艦隊コレクション戦記   作:クギヌキ

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継承

母港の鎮守府大広間は、戦艦部隊の作戦会議と兵站調整に明け渡されていた。

代わりに五航戦の二人が通されたのは、空母専用の弓道場だった。

広々とした板張りの道場には冷たい夜気が淀み、立ち込める出汁の香りと、遠くの焦土から漂う硝煙の臭気が静かに混ざり合っていた。

道場の中央、下座に正座させられた翔鶴と瑞鶴の前に、豪勢な漆塗りの膳が据えられている。

真ん丸と太った鯛のお頭付き、角の立った見事な刺身、丹念に出汁を含ませた本膳の煮物。誰が見ても赫々たる武功を讃える祝いの膳そのものだった。

だが、その場を支配する空気は、骨の髄まで凍りつくような冷徹な沈黙だった。

上座の中央には、赤城と加賀。平手打ちを受けた二人の頬にはうっすらと赤みが残っていたが、その双眸は研ぎ澄まされた刃のように据わり、微動だにしない。

上座から見て左手には、腕を組み、冷ややかな視線を落とす二航戦――蒼龍と飛龍。

そして右手には、いつもの陽気さを完全に消し去った隼鷹と飛鷹が控えていた。

「さあ、まずは二人とも、箸をつけなさい」

赤城の声は、低く、穏やかだった。怒鳴るでもなく、詰るでもない。だが、その底知れぬ静けさが、かえって逃げ場のない重圧となって翔鶴と瑞鶴の肩にのしかかる。

「鳳翔さんが腕によりをかけて拵えてくださったのよ。冷めないうちにいただきなさい」

「……は、はい」

翔鶴が強張った指先で箸を取り、瑞鶴もまた、喉につかえる唾を無理やり呑み込みながら膳に手を伸ばした。敵主力を撃退し、意気揚々と帰投したはずだった。それなのに、先輩たちのこの異様な気配は何なのか。

そこへ、隼鷹が重厚なガラス瓶を手に、瑞鶴の脇へ静かに歩み寄った。

トクトクと、漆塗りの盃へ注ぎ込まれたのは、澄んだ清酒ではない。

黒みを帯びるほどに濃い、鮮血のような赤いワインだった。

和の本膳料理には似つかわしくない深紅が、白い鯛の身の横で妖しく揺らめく。瑞鶴は怪訝そうに眉をひそめ、注ぎ終えた隼鷹の顔を見上げた。

「あの……隼鷹さん。どうして赤ワインなんですか? 和膳なのに……」

普段なら真っ先に盃を煽って笑い飛ばすはずの隼鷹だったが、その顔には豪快な笑みなど一片もなかった。感情の抜け落ちた昏い瞳で、盃の赤をただ冷たく見下ろしたまま、隼鷹は短く突き放すように言った。

「いいから、呑みな」

隼鷹の凍りついた声に瑞鶴が息を呑むと、そのすぐ隣に控えていた飛鷹が、静かに口を開いた。

飛鷹は瑞鶴と視線を合わせることなく、固く目を伏せたまま、畳んだ両手を体の前で静かに握り締めている。その横顔には暗い影が落ち、抑えつけられた、ひどく静かな声が道場の板間に沈んでいった。

「……この料理にはね、このワインが合いますから」

「合う、って……どういうことですか……?」

戸惑い、怯える瑞鶴の問いを断ち切るように、上座から加賀の冷然とした声が響いた。

「ええ。とてもよく合います」

加賀の視線は瑞鶴を捉えたまま、わずかも揺るがない。

「一口食べなさい、瑞鶴。そして翔鶴、あなたも。その見事な鯛の味を、しっかりと舌に乗せなさい」

促されるまま、瑞鶴は震える手で鯛の身を口に運んだ。上品な塩気と芳醇な脂が広がるはずだった。しかし、周囲を取り囲む先輩空母たちの無言の視線が、それをまるで焼けた砂のように変えていく。喉が引き攣り、飲み込むことすら苦痛だった。

