思いのほか高専は僕を信用してくれているらしい。
いや、高専というよりは夜蛾先生が、だろうか。戻ってきて早々この任務について尋ねた僕に、夜蛾先生はあっさりと詳細を教えてくれた。高専が把握している今の状況、星漿体の様子、任務についた悟や傑の動向まで。
それどころか「お前が必要だと思うならフォローしてやってくれ」と僕が授業を欠席するのを見逃してくれるのだから、まったくヤサシイ先生だと思う。
「……辛気くせー場所」
それにしても、先生のおかげで薨星宮を探し出す手間が減ったのは有り難い。生命の気配が少しもない薄暗い廊下は、虫たちですら居心地が悪そうだ。
こつ、こつと足音を立てながら、黒笹を締め上げて得た情報を頭の中で整理する。
「うーん、……どうしようかな」
あの脳みそ型寄生虫、名を「羂索」というそうだ。
黒笹の本家筋のやつらは普通に知っていたようなので、脳みそ自身も隠していたわけではないのだろう。それだけ僕がこれまで知ろうともしなかったということだ。
僕は羂索が為そうとしていることを正確に把握しているわけではない。羂索自身、黒笹にすべての情報を開示するようなことはしないだろう。だが、ある程度は推測ができる。
羂索がこれまで注視していたもの、術式、人物。
やつ自身の思考回路、優先順位、僕の前で口にした言葉。
あとはこれまで叩き込まれてきた「呪術師」としての知識と直感。
材料はすでに頭の中にある。あとは組み立てていくだけだ。
「六眼と呪霊操術、それに星漿体──いや、天元か」
まず間違いなく、六眼は明確に「敵」として意識している。
黒笹の記録を見ても、羂索は過去に六眼の持ち主に幾度となく敗北を喫している。だから六眼の持ち主が生まれると知るやソッコーで殺しにいっているのに、それでも次の「六眼」に行く手を阻まれていた。
つまり、羂索にとって「五条悟」は出来るだけ戦いたくはないが排除しなくてはならない敵かつ、殺すのが手っ取り早いが可能ならば殺害以外の方法で無力化したい相手。
殺すにしろ無力化するにしろ、確実な勝ち筋がない限り悟の前には現れないだろう。その程度には痛い目に遭ってきている。過去の六眼持ちの皆さんありがとう墓に花でも供えたい。
呪霊操術については、まあ普通に使いたいのだろう、その身体を乗っ取って。警戒しているというよりは、傑の呪霊操術がどの程度
そしてその使い道がおそらく──天元。
「……もしかして、すでに僕の声は聞こえているのかな」
呪術界の要、不死の術式をもつ永遠の存在。
その結界によってこの国を守る、およそ人とは言いがたきもの。
足を進めながら視線を浮かせるが、当然ながら返答はない。構わず、言葉を続けた。
「こんな世界で長生きして楽しいですか?」
長生きしてもせいぜい百年と少し、人間ならそれくらいでぽっくり逝っておくべきだ。こんな呪いの蔓延る世界において、必要以上の「生」はそれこそ穢れを招く。
天元は「星漿体」と「同化」して肉体情報をリセットする必要があるだなんて誤魔化した説明をしているが、限界を超えた肉体と精神が「呪い」に転ずるのを回避しているだけのこと。あんな穢れた存在になる可能性を抱えてまで長生きしたいものなのだろうか──まして、己を呪いにすべく虎視眈々と狙っているやつがいる状態で。
「……まったく理解できないね」
まあ、考え事はここまでだ。虫たちの気配が腹の中でうごめく。
とりあえず羂索の狙いは「六眼の無力化」「呪霊操術」「天元と星漿体の同化阻止」といったところだろう。優先順位は羂索の手札によるだろうが、まずは目の前の状況に対応するしかない。
長い廊下が終わり、いかにもという外見の大樹が目に入る。それを取り囲むように古風な家屋が連なっているが、どうせ天元がつくったまやかしだ。真に重要なのは大樹の根元、そこで引きこもっている老害のみ。
改めて虫たちを放つ。一瞬にして周囲に虫が満ちるが、次の瞬間には鳴りを潜めた。気配を消して潜むという点において、虫ケラの右に出るものはそういない。
下準備はこんなところだろう。あとはただ待つだけだ。
「……僕の出番はあるかな」
さて、現在における呪術界のふたりの「最強」は、あの呪術を超越した存在からオヒメサマを守ることができるだろうか。
*
とか言ってみたが、まあ結果は目に見えていた。
壁に背を預け、目を閉じて虫たちが送ってくる情報に全神経を集中させる。
高専に戻り術式を解いた瞬間の襲撃。悟が襲撃者の対処にあたり、傑が星漿体をつれて薨星宮へと向かっている。
想定内とは言わないまでも、最悪の状況ではないだけマシと言うべきか。襲撃者の予測くらい伝えておくべきだっただろうか。いや、教えたところであの傲慢どもが
何せ相手は、
大きく溜息をつき、瞼を開けた。無事に本殿前に到着して気を抜いているのか、何やら話しこんでいる傑たちのほうへ脚を動かしつつ、タイミングを図る。
仕掛けていた範囲内に彼の気配を捉えた。羽化を待っていた虫たちに、一気に呪力を流し込む。
