敗北だけが俺の知っている結果だった。
走っても走っても、前を行く馬達。
全力で、だが、それでも届かない。
焦がれるように勝利を目指した。
あの場所に、俺は行きたいから。
だが、それでもやはり勝てなかった。
『ハァハァ、まだだ』
走る、走る、走って、走って、俺はそれしか知らないからだ。
頑張った、これなら勝てるとそう思った。
だが、肺は破けそうになり足は鉛のように重かった。
何より、俺の想像と現実のイメージは一致しない。
もっと俺は速く行けるはずなんだ。
『まだ、足りない』
負けたのは、努力が足りないからだ。
だから、とにかく走った。
それしか俺は知らないし、知る必要はない。
身体から無駄はなくなり、いつしか皮と骨だけが残っている。
触れれば折れてしまいそうだ、だが身体はこの上なく軽い。
これなら、俺は勝てるはずだ。
『これでも足りない』
走って、走って、抜いて、圧倒的な着差で勝利した。
だが、俺の理想と現実はまだ一致しない。
もっとだ、まだ俺は速くなれる。
『もっとだ、もっと行けるだろ』
騎手が変わった、だがそれがどうした。
俺は俺の走りをするだけ、もっと俺は身体を絞った。
これ以上は無理なほどに、限界まで絞りきった身体だ。
これで、俺は勝ち進む。
今まで一番の速さ、俺は遂に理想の走りを手に入れた。
『ようやく俺は……』
また騎手は変わった。
だが、それでも俺は強くなっていた。
もう誰にも負けない、誰が乗ろうと俺自身が強いのだから負ける訳がない。
『あぁ、やはり勝てた』
油断した。
勝てる勝負のはずだった。
だが、身体は重く脚は遅くなっていた。
理想と違う走り、体重の増加が原因だと理由は分かっていた。
慢心、そんな言葉が過った。
俺の先を行った2頭の姿が忘れられない。
その場所は、その景色は、俺の物だ。
『返せよ!そこは、俺の居場所だぞ!』
だから、走って走って走り続ける。
限界まで絞れ、こんなんじゃ俺は満足した走りなんて出来ない。
もっと、無駄を削ぎ落とせ。
考えるな、感じろ。
なんたって俺は……。
初めてのレースは、どうしていいか分からなかった。
スタートは出遅れ、駆けても既に時は遅く。
残酷な運命を前に破れるしか出来なかった。
『どうして……』
供回りを変えた、次のレースは満足行くスタートを切れた。
勝てる、そう核心していた。
『待ちたまえよ、サトノプログレスの走りを見るが良い』
ソイツは遥か埒外の外からやって来た。
直線を駆け抜け、先頭を行く俺に一騎打ちを仕掛けてきた。
諦めない姿があった。
諦めない強さがそこにあった。
『嫌だ!負けたくねぇ!』
『君、敗北を受け入れたまえよ』
『誰が、負けてやるものか』
『分かるよ、勝利とは甘美な物だ』
抜かれた瞬間から、抜いたその背中を追い抜いていく。
初めての勝利、そうか、これが勝利というものか。
『おぉ、おぉ……』
『ようこそ、これが勝利だ』
『素晴らしい!あぁ、なんということだ!感謝するぞ!』
『フハハハ、貴公良い馬だな、勝利に酔っている』
走る、直線まで走っていく。
正直、勝てるとは思えない状況だ。
前は入り組んでいて、とても走り抜けれるスペースはない。
『それでもぉぉぉ!』
だから、どうした。
それが諦める理由にはならない。
見えた、あの隙間のような場所こそが千載一遇の好機なのだ。
『まだだ!まだ終わらんよ!』
全力だ、全力を出し切る。
最後まで諦めない、諦めるのはいつだって出来るからだ。
何より、俺の背中には勝ってきた馬の期待が乗っている。
『見てるかね、これが勝利というものだ』
先頭を行く、黒い馬がいる。
なかなかの脚だ、実力がある。
だが、簡単に勝たせてやるほど甘くはない。
抜いた、抜いて先頭になった。
これで、俺の勝ちが確定する。
『今だァァァァ!』
声が聞こえた。
同時に、身体は重くなっていく。
なんだ……これは……。
俺の横を過ぎていく姿が見える。
そして、その馬が俺を抜いて、そして。
『へへっ』
笑っているだと?
