艦隊コレクション戦記   作:クギヌキ

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航路

硝煙と血の匂いに満ちた海域から帰投し、鎮守府には久しぶりに穏やかな潮風が吹いていた。

白いカーテンが揺れる医療棟の一室で、全身に包帯を巻いた神通がベッドに身を横たえている。その傍らには、見舞いに訪れた矢矧が静かに椅子に腰掛けていた。

「……身体の具合はどうですか、神通さん」

「ええ、問題ありません。艤装の損傷は激しいですが、命に別状はありませんから」

静かに微笑む神通を見つめ、矢矧は少し迷うように視線を落とした後、ずっと胸につかえていた疑問を口にした。

「神通さん。……一つだけ、聞いてもいいですか」

「何ですか、矢矧」

「あの最後の突撃の時……なぜ神通さんは、応急修理要員を持っていたんですか。普段のあなたなら、そのようなものに頼るはずがないと思っていたので」

矢矧の真っ直ぐな問いかけに、神通はわずかに目を細め、窓の外の青い空へと視線を向けた。

「……あれは、私が自分の意思で積んだものではありません。第二水雷戦隊の旗艦を拝命したあの日、長門さんから直接渡されたものなのです」

神通の声は、遠い記憶を辿るように静かだった。

「二水戦の旗艦に就任した時、私は長門さんのもとへ出向き、こう申し出ました。『私に、死に場所をください』と」

矢矧が小さく息を呑む。

最前線で水雷戦隊を率いるということは、そういうことだった。いつかは敵の懐へ飛び込み、後続の盾となって散る。神通は最初からその覚悟を決めて、総旗艦である長門に直訴したのだ。

「その時、長門さんは私を真っ直ぐに見据えて、こう仰いました。『お前の死に場所は、私が必ず作ってやる。……だが、まだお前を殺すわけにはいかん。だから、これを持っておけ』と」

神通は包帯の巻かれた自分の手をそっと見つめた。

「長門さんに強引に握らされたその応急修理要員を、私は装備の奥にしまったまま、あの瞬間まで完全に忘れていました。……あの『逆落とし』こそが、長門さんが作ってくれた私の死に場所だと、本気で思って突っ込んだのです」

だが、結果は違った。

長門は神通に、水雷戦隊旗艦として最高の武勲を立てる「死に場所」を与えながら、まだ死なせる気など毛頭なかったのだ。

「……長門さんには、最後まで敵いませんね。見事に、手のひらの上で転がされてしまいました」

苦笑する神通の言葉に、矢矧もまた、総旗艦として自分たちを導いてきた戦艦の底知れぬ懐の深さを思い知り、深く静かに頭を垂れたのだった。

***

同じ頃、医療棟の奥にある大部屋では、長門と陸奥の二人が並んでベッドに身を預けていた。

その病室を訪れていたのは、大和、武蔵、そして金剛の三人だった。

「長門さん、陸奥さん。お加減はいかがでしょうか」

「ああ、見ての通りだ、大和。大したことはない」

上半身を起こした長門は、目の前に立つ大和の顔をじっと見上げた。

出撃前までどこかに残っていた迷いや遠慮は、もうその瞳には微塵もなかった。過酷な戦火をくぐり抜け、全艦隊の命を背負って勝利をもぎ取ってきた指揮官の顔つきになっている。

大和は背筋を伸ばしたまま、長門へと問いかけた。

「長門さん。今回の作戦について、どうしてもお聞きしておきたいことがあります」

「言ってみろ」

「布陣の意図についてです。当初の計画では、どのように敵を包囲するおつもりだったのでしょうか。そして……なぜ左翼に金剛を、右翼に赤城を配置されたのですか」

純粋な戦術論としての問いだった。

長門は隣で微笑む陸奥と一度視線を交わした後、大和と金剛へ向き直った。

「当初の計画通りなら、本隊が正面から敵主力を拘束している間に、両翼の高速部隊と機動部隊で敵の側面を食い破り、包囲網を完成させる手筈だった。……戦術としては、至極真っ当な基本通りの布陣だ」

