「……胡斗お前、まじで別に弱くなかったんだな?」
「ようやく信じてくれて嬉しいよ、僕は」
そう信じられない顔で宣う悟に、つい呪力操作の手が緩む。幼虫出すなっつのと身をよじらせる悟に蟲たちを差し向けながら、足下に転がる可愛い芋虫たちに目線を落とした。
黒と金の芋虫は、もはや指一本動かせないという様子で荒い息を吐いている。
「一般家庭出身としては上等なんじゃないかな。頑張ったねふたりとも、立てるようになったらもう一本行こうか」
「さらっと鬼なのウケる」
「やだな、愛の鞭なのに」
犬死にするよりはマシでしょうと、愛用の呪具をくるりと回す。そりゃそうだと硝子さんはふたりの傍にしゃがみこんだ。念のため怪我の具合を診ているらしい。
「打撲程度だよ。硝子さんが治すほどじゃない」
「ん、そうっぽい。ちゃんと手加減してんだな、黒笹」
「後輩に大怪我を負わせるほどひとでなしじゃないし、ちゃんと加減も知ってるよ。悟や傑と違ってね」
「さらっと私たちを引き合いに出すのはやめてくれないかな」
「俺らだって手加減くらいできますけどォ!?」
「初っ端に骨折させたやつらの台詞とは思えないね」
高専の裏山の桜も綻び、新たな学生が高専の門を叩いた。無事に進級した僕たちは二年生として彼らを迎え、よく面倒を見てやってくれ、ただし絶対に加減しろとさんざん念を押されたので仕方なくこうして彼らに戦う術を叩き込んでいる。
しかし僕の同期ときたら、まあ戦闘メインではない硝子さんはともかくとしても、「一般家庭出身の新入生」と言えば傑しか知らない世間知らずと「
最初の実習から七海くんの腕と灰原くんの肋にヒビを入れた馬鹿ふたり、今までどこの修羅の国で生きてきたのと同情せざるを得ない。誰に同情するって、そりゃ後輩たちと結局ひとりで彼らの面倒を見なければならなくなった僕自身にだ。まったく迷惑この上ない。
「……う、」
「っと、……」
「うん、回復もはやくなったね。体力がついてきてる証だよ」
よろけながらも何とか身体を起こすふたりは、まだ闘志は薄れていない。なかなか根性があって大変よろしいと、立ち上がる前にふたりまとめて呪具でなぎ払う。
身体が動かないときほど咄嗟に反応できるようにならなければ、生命の危機など回避できない。盛大に吹っ飛びこそしたものの、一応腕でガードはできているようだった。たいして可愛がる気などなくとも、ちゃんと成長してくれる様子には達成感を覚える。
「少しは成長したかな」
「え、これで? 胡斗にボコボコにされるとかすぐ死ぬだろフツーに」
「再三言うけど僕だって別に近接弱くないんだよね。規格外の自分たちを基準に考えるのやめたほうがいいよ」
君たちに比べれば全人類は赤子も同然なんだから。
そういうもんかと悟は傑の顔を見るが、傑もまあそうかもしれないという顔で頷いた。それからフォローのつもりなのか、いつものにっこりした笑顔を僕に向ける。
「大丈夫、胡斗なら小学生くらいのレベルはあると思うよ」
「一応光栄だと言っておくけど、それちっとも褒め言葉に聞こえないからほかで言わないようにね」
「え、そう?」
自覚がないなんて可哀想にと半ば本心から言うと、硝子さんも大きく頷いた。微笑みを保ったまま傑はごきりと指を鳴らしていたが、そうやって言論統制してきたから一般常識が身につかなかったんだねと言葉を添えれば何とも言えない顔で手をほどいた。そのあたりの素直さは大変よろしいと思います僕は。
わっかんねー、と頭の後ろで手を組む悟に、らしくもなく拗ねたように唇を尖らせる傑。そんなふたりに苦笑をひとつ落とし、改めて可愛い後輩たちに目をやった。転がることしかできなかった芋虫はようやく震える手足を動かし、身体を起こそうともがいている。
