旗艦執務室に戻った長門は、ソファに深く腰を沈め、テーブルに置かれた特大のガラス鉢と向き合っていた。
中に入っているのは、給糧艦の間宮と伊良湖に特別に作らせた山盛りのチョコレートパフェである。
幾重にも絞られたホイップクリームに、濃厚なブラウニーとチョコアイス、そして頂上には艦隊の士気を象徴するかのように巨大なチョコレートの飾りがそびえ立っていた。
第一作戦室での張り詰めたプレッシャーを相殺するように、長門は軍刀を脇に置いたまま、特大のスプーンを無心に動かして糖分を胃袋へと流し込んでいた。
ちょうど鉢の底のコーンフレークが見え始めた時、執務机の専用端末が低いコール音を鳴らした。
長門はスプーンを口にくわえたまま立ち上がり、端末の通信ボタンを叩く。
モニターに映し出されたのは、市ヶ谷の大本営で連絡将校として各省庁との調整に奔走している重巡・高雄だった。彼女の表情には、隠しきれない疲労と呆れの色が浮かんでいる。
『長門さん。……お食事中でしたか?』
「いや、ちょうど補給が終わったところだ。市ヶ谷の状況はどうなっている?」
長門が口元のクリームをハンカチで拭いながら尋ねると、高雄は端末の向こうで大きなため息をついた。
『一言で言えば、お祭り騒ぎです。先日、海自の哨戒ヘリが敵の潜水艦を単独で沈めた件が、各幕僚監部に完全に火をつけました。どこの部隊も「艦娘ばかりに負担はかけさせられない」と、異常なほど前のめりになっています』
高雄は手元のデータパッドに視線を落とし、早口で報告を続けた。
『空自は南方海域までF-2を飛ばして対艦攻撃を行う準備を完了。陸自の第一空挺団や特殊作戦群までが、「島嶼奪還なら我々に任せろ」と作戦のゴーサインを今か今かと待っている状態です。……さらに厄介なのが、各部隊の将官クラスから提督の元へ直接「非公式な出撃の打診」が相次いでいるんです』
「提督の状況は?」
『あきつ丸たちと共に、後方からのピストン輸送にかかりきりです。海自から提供された防空特化の艦娘専用作戦拠点艦――輸送艦『おおすみ』改を中心に、バケツや弾薬をひたすら前線へ運び上げていて、数字としては順調です。ただ、提督もこのお祭り騒ぎには頭を抱えていて、「前線の戦術はすべて長門に一任している」と突っぱねて、非公式の調整を全部私の方へ投げてきているんですよ』
「なるほど。お前がやつれている理由がわかった」
長門が苦笑すると、高雄は表情を引き締め、本題を切り出した。
『……ですが、悪い話ばかりでもありません。海幕(海上幕僚監部)から、極秘の実戦的な打診が上がってきています』
「ほう?」
『現在、おおすみを中心とする輸送船団のさらに前方――海中警戒(スクリーン)のために前線展開している海自の潜水艦部隊についてです。「前衛に出ているうちの潜水艦を一隻割いて、ポイントAとCへ潜入する伊号たちの回収支援に突っ込ませる用意がある」と』
長門は瞳の奥に鋭い光を宿し、腕を組んだ。
『距離と時間的な制約を考えればギリギリ間に合うかどうかですが、海幕は本気で潜水艦を回す気です。長門さん、この手札はどうしますか?』
「……上等だ。伊号たちに無理をさせて懐深くまで潜り込ませても、帰りの足が確保できるなら生還の確率が格段に跳ね上がる。その非公式の提案、ありがたく使わせてもらう」
長門はニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「各部隊の意気込みには感謝すると伝えておけ。だが、動かすのはこちらのタイミングだ。待機命令を維持しろ。伊号の回収の件だけは、直ちに金剛と海自の潜水艦部隊の間にラインを繋いで、前線の現場同士で手はずを詰めさせろ」
『了解しました。現地に展開した金剛さんの方へ通信を回します』
通信が切れ、長門は再び静まり返った執務室で海図を見上げた。
