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創作主である、ムラサキを待っていた「彼女」。
そんな彼女と言葉を交わしたムラサキは、彼女の本当の名と思いを知って……?
驚いて、私は顔を上げる。
私を拾っても何も突っ込まず、何も不思議がらなかった理由が、今わかった気がした。
「私が来るのがわかってたの?」
「だって、君とはそういう者だろう。物語の創り主としての君は。
好奇心の光できらきらと輝きに満ちた、優しい瞳。
既に小手を外していた、筋肉の浮き上がる滑らかで逞しい右腕を、彼女は差し出した。
「
「私、大野紫咲」
「ムラサキ。いい名前だね」
「モネも素敵な名前。もしかして絵画から?」
「父は商売上、色んな世界に顔が利く。モネの絵も持ってた。こちらで洋風の絵画は主流にはならないが、父も母も眺めるのが好きなんだ」
豆だらけのガッシリした手が、私の手を握る。今まで流した汗と血を感じる手だった。
その手を握り返しながら、ふと気付く。
(樺……カンバ? あれ、どこかで聞いたような)
「ところで、紫咲は
「いや、帰らなきゃ……と思ったんだけど、帰り方がわからなくて」
ああそれなら、と頷いた望寧ちゃんは、顎で背後の寝所をしゃくった。
「
「そんな簡単なことでよかったの!?!?!?」
思わず膝立ちで突っ込んだ。安直というか、何というか。
「えっ……じゃあ、ここで布団敷いて、あなたの目の前で寝なきゃいけないの……」
「心配するな。寝付くまで傍に居て
「うん、まあ、確かに……慣れないことの連続でちょっと疲れたけど」
お腹も膨れたし、程よく眠くなりつつある。
うつらうつらした私の肩をぽんぽんと叩いて、望寧ちゃんは私の体に両腕を差し入れた。初めて私を受け止めてくれた時と、同じように。
寝所に移動すると、袴と帯を解く私を傍に置いて、せっせと布団を敷いてくれる。
「ねえ、望寧ちゃんはさー……」
「ちゃん……君が良いならそれでも良いが、その呼び名は慣れないな……」
「私からすると、望寧ちゃんって感じなんだけどな。じゃあ、望寧はさ、一人暮らし? お父さんとお母さんはいないの?」
「
「そう……寂しくない?」
人の匂いがする布団に横たわり、目を擦りながらそう言うと、望寧ちゃんは意外そうに目をぱちぱちさせて、可笑しそうにふはっと笑った。
「何を今更。これでも良い大人だ。幼い頃から里の皆には良くして貰っているし、寂しくは無いよ。
枕元にあぐらをかいて座ると、大きな掌でぽふぽふと頭を撫でてくれる。
その撫で加減が気持ち良くて、思わず私は目を閉じた。
寝る前のお伽話のように、無骨な手で頭を撫でながら、望寧ちゃんのお話は続く。傍に寝転んで寄り添ってくれる直生くんの体温が温かい。
「……その昔、一人の男が〝おひいさま〟を攫った。身分違いの恋だったらしい。
当然追われて山中を逃げる
それが僕の
「……望寧ちゃんて、もしかして元は私と同じ世界の出身なの?」
「そうかもしれないし、そうとは言えないかもしれない。けれど、
あれほどの気骨を感じた声音が、今は染み入る雪のように穏やかに感じる。
空はもう暗くなり、換気窓の外は星が降って来そうなほどの夜だ。
本格的な眠気が襲ってくる前に、何かまだ、聞きたいことがあったような……
「ねえ。ヨハネさんと入れ替わってる間、あなた達はどこにいるの?」
「其れ程長い間では無いから、近くで見守って居るよ。上手く共鳴すれば、同じ体の中で話す事も出来るかもしれないし……若しくは彼と同じように、
「ええっ!? そ、れは……でも私、書こうにもまだちゃんとあなたのこと知らないよ」
「
ふふ、と小さく笑い声が降ってくる。脱穀機の音が、電車のリズムみたいだ。
「そうだ……初めて私を見た時、驚いていたでしょう。私が来るのを、何となくわかってそうだったのに。それはなぜ?」
うとうとしていたら、ふと前髪を撫でる指先が止まって、屈んだ衣擦れの音がした。
間近に体温が触れて、ふわりと唇が額に当たる。
うっすら瞳を開けると、心地良い薄暗さの中で、特徴的な色の穏やかな瞳と目が合った。
「……紫咲。何故だか解らないが、君は私の母上とよく似ている。だから驚いた」
「望寧ちゃんの、お母さん……?」
「写真が手元に無いから、見せられないけどね。若い頃の母上にそっくりだ」
愛し気に細めた目が、情熱と懐かしさを物語っていた。
こんな凄腕のハンターを育てられる親を、欠片でも彷彿とさせる要素が、私の中にあるだろうか……。全然想像がつかないけど。
「お母さんもハンターなの?」
「君と同じだ。あの人は武具の扱いは得意じゃないよ。
親父……父上は腕は立つんだが、闘いよりは唄と踊りが好きな変わり者でね」
「ふぅん?」
小さく笑った望寧ちゃんは、すごく優しそうな目をしていた。
「けれど父が、そんな母をどれ程愛して居るか、僕は知って居る。
……案ずるな、紫咲。闘いに身を投じられない者にも、居場所は有る。家庭に残り、留守を守る。
それはまるで、私を見てきたような言葉でありながら、自分にも言い聞かせているようで。
熱を帯びた宝石のような瞳をじっと見て、思わず私は心の中の本音を語っていた。
「私、あなたのこともこの世界のことも、本当にほんのちょっとしか見てない。
