黒蝶の羽ばたき   作:ふみどり

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 古びた無機質な階段を一段一段上がっていく。

 すぐ先の屋上で繰り広げられる大型呪霊と後輩たちの戦闘の様子は蝶を通してよく()えていた。初めての実習ということでお目付を言い渡されていたが、ナリばかり大きくて大した力のあるわけでない呪霊の相手くらいなら問題ないはずだ。何せこの僕が丁寧に丁寧にイジメ続けてあげたのだから。

 実際、なかなか善戦を繰り広げているらしい。蝶たちが歓喜するほどに呪力を昂ぶらせ、派手な轟音を上げながら呪霊に拳と鉈を叩き込んでいる。

 よっぽど危なくなったら助けてあげるからふたりで行っておいでと送り出したが、やはり僕の手は必要なさそうだ。

 

「……うん、いい感じに育ち始めたかな」

 

 数多の蝶に集られ消えていく低級呪霊たちを横目に見ながら、彼らの傍に在る蝶から届けられる情報を辿っていく。

 自身の術式を自覚し始めた七海くんと、並外れた体捌きに呪力をのせることを知った灰原くん。目を瞠るほどの成長ぶりとは言いがたいが、着実に力をつけてきている。つい数ヶ月前まで呪術を知らなかった人間の成長としては上等なのではないだろうか。

 そろそろいいかな、と屋上に繋がるドアノブに手をかける。同時に肉のつぶれるような耳障りな音が響き、ドアの反対側にべしゃ、と重みのある液体がぶつかる感覚があった。ドアを開ける前で良かった~と内心で安堵しながら金属製のドアを押し開ける。

 何とも言いがたい悪臭の混じる空気と、ひしゃげたフェンスに抉れてむき出しになったコンクリート。その中心で息を切らすふたりは、とりあえず大きな怪我はなさそうだった。

 

「お疲れさま、ふたりとも。ちゃんと祓えたみたいだね」

「く、ろささ、さん」

「お疲れ、さまですっ!」

「硝子さんにも外で待機してもらってるけど必要なかったかな。息が整ったら外に出よう」

 

 もはや意味を成していないフェンスに近寄ると、呑気に門近くの植え込みで一服をしているもうひとりの同伴者の姿が見えた。

 向こうからもこちらのことは見えたらしく、木の幹から背を離して「要る?」とばかりに自分を指さした。大丈夫だよと手を振れば、了解とばかりに指で丸をつくってまた木により掛かる。相変わらずドライで少しも心配する様子を見せないあたりが硝子さんらしいというか何というか。こちらとしては非常にやりやすくて助かる。

 再び後輩たちに目をやると、ようやく呼吸も落ち着いてきていた。

 

「戦闘の様子は()てたけど、まだ無駄な動きが多いし力みすぎなところがあるかな。ふたりとも体術メインなんだし、力の入れ方だけじゃなくて力の抜き方も学んでいかないとね。あれくらい息切れひとつ起こさず祓えるように」

「はい! 頑張ります!」

「はい。……、……黒笹さん」

 

 素直に頷く灰原くんの隣で、ふと気付いたように七海くんが眉根を寄せた。どうしたの、と先を促してみれば、クールに見えて負けず嫌いの後輩は少しばかり悔しそうに続ける。

 

「……()ていたということは、私たちの近くに蝶がいたということですよね?」

「? うん。今もいるよ」

「えっ」

「……どちらに?」

 

 きょろきょろと周囲に目をやる灰原くんと、じっとりと僕を見る七海くん。その様子が面白くてつい噴き出すと、七海くんの眉間のしわがさらに深くなった。

 何なら今朝この実習を言い渡されたときからずっと彼らは僕の蝶と()()()()()。僕にとっても初めての実験だったのだが、どうやら思いのほか上手くいったらしい。まだまだ呪力感知が甘いふたりだから気付かないというのもあるのだろうが、調整を重ねれば六眼(さとる)は無理でも傑は誤魔化せるかもしれない。

 何事も挑戦してみないとね、と内心だけで頷いて可愛い後輩たちに笑顔を向けた。

 

「近くにいても見えない、見えていても気付けない。蟲ってそういうものでしょ」

「誤魔化さないでください」

「そんなに怖い顔しなくても、ふたりが先輩(ぼくたち)をボロクソ言っていたのは聞かなかったことにしてあげるよ」

「えっ音も拾えるんですか!?」

「へえ、本当に陰口叩いてたんだ?」

「灰原!」

 

 ちなみに音も拾おうと思えば拾えるが、感度も良くないし盗聴の趣味もないので基本的にあまり聞いていない。完全なるカマ掛けだったのだが、さすがに灰原くんは素直すぎないだろうか。

 完全に苦い顔をした七海くんは、観念したという顔でそっと手をあげる。

 

「……陰口に分類されそうなことを口にしたのは私だけで灰原は言っていませんし、対象は五条さんと夏油さんだけです。私たちの面倒をみてくださっている黒笹さんには感謝しています」

「ははは、七海くんは七海くんで馬鹿正直だね。別に僕のことも嫌ってくれていいよ、可愛がってるつもりもないしね」

「そんなことは、」

「あと悟と傑に文句言いたい気持ちは痛いほどわかる」

「ですよね」

 

 あまりに食い気味な「ですよね」にはこれ以上なく呪いが籠もっているような気がした。今はまだほとんど僕が指導をしているから大して接点はないはずなのに、それでもすでに()()()()()()最強ふたり、改めてとんでもない人間性だなと。