長門はそこで言葉を区切り、低く落ち着いた声で続けた。

「だがな、大和。戦場では、当初の計画通りにいくことなどまずない。どれほど精緻な作戦を立てようが、敵も生き残るために必死で牙を剥いてくる。一度計画が崩れた時、戦場では何が起きるか分からん」

大和と武蔵が、真剣な眼差しで長門の言葉に耳を傾ける。

「そういう極限の混沌の中で一番必要なのは、上からの指示を待つ優等生ではない。計画が崩れた瞬間に自分の頭で考え、臨機応変に対処して戦況をひっくり返せる奴を、要所に置いておくことだ。……戦場では、それが当たり前なんだよ」

長門は傍らに立つ金剛を見やり、わずかに口角を上げた。

「左翼に金剛を置いておけば、何が起きてもどうにかしてくれるだろう。じゃあ右翼の赤城はどうかと言えば、あいつもやっぱり同じようなもんだ。大局を見失わず、自分の判断で勝手に暴れて活路をこじ開ける」

「……つまり、最初から計画が崩れることを見越して、お二人を両翼に置かれたのですね」

「ああ。私にとって、絶対の信頼を置いて臨機応変な対処を任せられるのが、金剛であり、赤城だったということだ。お前もこれから艦隊を率いるなら、誰をどこに置けば勝手に戦局を支えてくれるか、それを肌で覚えておけ」

『もう、長門ったら! つまりワタシたちは、最初から厄介払いの便利屋だったってことじゃないの!』

肩をすくめて笑う金剛に、陸奥が「それだけ頼りにしてるってことよ、金剛」とクスクス笑う。

大和は長門の言葉を深く胸に刻み込むように頷いた。

「……勉強になりました。肝に銘じておきます」

「うむ。……大和、お前は今回の戦いで、見事にその役目を果たした。連合艦隊旗艦の座は、これでお前に移譲する。これからの連合艦隊を、頼んだぞ」

「はい。お任せください、長門さん」

大和と武蔵、そして金剛は一礼し、静かに病室を後にした。

頼もしい後輩たちの足音が廊下の向こうへ遠ざかっていくのを聞きながら、長門と陸奥がようやく肩の力を抜いた――その時だった。

コンコン、と控えめなノックの音とともに病室の扉が開き、割烹着姿の鳳翔が穏やかな微笑みを浮かべて入ってきた。

「お見舞いに来ましたよ、長門さん、陸奥さん。……今、大和たちと入れ違いになりましたけれど、ずいぶん良いお顔をされていましたね」

「鳳翔さんか。ああ、あいつらには今、正式に連合艦隊旗艦を移譲すると伝えたところだ」

どこか晴れやかな顔で言った長門に対し、鳳翔は手元の花瓶に花を生けながら、いつもの優しい声でさらりと言った。

「あら、長門さん。連合艦隊旗艦の移譲はできませんよ」

「……なに?」

思わず聞き返した長門と陸奥へ、鳳翔は振り返ってニコリと微笑んだ。

「大和に関しては、これからも『連合艦隊総旗艦代理』のままです。そして、空母機動部隊の総指揮官も、第二機動部隊の翔鶴と瑞鶴が『総指揮官代理』を務めるまま変わりませんよ」

「な、なぜだ、鳳翔さん! 大和も翔鶴たちももう十分にやり遂げた。それに空母機動部隊の総指揮官は、本来なら第一機動部隊の赤城のはずだ。いつまでも代理のままにしておく理由は――」

「ありますよ。そもそも、その赤城さんと加賀さんは今、作戦中に総旗艦代理である大和の撤退命令を無視して反抗的対応した件で、事実上の謹慎処分を受けていますからね」

鳳翔はクスクスと笑いながら、呆れたように肩をすくめた。

「いくら戦果を上げたとはいえ、命令不服従は命令違反です。今ごろ二人は、自室で私の出した反省文の山と格闘しているはずですよ。ですから、赤城さんが謹慎している間は、当然そのまま翔鶴と瑞鶴に空母機動部隊の総指揮官代理を続けてもらわなければなりません」

