黒煙が低く垂れ込める海原を、新たな連合艦隊総旗艦・大和と、二番艦・武蔵が波を蹴立てて進んでいた。
その周囲には、激戦の海域から稼働可能な艦娘たちが次々と集結しつつあった。
反転して合流した第一航空戦隊の赤城と加賀、第五航空戦隊の翔鶴と瑞鶴。
その後方から滑り込んできたのは、軽巡洋艦の神通と矢矧、そしてまだ航行と雷撃が可能な駆逐艦を急遽かき集めた、臨時編成の第二水雷戦隊であった。
「総旗艦。神通、ならびに矢矧以下、臨時第二水雷戦隊、合流しました」
端正で無駄のない神通の報告に、大和は短く頷いた。
「ご苦労様です。他隊の状況は」
「金剛たち高速戦艦部隊は、別海域で敵の戦艦群を抑え込んでおり動けません。重巡の那智たち、および阿武隈の第一水雷戦隊も敵別働隊と交戦中で、ここへは来られません」
矢矧が淡々と事実だけを告げる。
戦艦二隻、正規空母四隻、そして軽巡二隻と数隻の駆逐艦からなる臨時第二水雷戦隊。これだけが、今この海域で空母棲姫へ挑めるすべての戦力だった。
大和は前方の水平線を見据えた。
そこには、深海棲艦の中枢である空母棲姫と、その周囲を固める重巡、軽巡、駆逐艦の護衛部隊が待ち構えている。
敵の戦艦はここにはいない。だが、空母棲姫の脇を固める敵護衛部隊もまた、周囲の海域からかき集められた生き残りであり、ボロボロに傷つきながらも「ここで連合艦隊と刺し違えてでも主を守り抜く」という異常なまでの殺気と戦意を放っていた。
味方も敵も、度重なる激闘で弾薬は底をつきかけ、疲労は極限に達している。
だからこそ、互いの艦隊には「この一撃ですべてを終わらせる」という、張り詰めた鋼のような覚悟が満ちていた。
大和は全艦への通信回線を開いた。
声の調子は長門のような怒号ではなく、大和らしい丁寧さを残していたが、その奥底には有無を言わせぬ冷徹な覇気が宿っていた。
「全艦、聞きなさい。後続は待ちません。今ここにいる戦力だけで、一気に決めます」
大和は神通へと視線を向けた。先任である彼女が水雷戦隊を率いるのは自明の理だった。
「臨時第二水雷戦隊は、神通に指揮を任せます。……空母棲姫の周囲を固める敵の重巡・軽巡部隊は、私と武蔵の四十六センチ砲で吹き飛ばします」
大和は一拍置き、冷酷なまでの戦術を告げた。
「第二水雷戦隊は、砲撃が終わるのを待つのではありません。私たちが主砲を撃つと同時に突っ込みなさい。四十六センチ砲弾が敵護衛部隊に着弾するのとほぼ同じタイミングでその脇をすり抜け、空母棲姫に魚雷を叩き込むのです」
一歩間違えれば味方の主砲弾の破片と水柱に巻き込まれる、極限の突撃命令だった。
だが、神通も矢矧も眉一つ動かさなかった。
「承知しました。着弾と同時に突破します」
神通の返答は、それだけだった。どのような無茶であろうと、命じられた死地へ飛び込む覚悟は最初から決まっていた。
続けて大和は、後方の赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴へ命じた。
「航空隊は制空権を奪取した上で、自由に爆撃・雷撃を行って構いません。ただし、私と武蔵の砲撃、および第二水雷戦隊の雷撃の邪魔だけはしないように考えて動きなさい。……あなたたちなら、それくらいは当然できますね」
傲岸不遜とも取れる大和の言葉に、空母たちは短く応じた。
『……当然よ。誰に物を言っているの』
『五航戦、了解しました。空は私たちが切り開きます』
大和は主砲の砲身を敵陣の中央へと向け、静かに、しかし戦場全体に響き渡る声で号令を下した。
「――全艦、突撃開始。決めます」
