もし最強の剣聖に弟がいたら 作:たけのこ
『はー。シーさんは僕が思うとったよりちょっと強すぎんなあ』
長身にキモノを纏った、狼顔の亜人が僕にそう語る。
非常に珍しい狼人とされる種族であるその男は、鋭い牙の並ぶ大口に金色のキセルをくわえて、
『これだと国のバランスが崩れてしまうわ。元々僕らの中でも『剣聖』さんが断トツで一番強かったわけやから実際には何も変わってないんやけど、みんなはそう思ってくれんやろうしなあ』
『……別に、僕も兄さんも王国に世界征服を望んだりはしませんよ』
『それが唯一の救いやんなあ。まあその辺考えてシーさんは動いてくれてるんはわかるから、様子を見るしかないねえ。シーさんを直接どうこうしようと思ったら僕も命を使う必要があるし、割に合わへんわ』
この人は暗殺者。
純粋な戦闘能力もさることながら、何より取れる手段の豊富さが脅威だ。水に潜り続けたり、身体中に毒を仕込んだり……兄さんなら出来るかもしれないがやらないだろうし、僕には無理だ。
とはいえ、直接向かい合っての戦闘となれば話は別。
『これからも、シーさんとは敵対なんてせずに仲良くしていきたいねえ』
『そうですね。僕もそう思います』
暗殺者にも関わらず、彼は非常に義に厚い好漢だ。
帝国の彼とはまた違った関係性。
競い合う関係ではないが、こういうのも悪くないと僕は思った──
フィーナがメイザース邸に向かい、レムとスバルが村中を巡ってシグルドが陣取る村の中央に人々を集めた矢先の話。
ペトラという名の少女が村に居ない、なおかつ先程のおさげの少女と仲良くしていた、という情報を手にしたスバルたち。
「──状況的に、あの魔獣使いの子が人質に取ったのだろうね」
「そう、だろうな……畜生! 友達じゃなかったのかよ! なんで……!」
「スバル君……」
話を聞いた上で考えられる事実を残酷なまでに示すシグルドの言葉に慟哭し、怒りの言葉を上げるスバルに、そんな彼を慮るレム。
自らの安全のために別の子を人質に取っているという現状、スバルからは最早、先程まで抱いていた『子供だから』という感情は彼方へと消えてしまっている。
少女が他の子供たちと仲良くしていたように見えたのは単なる見せかけの演技に過ぎず、彼女が悪辣な人間だという事を理解してしまったから。
──シグルドという超級の剣士が居たが故の『魔獣使い』の行動が、ナツキ・スバルの心情を変化させる。
スバルが怒りに震え、そんな彼に対する疑念が解消されつつあるレムが巡り回る状況に翻弄される中、修羅場を抜けてきたシグルドはいち早く現状と、取れる手段を分析する。
(──ペトラという子供を助けるために取れる選択肢は事実上、1つしかない)
レムでは村人を守る防衛戦を出来ない以上、それは──
(戦力的に村の防衛を僕が行わなければならず、フィーナは既にメイザース邸に向かってしまった以上、レム嬢とスバルが森の奥に向かってペトラという子を捜索する、という選択の他、ない)
しかし、そんな事をしては当然、2人の命の保証は出来ない──いや、あの狡猾な魔獣使いの手腕を考慮するに、2人とも死んでしまう可能性の方が高いと言えるだろう。
だから。
(──僕は2人に命を賭ける事を強いる事は出来ない。騎士でも何でもない無辜の民である2人に危険な目に遭う選択を強いるなど、不可能だ。少女の命も大事だが、2人の命もまた、尊ぶべきものなのだから)
ここに居るのがラインハルトであったならば。あるいはフィーナであったならば。
シグルドは躊躇なくペトラを助ける選択肢を取れた。
しかし、スバルもレムも、命を賭ける覚悟を決めた人間でも何でも無い普通の民。
そんな2人に、シグルドは命を張る選択を強いる事は出来なかった──
だが。
「ペトラの居場所には心当たりがある。戦力的にレムについて来てもらう事になるが──構わないか?」
スバルは当然のように、自分はペトラを助けるために森に入るのは前提で、後はレムの協力が得られるかどうかだという風に発言する。
(スバル、本当に君は──)
「時間をかければかけるほどヤバい。ペトラが呪われてるかどうかはわからねぇが、とにかく早く森で見つけ出して、屋敷で解呪にかけないと」
「ま、待ってください。レムは──」
「ああ?」
逸る気持ちのまま森へ入ろうとするスバルだが、状況に全くついて行けていないレムは尻込みする。
何せ、彼女は屋敷からここに至るまで、一切何の説明も受けていないのだから。先程、後で説明すると言ったフィーナも既にこの場を去っている。
「何も説明も受けずにここまで連れてこられ、魔獣を使う少女が村の子供を人質に取るなんて状況を見せられて──
「じゃあ、どうする。現在進行形でピンチなのは間違いないガキを見捨てて、このままここに居るか。次の日に、ペトラが死んでてもいいってんなら、それも手だろうよ」
現状に対する嘆きを口にするレムをスバルは遮る。
卑怯すぎる物言いだと、自分でもわかっていてスバルは言った。