筋は悪くないと思う。もう少ししごいて戦闘の空気に慣れさせれば、低級呪霊くらいは自力で祓えるようになるだろう。
「七海くん、灰原くん」
物好きにもわざわざこの世界に足を踏み入れた彼ら。どんな事情があってのことかなんて欠片も興味はないが、来てしまった以上は生きるか死ぬかだ。
「頑張ってはやく強くなってね」
とりあえず手加減下手な悟や傑の相手をしても、大怪我をせずに済む程度には。
まあそれだけで二級程度の実力は必要な気がするけど、とは言わなかった。
*
「意外と面倒見がいいんだね、胡斗は」
「ふたりがちゃんとしてくれたら僕があんなに頑張る必要はないんだけど」
「いやあの程度で骨折するとか思わねえだろ」
「呪力を最近知ったばかりの子が呪力で身を守るとかできるわけないでしょ、骨折程度で済んでよかったと言うべきだよ」
何故だか未だに続いている深夜のホットミルク。
いつからかそれ専用のマグカップがキッチンに現れ、どうせなら蜂蜜だけじゃなくてミルクにも凝ろうと高級な牛乳が用意されるようになった。もう勝手にしてくれと思っている。
やれやれとカップに口を付ければ、柔らかな甘い香りが鼻を抜けた。
「まあもう少ししごけばふたりの
「金髪の方は何か持ってンぞ、術式。まだ曖昧すぎて見にくかったけど」
「へえ。それは今後が楽しみだね」
私も頑張って手加減を覚えないとって、それを口にしてしまうところが傑なんだよなと思うが僕は賢いので口にはしません。
こんなのが同期な僕も本当に大変なのだが、こんなのが先輩である彼らも十分に気の毒だ。手本にもできない実力者がすぐ上にいるなんて不運としか言いようがない。
悟の口ぶり的に、強力な術式をもっているわけでもなさそうな可哀想な後輩たち。さすがの僕も運動ついでの実習くらいは付き合ってやる気になるというものだ。
「にしてもこの学校、呪術の知識とかちゃんと教えてるの? 転入以来、そういう授業はほとんどなかったような気がするんだけど」
僕が転入してきたのは秋を過ぎて冬も近づいていた頃だ。一般家庭出身の傑もそこそこの知識はあるように見えたから気にしたことがなかったが、入学早々に叩き込んで基本を終わらせているということだろうか。
そう言うとふたりは揃って視線を浮かせ、首を傾げた。
「なかったんじゃね?」
「必要なことは実習や任務のときに聞いて即実践って感じだったかな。知らない言葉はその都度確認して覚えてたよ」
「ここ本当に教育機関?」
高専では学生も含めぽんぽん死ぬとは聞いていたが、これも一因であるような気がする。確かに知識があればいいというわけではないが、ある程度の知識がないと呪術的な要素を理解した上での勘が働かないというか、その場その場での
その意味ではおそらく黒笹のほうがマシだ。何せ長年あの家に寄生している
業腹ではあるがその知識のおかげで九死に一生を得たこともあった。実践に勝るものなしとは言うが、知識なしにとりあえずやれというのは死ねと同義だ。
別にそれで困んねーだろと平気な顔で宣う悟に、やっぱりコイツの下とか僕なら絶対に嫌だなと後輩たちに同情せざるを得ない。というか、最低限の知識くらいもってくれないと今後任務で一緒になったときに会話が成立しなくて面倒なことになりかねない。
「……悟、七海くんは術式あるんだね?」
「ん、ああ。まだ
「じゃあ、そっちの話も必要かな……」
特に七海くんはその真面目さゆえに、きちんと知識を踏まえて実践を重ねていきたい方に見える。理論ばかりで立ち止まられても困るが、多少は教えてやらないと実践も身に入らないだろう。任務先で足を引っ張られるくらいなら、面倒でも先にものを教えてやった方がましかもしれない。