大和の号令とともに、最終決戦の火蓋が切られた。
一航戦と五航戦の艤装から、残された艦載機が次々と発艦していく。
同時に、海面を切り裂いて真っ先に飛び出したのは、神通を先頭とする臨時第二水雷戦隊だった。
神通は最大速力へと出力を引き上げながら、後続の矢矧と駆逐艦へ短く通達した。
「臨時第二水雷戦隊、これより『逆落とし』で突撃します。……私についてきなさい」
『逆落とし』。敵の真正面から最大速力で懐へ飛び込み、先頭が盾となって敵の砲火をすべて引き受け、後続に確実な雷撃を叩き込ませる決死の戦術。
神通がその言葉を口にした時点で、先頭を走る彼女自身がどうなるか、後ろに続く矢矧も駆逐艦たちもすべて理解していた。
『了解』
矢矧の短い復唱だけが返り、二水戦は一糸乱れぬ単縦陣で敵陣へと肉薄した。
その後方では、追走する大和と武蔵の六基十八門の四十六センチ主砲が、空母棲姫の前面を塞ぐ敵の重巡・軽巡部隊へと静かに照準を合わせていた。
二人の周囲には、無駄口一つない極限の集中が支配している。
武蔵は鋭く目を細め、測距儀の向こうで死に物狂いの殺気を放つ敵護衛艦隊の未来位置を正確に捉えた。
『大和、照準よし』
「――主砲、斉射」
――ドゴォォォォンッ!!
十八門の主砲が同時に火を噴き、徹甲弾の群れが超音速で空を裂いた。
そして、神通たち第二水雷戦隊が敵護衛部隊の真正面へと踏み込んだ、まさにその瞬間。
――ズガァァァァンッ!!
二水戦の進路のすぐ真横で、敵の重巡と軽巡が四十六センチ砲弾の直撃を受けて吹き飛んだ。
巨大な水柱と黒煙が壁のように立ち昇る。
「突入します。主砲、牽制射撃」
神通は降り注ぐ水柱と破片の暴風の中へ、ためらうことなく身をねじ込んだ。
矢矧と駆逐艦たちも無言でそれに続き、主砲で周囲の敵を牽制しながら、四十六センチ砲がこじ開けたばかりの血路を猛スピードで駆け抜ける。
だが、死を覚悟して主を守る深海棲艦の生き残りたちも、執念で砲口を向け、突破してきた二水戦の先頭へと照準を集中させた。
その殺気を受けた神通は、無言で自らの艤装の探照灯を点灯させた。
暗い海面を切り裂く一条の光が、敵護衛部隊と空母棲姫のすべての目を神通ただ一人へと釘付けにする。
後ろを走る矢矧は何も言わなかった。それが『逆落とし』の先頭を行く神通の覚悟であり、止めることこそが彼女の誇りを汚すことだと分かっていたからだ。
直後、敵の集中砲火と空母棲姫の爆撃が、探照灯を掲げる神通へと一斉に降り注いだ。
――ドガァァァンッ!!
直撃弾が神通の艤装と装甲を砕き、激しい炎が噴き上がる。
それでも神通は探照灯を消さず、速度も落とさないまま、後続を雷撃射程へ送り込むためだけに前へと進み続けた。
そして、矢矧たちが空母棲姫の懐深くへと踏み込んだ瞬間――空母棲姫が放った一撃が、神通の艤装の中枢を真っ向から貫いた。
――ズドォォォォンッ!!
大爆発とともに探照灯の光が掻き消え、神通の姿が巨大な水柱と黒煙の奥へと完全に没した。
すぐ後ろを走っていた矢矧は、爆煙の向こうから目を逸らさず、即座に通信機へ声を吹き込んだ。
「第二水雷戦隊、これより矢矧が指揮を引き継ぎます」
感傷も、躊躇もなかった。
矢矧は神通が命と引き換えにこじ開けた射線へとそのまま無言で滑り込み、空母棲姫の巨体を至近距離に捉えた。
「魚雷、発射」
矢矧と駆逐艦たちの発射管から、残されたすべての酸素魚雷が海面下へと放たれた。
至近距離から放たれた魚雷の群れは、回避する間も与えず空母棲姫へと次々に突き刺さった。
――ドォォォン! ドドォォォンッ!!
