第一作戦室の重厚な防音扉の奥で、通信コンソールに向かっていた大淀が淡々と口を開いた。
「強行偵察部隊、摩耶より極秘電(フラッシュ)。敵中枢の座標データ、および光学観測による『戦艦レ級』の識別信号を受信しました」
その報告に、作戦室の空気が静かに引き締まる。
深海棲艦の中でも規格外の火力と装甲を持つ戦艦レ級。それがこの海域の主力(本命)として座乗しているという事実。
作戦室の最上座に腰を下ろしていた提督は静かに立ち上がり、傍らに控えていた長門へ向けて短く告げた。
「長門。ここからの現場の指揮は、すべてお前に任せる」
「はっ」
「私は執務室に戻り、資材の手配に入る」
提督はそれだけを言い残し、作戦室の出口へと歩き出した。
長門は短く頷き、「承知いたしました」と応じる。
「提督、退室されます」
扉の傍らに控えていた秘書官の吹雪が静かに告げ、長門や大和たちが一斉に起立して敬礼で見送る。
重厚な扉が閉まり、作戦室には再び艦娘たちだけが残された。全権を委任された長門が、鋭い視線をメインスクリーンへと向ける。
「よし。大淀、摩耶からの座標データをスクリーンへ展開しろ。――同時に、市ヶ谷(大本営)とのデータリンクを開け」
「はっ。大本営情報本部との直通回線(セキュア)、常時接続を維持しています。音声およびデータリンク、オンライン」
大淀がコンソールを叩くと、メインスクリーンの分割ウィンドウに防衛省・市ヶ谷の作戦司令室の様子が映し出された。
「こちら第一作戦室。大本営情報部、聞こえるか。摩耶より目標海域の確証データを受領した。これを基点に、そっちの情報収集衛星の合成開口レーダー(SAR)画像をこちらのスクリーンにオーバーレイしてくれ。今ならジャミングを抜けるはずだ」
『――こちら市ヶ谷、了解。防衛省情報本部とデータリンクを同期。衛星画像を第一作戦室のメインスクリーンへ転送する』
スピーカーから響く自衛隊将校の事務的な声と共に、大スクリーンの広域海図に極彩色のフィルターが何層にも重ねられていく。
キルゾーンの奥深くに、摩耶が特定した「戦艦レ級」の正確な座標が打ち込まれた。それを起点として、大本営から送られてきた衛星の解析データが周囲のノイズを急速に晴らしていく。
「……解析完了。目標海域【ポイントB】周辺に展開する敵艦隊の全容、展開します」
大淀の報告を受け、大和が手元のデータと照合しながら冷徹な演算結果を読み上げる。
「敵総数、六二隻。中央に座乗する旗艦は戦艦レ級。その直衛として戦艦タ級、戦艦ル級が計八隻。さらに後方には正規空母ヲ級改を含む空母群が六隻展開しています」
「……見事な布陣だな」
長門が腕を組み、広域海図を見据えて低く唸った。
「空母群と戦艦群の外周を固めるように、重厚な装甲を持つ重巡リ級と多数の水雷戦隊が多重の輪形陣を形成しています」
「ああ。我々の前衛が対潜掃討にかかりきりになっている最中に、この大艦隊ごと押し出されていれば、少なからず危うい局面だったな」
長門は淡々と事実だけを口にした。
強行偵察によって敵が動く前にその全容を炙り出したことで、最悪の事態は免れた。だが、敵の陣容が強大であることに変わりはない。
「これで敵の規模と配置は割れた。だが、六二隻の多重陣形をどう切り崩し、どこから本命のレ級へ肉薄するか。……我々の仕事はここからだ」
長門は戦術テーブルへ視線を落とし、大淀と周囲の者たちへ向けて指示を飛ばした。
「市ヶ谷。これより本隊編成の戦術検討に入る。一度データリンクを遮断する」
『――了解した。吉報を待つ。通信終了』
メインスクリーンの分割ウィンドウが消え、回線が切断される。長門はモニターから視線を外し、壁際に控えていた初霜たち駆逐艦へ向けて指示を飛ばした。
「昨日の作戦開始から丸一日以上が経過した。お前たち伝令の駆逐艦は、控えの者と交代してしっかり休め」
