まったくひとの都合というものを考えないやつらだと思う。高校一年生という多感な時期、しかも新たな人間関係の構築もおおよそ済んだところで無理矢理決められた転校。それも、よりにもよってこの学校に。
こんなに机の少ない教室は初めて見たな、と感心しながら黒板の前で笑顔をつくった。四つの机のうち三つを埋める彼らは、どうも友好的とは言いがたい。
「
端の女の子は無関心寄りの好奇、真ん中の長髪は友好の皮を被った好奇、まあこのふたりはまだいい。少なくとも会話は成立しそうだ。
それよりも最後のひとり、サングラスの奥で輝く蒼の瞳はどうやら僕のことをちゃんと「視」えているらしい。友好的どころではなく、敵意ともまた違う。強いて言うなら「嫌悪」だろうか。
なるほど、黒笹の爺どもが五条家を目の敵にするわけだ。
「センセー、何でそいつここにいんの?」
ぴしゃりと冷水のように浴びせられた言葉。悟、と隣にいる担任が咎めるも、その六眼は僕を捉えて離さない。
「うぞうぞ湧いててキモいんだけど。しかも席隣とかマジ無理」
「悟!」
「構いませんよ先生、六眼の持ち主にはそういうふうに見えると聞いています。だからウチは昔から五条家と仲悪いんだそうで」
「は? 仲悪いも何も眼中にねーけど」
「それはよかった、眼中にないなら僕のことも見えないよね。じゃあお隣失礼」
「あってめ、」
一番廊下側、彼の隣に用意されていた席。しれっとそこに座ると、五条悟は面食らったように立ち上がり、咄嗟にのけぞった。そこまで嫌がられるとかえって愉快だ。
何とも言えない顔で僕を見る担任に笑顔を向け、お気遣いなくと続きを促す。この程度なら想定の範囲内、むしろ想定の中でもかなり友好的なほうだ。何なら視界にいれる前に「駆除」されることさえ考えていたのだから。
今も、嫌悪を見せても命を狙ってくるほどの様子はない。呪霊操術の使い手に窘められてむくれている程度で済むとは思わなかった。
ふと目が合った長髪の彼は、うちの子がごめんねとでも言いたげに苦笑を浮かべる。ふたりが親しいとは聞いていたが、どちらかというと保護者と子どものような関係のようだ。とりあえず同じように笑顔を返しておこう。
『見てきて欲しいんだ。六眼の持ち主と、呪霊操術の使い手をね』
ふと、耳の奥でいけ好かない声が蘇る。
顔も見たことがない相手だが、見る必要もないことを知っていた。顔も声も知らぬ間に変わっている、そういうやつだ。黒笹よりもずっと気味の悪い存在だと思うのだが、僕の感性は黒笹の中で少数派らしい。
まさかそいつのせいで転校までさせられるとは思ってなかったけど、と机に片肘をつく。近くに在る馬鹿でかい呪力の持ち主たちのせいで活発になり始めた体内の「ソレ」らを宥めながら、授業を始める夜蛾先生の言葉をぼんやりと聞き流していた。
*
別に仲良くなれとは言われていない。無論、言われていたところで従う義務もない。だが一般的な生活を送っていれば、ある程度の人間関係を構築しておくことの重要性は身に染みて理解している。
にこり、と笑顔で敵意がないことを示した呪霊操術の使い手は、夏油傑と名乗った。
「さっきは悟がすまなかったね」
「気にしてないよ。こちらこそ気を使わせてごめんね」
休憩時間になるなり話しかけてきた彼は人当たりの良さそうな顔で、一応人付き合いを上手くこなそうという気概はあるらしい。打算込みだとしてもその気持ちはありがたく受け取るべきだろう。僕としても不必要に険悪になりたいわけではない。
その後ろからひょっこり顔を出してきた紅一点、家入硝子と名乗った彼女も軽く挨拶をしてくれた。そういえば彼女は確か反転術式の使い手なのだったか、何やら噂を聞いたことがあるような気がする。
まったく何て豪華なクラスメイトだろうか、夜蛾先生の苦労が察せられる。
「お前らよくそんなキモいやつに近づけんな……」
「悟、いい加減にしな。いくらなんでも度が過ぎる」
「つか何、五条の眼には黒笹がどう見えるわけ。普通の野郎じゃん」
