各部隊への出撃命令が発令され、第一作戦室の空気が実動へと切り替わる中、長門は傍らに控えていた那智へ視線を向けた。
「那智。ここまで作戦室に詰めていた幹部連中には、これから八時間の休憩を取らせる」
「了解しました。では、その間の作戦室の維持はいかがしますか?」
「お前たち重巡で、四時間ごとに第一作戦室のワッチを回してくれ。連絡要員の駆逐艦も、この第一作戦室に入れる資格のある者から選んで、同じく四時間交代で待機させる。……悪いが、臨時でローテーションを組んで、作戦室の人員管理をお願いする」
「承知しました。直ちに重巡および資格を持つ駆逐艦のシフトを組み、監視態勢を引き継ぎます」
「それと、今回の全図演の記録はデータリンクで市ヶ谷の大本営へ送っておけ。大本営からの検証結果や見解が返ってきたら、私のいる旗艦執務室の方へ報告を上げておいてくれ」
「はっ、抜かりなく手配します」
那智が端末の操作へ移るのを見届け、長門は出撃準備のために作戦室を出ようとしていた金剛を呼び止めた。
「金剛。摩耶たちと合流したら、現地の指揮はお前に任せる。万が一、ポイントBの敵六二隻が出てきた時は……こちらの主力が出撃して到達するまでの『八時間』、なんとしても連中を持たせてくれ」
「了解デース! 前線の抑えはMeたちに任せておきなさいって!」
金剛は明るい声で胸を叩くと、ふっと柔和な笑みを浮かべて、少しだけ声を落として長門の顔を覗き込んだ。
「……でもさあ、長門。あんたがそこまで敵の腹の内を読みあぐねて迷ってるんなら、私たち金剛型四人でこっそり夜襲でも仕掛けて、連中の出方を見てきてあげようか?」
一人で重責を抱え込む後輩を気遣うような金剛の提案に、長門はわずかに目元を和らげて首を振った。
「……気遣いはありがたいが、今はよせ。余計な反撃を誘うだけだ」
「もー、堅いんだから。……まあいいわ、今回は雲龍型三人もいるしね。前線に行ったら私が何でも対応してあげるから、長門は安心して構えてなさい!」
金剛は不敵なウインクを飛ばすと、ビシッと敬礼を返し、軽快な足取りで待機所へと向かっていった。
その金剛たちとともに前線へ緊急展開するため、輸送機が待機する滑走路へ向かって、雲龍、天城、葛城の雲龍型三隻が足早に移動していた。
その後ろから、瑞鶴が小走りで追いついて声をかける。
「雲龍、天城、葛城!」
三人が足を止めて振り返る。瑞鶴は息を整えると、いつもの明るい笑顔を作って三人の前に立った。
「今回の緊急展開、あんたたちが先鋒に選ばれたんだから、しっかり頑張りなさいよ!」
「瑞鶴さん……!」
葛城が表情を引き締め、誇らしげに胸を張った。
「はい! 私たちがこうして先鋒として、空母群の先頭を任されるようになったのは、これまで鍛えてくださった瑞鶴さんのおかげです!」
「ええ、今のあんたたちなら十分やれるわ。自信を持ってやりなさい!」
瑞鶴が力強く背中を押すと、雲龍たち三人は「行ってきます!」と声を揃え、輸送機のタラップへと駆けていった。
遠ざかっていく三人の背中を見送りながら、瑞鶴の顔からふっと笑顔が消える。
(……先鋒、か)
瑞鶴は吹き抜ける滑走路の風の中で、静かに唇を噛んだ。
第一作戦室の空気を知っている瑞鶴には、今回の雲龍型の投入が持つ本当の意味が嫌というほど分かっていた。
物資も揃わず、主力空母群をまだ動かせない今の状況で、雲龍たち三隻だけで敵六二隻を相手に本格的な航空戦などできるはずがない。
長門が彼女たちを前線へ送り出したのは、摩耶たちの陽動とあわせて敵の鼻先に空母の存在をちらつかせ、連中の初動を見極めるためだ。