「は、はいっ!」
「交代に入る前に、第二作戦室へ今から挙げる者を招集しろ。――旗艦執務室から武蔵。それと金剛、加賀、天龍の計四名だ。執務室の陸奥には、そのまま向こうに詰めて待機するよう伝えろ」
初霜が復唱するのを聞き、長門はさらに言葉を継いだ。
「それと、第一作戦室の当直(ワッチ)として那智をここへ呼べ。伝令が終わったら、間宮に連絡して第二作戦室へコーヒー、紅茶、お茶、それとサンドイッチやカレーなどの食事を運ぶよう手配してくれ。以上だ、行ってよし」
「了解しました! ただちに手配し、交代要員へ引き継ぎます!」
初霜や初春たちが一斉に敬礼し、それぞれの伝令先へと足早に作戦室を出ていく。
数分後、呼び出しを受けた那智が、交代要員の駆逐艦たちを伴って第一作戦室へと入ってきた。
「待たせたな、長門。第一の当直(ワッチ)を引き継ぐ」
「ああ、頼む」
長門は広域海図のコンソールを指し示し、手短に状況を引き継ぐ。
「市ヶ谷との回線は一度切っている。前線の五十鈴たちからの入電や、市ヶ谷から緊急の連絡が入った場合は、大淀と連携して即座に第二作戦室へ知らせてくれ」
「承知した。ここは任せておけ」
那智と大淀に第一作戦室の留守を預け、長門はその場にいる大和、赤城、翔鶴、妙高の四人を振り返った。
「よし、我々も第二作戦室へ移るぞ」
第一作戦室とは打って変わり、第二作戦室は簡素な長テーブルと椅子だけが並ぶ会議室だった。長門たち五人が入室すると、すでに招集を受けた武蔵、金剛、加賀、天龍の四人が顔を揃えており、テーブルの上には間宮から届いたばかりのカレーとサンドイッチ、そして湯気を立てるポットが並んでいた。
九人の艦娘が長テーブルを囲むように席に着く。長門は肩の力を抜き、静かに周囲を見渡した。
「我々も昨日から丸一日以上、詰めっぱなしだ。いかに艦娘といえど、これだけ根を詰めれば頭も疲れる。……まずは二〇分ほど、腹ごしらえをしながら息を抜こう」
その一言で、張り詰めていた会議室の空気がふっと緩んだ。
「そうさせてもらうぜ。執務室で図演の計画書やら上がってくる戦闘詳報やらをずっと睨みっぱなしで、目がチカチカしてたところだ」
武蔵が目頭を押さえ、サンドイッチの皿に手を伸ばす。赤城や大和たちもそれぞれカレーや紅茶を手に取り、静かに食事を始めた。
長門はお茶で喉を潤すと、向かいでカレーを頬張っていた天龍へ視線を向けた。
「天龍。さっきまで外を回っていたな。鎮守府内の様子はどうだ?」
「ああ。どこもピリピリしちゃいるが、士気はすこぶる高いぜ」
天龍はスプーンを止め、少し呆れたように笑ってみせた。
「さっき食堂に寄った時も、夕立や暁たち駆逐艦の連中に取り囲まれてな。『敵はどこだ』『自分たちの出番はいつだ』って、目をギラつかせて質問攻めよ。外出禁止令が出ても怯むどころか、全員いつでも飛び出せるように主砲も魚雷もピカピカに磨いて待ってやがる」
「頼もしい限りですね」
大和が口元を緩め、翔鶴や妙高も小さく頷いた。前線で命を張る者、後方で出撃を待つ者。鎮守府全体の熱量が落ちていないという事実は、重圧の中にいる主力たちの心を少なからず和ませた。
「そうか。あいつらに恥じない盤面を組ねばな」
長門が静かに言い、手元の時計に目を落としてから、二〇分の小休止を区切った。各自が食後のコーヒーや紅茶に手を伸ばしたところで、長門は再び指揮官の顔へと戻る。
「――さて、本題に入るぞ。シミュレーションを始める前に、まずは敵の目的と意図を検証する。議題は一つだ。なぜ、六二隻もの大艦隊があの海域で、一歩も動かずに固まって潜んでいるのか。各自、忌憚のない意見を出してくれ」
長門の問いに、全員の視線がテーブルの中央に広げられた海図へと集まる。
