短編1話完結。
藤吉郎と半兵衛は、白澤を交えて金ヶ崎を評していた。正規の会合ではないが、軍略家はこうした座談で意見を出し合い、先の見通しを立てる。
「明智光秀殿と合流して、もっと楽に戦う算段だったんだがなあ」
先日は別働隊との連携に失敗した。信長を退却させた藤吉郎達は窮地に追い込まれる。少数で力を合わせ、かろうじて乗り切りった。
織田と浅井朝倉の戦いは続く。双方とも軍勢そのものが生きているかのように、姿を変え、動いている。
金ヶ崎を脱した信長は、小競り合いの中で立て直しを図る。獣が傷を癒やしながら機を見ている。
藤吉郎の手配により半兵衛には近くの民家が与えられた。体が弱く、行軍に参加しにくいため、少しでも養生できるようにとの気遣い。
「ご厚遇、誠に感謝しております」
「半兵衛殿のおかげでやってけるんだ。このくらい当然よ。俺が偉くなったら城を持たせるからな」
「わしも助かりますわい」
宙に浮く羊が言う。半兵衛の守護霊、白澤は二人の会話を聞き、時に助言を差し入れていた。
「先生も調子はどうだい?」
「お陰様ですっかり祓われましたの。半兵衛もしゃんとせえ」
藤吉郎が笑う。
敵味方が日ごとに変わる。金ヶ崎でも、時に裏切られ、時に裏切らせ、戦局は転換した。眼前に近付いてくる敵将は浅井長政。
「戦いたくねえなあ」
「悲しい道を選ばれたようです」
「せめてお市様を織田に戻せないもんか」
信長の妹、お市は浅井家に嫁ぎ、長政の妻となった。織田と浅井にはつながりができている。わずかでも運命を動かせれば、長政が味方になる未来は充分に実現した。
下を向いて、頭をかいてから、藤吉郎は持参した書物を取り出す。
「ところで、半兵衛殿にはこれを見てほしくてな。金ヶ崎で拾ったんだ」
書物というより紙の束。破れと汚れが多く、このままでは読めそうにない。紙面には世俗と異なる奇妙な文字が記述されていた。
「ソハヤ衆の書いた製法書みたいだ。仕込棍が作れると思う。職人が読めるようにできないか?」
半兵衛は書を手に取る。まずは修復が必要だった。ソハヤの文字なら解読は不可能ではない。
「承知しました」
「うっし、頼む。製法書はトヨに届けてくれ。鍛造に必要な素材がわかれば二本分用意する。代金もな」
「二本ですか?」
「まあ、予備だ。仕込棍は複雑で繊細らしい。すぐ壊れちゃ困る」
「仕込棍とは、変わった武器を探してきましたの」
白澤が口をはさむ。
「変わった武器の方が意表を突ける。それに、使いこなせれば強そうだ」
「ほっほっほ。藤吉郎らしい。じゃがのう、いかがされた。おぬしは半兵衛と同じ知略の士であろうに」
「それな、先生」
肩を落とした。
織田家に士官してすぐ、藤吉郎は頭角を現した。内部での対立を避ける工夫に怠りはない。それでも、快く思わない者は現れる。
藤吉郎は戦場で戦わない。刀を取らなければ侍とは認められない。信長には実績を評価されたが、藤吉郎は家柄もなく、家臣との関係が重要になる。
「ちょいと武働きも必要ってわけよ」
進軍の結果次第では、奪い取った城を藤吉郎に預けるという話も出ている。信長が任命しやすいように、納得される侍になる。
「仕込棍を使いこなすには、瞬時に状況を把握して手筋を選ぶ判断が必要です。藤吉郎殿に向いているかもしれませんね」
「明の国には、自在に大きさを変える棒で、あやかしを調伏して旅する、猿の物語がありますの」
「へぇ」
万物に精通する白澤は、異国の伝説まで知る。
「その猿は最後どうなるんだ?」
「釈迦如来に認められ、神仏となりましたわい」
「そりゃいいな。俺もあやかりたいもんだ」
藤吉郎と白澤の会話を聞きながら、製法書を見ていた半兵衛が口を開く。
「武器としては、あくまで棍棒のようです。おそらく刃物などは組み込まれておりません」
「もう読めたのか」
「読み取れる部分だけ少し目を通しました。材料の洗い出しには、まだお時間を頂きます」
「おうよ。棍棒でよかった」
仕込棍にも種類があり、殺傷能力の高いものや、妖怪の力を込めているものまで存在する。藤吉郎の見つけた製法書は、ごく標準的な仕込棍が解説されていた。