どうって、と真っ黒のサングラスがこちらを向いた。同時にうえっと気持ち悪そうにのけぞられる。その態度を見ても、別に僕に不快感はない。むしろどう見ても不遜が過ぎるタイプの人間の真剣に嫌そうな顔というのはわりと愉快だった。どうぞ好きなだけ嫌がってほしい。
悟、と見かねて咎めようとした夏油くんを手で制する。あまりの愉快さに肩が揺れた。
「五条くん、君ってあれかな、集合体とかダメな方?」
「集合体も何も、大量の虫が蠢いてんの見てキモくねーやつとかいねーだろ」
え、と硬直するふたりを余所に、やっぱり見えてるんだなあと感心して頷いた。
大昔から「黒笹」は「六眼」を目の敵にしてきた。話は簡単、こうして「視」えてしまうからだ。
頬杖をついていた左手をほどき、そっと指を伸ばす。瞬きをする間に僕の指先にはひとひらの蝶。漆黒のそれはクロアゲハによく似ているが、もちろん別物だ。
僕が僕の中で飼っている、呪力によって生み出されたそれ。
「蠱毒って知ってるかな。大昔からある、有名で古くさい呪術の手法」
蠱道、蠱術、巫蠱、その呼び名は数あれど、示すものは同じ。
大量の生き物を一カ所に閉じ込めて食い合わせ、最後に生き残った一匹を媒体として呪いを施す呪法のことだ。古代中国から始まったとか何とからしいが、あまりに横行しすぎて呪いを理解しない人間の間でもよく知られている呪法と言えるだろう。
黒笹の相伝の術式は、まさにそれだ。
「僕の術式は蝶だけど、ほかにもいろんな蟲がいるよ。当主は代々蜘蛛だしね」
「……君の中に蟲がいるってこと?」
「いるどころじゃねえ。うじゃうじゃだよ」
しかめっ面の五条くんは、辿るように僕の身体を指さした。
「蝶はまだいーけど、それ幼虫だろ。芋虫がうじゃうじゃ集ってる。無理、キモ」
「へえ、そういう風に見えるんだ。黒笹の術師は幼少のころに体内で蠱毒を起こすんだけど、僕の場合、最後に生き残ったのが蝶でね。だからそれ以来、そいつとそいつの子々孫々が僕の中で蠢いてるってわけ」
「お前それつまり呪力なんだろ。自分の呪力くらいコントロールしろよ。しまえ。消せ。キモすぎ無理」
「見えないようにしようとしても六眼には見えてしまうから黒笹は五条を嫌うんだけどねえ。正体がばれるから」
「なるほどね。見えすぎるのも大変だな、悟」
「まあ私らには見えないから関係ねーわ。蝶、綺麗じゃん」
「ありがとう」
家入さんの賛辞を素直に受け入れて蝶を戻す。しゅるりと指先に吸い込まれるように消えたそれは、また僕の呪力の中で息を潜める。
しかしそうか、このまま五条くんに嫌がらせを続けるのも一興だが、呪力のコントロールで見えないようにできるのなら努力してみるべきかもしれない。六眼を前に鍛錬ができるのは、ある種の幸運ともいえる。
ふむ、と体内の呪力を巡らせる。とりあえず幼虫を身体の奥深いところにしまい込むよう意識する。
んだよ、とガラの悪い声が飛んだ。
「やっぱコントロールしようと思えばできんじゃねーか!」
「あ、できた? とりあえず幼虫しまったけど」
「幼虫しまうって言い方がすごい」
「五条、どう見えんの?」
「幼虫は消えた。蝶は増えたけど俺的にはまだマシ」
「さすがに全部しまうのは難しいな。まあマシになったんなら良かった」
これでしばらく我慢してねと笑いかけると、ふんと五条くんは鼻を鳴らす。仲良くする気はないという意思表示だろうが、先ほどまでよりは柔らかい。思ったよりチョロいという感想を咄嗟に喉の奥に押し込んだ。
やれやれ、と夏油くんが苦笑しながら言う。
「ごめんね、礼儀を知らないうえに素直じゃないやつで」
「え、逆にだいぶ素直じゃない? 可愛いよね、五歳児みたいで」
「ああん!?」
暴れ始めた五条くんを力尽くで宥める夏油くんを余所に、僕と家入さんは和やかに連絡先を交換する。
高専に転校なんて面倒ごとになってしまったと思っていたが、これは意外と愉快な日々が待っているかもしれない。最終的に殴り合いを始めたふたりの「最強」を指さして笑いながら、頭の中では天秤がゆらゆらと揺れる。