「機動部隊の視点から言えば、誘い込み(キルゾーン)の布陣に見えます」
最初に口を開いたのは赤城だった。
「厚い防空網を持つ多重輪形陣に我々を引き込み、損耗させたところで反転攻勢に出る。空母群の配置も、迎撃にいつでも移れる形です」
「いいえ、それなら辻褄が合わないわ」
緑茶の湯呑みを置き、加賀が即座に反証を突きつける。
「こちらをすり潰すのが目的なら、我々の前衛が対潜掃討にかかりきりになっていたあの三時間の間に仕掛けてこないのは不自然よ。六二隻の戦力があれば、罠を張って待つまでもなく、力押しで前衛ごと踏み潰せたはずだわ」
「加賀の言う通りだな」
腕を組んでいた武蔵が低く応じた。
「連中が動かなかったのは、様子を見ていたんじゃない。何らかの理由で、あの座標から『動けなかった』と見る方が自然だ」
「動けない理由、ですか」
妙高が手元の衛星解析データに目を落としながら、思案するように口を開いた。
「仮に、あの海域で別の艦隊との『合流』を待っているとしたらどうでしょう。合流地点(ランデブーポイント)として指定されているなら、前衛の潜水艦が叩かれても動けなかった説明がつきます」
「おいおい、待てよ妙高」
天龍がコーヒーのカップを置き、海図を指差した。
「もし後続の別働隊とやらを待ってるなら、そいつらは一体どっから来るってんだ? 市ヶ谷の衛星網でも、周辺の海域にそんな大規模な艦隊の接近は引っかかってないぜ。本当に別働隊がいるってんなら、そいつらがどこに潜んでるのか、さらに外周へ偵察機を飛ばして確かめなきゃならなくなるぞ」
「そうデース。それに、ただの合流待ちにしては陣形が重厚すぎるデース」
紅茶のカップを傾けながら、金剛が首を横に振った。
「多重の輪形陣で中央のレ級たちをガチガチに固めているのは、誰かと合流するためというより、あの海域そのものに『何か』があって、そこを拠点化しようとしている……あるいは、レ級を含む主力群が長距離移動の直後で、機関や艦載機の再編(クールダウン)に時間を要している可能性も否定できないデース」
「ですが、再編中であるなら、先ほどの摩耶さんたちの強行偵察に対して二百機もの迎撃機が即座に上がってきた説明がつきません」
翔鶴が静かに指摘する。
「航空戦力は完全に即応状態を維持しています。動けないのではなく、やはり『動くつもりが最初から無い』ようにも見えます」
会議室に沈黙が落ちる。誘い込み、合流待ち、拠点化、あるいは再編。どの仮説にも一理あり、同時に決定的な矛盾や裏付けの欠如があった。
「……結局のところ、今の情報だけでは敵の真の意図は断定できない、ということですね」
大和が全員の意見を整理するように、冷静に口を開いた。
「ああ。ここで一つの仮説に決めつけて編成を組めば、読みが外れた時に取り返しがつかなくなる」
長門は海図を見据えたまま、重く頷いた。
「敵の意図が読めない以上、あらゆる可能性を想定して備えるしかない」
長門は指を立て、議論された可能性を戦術パターンへと落とし込んでいく。
「一つ、我々の主力が接近した段階で、敵が輪形陣を解いて一斉に包囲殲滅へ動き出す『積極迎撃型(パターンA)』。
二つ、あの座標を死守するため、最後まで陣形を崩さずハリネズミのように待ち受ける『拠点防衛型(パターンB)』。
三つ、交戦の最中に外周から未確認の別働隊が突入してくる、あるいは敵が別方向へ機動を開始する『増援・流動型(パターンC)』。
……大和、この三つのパターンすべてを第一作戦室のシミュレーターに入力しろ」
「了解しました。それぞれのパターンにおける敵の予測機動と、それに対する我が方の編成案を複数構築します」
「外周の警戒についても、市ヶ谷に要請して衛星と哨戒網の監視範囲を広げさせる必要があるな」
長門は立ち上がり、テーブルの面々を見渡した。