何一つ説明を受けておらず、ただここまで連れて来られただけのレムが責められる筋合いなどまったくないのだから。
だが、押し黙っても蹲っても、決断を迫る時間は必ず訪れる。
どれほど選択肢が限られていようとも、目の前に提示されたいずれかのカードを選ばなくてはならないのだ。
人質にされた哀れな子供を命懸けで助けるか、見捨てて世界5強の剣士に安全に守られるか、というカードのどちらかを。
「レム、行こう。俺たちで、どうにかしてやるしかない」
「どうしてそこまで……スバルくんには、その子供とどんな……」
いまだ判断に迷っているからか、レムが女々しくそう呟く。
スバルは、『この周回』において彼女がこうしてずっと弱々しい態度を取るのに痛いほどの共感を覚えていた。
状況が全く理解できず、信頼する主も姉もいない。そんな場で決断を求められるとき、彼女は脆い年相応の少女としての顔を取り戻す。
それは、ここに至るまでのスバルと何一つ変わらない弱い人間の姿だった。
だが、その傷口を舐め合っている余裕は今の二人にはない。
時間の余裕もそうだし、精神的な問題での余裕もそうだ。
こうしてレムの決起を促す傍らで、スバルの足は疲労以外の理由で震えるのを隠せないのをシグルドは見逃さなかった。
(当たり前だ。森の奥に行けば、高い確率で自分の命を奪う原因となる存在が、この先に待ち構えているだろうとわかっているのだから)
最大戦力であるシグルドは村の防衛を固めざるを得ない。
必要となる同行者が、奥へ共に行くことに積極的でない。
最悪、1人で奥へ向かわなくてはならない可能性を考慮すれば、押し隠したはずの臆病が顔を覗かせるのを、どうして堪えられるだろうか。
しかし、スバルはそんな己の弱さを、頬を叩いて忘れさせる。
渇いた音の破裂に顔を上げるレム。スバルが勇気を振り絞っている事を理解し、黙って見つめるシグルド。2人の視線を受け、スバルは深呼吸しながら低い声で、
「──ペトラはな、大きくなったら都で服を作る仕事がしたいんだ」
「……え?」
「…………」
何故、村に初めて来たはずのスバルがそんな事を知っているのか。
どうして、さもその子と話した事があるかのように語るのか。
そんな事を考え、押し黙ってしまうレムに首を横に振り、
「関係ないなんてことあるかよ。俺はあいつの顔も名前も、明日やりたいことも知ってんだ」
スバルは根っからの善人なんて程遠い。
無条件で人を助けるシグルドやラインハルトとは違う。
だから、身近でない子どもなんてどうなったところで関係ない。
見捨ててしまえば楽にできる。でも、それができないからスバルは──。
レムを見る。
彼女は判断に迷っている。戸惑っている。
弱々しい姿だ。力足らずを嘆く姿だ。それはスバル自身の姿だ。
シグルドのように、自分に力があればどれだけの事が──
そんなレムの姿を見て、スバルは己を鼓舞する。
「俺は約束は守るし、守らせる性質なんだ。──俺はあのガキと、ラジオ体操を必ずする。だから、奥へ向かうぜ」
──勇気がこんなに恐いものだとは知らなかった。
スバルは震える手を押さえるのに必死で、震える声に気付かないまま言い切る。
そんなスバルの背を見ながら、レムは静かに瞑目する。
彼女がついてこないというなら、それもまた仕方のないことだと思う。だから──。
「仕方、ないですね」
「レム?」
(スバルだけじゃないのか。彼女もまた──)
ふっと、唇を緩めてレムがスバルを見上げる。
彼女ははっきりした感情をうかがわせる表情を浮かべ、
「レムの命じられている仕事は、御三方のお世話ですから。ここでスバルくんをひとりで行かせてしまっては、それが果たせないでしょう?」
からかうような彼女の言葉に、しばしスバルは唖然とし、それから頭を振って、
「ああ、そうだな。俺がうっかり死んでしまわないよう、しっかり守ってくれ」
「ええ、そうします。──だから、行きましょうか」
隣にレムが滑るように並び、スバルはついに彼女と本当の意味で並べたような気がして背筋を正す。
こそばゆいような気持ちを得ながら、彼女に礼を言おうとして、ふと気付いた。
シグルドが、スバルたち2人を何やら輝かしい物を見るかのような目で見ている事に。
「……どうしたんだよ? そんな風に見られると俺ってば恥ずかしいぜ」
「いや、それが君という人間なんだな、と思ってね。それに──」
基本的に、他人に優しくする事の出来る人間とは、つまるところ余裕がある人間と置き換える事が出来る。
それは至極当然の事。自身に余裕がないにも関わらず他者への施しを考えられるような人間はほとんど居ないのだから。
逆に言えば、もしそんな事が出来る者が居たとするならば、それは──
「それに?」
「何でも無いよ。それより、行くなら早い方が良い」
至極真っ当なシグルドの指摘にレムが、
「森の中といっても、範囲が広すぎます。スバルくん、心当たりが……」
「ああ。こっちの方に……」
瞬間。
(……!?)