*
「少しは止める努力をしてくれないか」
「嫌ですよ、巻き込まれたら死ぬかもしれないじゃないですか」
「それな」
結局夜蛾先生の拳に遮られるまで喧嘩を続けていたふたりは、頭にコブを作ったまま大人しく正座をしている。しかし特級ふたりに拳を食らわせたどころかちゃんと言うことを聞かせているこの教師、なかなかに侮れない。次期学長と目されているだけはあるということだろうか。
まったくと腕を組んだ先生をよそに、少し冷静になったらしい五条くんは嫌そうながらもちゃんと僕を見て口を開いた。
「で?」
「……なに?」
「さっき聞いただろーが。結局オマエ、何でここにいんの」
黒笹はそういう家じゃねーだろって、思ったより彼はこちらのことをよく知っているらしい。
数ある呪術師の家系の中でも、黒笹はかなり特異と言える。なぜなら、古くからある家系にもかかわらず、呪術界とほとんど交流をもたないまま存続してきたからだ。
「呪術界からの任務はほぼ受けることなく、直接自分とこに来た依頼だけ受けてんだろ。それも呪術界じゃ断られるような後ろ暗いヤツばっか。当然、高専に子ども送り込むような家じゃねえ」
「高専に子どもを送り込むのが珍しいのは御三家もでしょ」
「るっせ、俺はいーんだよ。で、その黒笹の人間をわざわざ転入までさせて高専に送り込んでくるとか、どう考えても何か企んでんだろうが」
すべてを見通すような六眼の視線が痛い。まあ、彼が言ったことはおおよそ事実といえる。
他家との交流をほぼ持たずにきた黒笹の実態を知る者は少ない。そのせいで呪術師の家系でなく呪詛師の家系だなんて揶揄されていることも知っているし、高専に入学した黒笹も僕が初めてだという話だ。そりゃ胡散臭いというものだろう。
そしてその懸念は完全に正しいのだから、つい肩が揺れてしまう。
「……おい」
「ああ、ごめん、五条くん、きみ本当に素直で可愛いね」
「あ?」
僕への疑念を、こうもストレートにぶつけてくるとは。
これは「最強」ゆえの傲慢か、はたまた無知ゆえの愚行か。腹の底を見せることなく相手の腹を見通すのが呪術師なのに、彼ときたら腹芸というものをする気がないらしい。
これが今世の「六眼」か。別に好きではないが、嫌いでもなかった。
「お察しの通り、僕がここに来たのは黒笹の意志だよ。きみたちを見てこいと言われてね」
きみたち、という言葉に夏油くんの肩が揺れる。そう、五条くんだけじゃない、夏油くんのことも言われているんだよと、その動揺を肯定するように笑いかけた。切れ長の目がさらに細められる。
嘘はついていない。アイツの言葉に従うのは黒笹の意志なのだから。しかし、まだアイツの正体や目的まで話す気はない。アイツに従うつもりはないとは言え、生き残りを考えるなら情報の扱いには気を付けなくては。
黒と蒼の二対の視線を正面から受けながら、僕はにこりと笑って続ける。
「ま、それ以外のことは特に言われてないし、言われたところで素直に言うことを聞くつもりはないからあんまり警戒しないでくれると嬉しいかな。でも、僕の前であんまり迂闊なことは言わないでね」
言うつもりはなくても、言わされることはありえるから。
そう軽く言えば、五条くんは苦虫を嚙み潰したように顔をしかめ、夏油くんはむしろ愉快そうに肩を揺らし、首を傾けて言った。
「家の言うこと、聞かなくていいのかい?」
その言葉に、いいんだよ、と軽く返す。
別にあの家が好きなわけでもないし、ずっと黒笹の呪術師として生きるのも退屈だと思っていたところ。じゃあどうしたいんだと言われれば悩むところではあるが、少なくとも従順な人間でありたいとは思っていない。
だから、構わない。たとえその結果、黒笹の蟲どもが僕の敵となろうとも。
「僕、反抗期なんだ」
最悪、黒笹を滅ぼせば済む話だ。
ばさり、と耳元で蝶の大きな羽ばたきが響いたような気がした。