低く唸るディーゼル機関の振動が、輸送船の床板を通じて軍靴の底に伝わっていた。
船団の先頭を行く大型輸送船のウイングに、軽巡・五十鈴は立っていた。
手にした双眼鏡を目元から外し、吹きつける冷たい潮風に乱れた髪を無造作に払う。
その視線の先――灰色の船体を軋ませて進む数隻の輸送船を取り囲むように、艤装を身に纏った駆逐艦の少女たちが、白い航跡を引きながら海面を滑走していた。
等間隔に配置された駆逐艦たちは、海面下へと神経を研ぎ澄ませ、ソナーの探知針路を維持しながら綺麗な輪形陣を組んで海を滑っている。
バタバタバタと、重い風切り音が頭上から落ちてきた。
見上げれば、低空を旋回する海上自衛隊の哨戒ヘリが一機、灰色の機体を傾けながら船団の前方へと進出していくところだった。ヘリの機体下部から、ワイヤーに吊るされたディッピングソナーが冷たい海面へと降ろされ、飛沫を上げて水中に没していく。
無線機から、ヘリの機長からの冷徹な音声がスピーカーを通じて五十鈴の耳に届いた。
『――こちら哨戒ヘリ、シーホーク二号。ポイント・デルタ水深九十に微弱な金属反応あり。ただし、即座に反転、南南東へ離脱中』
「五十鈴了解。深追いは無用です。そのまま哨戒針路を維持してください」
五十鈴は船橋の無線マイクに応じると、手元の作戦卓に広げられた海図板へと視線を落とした。
防水野帳には、直近数日間で探知された敵潜水艦の接触記録が、朱色の印となってびっしりと書き込まれている。
「……また逃げられたか」
五十鈴の背後で海図を覗き込んでいた輸送船の船長が、作業帽の鍔を押し上げながら煙草の煙を吐き出した。
「だがよ、五十鈴の嬢ちゃん。ここ数日、潜水艦のウロつき方が明らかに異常だぜ。いつもなら輸送船の腹を狙って雷撃を仕掛けてくるはずの連中が、姿をチラつかせるだけで、網を張るように深海へ逃げていく」
「ええ。船団を沈めることが奴らの主目的じゃないわ」
五十鈴は鉛筆の先で、海図上の朱色の点を線で結んだ。
「これまでの出現率の三倍以上。しかも、すべて特定の海域を取り囲むように扇状に展開している。……こちらの哨戒網の厚さを測り、身動きを封じるための外殻よ。この奥で、何かが確実に集結している」
五十鈴は海図板から顔を上げ、船橋内に同乗している海上自衛隊の連絡幹部――三佐の階級章をつけた男性士官へ向き直った。
「三佐。自衛艦隊および大本営の連絡ルートを通じ、南方航路における潜水艦警戒警報の発令、ならびに対潜航空支援枠の拡充要請をお願いできますか」
「了解した、五十鈴さん」
自衛隊の連絡幹部は即座に頷き、手元の衛星通信機を引き寄せた。
「呉の自衛艦隊司令部と大本営連絡班へ至急回線を繋ぐ。哨戒ヘリの交代要員と固定翼哨戒機の待機枠を、統合幕僚側からも前倒しで要請させよう」
「助かります」
五十鈴は頷き、ウイングの手すりに手を置いて海面を滑走する駆逐艦たちを見据えた。
「――通信長、鎮守府司令部へ打電」
五十鈴の声は、潮風の中でも鋭く響いた。
「『当海域における敵潜の活動、平時の三・四倍に達す。単独の通商破壊行動にあらず、主力部隊の集結を掩護するための警戒線と推測される。至急、奥部海域への強行索敵を具申す』……暗号電で飛ばして」
「了解、打電します!」
船橋の奥から、乾いた電信の打鍵音が響き始める。
五十鈴は双眼鏡を再び構え、自衛隊のヘリが旋回する灰色の空と、その先にある暗澹たる南方海域を鋭い眼光で見据えた。
五十鈴からの暗号電文が刷り出された薄紙が机上に叩きつけられた瞬間、連合艦隊旗艦執務室の空気は一変した。