凄まじい水中爆発が連続し、空母棲姫の巨体が大きく傾いて、その足が海面で完全に止まった。
同時に、上空でも極限の死闘が繰り広げられていた。
赤城と加賀の艦戦隊が、すり減った機体で敵の直掩機へと強引に食らいつき、空母棲姫の頭上の制空権を力ずくで削り取っていた。
『五航戦、今よ』
加賀の短い通信を受け、翔鶴と瑞鶴の急降下爆撃隊――両艦合わせて二十四機の編隊が、雲間から一斉に急降下を開始した。
二水戦の雷撃で完全に足が止まった空母棲姫へ、二十四機すべてが迷いなく肉薄し、抱えた爆弾を投下する。
――ドゴォォォン! ズガァァァァンッ!!
二十四発の爆弾が、一発の狂いもなく空母棲姫の頭上へと全弾命中した。
凄まじい連続爆発が全身と艤装を内側から引き裂き、空母棲姫の航空戦力を完全に沈黙させた。
そして、黒煙を上げて停止した空母棲姫の正面へ、大和と武蔵の二人が最大戦速で踏み込んできた。
大和も、並走する武蔵も、言葉は交わさなかった。
ただ極限まで研ぎ澄まされた視線で目標を捉え、艤装の十八門の四十六センチ主砲を空母棲姫の中枢へとピタリと固定する。
『……いつでも行けるぞ、大和』
武蔵の低く静かな声に、大和は短く応じた。
「――全主砲、一斉射。撃て」
――ドゴォォォォォォォンッ!!
海面を押し下げるほどの轟音とともに、大和と武蔵の十八門から放たれた徹甲弾が、至近距離から空母棲姫の巨体を真っ向から貫いた。
一拍の静寂の後、空母棲姫の内部から巨大な火球が膨れ上がった。
――ズガァァァァァァァンッ!!
装甲もろとも内部から粉砕された空母棲姫は、断末魔すら上げる間もなく紅蓮の火柱となって砕け散り、やがて黒々とした残骸となって海の底へと沈んでいった。
中枢を失った周囲の深海棲艦も次々と機能を停止し、長きにわたる海域の死闘は、ついに幕を閉じた。
硝煙と火薬の匂いだけが漂う海面に、重い静寂が戻ってくる。
雷撃を終えて反転した矢矧は、空母棲姫が沈んだ場所ではなく、神通が姿を消した黒煙の海域へと黙って進路を向けた。
大和と武蔵もまた、主砲の硝煙を吐き出しながらその海域へと近づいていく。
その時、立ち込めていた黒煙が潮風に流され、海面が姿を現した。
そこには、淡い緑色の光の粒子が水面下から浮かび上がり、艤装を大破させながらも、海面ギリギリで辛うじて踏みとどまっている神通の姿があった。
ノイズ混じりの通信機から、微かな呼吸音とともに神通の声が届いた。
『……第二水雷戦隊……雷撃、成功を確認……。……二水戦の旗艦になった時、長門さんに渡されていた応急修理要員のことを、すっかり忘れていました……。おかげで、最後に繋ぎ止めてくれました……。これ以上の航行は不能です……回収を、お願いします……』
一度は完全に海面下へ引きずり込まれた身体と艤装を、かつて長門が託していた応急修理要員が紙一重で轟沈から救っていたのだった。
それを聞いた矢矧は、握りしめていた拳の力をようやく抜き、静かに息を吐いた。
「……了解しました、神通さん。今、そちらへ向かいます」
大和もまた、張り詰めていた表情をわずかに緩め、通信機へ告げた。
「見事な『逆落とし』でした、神通。……全艦、神通を回収し、帰投します」
誰一人として欠けることなく、連合艦隊は最後の戦場を生き抜いたのだった。