熱を帯びる後方の自衛隊と、最前線で繋がりつつある艦娘と海自の潜水艦部隊。長門はパフェの鉢を横へ押しやると、次なる一手を盤面へと進めた。
時を同じくして、最前線の海域。
激しい陽動任務を終えた摩耶と五十鈴たちは、すでに海上自衛隊の護衛艦に収容され、艦内で休息を取っていた。
そこへ到着した金剛たち増援部隊が、護衛艦の側面に下ろされたタラップ(舷梯)を軽快な足取りで登っていく。
甲板に上がりきったところで、出迎えに出た摩耶と五十鈴がビシッと姿勢を正し、金剛に向かって敬礼した。
「お疲れ様ネ、摩耶、五十鈴。よくあの大立ち回りを凌ぎ切ったわヨ」
金剛は労いの言葉とともに軽く右手を挙げて応えると、二人の後ろに控えていた護衛艦の艦長へ歩み寄り、今度は自身から綺麗な敬礼を送った。
「艦長さん! 今回はウチの可愛い妹分たちを助けて、こうして休ませてくれて本当にサンキューネ! おかげで助かったわ」
「金剛型の到着を歓迎する。彼女たちの掩護と支援は我々の任務だ。上空と周辺海域の警戒は、引き続き我々に任せてもらいたい」
「オーケー、頼もしいわネ! ……それで、早速で悪いんだけど、あんたたちの作戦会議室をお借りしてもいいかしら?」
金剛は少し声を落とし、海面で待機している潜水艦の伊一六八(イムヤ)や伊五八(ゴーヤ)たちへ視線を向けた。
「これからポイントAとCへの海中侵入の手はずを詰めるの。……艦長さん、あんたもご一緒にどうぞ。これから私たちがどう動くか、きっちり共有しておきたいからネ」
「……了解した。案内しよう」
艦長の案内に従い、金剛は摩耶たちを引き連れて護衛艦内部の会議室へと足を踏み入れた。
防音扉が閉まり、戦場の喧騒が遮断される。
金剛は海図モニターの前に立つと、それまでの明るい笑みを消し、最前線の指揮官としての鋭い眼差しで室内を見回した。
「さて。これからイムヤたちには、敵の懐の奥深くまで潜って、見えない目玉を引ん剥いてきてもらうわけだけど……」
金剛はモニターにポイントAとCへの侵入ルートを描き出しながら、海幕から引き出した『極秘のバックアップ』の存在を、同席している艦長にも聞こえるようはっきりと口にした。
「あんたたちの帰りの足として、海自の潜水艦が一隻、ギリギリのタイミングで回収支援に突っ込んでくる手はずになったわ。帰る道は確保してあげるから、連中の腹の底、遠慮なく覗き込んできなさい!」
金剛の号令に、イムヤとゴーヤが力強く頷く。艦長もまた、海自と艦娘の作戦が完全にリンクしたことを理解し、静かに深く頷いた。
第一作戦室。
海図モニターを監視していた那智が、鋭い声で報告を上げた。
「長門さん。前線の金剛から入電です。……伊号潜水艦部隊、ポイントAおよびCへの海中侵入を開始しました」
長門は腕を組んだまま、静かに頷いた。
「よし。この潜入行動の推移と結果は、すべてリアルタイムで市ヶ谷の大本営へデータリンクで送っておけ」
「了解」
那智がキーボードを叩き、市ヶ谷への直通ラインを開く。
作戦室の空気は、再び実戦のヒリヒリとした緊張感に包まれた。
同じ頃、最前線の海面上では、摩耶たち巡洋艦部隊が敵の目を潜水艦から逸らすための陽動に打って出ていた。
砲身を吠えさせ、ポイントBに陣取る六二隻の敵艦隊の鼻先を掠めるように高速で突っ込むふりを見せる。
摩耶たちの上空では、後方の千代田や瑞鳳から発艦した戦闘機部隊が強固なエアカバー(上空直掩)の傘を広げ、不測の事態に備えていた。
さらにその周囲の海域では、海上自衛隊の哨戒ヘリ部隊が、派手な探信音(ソナー)を撒き散らしながら執拗な対潜掃討(ハンターキラー)を展開している。これにより、摩耶たちへの敵潜水艦の接近を防ぐと同時に、海中の敵の警戒を完全にヘリ側へと釘付けにし、密かに潜行していく伊号たちから完全に目を逸らさせていた。
だが、敵陣からは散発的な砲撃が返ってくるのみだった。