シグルドは、スバルを止めるべきか迷った。
何故なら、突如スバルの身体から濃厚な『死』の臭いが──
(ここで止めてしまうのは、彼らの決意への侮辱になってしまうのだろうね──)
しかし一瞬だけ呆けたようにするスバルと、一瞬だけ暗い表情となったレムを見てシグルドはそう考える。
だから『風剣』は何も言わずに、2人を見送った。
▼ ▼ ▼
定期的に、ウルガルムが1匹ずつ広間にやってくる。
シグルドをこの場に釘付けにする意図が見え見えの襲撃。
背後に控える村人を安心させるために、彼はあらゆる襲撃を一太刀にて終わらせていた。不安に震えていた村人たちも『風剣』の名声と、名声は偽りでは無い事を存分に示す目の前の若き英雄の姿に安堵の表情をする。
──とある夫婦を除いては。
シグルドは先程の会話を思い出す。
『あなたたちの娘さんは、きっと彼らが救ってくれる筈です』
『で、ですが騎士様。高名なあなた様と違い、あの2人が戦い慣れているとはとても──』
囚われた少女の母親が不安げに漏らす。
彼女が言いたい事はわかる。
つまり──スバルとレムではなくシグルドに、自分たちを含めた村人防衛ではなく娘の救助に向かって欲しいと言う事。
しかし、村の皆を前に直接それを言う事は出来ない。
だからこその先の発言だ。
親として、素晴らしい事だと思う。
自分よりも、他の何よりも子供をこそ優先するのは、他の村人にとってはたまった事では無いだろうし、実際にそれをする事こそ決して無いとはいえ、特にシグルドにとっては極めて好感を覚える話だ。
世の中それが出来る人間ばかりでは無いと、シグルドは他の人よりも良く知っているのだから。
だが──
『ご安心ください──とは僕には言えません。僕の力不足のせいであなたたちに不安を覚えさせてしまい、慚愧の念に堪えません』
シグルドは一瞬目を瞑る。
『ですが──どうか、1人の少女のために命を賭ける彼らの行いだけは、応援して頂けるとありがたい』
『僕のように、民を守る義務など持たない少年少女が振り絞る、その勇気だけは──』
その言葉により、母親は何も言わなくなった。
だが、それで彼女が安心したなんて事は無い。
当たり前の話だ。
先程のシグルドは、励ましかどうかさえよく分からない言葉をただ口にしただけで、娘が人質に取られているという事態は何も変わっていないのだから。
夫婦が真に安心するのは、ペトラがスバルたちに助けられたその時でしか決して有り得ない。
──だからこそ、シグルドは目の前の状況にむしろ安堵を覚えていた。
そして、彼女が1人で来たこの状況を見るに、スバルは森の奥で1人で──
傷だらけで敵をここまで誘導してくれたレムも、ここには居ないスバルも、己に出来る限りの事を、己の命を賭して果たそうとする。
「だから、僕は自分の役割を果たそうか──」
レムと、彼女がぼろぼろになりながらも自分の目の前にまで連れてきてくれたギルティラウと『腸狩り』を見ながらシグルドはそう言った。
▼ ▼ ▼
「ああ、素敵。素敵だわ。まさか、こんなに早くあなたと再会出来るなんて」
傷だらけのレムを追い、魔獣を引き連れながら現れた黒衣の美女が恍惚の笑みを浮かべる。
そんな彼女に対し、シグルドはその端正な目を少し細めて
「兄さんに付けられた傷がこんなに早く治るなんてね」
「少し前に王都で死ぬような思いをしてから、なんだか腕と生命力が上がったの」
「それは嬉しくない話だ。──レム嬢。ここは僕に──」
──次の瞬間、女の手から凄まじい速度で銀色の円盤がレムに向けて投じられた。