まだ、終わっても居ないレースで、笑っているだと。
……ふざけるなよ、まだ終わりじゃない。
もう終わりだと、誰が決めたのだ。
『勝てよ、俺達の分まで』
『あぁ、負けぬとも』
どこかで約束した誰かの言葉が蘇る。
あぁ、負けぬと誓ったのだ。
最後まで諦めないとも誓ったのだ。
『まだだ!まだ終わりじゃねぇ!』
咄嗟に出たのは取り繕った言葉ではなく、本音の言葉だ。
身体の重さは消え失せ、再び脚が軽くなる。
踏み込め、前を向け、走り抜けろ、ゴールを通過するまでがレースだ。
そうして勝ってみれば、茫然自失とする馬の姿がある。
まるでかつての自分、敗北を知らない者の姿だ。
『ハァハァ……』
『俺は、最後まで諦めなかった』
『……う、うるせぇよ!』
『勝ったつもりになるのは……終わってからにしてもらおうか……』
願わくば、彼も立派な馬にならんことを。
次にあった時、奴は見違えたように強くなっていた。
見るだけで分かる、浮足立つような強者の感覚だ。
そうか、遂にお前もこのステージに来たか。
ならば迎え撃とう、我が力の前に平伏すがいい。
走る走る走る。
それはもう必死に走る。
ちょっと、我が力の前にとか思ってたけど、アイツが速いのは予想外だった。
なんで体力が持つんだ、嘘だろ!ええい、クールな俺は嘘だろとか言わない。
諦めるな、まだだ、まだ行けるだろ!
『悪いが、勝たせてもらう』
……何?えっ……黒い?
それは一瞬だった。
真っ黒い影が、俺の横を抜けていく。
そして先頭に迫って、そして駆け抜けていった。
その姿は、かつて負かした馬のそれだった。
『なんてやつだ、やはり強いじゃないか』
とてつもない、すごい奴だとそう思った。
『よっしゃぁぁぁ!俺の勝ちぃぃぃ!あっ』
と、思ったけど間抜け面で騎手を落としてる姿を見て。
なんだか、微妙な気持ちになった。
最初の原点は怒りだ。
『ふざけるなよ、俺が2番人気だと!見ろ、これが、俺の走りだ!』
あの順番が見れるか、お前は2番めで1番人気なのは俺だと言った馬がいた。
見せつけるかのように1馬身差で勝ってやった、ざまぁみろ!
次のレースは1番人気だった。
相棒は何故かいなかったが、それでも俺は走った。
だが、やはりしっくり来ないからか後少しで負けた。
『ふざけるなよ!』
ほぼ同着、違ったのはハナの分だけ先を行かれたことだ。
来なかった相棒よりも、負けてしまった自分がムカつく。
『また、負けただと!?』
次のレースは入念に準備した。
新しい騎手との調整も完璧、身体だって鍛えた。
人気は当然の1番、なのにだ。
今度はクビの差で負けてしまった。
『クソが、クソがクソがクソが!』
あと一歩だった。
ふざけるなよ!それが足りてないだろうが!
何を満足してやがる、負けてんだぞこっちは!
惜しかったと思う自分に腹が立つ、惜しかったと思う時点で負けてんだよ!
『畜生、なんでだ!』
次のレースは3着だった。
ひとつ先を行くフサイチアソート、俺と競り合うスズジュピター。
今までは先頭で争っていた。
ゴールにどちらが先に着くかで争っていた。
なのに今は、どちらが2位になるかで争ってる。
足りねぇんだよ、こんな実力が勝てねぇんだよ。
『うがぁぁぁぁ!』
格下しか居ないレースだった。
5番人気だった前と違って1番人気、勝てる戦いだ。
なのに、また先頭争いだ。
今度は先頭を争う2頭を離れた場所で見るような形でゴールする。
ふざけるなよ!どうして俺がそこにない!
なんで3着争いなんざしてやがる!
燃えるような怒りだけがそこにあった。
『まだだ』
『負けるかぁぁぁ!』
誰もが俺の勝利を予想していなかった。
6番人気、それは期待の現れだ。
ふざけるなよ!テメェにリベンジだ、ショウナンアルバ!