「美味しいですか、五航戦」

赤城が静かに問う。

「……は、はい。とても……」

「そう。それは良かった」

赤城が淡々と頷いた瞬間、道場の奥から、静かな衣擦れの音が響いた。

現れたのは龍驤だった。普段の闊達さは影を潜め、感情を押し殺した表情で、懐から数枚の式札を取り出す。

龍驤が指を滑らせると、青白い燐光を放つ式神がフワリと宙へ舞い上がり、弓道場の中央、五航戦の頭上へと広がった。

術式が展開され、空中に浮かび上がったのは、海岸線上空を飛行する偵察機が捉えた最新の記録映像だった。

瑞鶴と翔鶴の息が止まった。

空中に鮮明に投影されたのは、黒煙の燻る市街地と、海岸線の防護陣地だった。

「今回の空襲における、全損害の集計結果です」

左手に座す蒼龍が、一切の感情を交えずに紙片を読み上げた。

「敵の爆砕を受けた市街地において、民間人の死者は十数名。陸戦隊が身を挺して誘導した結果、幸いにも市民の被害は最小限に抑えられました。……全体の死者数も、百名には満たない」

蒼龍の言葉に、瑞鶴の胸にわずかな安堵がよぎりかけた。だが、その隣で飛龍が鋭く、しかし抑えの利いた静かな声音で告げた言葉が、その甘さを根底から叩き潰した。

「――お前たちが打ち漏らした敵が、どこへ向かったのか。お前たちが認識すらしていなかった敵艦隊は、一体どこへ向かったのか」

飛龍の眼光が、射抜くように二人を捉える。

「……静かに、飲み干してください」

映像が拡大される。

粉々に吹き飛んだ高機動車の残骸、炎上する対空陣地、そして砂浜に横たえられた夥しい数の担架。手足を失った若い兵士たちが泥にまみれて呻き、動かなくなった数十名の遺体が、粗末な毛布を被せられて冷たい砂の上に並べられていた。

「敵主力を撃破した見事な戦果の裏で、お前たちが後方へ取りこぼした敵機を、誰がその身で受け止めたと思っているのです」

逃げ場を塞がれた瑞鶴と翔鶴の眼前、盃に揺れる赤ワインが、まるでその場に流された血そのもののように見えた。

二人が息を呑み、盃を前に硬直したその刹那。

上座の加賀が、冷徹な刃のような声で言い放った。

「……飲みなさい」

一切の躊躇も容赦も許さぬ、鋭い一喝だった。

次の瞬間、道場に並ぶ先輩空母たち――赤城、加賀、蒼龍、飛龍、隼鷹、飛鷹、そして龍驤が一斉に、手元の盃を無言で煽った。

示し合わせたかのように寸分の狂いもなく、全員が一切喉を詰まらせることなく、血のような赤ワインを一気に喉奥へと流し込んでいく。ゴクリと鳴る喉仏の音と、衣擦れの気配だけが張り詰めた道場に響き、空になった盃が静かに板間へと戻された。

その圧倒的で異様な儀式に呑まれ、息を詰まらせた翔鶴と瑞鶴は、抗う術を完全に失っていた。

二人は震える両手で重い盃を持ち上げると、弾かれたように杯を傾け、喉を焼くようなワインを一気に呷った。

鼻腔を突く重いアルコールの香りと、舌に残る渋み。それが、宙に投影された兵士たちの血の味と重なり、胃の底へと重く、重く沈み込んでいく。

「残さず食べなさい」

赤城の、低く重い声が道場に響いた。

「この料理はね、あなたたちが誇らしげに掲げた戦果の裏で、あそこに転がっている兵士たちが命と引き換えに支払った、血の対価なのですよ」

赤城は立ち上がり、静かに歩み寄ると、震える瑞鶴と翔鶴の肩に、氷のように冷たい手を置いた。

その双眸に宿っていたのは、後輩への怒りだけではない。自らの頬を打たれ、守るべき者を守れなかった己の傲慢に対する、底なしの暗い悔恨だった。

「忘れてはなりませんよ、翔鶴、瑞鶴」

赤城は、宙に浮かぶ無残な戦傷者たちの映像を見つめながら、静かに、だが二度と消えない楔を打ち込むように告げた。

「私たち艦娘はね――あそこで冷たくなっていった人々を守るための、『醜の御楯(しこのみたて)』であることを」

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