長門は机に手をついたまま、壁に備え付けられた庁舎内一斉放送のマイクを無造作に引き寄せた。スイッチを弾き、低く太い声を流し込む。
『――天龍。直ちに連合艦隊旗艦執務室へ出頭せよ』
放送を切ると同時にマイクを戻し、長門は机の上に広げられた南方海域の海図へ両手をついた。その背後では、机に座らされた大和と武蔵が、張り詰めた室内の気圧に息を呑んでいた。
間もなく、荒々しい足音とともに扉が開いた。
肩を怒らせた天龍が、息を整えながら踏み込んでくる。
「長門さん! 呼び出しってのは――」
「五十鈴からだ。南方の輸送路周辺で、敵潜の蠢動が平時の三・四倍に跳ね上がった。単艦の通商破壊ではない。奥地に何かが集結している」
長門は天龍の言葉を遮り、海図の一角を指先で強く叩いた。
「現地での対潜指揮は、そのまま五十鈴に執らせる。次席指揮官に能代を付けろ。工廠から護衛空母の大鷹と神鷹を引っ張り出し、対潜哨戒機を満載させて五十鈴の直属に入れる。……その上で天龍、貴様に前衛部隊を編成させる」
「前衛……駆逐と海防艦か」
「そうだ。一組六隻、三交代のスリーローテーションで回す。計十八隻を南方の海域に張り巡らせ、二十四時間隙間なく爆雷を叩き込んで敵潜を完全に制圧する体制だ。今すぐ十八隻の顔ぶれを弾き出してこい」
「了解だ! すぐに枠を組んでくる!」
天龍は獰猛な光を目に宿らせ、踵を返して執務室を飛び出していった。
間髪を容れず、長門の鋭い眼光が部屋の奥へと向けられた。
「陸奥!」
「ええ、分かっているわ」
陸奥は煙管を灰皿に押し付け、何枚もの作戦計画書用紙を手元に引き寄せていた。
「南方海域における大規模潜水艦掃討作戦。および、航路の安全確保に伴う強行偵察計画……骨子を十五分で叩き起こすわ」
「大和、武蔵。突っ立っている暇はないぞ」
長門の声に、二隻の巨艦の背筋が跳ねた。
「陸奥の両脇に付け。五十鈴から送られてきた七十二時間の接触データと侵入ベクトルをすべて洗え。敵潜の潜航深度、反転針路の癖から、奴らが隠そうとしている海域を割り出すんだ」
大和と武蔵は顔を見合わせることもなく、陸奥の事務机へと踏み出した。
「はっ!」
山のように積まれた通信紙の束を、大和が引き寄せる。五十鈴の走り書きのような探知データ、深度百、百二十、方位一四〇――数字の羅列が網膜を焼く。
「大和、こっちの方位角を見てくれ」
武蔵が素早く定規を当て、鉛筆を走らせる。
「敵潜の離脱針路が、ある一点を中心にして放射状に散っている。ここだ……この環礁の裏手から海溝沿いにかけての一帯。主力が潜んでいると断定はできないが、奴らが必死にこちらの目を逸らそうとしているのは、間違いなくこの海域だ」
「ええ……! 陸奥さん、この海域が怪しいです。敵主力が潜伏している可能性を考慮し、強行偵察部隊を送り込むなら、このエリア全域を徹底的に捜索する針路を取るべきです」
大和が指し示した海図の座標へ、陸奥が素早く赤鉛筆でマークを入れる。
長門はその位置を一瞥し、低く頷いた。
「決めつけは禁物だが、ここが一番怪しいな。……強行偵察部隊をここに送り込む。山を張らず、この海域全方位を徹底的に探らせるぞ」
そこへ、書類挟みを抱えた大淀が足早に入室してきた。
「大淀、大本営とのパイプはどうなっている」
「回線は確保してあります」
大淀は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷徹な声で状況を報告した。
