緋想戦記   作:う゛ぇのむ 乙型

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~第三十一章・『灼熱宮殿の守り手』 遥かなる因縁 (配点:憎悪)~

 夢を見ていた。

 深く、暗い、虚ろの夢。

 自分では無い誰かの夢だ。

 夢の主は怒るように、悲しむように、苦しむように、焦がれるように、そして己を知って貰いたいかのように幻を見せてくる。

 遥か彼方、まだ温かかった時代。

穢れなく、一切の不純物の無かった時代。

これはそんな夢だ。

 

/////////////

 

 “私”が“私”を理解できるようになる頃になると“私”たちは外に出ることにした。

 家の外はまだ危ないと“紅”は言うが、そんな危険よりも“私”たちの好奇心は上回っていた。

 初めて外に出たときに見たのは青だ。

 天蓋一面に広まる青だった。

 今でも覚えている。

 美しいく何処までも広がるソレに“私”は感激した“私”は歓喜した。

 それから“私”たちはたびたび家を抜け出した。

 最初の頃は庭まで、次は門まで、その次は町へ、そしてある日私たちは町外れの湖に来た。

 その頃には“私”たちは外の事を自分で調べ、知り始めていた。だから湖というのがどういうものかは分かっていた。

 だが実際に見る大きな水の固まりに“私”は喜んだ。

 でも“私”はその深さに恐怖した。

 “私”は訊く「どうしてこんなに美しいのに怖がるの?」

 “私”は答えた「だってもの凄く深くて暗いんだもの」

 初めて意見が食い違った。

 それが初めての喧嘩だった思う。

 “私”たちは互いの髪をつかみ合い、転がった。そして湖の縁まで来ると水面に映る自分の顔を見た。

 自分の顔を見たのは初めてだった。

そして気がついた。

“私”たちが違う事に。

 “私”と思っていた“私”は何もかもが白かった。

 “私”と思っていた“私”は何もかもが黒かった。

 それが“私”たちの個別の自我の始りだ。

 

2

 

/////////////

 

 深い眠りから覚めた。

 何か夢を見ていた気がするが思い出せず、まだ眠気で重い体を起き上がらせると体に張っていた高速睡眠用の術式符を剥がす。

 体がまだ痛む。

 伊勢湾での戦いを終え、武蔵に到着すると直ぐに自宅に戻り倒れるように眠りについた。

 完全には回復しきっていないようだがこれならある程度戦えるだろう。

 暗くなった自室で背筋を伸ばすと自分が何も身に纏っていない事に気がつく。

 こっちに戻ってから直ぐに着替えて寝ようとしたのだが、服を脱ぎ終えた所で寝てしまったようだ。

━━むぅ……少し無用心過ぎかしら?

 さすがに全裸なのは女子としてどうかと思う。

 一応部屋には鍵がかけてあるがそれでも入ってくるのが外道共だ。

今後はもっと気をつけよう。

 そう頷き、立ち上がるとベッドの下に散乱している衣服や下着を纏め、ベッドの上に置く。

 それから箪笥を開けると新しい下着を取り穿いた。

 できれば風呂に入りたいがその暇は無いだろう。

 壁に掛けられた時計を見れば時刻は午後七時半。三時間近く眠っていたことになり退去まであと三十分だ。

 パンツを穿き終えると上着を着、手櫛で髪を整える。

それからお気に入りの桃の香を体に着けた。

 天人はもともと体臭が余り無いが流石に汗を掻いてそのままなのは嫌だ。

 外道共に「あんた、臭うわよ」なんて言われたら自殺できる自信がある。

 「そういえば衣玖はどうしたのかしら?」と思い表示枠を開くと通神文が何件か着信していた。

 それを順に開いていくと三件目、副会長からの通神文に固まる。

「…………え?」

 驚愕と同時に、駆け出し教導院前に向かうのであった。

 

***

 

 駆けていた。

折角休んだ体を酷使し、息を切らしながら駆け続ける。

 知らぬ間に武蔵は浜松港上空に移動したらしく、港が下に見える。

そんな様子を横目に内心では困惑と怒りが渦巻いていた。

 なぜ、こうなった?

 なぜ、その決断をした?

 なぜ? なぜ? なぜ?

 なぜ自分はこんなに動揺しているのだろうか?

 自分はこんな事で動揺する人間だっただろうか?

 様々な感情を混ぜながら走り続けると教導院が見えて来る。

その橋の前には見知った顔が揃っており、その中には徳川家康もいる。皆此方に気がつくと女装が笑顔で手招きする。

 その様子に感情が爆発した。

「あんたっ!!」

 駆ける速度を速め、女装の眼前まで迫るとその襟首を思いっきり掴む。

「天子!!」

 ミトツダイラが声を上げるが無視だ。

それよりもこいつに言いたい事がある。

「なんでこんな作戦認めたのよ!! あんた、見捨てないんじゃなかったの!!」

 周りの連中も慌てて間に入ろうとするが女装が止める。

彼は頭を掻くと「あー、やっぱ怒るよな」と苦笑する。

「でもよ、俺を殴る前にちょっと話し聞いてくれねーか? おっさんがどうなってるかとか」

 

***

 

「…………どうなってるって、どういう意味よ?」

 女装の言葉に困惑し、頭に上った血が引くと表示枠に鳥居元忠が映った。

『その事は……わしから言おう』

 皆が表情を翳らせ、浅間が心配したように女装を見る。

「トーリ君」

「ああ、分かってる。でも、やばくなったら頼むわ」

 一体なんだ? この雰囲気は。どうして皆そんな顔をしているんだ・

私の知らない間に何があったのだ?