深々とため息を吐く僕を悟がにやにやと見つめる。いや君もやるんだよと言えば面倒だからヤダと舌を見せられた。今度ホットミルクに塩を一掴みほど入れてやろうと思う。
そんな僕たちのやりとりを聞きながら、きょとんとした顔で傑は言った。
「悟、その
んあ、と悟は虚を突かれたように青い目を見開かせた。同時に僕は、ほら教えてないからこういうことになる、と遠い目。
幼少から呪術に触れているものなら常識といえることでも、呪術に触れて間もない人間には未知の知識だ。
「……傑が入学したときの術式はどうだったの?」
「そういやすでに結構カタチになってたな。無意識に成立させちまってたんだろ」
「カタチ?」
「おー。胡斗、解説」
「聞かれてるの悟でしょ……」
といっても、僕が言って聞くような性格をしていないのはわかっている。
やれやれと首を振り、何から話せばいいのか頭の中の知識を順番に並べた。
「術式っていうのは最初から形が定まっているわけじゃなくて、―――そうだな、一本の樹のようなものなんだ」
まず、もっとも太い幹がある。それが術式の一番の核であり、どれだけあがいても変えようのないところ。術式を術式たらしめるための「定義」だ。
「呪霊操術で言うならたぶん『呪霊を操る』だし、無下限呪術なら『無限という概念を現実世界に持ち出す』なのかな。それを中心に据え、さまざまな術式効果が枝葉のように広がっている。これが『術式』の全貌」
「けど、余計な枝葉ほっといたらイラネーとこにまで呪力使っちまうだろ。だからそこから力入れて育てたい枝だけ残して剪定するわけ」
「効果の幅を狭めることで残った効果を強化する、つまり『縛り』を課すということで合ってる?」
その通り、と僕と悟が同時に頷いた。さすがに傑は理解が早い。
本来術式効果の幅はかなり広い。根幹の「定義」にさえ背かなければ、結構何でもできてしまうのだ。だが、多くの枝葉が残っていれば、当然それぞれの枝葉は育たない。か細い枝程度の術式効果など、ほぼ無意味に等しかった。
だから呪術師は、自らの
「そうやってそれぞれ『術式』を成立させるんだ。目に見えるものでないだけに、傑みたいに無意識でやっちゃう術師もいるみたいだけどね」
「つか大半の術師はそうなんじゃねーの? 俺もあんま考えたことねーわ」
「それは相伝の術式だからでしょ。何代も掛けてより優れたカタチをつくってきた結果が君の無下限呪術だ」
「なるほどね……つまり七海はまだ『剪定』をしていなくて、術式そのものの全貌がまだ定まってないということか」
「そ。まあ本人の自覚が薄くて樹が育ってないってのもあるけどな」
確かに最近の呪術師はそこまで自覚的にやることは少ないって聞いたような。しかし傑ときたら、無意識で呪霊操術ほどの樹を育ててきたとは確かにとんでもない素質だと思う。潤沢な
それにしても、とふと考える。僕はてっきり傑が何かの「縛り」でそれをしているのかと思っていたが、呪霊操術という大樹を考えれば別にそれが「縛り」になるとも思えない。ねえ、と好奇心のままに口を開いた。
「そういえば何で傑ってわざわざ呪霊食べるの? ゲテモノ喰いが趣味?」
刹那、目の前が真っ暗になった。
*
「反射的にひとの顔を掴むとか人間としてどうかと思うんだよね」
「私も二言目がなければ普通に『どういうことだい?』って聞いたと思うんだけど」
それにしても胡斗は小顔だねって、その馬鹿でかい手をにぎにぎしながら言わないでほしい。その握力によって圧迫された顔まわりの骨や筋肉にはまだ違和感が残っている。
僕が顔を掴まれたのを見て腹を抱えて笑っていた悟は、あーおもしれ、と目の端に滲んだ涙を拭っていた。