いわば、将棋で相手の出方を見るために突き出す『様子見の歩』に他ならない。
もし敵が本気で牙を剥いて飛び出してくれば、最前線にいる雲龍たちが真っ先にその猛火を被ることになる。
(それでも……あの子たちには、自信を持って飛んでいってもらわなきゃね)
瑞鶴は輸送機のハッチが閉まるのを最後まで見届けると、拳を固く握りしめ、格納庫へと引き返していった。
第一作戦室の任務を那智たちへ引き継いだ大淀は、八時間の休憩を取るため自身の執務室へと戻ってきた。
扉を開けると、うず高く積まれた書類の束と複数のモニターに囲まれた明石と夕張が、死んだような目でキーボードを叩いていた。大淀が作戦室に詰めっきりだったため、その間に発生した後方兵站や編成データなど、膨大な数字の資料整理を二人が代わりに押し付けられていたのだ。
扉の音に気づいた明石と夕張が、血走った目でバッと振り返った。
「あーっ! 大淀、やっと戻ってきた!」
「もう限界よ……! なんなのこの弾薬と燃料の消費推算データの山は! 普段こんな細かい数字の照合ばっかりやってるなんて頭おかしくなるわよ! 戻ってきたんなら早く代わって!」
泣きつくような二人の愚痴を、大淀は涼しい顔で受け流した。
そのままデスク脇の給湯器でお茶を淹れると、ソファに深く腰を下ろしてズズ、とわざとらしく音を立ててすすった。
「お断りします。私は長門さんからの命令で、これから八時間の休憩に入るところですから」
「はあ!? ちょっと、私たちがあんたの分の事務処理を引き受けてあげてるのよ!?」
机を叩いて抗議する明石を、大淀はメガネの奥から冷ややかな目で見下ろし、フンと鼻を鳴らした。
「何を言っているんですか。あなたたちは普段、工場にこもっていつも機械いじりばかりして、自分たちの趣味に没頭しているじゃないですか。たまにはそうやって基地全体の泥臭い数字と向き合うのも、いい社会勉強になるでしょう」
「し、趣味って……! 整備と改修はれっきとした重要任務よ!」
「そうよ! 大淀、そこでお茶飲んでないでこっち手伝いなさいよぉ……!」
「嫌です。集計ミスがあったら差し戻しますから、一桁たりとも間違えないようにきっちりやってくださいね」
「うわあああん、鬼! 悪魔! 事務方眼鏡ーっ!」
頭を抱えて泣き言を並べる明石と夕張の情けない姿を眺めながら、大淀はもう一口、ゆっくりとお茶をすすった。
第一作戦室の張り詰めた空気の中でずっと神経をすり減らしていた大淀にとって、こうして二人に嫌味を言いながら見下している時間は、何よりの心地よい息抜きになっていた。
水雷戦隊の待機区画。
那智から通達された第一作戦室の臨時ローテーション表を端末で眺めていた陽炎型三番艦の黒潮が、隣で艤装の点検をしていた陽炎と不知火に声をかけた。
「なあなあ、陽炎、不知火。わてら第一作戦室に入る資格持ってんのに、今回のワッチのローテーションから綺麗に外されてるよなあ。……これって、そういう意味で捉えていいんかい?」
黒潮の問いかけに、陽炎は手元の工具を止め、画面のシフト表を一瞥して小さく息を吐いた。
「まあ、そういう意味に捉えていいんでしょうね」
陽炎の顔から普段の軽口が消え、不知火も無言のまま静かに視線を重ねる。
作戦室の雑務や伝令のシフトから外されたということは、彼女たちの足を基地内に縛り付けず、いつでも即応できる状態にしておくという上層部の意思表示に他ならない。
「ってことは……いよいよ、私たちが最前線に突っ込む時が来るってことよ」
陽炎が真剣な眼差しで呟くと、黒潮と不知火も表情を引き締め、それぞれの魚雷発射管の整備へと再び手を動かし始めた。