円盤。否、それは円盤ではなく、高速で縦回転する大振りのナイフだ。視認速度の限界を超えた弾速は音を風切り音を置き去りにレムに迫り、その頭部を割って鮮血を弾けさせようとする。
「それは通さないと示した筈だけどね」
しかし超絶技巧によって放たれた円盤は、シグルドの風魔法の前に阻まれる。
自身の攻撃がいとも容易く防がれるのを見て、殺人鬼は妖艶な笑みをより深くして、
「メインディッシュの前に前菜は欠かせないでしょう?」
「僕としては、可能な限り早く食事を終わらせてしまいたい所だね」
「あら、つれないこと。私はこんなにもあなたを求めているというのに」
狂人の言葉を相手にせず、シグルドはレムに向けて、
「レム嬢。スバルはまだ奥に居るんだろう?」
「は、はい」
先程までと違い、本気のエルザの殺意に触れたレムは、一瞬だけ圧倒されながらも頷く。
メイド服も彼女自身もすっかり傷だらけでぼろぼろ。更には、そんな状況に加えて目の前で自分では到底立ち入り出来ない技の応酬──つまり先程までエルザは自分で遊んでいたという事実──を見せられる。そんな彼女が未だやるべき事を見失わず、今すぐにでも森に向かわんとしている姿を見て、シグルドは微笑を浮かべる。
「なら──ここまで良く頑張ってくれたけれど、もう少しだけ、僕とスバルに力を貸してくれないか?」
「あ──はい! シグルド様も、ご武運を!」
レムは、森の奥を目線で示しながらスバルへの救援を頼むシグルドの言葉に嬉しそうにして──森へと向かった。
投合は無意味と再び示され、加えて超級の剣士たるシグルドに背後を見せては、レムを害する前に自分が斬られるだろうと判断してエルザはレムを見逃す。
シグルドはそんな腸狩りと、彼女が連れた巨大な魔獣──影獅子ギルティラウを見る。
「一応、確認しよう。君にも魔獣を操る力が?」
「いいえ。私にそんな力は無いわ。これは、あの子の力」
「そうか──だとするとやはり、君に時間をかけ過ぎる訳にはいかないらしい」
シグルドは、言うと同時に聖剣アストレアを鞘に納める。
家宝たる聖剣の切れ味に文句は無いが、この剣でエルザを打倒する為には時間を要してしまう事もまた事実。
『腸狩り』を打倒した所で防衛戦が終わるわけでは無い以上、即座に彼女と魔獣を討ち滅ぼす必要がある。
──最早、シグルドの中にエルザを生け捕りにするという選択肢は無かった。
王都における、エミリアの徽章を廻る騒動──如何なる方法かは知らないが彼女が王候補の1人である事を知り、それに付随する王選を崩すための依頼と殺し合い。
加えて今、普通の存在とはとても言えない魔獣使いと組んで、一見何の変哲もないが、何かあればエミリア陣営にとって大打撃となり得る村を滅ぼそうとしている。
──状況的に、彼女はただの流れの殺人鬼ではない事は明白。
だからと言って、エミリアを執拗に狙うのがエルザ本人の意思にも見えない──つまり、背後に何らかの悪意を持った存在を窺わせる以上、本来ならば生け捕りが望ましい。
だが、レムを見送り、村人を背後にした防衛戦を行う今、そんな悠長な事は言っていられない。
情報よりも無辜の民の命の方がシグルドにとっては圧倒的に重要だ。
だから──シグルドは既に、ここで『腸狩り』は確実に仕留めなくてはならないと腹を決めている。
そして──
「──ああ、素敵。今回はそちらの方を抜いてくれるのね」
その剣はこの世における頂点が一振り。
かの龍剣レイド、夢剣マサユメ、邪剣ムラサメ、陽剣ヴォラキアと並び称される最強の剣。
十の剣が一つ──命剣ゼアムを抜き放った。
感想、高評価ありがとうございます!
おかげで難産だったこの話を可能な限り早く提供出来るよう頑張れました!!