「よし、大枠の想定はここまでだ。第一作戦室へ戻り、パターンAからCまで、どの局面に転んでも敵を粉砕できる編成と戦術を、図演で徹底的に洗い出すぞ」
第二作戦室を引き払い、再び第一作戦室へと戻った長門たちは、中央の戦術テーブルを囲んで戦闘配置に就く。
「まず前提として、今回の目的地である南方海域の奥深く――あのポイントBへ向け、本州の鎮守府から補給部隊や輸送船団を差し向ける場合、巡航速度一五〜一六ノットの船団であっても丸一週間(約七日前後)の航行日数を要します。本隊が出撃した後も、後方からの物資供給にはどうしてもタイムラグが生じる」
大和の冷静な指摘に、会議室の空気が引き締まる。どれほど強力な艦隊を組んでも、継戦能力(兵站)が途切れては意味がない。
「そこで、我が方の主力本隊が現地に到達し、さらに後方からの輸送船団が追いつくまでの間隙(ギャップ)をどう埋めるか――が最初の焦点になります」
大和はスクリーン上のポイントB付近を指し示した。
「現在、現地の最前線には五十鈴たちの前衛部隊に加え、強行偵察をやり遂げた摩耶たちがいます。彼女たちをこのまま海上に浮かせたまま待機させれば、疲労と物資の消耗は無視できないレベルに達する。そこで――」
大和の視線が、コンソールを挟んで通信を統括する大淀へと向けられた。
「大淀。市ヶ谷(大本営)との回線を再び開け。海上自衛隊の統幕運用センターへ繋ぎ、前線のDDH(ヘリ搭載護衛艦)の利用について正式な要請を上げる」
「はっ! 直通回線、接続します」
大淀がコンソールを叩き、第一作戦室のメインモニターに防衛省・市ヶ谷の通信ウィンドウが立ち上がる。セキュリティの確保された回線を介し、長門は市ヶ谷の担当官へ明確に要求を伝えた。
「こちら第一作戦室、長門だ。南方海域の最前線で展開中の海上自衛隊の部隊に関して、大本営経由で現地へ打診を入れてもらいたい」
『――こちら市ヶ谷、統幕運用センターだ。長門殿、どのような要請か?』
「本州から当該海域に至る補給線が完全に整うまでの間……現在現地の最前線で行動中のDDHの艦内設備を、我が方の前衛部隊――摩耶や五十鈴たちの『洋上の仮設休憩拠点(リトリートベース)』として一時的に貸し出すよう、指示を出す。艦長に挨拶して欲しい。
画面の向こうの統幕担当官が手元の書類を確認するような気配を見せ、やがてコンソールを通じて現地のDDH艦長へと回線を転送した。数秒のノイズを挟んで、海上で過酷な任務を続けるDDH艦長の引き締まった顔がモニターに映し出される。
『――こちら海上自衛隊、現地派遣のDDH艦長だ。長門海将補の要求は市ヶ谷経由で承った。……うちの巨大な飛行甲板や格納庫、居住区画を、艦娘たちのホテル代わりに使いたいと?』
「そうだ。艤装を解き、数時間でも温かい食事と睡眠をとらせる場所が前線海域に欲しかった。自衛隊の艦内に艦娘を上げるのは規定外かもしれないが、作戦遂行のための特例として許可をもらいたい」
艦長は腕を組み、少しだけ苦笑交じりに頷いた。
「規定外なんて今さら言っていられないさ。ウチの対潜ヘリも彼女たちの退路を確保するために走り回っている。――いいだろう。大本営からの正式な要請として受理する。DDHの格納庫と居住区画の一部を、貴官らの洋上休息拠点として一時的に開放する。艦娘たちをいつでも受け入れられるよう、医療班と給養員に準備をさせておく」
「助かる。大本営への報告と現地の艦娘の指揮は麻耶にするから宜しく頼む」
長門が短く礼を言い、通信を切る。
大和が再び手元の盤面へと向き直った。
「――これで前線の継戦リスクはクリアされました。ここからが本題です。南方海域ポイントBに巣くう敵六二隻の多重輪形陣に対し、我々が取るべき突入フォーメーションおよび編成のシミュレーションに入ります」