前回の1位に宣言し、俺は走る。
この怒りを焚べて、勝利を手にするのだ。
『いいや、勝つのは俺だ!』
雪辱を果たした。
俺より上に行くやつに、お前は下だと分からせてやった。
だが、こんなんで満足してしまう自分が嫌だった。
『日和ってんじゃねぇ!』
ひと目で強えぇと分かる奴らが居た。
佇まいから違うと、理解させられる。
だが、そんな奴にビビってる情けない自分に腹が立った。
レースでは、そんな奴に一泡吹かせるつもりで挑んだ。
負けるつもりはねぇ、俺が誰よりも強い。
だから、その眼中にねぇって面に叩きつけてやるよ。
俺の勝利って奴を!
『ざけんな!』
結果は9着、何も出来なかった。
圧倒的な走りで、置いてかれた。
誰も彼もが眼中になかった、そして俺の居場所もなかった。
あぁ、イライラする。
なんで俺はこんなに遅いんだ。
次で勝つなんて思う自分にも腹が立つ。
次じゃねぇだろ、勝たなきゃいけないのは今だろうが!
『よぉ、久しぶりじゃ――』
『…………』
パドックで擦れ違う、前回の1位の馬。
一番強いやつに、勝負を叩きつけるはずだった。
だが、目があっただけで分かった。
コイツ、俺どころか誰も見てねぇ!このレースを通過点としか思ってねぇ。
何も気負いもなく、ただ勝つのが当然だと思っている、そんな目だった。
ふざけるなよ!それほどまでに俺は弱いってか、今に見てろよ!
やはり、最後に抱くのは怒りだった。
『そろそろ混ぜろよ!』
『俺達を忘れて貰っちゃ困るぜ!』
黒いのを追い込んでいく。
奴が一番強い、だから奴を徹底的にマークした。
そうすれば、後は他の格上だけを倒せば良い。
コイツだけじゃねぇ、他の奴らすら俺を見ていない。
俺を見ろ、上ばかりじゃねぇ、下も見ろ。
じゃないと、思わぬところから脚を掬われるんだぜ。
外から走る、その差は僅か。
あの時の遠い馬群は、今や俺の真横にある。
勝てる、このレースは勝てる!
(オ オ オ オ オ オ ン !)
何かが背後から迫ってくる。
それは、黒いのだ。
黒いのが馬群に突っ込んできた。
……チッ、血迷ったか!
『……ッ!?』
それの姿を見た時、思わず身体がビビっていた。
なぜなら、俺よりも怒っている馬が真横に居たからだ。
だが、その馬はまるで幻のように消えていく。
今のは一体……。
『ッ!?待ってたぜ!』
声がした、世界がゆっくりになる。
俺の視線が横を向く、そこには走る体勢の奴がいる。
……ハハハ、なんだそれ、そんな力をまだ残してたのかよ。
圧倒的だった、圧倒的な速さで奴が先頭に行く。
それを許してる自分が許せねぇ!
だが、俺の脚は限界だった。
『ここで、お前が来るのか!』
『悪いが、勝たせてもらう!』
また、誰かと誰かが争ってる。
俺の居場所はそこにはない。
ただ、今ある場所を守ろうと必死に走っている。
いいなぁ、畜生、羨ましいなぁ。
眩しいそれに、目が眩みそうだ。
走り抜けたアイツは、誰よりも速かった。
そして、それが当然ではなく意地で走っていたのだと理解もした。
『ぐぅぅぅ……』
ゴールを越えて、奴の苦しむ声がした。
あの光景を知っている、ずっと昔に無茶した馬がなってた姿だ。
脚を限界まで酷使した、その姿だ。
まだ、超えられない訳じゃないんだ。
『おい』
『んだよ、スマイルジャック』
次は負けねぇ、そう言うつもりだったが、何も言えなかった。
なんだよ、俺のこと覚えてたのかよ。
クソが、俺の独り相撲かよ。
『次はぜってー勝つ』
『今忙しいんだ、寝言は寝てから言え』
『…………』
あっ、俺たぶんコイツのこと嫌いだわ。