係ありませんが、先日天野明展に行ってきました。私の人生のバイブルであり創作の原点でもあるのでとても感動しました。(感動しすぎてちょっと泣きそうにもなったり)
エルドライブも連載中の鴨ロンも見てましたが、やはりREBORNだけは格別ですね。家に帰ってから展示ブースで撮った写真の整理をしようとフォルダを見たら、せいぜい4,50枚くらいと思ってたのが100枚以上も撮ってて整理するのが惜しくなりました。
来月はアニカフェコラボもあるのでそちらも参戦する予定です。楽しみすぎて夜しか眠れません。
本編の方ですが、うっすら気づいている方もいるかと思いますが次回20話を以て幼少期編を終了する予定です。あくまでも予定ですが。
その後は原作に準拠したオリジナルの流れで書こうと考えてます。
なるべく楽しんでもらえるような構成にできたらと思ってるので今しばらくお待ちください。
ここまで読んでいただきありがとうございました!良かったら感想・批評などお気軽にどうぞ!