「あ、あいつら、鳳翔さんに捕まって謹慎を食らっていたのか……」

「ええ。それにね、長門さん。あなたたちや赤城さんたちから『総旗艦』や『総指揮官』という役割を完全に外して後輩に譲り渡してしまったら、それこそタガが外れて、誰もあなたたちのコントロールが効かなくなるでしょう? 役目を降りて自由になったあなたたちが戦場でどれほど無茶をするか、考えただけでも恐ろしいですから」

「ぐっ……」

「ですから、大和も翔鶴たちも『代理』のまま維持して、あなたたちにも引き続き席を残しておくよう、私から提督に直接申請して受理してもらいました」

穏やかだが有無を言わせぬ鳳翔の言葉の前に、長門と陸奥は完全にぐうの音も出なかった。

最前線でどれほど猛威を振るう戦艦や一航戦であろうと、この鎮守府の母とも呼ぶべき鳳翔の手のひらからは、誰一人として逃れられないのだ。

「……やれやれ。鳳翔さんには敵わんな。……まだまだ、少しは楽をさせてくれないのか」

長門が降参したように深く息を吐き、苦笑いを浮かべる。

「ええ、まだまだ現役で頑張ってもらいますよ。赤城さんたちの謹慎が解けてからも同じです。どうぞごゆっくり養生してくださいね」

そう言って鳳翔が病室を出て行くと、部屋には再び穏やかな静寂が戻ってきた。

長門はベッドの背もたれに深く身体を預け、窓の外に広がる鎮守府の海を見つめた。

「……まったく、引退すらさせてもらえんとはな」

「ふふっ、いいじゃない、長門。それだけ私たちがまだ必要とされてるってことよ」

陸奥の柔らかな声に、長門はふっと表情を緩めた。

「……ただし、あいつらはもう、完全に一本立ちしたよな」

あの戦場で、味方の頭上をかすめる四十六センチ砲をぶっ放し、冷徹な命令で全艦隊を束ねてみせた大和の背中。そして、一航戦の重圧を跳ね除けて二十四機の急降下爆撃を全弾命中させた翔鶴と瑞鶴の翼。

もう、長門たちが後ろから手を引いてやる必要はどこにもなかった。

長門は眩しそうに目を細め、誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。

「……あいつらにもやっと、連合艦隊旗艦の栄光を、与えてやることができるな。……もっとも、それに伴う真の意味での重みと、生半可ではない責任も、これから嫌というほど味わうことになるがな」

全艦隊の命を背負い、泥を啜ってでも勝利をもぎ取るという孤独な重責。長門がずっと一人で背負い続けてきたそのバトンを、ようやく対等に渡せるまでに後輩たちは育ったのだ。

窓の外では、修理を終えた艦娘たちの活気ある声が、青い海と空にどこまでも響き渡っていた。

だが、この穏やかな日常もまた、次の出撃までの束の間の休息に過ぎない。

海がそこにある限り、艦娘たちの生と死の狭間のダンスは終わらない。

彼女たちのラストダンスは、まだずっと先の航路の果てにあるのだから。

(完)




9万文字近くに及ぶ長文を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
本作を書き始めた動機のひとつは、「もし艦娘たちに軍艦としての前世の記憶があるのなら、その胸の奥には凄まじい『狂気』が宿っているのではないか」という思いでした。
原作のキャラクターをそのまま生き生きと動かすというよりは、私自身の独自解釈でかなり好き勝手に描いた部分も多く、至らぬ点や拙い表現も多々あったかと思います。
それでも、この泥臭い戦記に最後までお付き合いいただいた読者の皆様には、感謝の念に堪えません。本当にありがとうございました。
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