「叩く武器なら、殺さずに追い払えるからな」
わずかに半兵衛の表情がおだやかになる。対して藤吉郎の目は強くなる。
「今は殺し合っても、国を落とせば敵兵は味方だ。信長様だって、怖がられてはいるが、無意味に家来を殺さない。俺は誰より偉くなるから、誰も殺しちゃいけないんだ」
「殺さない戦争。矛盾しているのですが、私も願います」
「人間もあやかしも。殺すしかない時はあっても、殺していい奴なんていないのよ」
藤吉郎の野心は屍を越えた先にはない。上り詰めた景色は今から思い描いている。
「んじゃ、作る方は任せたぞ」
立ち上がり手荷物をまとめる。
「使う方は無明に頼んである。そろそろ行くとするか」
足早に家を出る藤吉郎を、半兵衛と白澤が見送った。
「仕込棍より智慧より。なにより、その器こそが、藤吉郎なんじゃろうな」
「はい。藤吉郎殿達ならば、成し遂げると信じています」
白澤は三眼で藤吉郎を視る。
半兵衛が街はずれの広場を訪れる。織田家が駐屯中の訓練場に使用していた。手を腰に当てた無明が、しゃがみこむ藤吉郎を見下ろしている。
「き、きついな。これは……」
「修行なんだから当然でしょ。楽しようとしてんじゃないわよ」
顔を上げる。半兵衛に気付いた。
「お、半兵衛殿」
「精が出ますね」
「聞いてくれよ。無明なら仕込棍を教えてくれると思ったのに」
仕込棍はソハヤ衆が主に用いる。藤吉郎の製法書も、廃村となったソハヤの隠れ里で見つけた。
「だから教えてあげてるのよ。次はまた突きの練習。槍と違って突いたらすぐ手元に戻す」
「さっきなんて訓練場のまわりをぐるぐる走らされたんだぜ」
二人は細長い棒を持っていた。仕込棍ではない木製の棍棒。基礎訓練に使用する。
「武技を教えてくれよ。秘伝とか奥義とか。あるんだろ?」
半兵衛は少し笑った。
「あるにはあるけど、伝承は実戦形式。あたしと戦うのね」
「わかったよもう」
棒を握り直す。習った通り、踏み出し突き、即座に引き戻す。疲れた顔をしながらも俊敏だった。
「地道な運動をされているのですね」
「仕込棍がないんだもの。なにもできないわ。あっても最初は同じ稽古をやらせる。あたしが相手をするのは、やめた方がよさそうね」
「それがよろしいかと思います。仕込棍の鍛造は、もう少しお待ちください」
練習用の木製武器とはいえ、打ち合えば負傷は避けられない。木刀などを用いた稽古で死亡事故が発生した例もある。
「いかがです、お弟子さんは」
「弟子……やめてよ」
無明は手で顔をおおう。
「見かけより体は丈夫ね。行商人だったからかしら。今の動きも、上半身がふらついてない。難しいのよ」
桶狭間。稲葉山城。藤吉郎は周囲の山林をかき分け、経路を探した。すでに机上だけでなく、斥候としても力を発揮している。
「前線に出てもいいんじゃないの?」
「知略と武勇を併せ持った名将になれるでしょうか」
「これも智慧のうちなのさ」
話を聞いた藤吉郎が言う。
「藤吉郎流の奥義は、体力だ。不利になると将棋盤をひっくり返そうとする奴が出てくるからな。押さえつける程度には力がいる」
「なんなの、その侍は」
「確かに、軍議は白熱する時があります。兵と民の命が左右される場です。黙ってはいられません」
「つかみ合いの喧嘩にもなるよな。殴り倒せとは言わんが、部屋のすみで小さく丸まってる奴の意見なんて、誰も聞かねえだろ」
武家社会を知らない無明は、思うところもなく二人を見る。
「なにより、元気がないと頭が回らない。半兵衛殿も健康には気をつけてくれよ」
「……はい」
喉奥に消えない異物感を抑えて、半兵衛は答える。
「では引き続き、俺を一人前の仕込棍使いにしてくれ。半兵衛殿、無明、頼りにしてるぞ」
「調子がいいんだから」
藤吉郎は、半兵衛と無明の肩をたたいた。
にらみ合う獣達の間。戦線近く。
柴田勝家の先行部隊が浅井軍と遭遇した。付近を偵察する程度の進軍。戦力はほぼ同数と見た。勝家が両手斧を抜く。兵士達も従った。
「槍の又左。織田にまかり通る!」
ひときわ目立つ鎧と派手な槍で、前田利家が押し進む。浅井兵が次々と串刺しにされていく。先手を取れた織田の士気は高い。対して浅井は奇襲にひるむ。