「──!!」
呪力のない人間にあの虫たちは祓えない。突如として眼前に現れた蝶の群れに、彼はとっさに床を蹴って背後に下がった。まったく、呪力がないくせに感知できるってどういうことなのか是非話を聞かせてほしい。
呪具さえもっていたら容易く蹴散らしただろうが、この状況で「呪力のない人間の気配は読みにくい」というアドバンテージを手放すとは思えなかった。予想通り呪具を手に持っていなかった伏黒甚爾は黒光りするものを放り捨て、すぐさま口から「何か」を出し呪具の刀に持ち替える。
蝶たちが霞のように消える向こうから、身体に呪霊を巻き付けた獣のような男の目が僕を捉えた。
瞬間、腹の中の虫たちが騒ぎ出す。うるさい、そんな虫の知らせなんか寄越されなくても腹が立つほどに理解している。
「──まだ新手がいやがったか」
「どうも。拳銃なんて意外と俗っぽいもの持ってるんですね。伏黒甚爾さん」
胡斗、と傑の少し戸惑った声が反響して聞こえる。
まったくその傲慢からくる油断癖はいい加減にしてほしい。
「傑、戦えるよね」
「、問題ない。それより何故こいつが、……悟は、」
「ああ、殺したぜ」
「……は?」
五条悟は、俺が殺した。
会話に割り込んできた古傷のある唇が、同じ言葉を繰り返す。
ぶわ、と大気が膨らむように傑の呪力が昂ぶった。
あーあ、とまた息をつくしかない。
「胡斗」
「……致命傷をうけて血まみれで倒れてるのは事実だね」
「黒井さんは?」
「ん? ……ああ、あのメイドさん。どうかな、かろうじて息はありそうだけど」
「そう。──胡斗」
「はいはい」
始まりは同時だった。
傑の呪霊が辺りを埋め尽くし、伏黒甚爾の呪具が鈍く光り、僕は呆けていた星漿体の首根っこをひっつかんで床を蹴る。
「ひゃ、あっ!?」
「舌噛むよ、黙ってな」
そのまま一直線に本殿へ向かおうとすれば、ぴっと耳元に焼けるような痛み。
ものすごい速さで顔の横を通り過ぎたそれはガッと音を立てて床に突き刺さり、その衝撃で頑丈なはずの刀身がぶるぶると震えていた。
もはや察知するとか避けるとかそういう威力でも速さでもない。正直普通に血の気が引いた。
「ちょっと傑、真面目に足止めやってくれる!?」
「胡斗、本殿じゃない、外に出るんだ!」
「は!? 何で、」
「いいから!」
外に出ろったって伏黒甚爾が出口前にいるだろうがと。
振り向きざま、伏黒甚爾の口角がつり上がったのが見えた。どう見てもあれは「わざわざ自分のほうに来てくれるなら手間が省ける」という顔だ。
事情はわからないが、これでこの状況を乗り切れる確率はかなり下がった。勝利条件が「結界のある本殿に逃げ込む」でなく「伏黒甚爾を戦闘不能ないし戦闘意志のない状態に追い込む」に変わったのだ。傑がいるとはいえ、お荷物つきであの化け物の横を素通りする芸当はおそらく不可能だ。
悟すら瀕死に追い込んだ相手に、傑がどこまでやれるのか。こんな状況であれば興味深く観戦するところだが、そんな呑気なことは言っていられない。
目の前で繰り広げられる人外の戦闘に、せめて足手まといにはなるまいと星漿体の首根っこをひっつかんだままふたりから距離をとる。壁際によって申し訳程度に虫を散らすと、右手の先で何かがじたじたと暴れ出すのを感じた。
「ちょ、……もう、苦しい!」
「ん? ああ、そうか、首締まってたね」
「気付くのが遅い!」
そういえば星漿体って人間の女の子だったと今さらに思い出す。
改めて目を向けてみれば、どう見てもその辺にいそうな年下の女の子だった。
「貴様は……、」
「この状況で自己紹介必要? 傑側の人間だとわかっててくれればいいよ」
「、……。……あいつは、」
「なに」
「あ、いつは、……死んだ、の?」
泣きはらした跡がのこる目元、そこにまた大粒の涙が一筋の線を引いた。
アイツというのはおそらく悟のことだろう。自分を護衛してくれていた、しかも現代「最強」の片割れに対して「あいつ」とは随分と、とは思うがまあ知ったことではない。
五条悟は確かに出血多量のうえ、喉を抉られ脳天を貫かれた。どう考えても死ぬのが普通だが、
「かもね」
それだけ短く答えれば、彼女の肩が大きく震える。
ぽた、ぽたと涙の滴が血痕のように床を汚した。
「あ、……あいつ、……くろいだって、わたしの、せいで……!」
何を今さら、と思ってしまった僕はたぶん冷たいやつなのだろう。だが、その感傷に付き合ってやれるほど余裕のある状況ではない。
「……へえ、意外だな」
そして僕は、
「自分のせいで誰かが傷つくことを嫌だと思える心はちゃんとあったんだね。てっきり良心なんて欠片もない人間かと思ってたよ」
そのとき彼女がどんな顔をしていたのか僕は知らない。
視線を向ける気にも、なれなかった。
作者にりこちゃんアンチの気持ちは一切ありません。
ネタバレすると彼女は言われっぱなしで引き下がるほどか弱い子ではありません。