「船団に同乗している海上自衛隊の連絡幹部からも、自衛艦隊および統合幕僚ルートを通じて先行連絡が入っています。……ですが、今回の規模の対潜掃討と強行偵察となれば、現地へ艦娘を送り届ける輸送船の追加配備と、洋上での自衛隊対潜哨戒機・哨戒ヘリの継続的な航空支援枠が不可欠です。提督の正式決裁を待っていては、船の手配が半日遅れます」
「当然だ。事前接触を仕掛ける」
長門は迷いなく告げた。
「大本営に詰めているあきつ丸と、高雄を動かせ」
大本営の陸海軍令部および兵站総局に駐在し、中央との連絡調整を担っている艦娘たちだった。陸軍徴用船の出自を持ち輸送・兵站の実情に明るいあきつ丸と、卓越した実務能力と気品で軍令部の官僚や高級士官たちと対等に渡り合える重巡・高雄。
「大淀のカウンターパートを通じて、あきつ丸と高雄に暗号電を打て。『南方航路における大規模対潜作戦、ならびにその直後に続く大規模主攻作戦の公算極めて大。至急、輸送船枠および対潜航空アセットの非公式確保に動け』とな」
「承知しました。高雄なら、軍令部の作戦課長相手にすでに貸しを作っています。提督の決裁印が届く前に、中央の輸送船と支援ヘリの仮枠を喉元まで呑み込ませておくよう指示します」
大淀がすぐさま電話機へ向かい、ダイヤルを回し始める。
電信室の打鍵音、受話器越しの鋭い声、陸奥と大和たちが走らせるペンの軋み。
張り詰めた執務室の扉が再び開き、額に汗を浮かべた天龍が滑り込んできた。その手には、殴り書きされた編成表が握られていた。
「長門さん! 十八隻、スリーローテーションきっちり組んできたぜ!」
長門が鋭い視線を向ける。
「報告しろ」
「まず空の目だ。第二機動部隊の瑞鶴には一応筋を通して、了解は取りつけてある。工廠から護衛空母の大鷹と神鷹の二隻を引っ張り出した。対潜哨戒機を満載させて、現地で五十鈴の直属に入れる。それと五十鈴の次席指揮官に能代を付ける。現場の統率と前衛のコントロールはこれで万全だ」
天龍は机に身を乗り出し、編成表を陸奥の万年筆の先へ叩きつけるように指し示した。
「現場の駆逐と海防艦は一組六隻の三交代、計十八隻だ。
第一班! 朝霜、初霜、潮、択捉、松輪、佐渡!
第二班! 浦風、磯風、浜風、国後、八丈、占守!
第三班! 谷風、野分、舞風、御蔵、福江、平戸!」
天龍は息を呑み、獰猛な笑みを浮かべた。
「五十鈴の指揮下に大鷹と神鷹。次席に能代。現場はこの十八隻で回す。……これで、敵の潜水艦を叩き潰す!」
「上等だ」
長門は力強く頷くと、即座に顔を上げて鋭く下令した。
「強行偵察部隊を編成する。赤城と翔鶴を呼べ! 第一作戦室を押さえろ。ヘリボーン支援を含め、誰を前線へ連れていくか、顔ぶれを詰めるぞ」
「了解!」
陸奥が頷き、作戦計画書の作成を一気に加速させる。
大淀が受話器を置き、報告を重ねた。
「大本営詰めの高雄とあきつ丸から暗号電。中央の輸送船枠、および自衛隊哨戒ヘリの派遣内示、非公式に押さえました」
その時、執務卓の黒電話が甲高い呼び鈴を鳴らした。
長門が迷いなく受話器を取り、耳に当てる。
『――長門さん、吹雪です』
受話器の向こう、提督執務室に詰める秘書艦・吹雪の引き締まった声が響いた。
『提督とのアポイント、取れました。書類の決済枠、確保してあります』
「了解した。すぐに行く」
長門は受話器を置くと、机の上の軍刀を取り上げて腰の佩環へ通した。カツンと硬い金属音が室内に響く。
陸奥から差し出された分厚い作戦計画書の骨子を、その掌でしっかりと掴み取った。
「――よし。行くぞ、大和。ついてこい」