柴田勝家は猛将と名高い。兵の練度でも上回る。開戦から織田の優位で進む。双方とも小規模であるがゆえに、戦局は大きく動かない。
「利家、戻れぃ!」
手斧を納めた。勝家は前方の利家に叫ぶ。
「兵がのびておる。乱戦になっては被害が出ようぞ」
「勝家殿」
利家と最前線の兵士が後退してきた。
「討つほどの将はおらんようじゃ。今日は追い払えば勝利よ」
「承知した。お前ら、固まれ!」
周囲に言い渡して、気付く。
「勝家殿、藤吉郎は?」
本人の志願により、藤吉郎も部隊に参加していた。勝家の近くにいたところまでは覚えている。
「猿め。ついてきたいとほざきおって、どこに逃げた」
「はぐれてたら危険だぜ」
「いらん手間を増やすでないわ。ええい、誰ぞ見た者はおらんのか」
浅井から気がそれたほんの一瞬。
前衛が吹き飛ばされた。人間の力ではない。どこからか現れた援軍。なまはげが向かってくる。
「なん、だッ!」
利家が槍を構える。
侍の大太刀よりはるかに大きな長包丁を携えていた。不気味な細い腕は、驚くほどの怪力を振るう。人を追いかけ切り刻む、鬼ではない鬼。各地の伝承で畏怖されている。
「あやかしだと。なぜこんなところにおる?」
「俺達とやろうってのか」
困惑する。妖怪というだけではない。なまはげは浅井軍の味方をしている。
「あやかし風情に押し返されん!」
鬼柴田の異名に恥じない気迫が、兵士達の動揺を振り払う。分散していた兵も集まってきた。
「こやつを討ち取る。囲めい!」
なまはげの正面には勝家と利家が立つ。織田兵は横に広がり、左右から様子をうかがう。浅井兵はやや下がる。なまはげの参戦による切り返しを見ていた。
不意に、木陰を駆け抜け現れる。
どこから。誰が。思うより早く飛びかかり、なまはげを突く。長包丁をすり抜け背後を取った。
「藤吉郎!」
利家のよく知る金瓢箪の鎧。勝家と同行するため、旗印と兜は柴田にそろえている。無骨な兜には不似合いな軽装。胴に描かれた描かれた日輪と、腰の瓢箪は、藤吉郎の象徴だった。
左から右に仕込棍を払う。振り向いたなまはげに合わせて、次は逆に払い叩く。長包丁が振り上げられる。藤吉郎は一直線になまはげを突くと、反動で飛び下がった。なまはげの刃は空を切り地面を叩く。
奇妙な武器と武術。織田の兵は言葉を失う。
藤吉郎の動きに合わせて、仕込棍はまるで生きているかのように、長さと向きが変化した。内部で動作する鎖が駆動音を立てる。
小さく跳ねた。再び襲う剛腕を叩いて弾く。横に持ち替え腹を殴る。互いの力を利用して跳び上がる。短く持った仕込棍を空中で乱打。縦に長く伸ばし地面を突く。より高く、なまはげの頭上まで跳ぶ。
地を駆ける虎。天を翔ける竜。転じる竜虎を模した優雅な武技は、まさに遊び回る猿だった。
刀と同じ形状に固めた仕込棍を大きく振るい、叩きつける。角を強打した。鬼にとっては力の源であるとともに、急所。なまはげも例外ではない。
苦しんでいるとわかる、悲鳴にも似た咆哮。なまはげはひざをつく。長包丁を地に落とした。
藤吉郎は身軽に着地。
「もらった!」
利家が頭上で槍を一回転させてから、勢いをつけてなまはげを貫く。
「お前らも続け!」
織田の白刃が次々と、なまはげを突き刺し、斬り裂く。達成した。兵達に妖怪退治の経験はない。気味の悪い汗が流れる。
後方では浅井軍が困惑している。顔を見合わせ。あとずさり。そして逃げ出した。
「勝家殿、どうする?」
「追わんでよい。死傷者を調べよ。動けない者がいるか探せい」
藤吉郎は再び木陰に走る。中央地帯に集まっていない敵味方を見て回る様子だった。
「ふむ。心得ておるではないか」
感心する勝家。利家は、兜の奥に見えた藤吉郎の目を思い返していた。
「それが昨日の話よ」
半兵衛の家に勝家が訪れた。利家を引き連れている。小さな酒樽を抱えており、上機嫌に見えた。
「猿はここと聞いたぞ。来ておらんのか」
「は、はい。この時間にいらっしゃる日が多いです。本日は、お見かけしていません」
「要領がいいだけの小賢しい奴とばかり思っていたわ。あれほどの武芸を隠し持っていたとはな」