会ってからこんなに短い時間しか経ってないけど、私あなたのことが好きになりそう。
だから、これからもっともっと好きになっていい?」
色違いの瞳が、溢れそうに見開かれている。驚いたような、喜びに満ちたような、照れたような。あどけない子供のような表情だ。
私とヨアさんが、いつこの世界で力尽きるともわからない。夢のような現のような、長く活動するとも保証できない曖昧な世界で、約束などできない。それでも、そこに逞しく生きる彼女の、普段は豪快に笑い余裕綽々で武器を構え、炎の如く闘志を燃やす彼女の、寂しいと泣く背中が何故か見えるようで——私は合わせた褐色の掌を、どうしても離したくない。離せなく、なってしまった。
握り締めた手の指が、そっと絡み合う。熱っぽい瞳が、切なげに私を見た。
「それは……僕と友達に成って呉れると、そういうことかい?」
「うん。なる。全然なるよ」
「例え、僕が君との間に自然と友愛以上を望んでも? 其れで誰かを
「好きでやってるわけじゃないんでしょう? ……友愛とそうじゃない愛の違いは、私にはよくわからないよ。でも、空っぽの時に誰かが傍に居て欲しい気持ちはよくわかる。だから、大丈夫。受け止めるよ。私は」
口ではそんな事を言いながら、鼓動で溢れそうなのを必死で抑えている私に手が触れて、そっと顔が近付いた。
さっきは額に触れたふっくらした唇が、今度は優しく口元に降りて、遠慮がちに唇を啄んでいく。
瞳を開くと、狩猟が失敗してもそんな慌てたりしないだろうというほど赤らんだ顔に思いがけず遭遇して、私の方が驚いてしまった。
「なんでそんなに……うん、ああ、そっか。お母さんに似てるんだっけ」
「思い出させるなッ! 僕も
流石に直生くんとは違うだろうけど、お母さん大好きっ子なら、そりゃドキドキもしちゃうか。
伝える事を伝え切ってしまって、今度こそ体の力が抜ける。
身を丸めるようにして布団を被ると、染み込んだ体の匂いがした。さっきまで、ガルクに乗ったり近くに引き寄せられたりした時も感じた、彼女の強い汗や体臭の感じ。でもこれは、あの力強い体を持つ人が奏でる匂いで、モンスターを叩き斬ったり鍛錬したり、砂埃に塗れて里や皆のために日々戦っている結晶として、染み付く匂いで。
そう思うとひどく愛おしくて、私はいつまでも、この少し草臥れた布団に包まっていたかった。
「……望寧」
「お休み、紫咲。……良い夢を」
意識が途切れるその瞬間まで、右手は温かかった。
ふつりと、蛍の光が闇に紛れるように、長かった私の夢渡りは終わりを告げた。
*****
気がつくと、家の布団の上にいた。
先に目を覚ましたヨルくんたちが、隣で二人仲良く転がって待ち構えている。
「おはよう」
「おはよー、ムラサキ」
「それとも、おかえりなさいって言った方がいいのかな?」
「おかえりなさいの方がいいかもね」
お揃いのパジャマで、可愛らしく顔を見合わせてみせる。
どうやら、私が長い旅をしてきたことは、天使と悪魔にはお見通しのようだ。
まだ疲れが抜けきらないまま、私は大きくひとつあくびをした。
「ふああ……おはよお、二人とも。どうしてわかったの?」
「だってー、あれボク達先に読んだんだよ」
「すごいや、ムラサキ。ボクわくわくしちゃった」
興奮気味で、机の上に散らばったルーズリーフを指差す。
目を擦りながら、鯨のつけた暖房が効き始める室内で立ち上がり、ゆっくりとそれを手に取った。びっしりと活字で埋まり、さらにはところどころ手書きのメモで埋められた、A4の紙10枚分。それを書いたのはもちろん自分だが——
「ああ——そうか」
思わず声に出していた。これだったんだ。
何故、夢の中で思い出さなかったのだろう。
ここまで追い求めるのに、構築するのに、答えを出すのに、一週間。
短かったようで長すぎるようにも感じる日々だった。そしてそれは、ここから先にこそ長く長く、線路のように続いていくのだろう。君が、心の内から消えない限り。
眺めているうちにまた飽き足りなくなり、炬燵に潜って朝食を摂るのも忘れながらシャーペンを手に取っていると、もぞもぞと私の後から起き出したヨアさんが、眠そうにこっちに歩いて来て肩をつついた。
「ふぁあ……おはよ。あんた、またそれ? もう一週間ぐらいずっとやってるよね」
「おはよう。いい加減にご飯食べなきゃねえ」
「ねえ。もうそろそろ、何やってるかボクに教えてくれてもいいんじゃない?」
「うう……む、けれどこれは、どこから喋ればいいのか」
「それも、一週間ずっと言い続けてるよね。いつもどこか、遠くの世界ばかり見て」
じとっと、若干ヤキモチ気味のヨアさんがのし掛かってくる。文字通り、異なる世界を観察するのは時間も労力も要るので、最近ろくすっぽ私が相手をできていないせいで、ややおかんむりのようだ。
私は水筒の中の白湯を飲みながら、諦めてため息をついた。
「そう、ねえ……そろそろ纏めて話しておくべきかもしれないわよね」
「何、そんな重大発表なの?」
「重大……と言えば重大発表だし、そうでない人にとっては、本当に何でもないかも」
「引っ張るなあ。余計気になるじゃん」
「わかったわかった。肩も凝ってきたし、順番に落ち着いて話すことにするよ。まずはあったかいお茶でも用意して」
私は立ち上がり、少しボサっとした寝起きのヨアさんの頭を撫でてから、ケトルを持って台所に向かった。