黒蝶の羽ばたき   作:ふみどり

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 そうなるとわかりきっていたことを今さらのように嘆くのはただの馬鹿だ。だってわかりきっていたんだから。

 わかっていたのに、回避する選択をしなかった。ただそれだけのことなのに。

 

「戦う力どころか護身のすべもないまま動き回ったくせに、自分を護った誰かが傷つくことに泣くの? さすがに想像力足りなさすぎでしょ」

「──、」

「別にきみの思い出作りを責めてるんじゃないよ。きみが何をしようと護ってもらえるのは『特別』の特権だからね、きみは自身の権利を堂々と行使しただけだ。けど、そこから当たり前に予測できた結果をきみ自身が嘆くのはあまりにも滑稽だと思わない?」

 

 誰にも傷ついてほしくなかったなら、自分が星漿体だと露見した時点で高専に逃げ込むべきだった。

 自分が最後にうつくしい思い出をつくることを選んだのだから、そのせいで護衛が傷ついたことに対して涙する権利はない。

 望む望まないに関わらず、彼女は『特別』なのだ。その行動ひとつで多くのひとが振り回される。この世にたった三人しかいない特級の呪術師でさえ、だ。

 同情するつもりはない。『特別』ゆえの我慢も多かっただろうが、『特別』ゆえの特権もあるのだから。

 ──いや、いまはこんなどうでもいいことに思考を割いている場合じゃない。とにかく星漿体を逃がさなければ。

 目の前で繰り広げられる戦闘に、舌打ちをひとつ落とす。

 

「……分が悪いな」

 

 当然ながら傑が弱いわけではない。伏黒甚爾が強すぎる。

 呪力がないなら対人よりは対呪霊のほうが慣れないはず、だから呪霊操術ならば、と思ったが甘すぎる目算だった。次々と繰り出される呪霊への対処が早すぎる。超人的な身体能力や呪具の恩恵もあるが、それ以上に呪術・呪霊を用いた戦闘における経験値が段違いなのは明白だ。

 ここに悟がいて二対一だったら話は変わったかもしれないが、血まみれの瀕死が加勢に来れるわけもない。ここじゃなくて高専の入り口で合流すべきだったかも、なんて考えるだけ時間の無駄だろう。

 となるとこれしかないか、と仕方なしに左の手のひらを見る。痛いのは嫌だが背に腹は代えられない。さっきかすった耳から出ている血ではさすがに足りない。

 あとはタイミングだ。もはや目を追うのも精一杯な人外の戦闘に目を凝らし、ふたりの状態を見定める。傑の劣勢は変わらない。申し訳ないけどそのまま少々の怪我を負ってくれるくらいがちょうどいい──と思ったとき、伏黒甚爾の呪具の切っ先が傑の腹と右腕を切り裂いた。致命傷には浅い、だがそれでいい。

 右袖に仕込んでいた小さなナイフを手に取り、勢いよく自分の手のひらに突き刺した。

 

「は、ああっ!? 貴様何をして、」

 

 星漿体の悲鳴に反応してびっくり人間博覧会が一時的に停止する。

 ぼたぼたっと床に落ちた血が重い音を立てた。うーん、痛い。ナイフを引き抜いた手のひらからは、真っ赤な血が溢れ出ている。まだ僕の血は赤いんだな、と当たり前の事実に自虐的な思いに駆られた。

 いつか僕の血も赤から黒に染まるのではと思うことがある。黒笹が長い時間をかけて作り替えてきた血と肉は、蟲たちにとっては最高のご馳走で栄養剤だ。

 

「胡斗、何を……!」

 

 驚愕した表情の傑に構うことなく、床にできた血だまりと僕を窺うように漂う蝶たちに視線をやる。

 は、と痛む左手を強く握りしめた。

 

「さっさと喰えよ。──蠱術・血粧(ちけわい)

 

 蟲どもの歓喜が全身に響く。気色悪くて仕方がない。

 外に出していた蝶だけではない、僕の身体から許す限りの蝶が溢れ出し争うように僕の血に集り始めた。もはや血の赤は翅に隠れ、黒いものがうごめいているさましか見えない。

 そして徐々に、蝶たちは姿を変える。血管に血が通うように翅に赤い線が走り、握りこぶしほどのサイズだった身体がどんどん膨らんでいく。

 

「……ただの式にしちゃ数が多いと思ったが、お前、黒笹か」

「ご存じいただいて光栄です」

 

 血の池がほぼ消えた代わりに、虫たちの下には黒い影ができている。それはつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()を意味する。

 もはやひとの頭ほどの大きさになった蝶たちは、どこをどう見てもただの化け物だ。蝶ならば持ち合わせないはずの牙を得たそれらは、ぼたぼたとよだれを垂らしながら次の獲物を見定めている。

 

「黒笹の蟲がもつ毒は、本来対象の呪力そのものを蝕みます。だから呪力のない貴方には効きが薄いどころか、下手したら何の意味もないかもしれない」

 

 相手から呪力という餌を搾り取るための毒なのだから、それはまあ仕方がない。呪いの分際で生物の摂理を模倣してんじゃねえよと言いたくなるが、それはさておき。

 しかし血粧を受けて血肉を得た蝶たちは、肉を食うことを覚える。つまり、呪力の有無に関わらず()()()()()()()()()()()()()()()

 

「解毒不可能と言われる猛毒と貴方の肉体、どちらが強いと思います?」

 

 耳障りな羽音の大群が伏黒甚爾へと襲いかかる。触れる前に呪具で塵にされるが、それでも構わない。蝶を構成する全て、その羽ばたきで宙に舞う鱗粉すら猛毒だ。

 黒と赤が竜巻のように獲物を取り囲む。周囲の空気が毒に満ちたことに気付いたらしい彼は眉をしかめ、口と鼻を手で覆った。すぐさま呪具を刀から三節棍に切り替え、蝶を打ち捨てるついでに風を起こし、毒を散らしていく。

 やっぱダメか、とつい苦笑して首を傾けた。いくら猛毒と言っても当たらなければ意味がない。少量くらいは毒を浴びせられたかもしれないが、鋼の肉体にはたりないのだろう。

 

「……強いなぁ」

 

 これほどの強さをもつ人間を放逐するなんて、禪院家の頭には死んだ蟲でも詰まっているのだろうか。呪術ごときに拘る連中の考えることはわからない。

 わかっている。黒笹が三桁単位の年数をかけて開発してきた猛毒だろうが受肉だろうが、こんな小手先の術で生き物として圧倒的な力をもつ存在に敵うはずがない。

 

「おい、この程度か?」

「この程度です、残念ながら。……でも」

 

 だが、いまは構わない。僕の狙いは彼を殺すことじゃない。ここで初めて、僕は後ろにいた彼女にちゃんと顔を向けた。

 震える両手を握りしめ、泣きはらした眼で僕を見上げるオヒメサマ。

 わかりきったことで涙を零す甘ったれではあるが、別に彼女に恨みがあるわけではない。彼女のせいで六眼(さとる)が瀕死になったことを責める気持ちはさらさらないし、考えてみれば彼女の存在の流出にはクソ脳みそが関わってる気がしてならないので、何ならあの野郎の被害をこうむった者同士、仲間とも言えるかもしれない。

 だからせめて、苦しみを感じない程度の配慮はしてあげよう。

 

「ごめんね」

 

 ゆるりと彼女の身体が傾く。

 僕たちの頭上で、静かに蝶が羽ばたいていた。

 




嬉しい評価・コメントありがとうございます。おかげさまで筆が乗りました。
短いですが区切りなので。もうすこし続きます。
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