半兵衛は利家に目をやる。あきれて、あきらめた顔をしていた。白澤は下を向いている。霊感のない勝家と利家にはわからないが、笑いをこらえながら。
「ただのう、最初から戦に参加せよ。柴田の突進は猿真似できまい。浅井を蹴散らしたのはわしらじゃ」
勝家が鼻を鳴らす。
「あやかしを討ち取った手柄は、猿に譲ってやる。信長様にも申し伝えておこう」
武勇を示す者は認める。容姿に違わない実直な性根。半兵衛はうなずいて応える。
「変な棒を振り回していたの。おぬしの入れ知恵か?」
「仕込棍と言います。藤吉郎殿のお考えです。あやかしを狩る一族が使う武器だそうです」
「どうりで武士らしくないわけよ。あやかしと戦うのであれば、確かに工夫も必要か」
「なまはげ、って奴なんだよな。俺達が戦ったのは」
利家が半兵衛に聞いた。
「はい。お話からするに、間違いないでしょう。凶暴な鬼です」
「浅井軍の仲間みたいだったぜ。だいたい、どこから出てきたんだ?」
幽霊や妖怪の目撃報告が増えている。戦争に影響を与えるのであれば、対策を講じなくてはならなかった。
「私達にてお調べします」
「あやかしについては、おぬしらに任せる。人の世にあんなものを出さぬようにせい」
少し空気が重くなる。
「なにかわかったら教えてくれ。俺達も進軍経路を見直すところだ」
「行くとするか」
勝家は酒樽を半兵衛に渡した。
「猿めにくれてやる。わしからの褒美じゃ。あやつに酒の味などわかるまい。安酒よ」
「ありがとうございます。お預かりします」
半兵衛は樽の包みを見て、内心で少し笑い、同時に肝を冷やす。
「それが先程の話です」
いつもより遅い時間に来た藤吉郎。勝家の置き土産を見て、顔をほころばせた。
「二本の仕込棍と聞いた時に、もしやと思いましたが」
「なんだよ。どうせ最初からわかってたんだろ?」
「前田利家殿も気付いた様子でした」
「又左はな。まあ心配ないだろ。俺とあいつの仲だ」
利家と藤吉郎はかねてから親交がある。勝家と板ばさみになりながらも、藤吉郎を支持していた。
「これぞ藤吉郎流奥義、皆伝。できる奴にやらせりゃいいのよ」
軽い言葉と重い意思。半兵衛に響く。
「勝家殿の戦は見事だったぜ。信長様が気に入るわけだ」
「なまはげと戦ったというお話も、本当なのですね」
「そこは俺達の出番だ」
浅井軍になまはげがいた。優勢だった戦場に現れた。
「連れてきたんじゃない。急に出てきたんだよな」
「あやかしを仲間にしていたのであれば、先頭に立って戦わせるはずです」
妖怪との戦争は、何回か経験している。
「呼び出したか、隠しておいた。あるいは」
言葉に詰まる。二人とも同じ思いだった。
「霊石ですか」
「助からないと思った時のために、用意していたんだろう」
霊石に願えば、人は鬼になる。人間には戻れない。深手を負い、死を待つ者が、運命に逆らう方法。
重傷の浅井兵が霊石を使い、なまはげになった。
「斎藤義龍と同じだ。浅井朝倉も、兵に霊石を渡してる」
「霊石と、その知識は、いったいどこから」
「つながっているとしたら、つなげた奴がいるわけだが」
稲葉山城の陥落後、城内を調べている。父親の斎藤道三が集め、義龍が奪ったはずの霊石は見つからなかった。
「そんなことに霊石を使うな」
苦い顔をする藤吉郎。
「藤吉郎殿」
半兵衛は藤吉郎の目を見て、その心に訴える。
「では、霊石とは、なんのためにあるのです?」
「俺は」
いつも口にしている言葉。ためらってから言う。
「俺には、夢のためだ」
藤吉郎自身も空虚に聞こえた。
「万物に意味のないものなどございませんの」
白澤が告げる。
「現にわしは、藤吉郎の霊石に助けてもらいましたわい」
「あの時か。そうだったな」
荒魂の穢れに縛られていた白澤を、藤吉郎は霊石で祓う。半兵衛が藤吉郎に従うきっかけだった。
「んま、使い方次第じゃ。人間も霊石も。わかっておろう」
「私達は藤吉郎殿にお供します」
うなずいた。深く頭を下げるかのように。
誰よりも大きな夢がある。
夢を追う道は見つけた。近付くほど増していく、日輪の重み。一人で抱えるには大きすぎる。だから藤吉郎流が生まれた。