 同期である僕ですらも思うところがたくさんあるのに、そりゃ後輩の立場となれば言いたいこともたくさんあるだろう。むしろ本気で素直に慕っている灰原くん、きみのほうがちょっとやばい。

 僅かに芽生えた同情と心配に、僕も人間らしくなったものだなと少しだけ苦笑する。それがいいことなのか悪いことなのか、今の僕にはわからない、が。

 まあ、もう少しくらいはこのふたりの面倒を見てやるのも悪くないかな、という気分にはなる。

 

「……そういえばふたりとも、あれは見える?」

 

 すごい先輩たちをもって僕たちは幸せだよね、それは本気で言ってるんですかとじゃれる後輩たちに、そっとひしゃげたフェンスの先を指さした。

 え、と動きを止めたふたりは同じ方向に目を凝らすが、それぞれ困惑した顔。

 

「……ごく普通の風景以外何も見えませんが」

「何かあるんですか? もしかしてまだ呪霊が!?」

「ほら、よーく見て。もう少し前に出た方がいいかな」

 

 先んじて進む僕に釣られるように、一歩、二歩と警戒しながら足を進めていく。フェンスを乗り越え屋上の縁にきても、僕の言いたいことはわからないようだった。

 何も見えないですけど、と瞬きもせず正面を凝視する灰原くんに小さくため息をつき、いつも言ってるでしょと言い聞かせるように言った。

 

「そう簡単に気を抜いてはいけないよ。いついかなるときも───」

 

 誰に対しても、ね。

 そう言い終わると同時に、僕は右足を振り抜いた。

 

 

 *

 

 

 実習を終えて硝子さんと教室に戻ると、任務に出ていたはずの悟と傑がすでに席に着いていた。おかえり、なんて呑気な様子を見るに、どうやら大した任務ではなかったらしい。もっとも、このふたりが手こずる任務のほうが少ないのだろうけど。

 

「今日は一年たちの初めての実習だったんだろう? その様子だと問題なしかな」

「うん、頑張ってたよ。ねえ硝子さん」

「そーだね。呪霊祓ったあと黒笹に屋上から蹴り落とされたけど生きてたよ」

「お前が殺しにかかってんじゃんウケる」

 

 愛の鞭だってと返しながら席に着けば、隣の席の悟は愉快そうに肩を揺らした。

 傑はそれってイジメじゃないのかいと苦笑するが、こんな学校に来ておいてイジメも何もないと思う。任務中は絶対に気を抜くなとしつこいくらいに教えてあげているのだから、これくらいは指導のうちだ。だいたい三階建ての屋上から突き落とされたくらいで怪我をしていては呪術師など務まらない。

 まあ植え込みを利用して無事に着地してみせた七海くんからはものすごい眼で見られたが、気にするほどのことではない。ちなみに同じく無事だった灰原くんには心の奥底から感謝をされた。それはそれでどうかと思う。

 

「ある程度動けるようになったし、もう手加減下手なふたりでも大丈夫だと思うよ」

「一言余計。でもそうだね、胡斗ばかりに相手をさせるのは悪いと思ってたんだ」

「俺は思ってねーんだけど。メンドクサ」

「そういえば悟、七海くんが『五条家は当主に一般常識や社会性も教えないんですか?』って不思議がっててね、」

「胡斗く~ん、ちょ~っと力が入っても死なない程度には鍛えたんだよな? ボコしても問題ねえんだよな?」

 

 指を鳴らす悟にほどほどにねとだけ返しておく。傑はもっともらしい顔をしてきちんと指導をとか嘯いているが、七海くんが「特級呪術師になるには人間性を捨てなければならないという規定でもあるんですか?」と言っていたことを伝えたらどうするのだろう。それはそれで面白そうだが、一応指導してきた身としてこんなにすぐに死なれても困るので、とりあえず口は挟まないことにした。七海くんは僕に感謝していい。

 このふたりに後輩たちの指導を任せられるようになれば、もう少し僕も自分の鍛錬に時間を割くことができるだろう。硝子さんに協力を頼んだ件もそうだし、蟲の扱いもまだまだ試したいことがある。

 何より───もう、その日は間近に迫っているのだ。

 

「……胡斗?」

「ん、何?」

「いや、考え込んでるように見えたから」

 

 不思議そうな顔の傑に笑顔を返し、何でもないよと適当に言う。

 これまで僕たちや高専に蟲を寄越すくらいしかしなかった黒笹も、その日が近くなれば必ず動く。より正確に言えば黒笹が、ではない。

 ()()()が、だ。

 

「……春先は眠くなっていけないね。春眠は暁を覚えないよ」

「お前の場合は年中だろ、居眠り常習犯」

「本当に胡斗はバレないように居眠りするのが上手いよね。夜蛾先生にだけはバレるけど」

「夜寝ねーからじゃん? まだやってんだろ深夜のホットミルク、女子かよウケる」

「だから女子が言わないでよ」

 

 こんな軽口を叩いている間も、きっとアイツは策を弄している。黙ってその日を過ごすことは絶対に有り得ない。おそらく動くはその日当日か、せいぜい数日前。世界が()()()を用意できないタイミングを狙ってくるだろう。まあ僕も黙って見ているつもりはない、と机に頬杖をついた、そのとき。

 ポケットの中で携帯が震えた。ぴく、と嫌な予感に腹の中の蟲たちが震える。画面を見れば、たった一言の短いメールが一通。

 

『一度帰っておいで』

 

 運命の日(まんげつ)まで、もう少し。

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