敵艦隊は陣形を崩すことなく、摩耶たちをより深く懐へ誘い込むかのように、ジリジリと後退しながら不気味な沈黙を保っている。千代田たちの戦闘機部隊が警戒する空からの強襲も、一切ない。
通信機から、後方で陣頭指揮を執る金剛の冷静な声が飛んだ。
『摩耶、それ以上は深追いするな。連中、今回は完全に待ちの姿勢ヨ。千代田たちからの報告でも敵機の襲来は無し。まるで戦力を温存しているみたいネ』
「チッ……気味が悪いぜ。前回あんなにムキになって飛んできたってのによ」
『これでハッキリしたわ。今のところ、相手の動きは長門が予想した通りの『パターンA』だと思われるわネ。海自ヘリのハンターキラーも効いてるわ。……あとは、ポイントAとCへ潜った伊号たちの結果次第ヨ』
摩耶は舌打ちをして反転し、牽制砲撃を続けた。
冷たく暗い海の中。
イムヤは、推進音を極限まで殺し、ポイントAの海域へと潜行していた。
摩耶たちの陽動と、海自ヘリによる派手なハンターキラーのおかげで、上層の敵ソナーの網の目は完全に自分たちから逸れている。
(ポイントA、到達……)
イムヤは慎重に潜望鏡深度まで浮上し、光学センサーで海面の様子を探る。
だが、そこには拍子抜けするほどの静寂があった。
敵の影はおろか、警戒施設らしきものも一切存在しない。ただの波がうねるだけの何もない海域だ。
イムヤはすぐさま通信の暗号出力を絞り、金剛へ打電する。
『こちらイムヤ。ポイントA、空振り。完全にダミーね』
一方、その頃。
別働隊としてポイントCの海域に到達していたゴーヤは、岩礁の陰に身を潜めながら、そっと海面へペリスコープ(潜望鏡)を伸ばしていた。
レンズ越しの光景に、ゴーヤは思わず息を呑んだ。
ただの泊地ではない。
そこには、島そのものを大きく削り取り、巧妙に偽装網を被せた巨大な『飛行場』と、堅牢な港湾施設が建造されていた。
海面には、建設資材を運ぶ無数の輸送ワ級や、護衛の駆逐ロ級たちが群れを成して這い回っている。
さらにゴーヤの背筋を凍らせたのは、舗装が進む長大な滑走路の上に整然と並べられた、異様な球体群の姿だった。
深海棲艦特有の、禍々しいオーラを放つ無数の艦載機群――通称「たこ焼き」。
それが、島の飛行場を埋め尽くさんばかりに何列も並んで、飛び立つ時を静かに待っている。
敵はポイントBの六二隻で分厚い防衛線を張りながら、その安全な後ろ(ポイントC)で、この海域を完全に制圧するための『絶対不沈の航空拠点』を構築していたのだ。
ゴーヤは冷や汗を流しながら、通信機を握りしめ、後方の金剛へ向けて緊迫した緊急打電を発した。
『こちらゴーヤ! ポイントCにて、敵の大規模な偽装飛行場および港湾施設を確認! 規模は……もうほぼ完成し始めてるでちゅ! 滑走路上に無数の艦載機群(たこ焼き)が待機してマチュ! 連中、ここに前線基地を作る気よ!!』
通信を受けた金剛の口元に、戦慄と納得の入り混じった鋭い笑みが浮かぶ。
『了解ヨ! よくやったわネ、ゴーヤ、イムヤ。これで敵の狙いと盤面は完全にハッキリしたわ』
金剛は一つ息を吐くと、全軍の通信帯域へ向けて鋭い号令を飛ばした。
『第一遊撃部隊、これ以上の牽制は無用! 目的は達したわ。全艦、直ちに反転して退避行動に移りなさい!』
摩耶たち水上部隊が一斉に面舵を切り、全速力で海域からの離脱を始める。
さらに金剛は、海中に取り残されている伊号たちへ、海幕が用意した『帰りの足』の座標を伝達した。
『イムヤ、ゴーヤ! 海自の潜水艦が『セクター・デルタ』の深度フタマルマル(200)まで接近して待機してるわ! あんたたちも直ちにそこへ合流して、海自の艦に上がりなさい!』
『了解!』
『了解でちゅ!』
通信を切り、イムヤとゴーヤは海中で素早く身を翻した。
敵の探信音(ソナー)が届かない深い深度へと一気に潜り込むと、彼女たちは暗い海の中へ迎えに来ている『頼もしい味方』が待つ合流ポイントへと、全速力で駆け抜けていった。