桜が己の転生を自覚してから早くも七日が経つ。
時とは長いようで短く、一週間の間にありとあらゆる体験をした。
まず転生をしたのでもちろん最初は赤ん坊である。
普通の人間は赤ん坊の頃の記憶など無いわけで、その時何をするかは自らが親になるか、或いは高校などで保育の授業を受けねば知る由もない。
その知る由もない赤ん坊の体験を桜は追体験していた。
産湯に浸かり身長と体重を測り、ありとあらゆる必要な検査を受け実に様々な知識を得た。
産声を上げた当初は、記憶を持ったまま生まれ変わるという衝撃で半ば放心状態だった桜だが、ひと段落つき、いざ母乳を飲み始めたところでやっと我に返る。
(「私、本当に転生したんだ……」)
冷静さを取り戻し始めた思考回路をなんとか動かし、桜は自分の置かれた状況を考えた。
まずこの女性の胎内にいた頃も思っていたことだが、転生する前は学校終わりのバイトから帰る途中だったはず。
その際オッドアイの不思議な黒猫に出会い、奇妙な赤い月と霧に見舞われてから意識を失った。
そして目覚めればこの転生という状況。
この物理法則を超えた謎の現象に桜は何度考えても混乱を極めた。
おそらく某赤い蝶ネクタイをつけた探偵少年くんでもお手上げするだろう。
そんな中、思い悩む桜に追い討ちをかける出来事が起きる。
おそらくこの女性の旦那さんであろう男性が生まれた赤ん坊を見に訪れたのだ。
「奈々~!!」
病室に入るや否や上げたその名前に桜は目眩がしたような錯覚を感じた。
その聞き覚えのある名前は、転生する前まで自身が毎日のように愛読していた作品に登場するうちの一人のキャラクターと同じであった。
(「偶然……?いや偶然だよね、むしろそうであってほしい。もしかすると字が違うかも」)
「双子は元気に生まれたようだな!」
双子、という言葉にそういえばと思考回路を止める。
隣ですやすやと寝ている可愛らしい赤ん坊(姉か妹だろうか)に、どことなく安堵しつつ夫婦の会話が聞こえた。
「この子達の名前は決めてくれた?」
「ああバッチリだ!初七日まで楽しみにしてろよ!」
「ちゃんと男の子と女の子それぞれよ?」
姉だと思っていた片割れは男の子だったようだ。
こんな些細な見間違いをするとは転生について考えすぎだろうかと思い直すも、次に入ってきた看護師の声によりそれはあっけなく終わりを告げる。
「沢田さん、検診の時間です」
「じゃあまたな、奈々!」
「行ってらっしゃい」
(「沢田……いやいや、きっと字が違うはず」)
「沢田さんのご主人とっても嬉しそうでしたね、お子様方のお名前について話していらしたんですか?」
「えぇそうなんですよ~」
うふふ、と顔を綻ばす母を横目で見ながら嫌な予感が頭を掠めた。
「ご主人のお名前はなんていうんでしたっけ?……ああそうそう、家光さんでした?やっぱり由来もその辺からなんですかね~」
三度目の正直、いや三度目の衝撃といったところだろうか。
これでは考えすぎても足りないくらいだと、再び思い直した桜は新たに決意を胸にするも、しかし解決の糸口は結局見つからないまま無情にも日々は過ぎていき七日目となる今日まで至る。
日本では子供が生まれてから七日目の夜をお七夜と言い、その日までに考えておいた名前を命名し家族で祝い膳を囲んでお祝いする習わしである。
そして母子が退院するのもこの頃であり、桜が生まれたこの沢田家も例外ではなかった。
看護師達に見送られ家に着くと、心待ちにしていた家光が満面の笑みで出迎えた。
仲睦まじく寄り添いあって家に入る夫婦を見ながら、桜は複雑な気持ちを抱く。
話しているのを聞いただけなため字が合っているかどうかは分からない。
しかしこれほど一致しているとなると、やはり自分が生まれ変わった場所は──……
なるべくならそうあってほしくないと願う桜だったが、食事が終わり命名が近づくにつれ、その思いはいっそう強くなっていく。
しかし現実とは、かくも無情なものである。
家光が嬉々として半紙の中央に書き連ねた文字は、桜が生まれ変わる前によく見ていた名前だった。
「男の子の方は綱吉っていうのね!とても強そうだわ~」
名前の右側にはやや小さめに"沢田家光・奈々長男"と並んでおり、桜が予感した通りの結果になっていた。
「ねえあなた、早くこっちの子の名前も知りたいわ」
自身を抱く母を見上げながら桜は懐かしい母の顔を思い浮かべた。
次に自分の名が出れば自分は桜ではなくなる。
今の両親も嫌いではない。
生まれ変わる前はその作品を実によく読んだものだ。
家光の父としての強さも、奈々の母としての包容力も全く申し分ない。
この2人に育ててもらえば充分すぎるほど幸せになれる。
しかし、自分にとっての両親はこの二人ではなく元いた世界の二人だけしかいない。
名が変われば自分は両親がつけてくれた桜ではなくなり、記憶を持ちながら全く別の人間として生きねばならない。
果てのない悲しみが桜を絶望の淵へと誘い込む。
現実とはかくも無情である。
しかし無情なだけが現実ではなかった。
「桜」
聞き覚えのある名が桜の耳へと届く。
「桜ちゃん」
いつの間にか閉じていた目を開くと、そこには自分を覗き込む奈々と家光の顔があった。
「あなたの名前は桜よ。桜ちゃん」
強く温かみのある、心地よい響きの声で名を呼ぶ両親。
悲しみと絶望の淵からすくい上げるかのように、再び同じ名を与えられた桜は胸の内がじんわりと温まるのを感じ取る。
まだ絶望してはいけないよ、という誰かの意思でもあるのだろうか。
(「もっと知る必要があるんだろうな」)
生まれ変わった意味、そしてマフィアと隣り合わせの世界で生きる意味。
それらを知るために、桜はなるべく早く成長できるようにと小さく願いながら一時の眠りについたのだった。
__to be continued.