「で、確かに私は呪霊を口から取り込むけど、それが何か?」
「あんな穢れの塊を口に入れるなんて不快じゃないのかなと思っただけだよ。僕なら生理的に無理だなって」
「……まあ気分のいいものではないけど、術式を自覚したときからそうしていたからね」
「要は呪霊を体内に―――傑の呪力に取り込めればいいわけでしょ。嫌ならほかの方法試せばいいのに」
「あー……確かに、別にそれ『縛り』じゃなさそーだしな」
腹に入りゃ問題ねーか、と軽く言った悟に僕も頷いた。ええっと、と傑は戸惑った顔をしている。それが『縛り』か否か、また釣り合いがとれているかという感覚は、まだ傑には難しいのかも知れない。
ふーん、と少し考えた悟はつまり、と頷いた。
「呪力は腹で回すだろ。だから呪霊を取り込むときに一回腹に入れて繋がりをつくる必要がある。たぶん術式的にここまでは必須条件。で、『腹に入れる』行為を考えたとき、最初に頭に浮かぶのって『食事』じゃん」
「術式を無意識に捉えたんならなおさらそうだろうね。それで傑の中で『呪霊を取り込むこと』と『食べること』が結びつき、結果として経口摂取に落ち着いた」
呪霊を腹に入れることさえできれば経路なんて些末な問題であるように思う。調伏した呪霊をわざわざ黒い球体に成形するのも、口に入るサイズに直しているだけなのかもしれない。
僕たちの話を聞いていた傑はじっと考え込み、それなら、とようやく口を開いた。
「たとえば胡斗が蝶を自分の身体に戻すときみたいに、呪霊を自分の呪力に溶け込ませて取り込むことも可能だということ?」
「そりゃ試してみないとわからないけど、可能なんじゃない」
「理屈のうえではイケんじゃね」
軽い答えに、なるほどね、と傑は不敵な笑みを口元に浮かべる。かっこつけの傑のことだから、たぶん見えないところで猛特訓して数ヶ月のうちにはものにすることだろう。
呪霊の取り込みがもっとスムーズに行えるようになれば、調伏した呪霊を一瞬で自分の手駒として使えるようになるかもしれない。一瞬のロスが命取りになることもあるのだから、減らせる手間は減らすに越したことはない。
傑に死なれるのは困るし、強くなってもらわないと困る。だから別に「胡斗も協力してね」なんてそんな圧の強い笑顔で言わなくても手を貸すくらい構わないのだが、その辺りはひとに頼るのがこの上なく下手な傑らしいとも思う。
「それにしても、その呪術や術式の知識はこの世界じゃ常識なのかい? だったら確かに授業か何かで教えて欲しいものだけど」
「僕にとっては常識だけど、他の家はどうなの悟」
「ふるーい呪術師の家のやつならたぶんジョーシキ。けどわざわざ知らないやつにヤサシク教えてやるようなお節介の呪術師なんて基本いねーし、知らねえやつも多いんじゃねえの。知らなくても何とかなるっちゃなるし」
まあ仕組みを知らなくても機械は使えるというか。
仕組みを読み解き改良していくのが呪術師だと思っていたのだが、それはたぶん黒笹独特の価値観なのだろう。千年単位で引きこもって自分たちの身体と術式をいじくりまわしてきた家の価値観が一般的なわけもない。術式の探求を第一とする黒笹と違って、おそらく「外」の呪術師は呪霊を祓い続けることだけを追い求めてきたのだ。
「威力を重視してたくさん『縛り』を課すのがここ千年くらいの呪術の流行なんだっけ?」
「そーいや昔はぽんぽん領域展開とかしてたらしいよな。そのぶん威力はお粗末だったらしいけど」
「待って、千年単位の歴史の流れを『流行』の一言で片付けるの面白すぎないかい?」
珍しく真面目に話していた会話も、次第に他愛もない方向へ流れていく。湯気の上がっていたホットミルクは、いつのまにかすっかり冷め切ってしまっていた。