『まず言うとわしの命はもうもたん』

 頭を金槌で割られたかのような衝撃だった。

 一瞬冗談を言っているのかと思った。だがそんな雰囲気ではないのが周りの反応や元忠本人から伝わって来る。

「……え、どういう……こと?」

『腹を撃たれてな。応急処置をしたものの内蔵が完全にやられ、助からんのだ』

 撃たれた? 誰に? 何時?

 そこで思い出す。曳馬の甲板上で彼が私を庇った事を。

「わ、私の……」

 「せいか?」と言うよりも速く元忠は首を横に振った。

『それは違うぞ。あれはわしが選択肢した結果だ。その事でお前さんが心を痛める必要は無い』

「でも……!!」

『そんな顔をするな。折角の美人が台無しだ。そうは思わんか?』

 元忠の言葉に皆、翳りを含めた笑みで頷く。

 「ふざけるな!!」と心の中で叫ぶ。だってそうだろう?

どんな言い訳をしても自分のせいでこの人の運命を決定付けてしまったのだ。

『わしはな、感謝こそすれ恨む事など無い。満足だ。わしは今、満足を得ている。

それは大殿の下で再び戦えた事、若き志士達と出会えたこと、そしてお主と共に戦場を赴けた事』

 私と彼が最初に出会ったのは五年前だ。

 退屈しのぎに家康に部隊をよこせ、自分も戦場に出ると言い目付け役として来たのが彼だった。

 私はそれを窮屈に思い、彼を邪険に扱い続けた。それでも彼は衣玖と共に私に親身になって付き、戦の仕方、流れや戦国の世の事を教えてくれた。

その事にも初めは腹が立ったがだんだん嫌ではなくなり、ある意味では“父親”のように思い始めていた。

 そんな彼が死ぬというのだ。それも自分のせいで。

 自分は孤高で誰が死のうが構わないと思っていた。

だが何だこの、痛みは? 苦しみは?

何時から自分はこんなに弱くなったのだ?

「……総領娘様」

 此方の隣りに衣玖が立ち手を握ってくる。

「向き合いましょう。共に。皆苦しいのは一緒です。だから共に向き合い、前を見ましょう。それが私たちに出来る最大の恩返しです」

 強く握られた彼女の手から強い思いが伝わって来る。

 そうか……彼女も……。

 いやそれだけじゃない。あの場に居た誰もが、いや、あの場に居なかった者も全て同じ気持ちなのだ。

『うむ。皆、良い顔だ。これで心置きなく逝けると言うもの。それで、天子よ。お前さん前に“何かして欲しい事があったら言え”言ったな?』

 彼の言葉に頷く。

『ならば頼みが二つ。一つは大殿に預けた我が手記を受け取って欲しい』

 家康が手記を此方に渡し、それを大事に腕で抱くと元忠に頷いた。

『そしてもう一つ。我が隊を引き継いで欲しい。お前さんも知っていると思うが皆良い奴だ。直ぐに馴染むだろう』

「でも……私に……」

 出来るだろうか? 筒井で失態を犯し皆を窮地に追いやり、今こうしてまた一人の命を奪う原因になった自分に。

『できるさ。お前さんは前までのお前さんとは違う。他者と会い、友と会い、強敵と会った。それら全て決して無駄ではなく、一歩ずつ必ず前に進んでいる』

 元忠は頷く。それは自分もそうだと言うように、自分の言葉を噛み締めるように。

『だから皆、聞いてくれ。これから先、苦しい事が多く待ち受けているだろう。もしかしたらまた誰か脱落するかもしれない。

だがそれでも前に進み続けてくれ。どんな絶望が待ち受けていても進み続ける限り未来は切り開かれる。

先に逝った者達の死を無駄にせず、満足させてくれ』

 そうそれこそが徳川であると。

 ならば自分はどうすれば良い?

まだ頭は混乱し、自責の念は重く圧し掛かり今にも心を押し潰そうだ。

 だが、それでも、それでもそんな私を、“私たち”を信じてくれるというならば……。

「分かったわ。どんなに苦しくても私は前に進む。この自責の念は一生消えないでしょうけど、だからこそ進み続けて私たちに出会った全ての人々が幸いであったと言える様になると私は宣誓するわ」

 此方の言葉に女装も頷く。

「俺もだぜ、おっさん。俺には何も出来ないけどこいつ等になら何でも出来る。だからさ、おっさん、あんたの無念、不可能を俺に預けてくれ。

それであんたは、最期まで笑ってくれよ」

 女装の隣りに家康が立つ。

「元忠、今まで大義であった! お主こそ三河武士の鑑よ! お主が拓いてくれた我が道、我が夢、必ずや成してみせよう!!」

 主君と家臣は短く。だが誰よりも強く心を繋げる。

『皆、それではおさらばで御座る。この鳥居彦右衛門尉元忠。必ずや敵を喰いとめてみせましょう!!』

 表示枠が閉じられると皆沈黙する。

 それから女装は苦笑すると此方の横に立った。

「大丈夫か? つれーんだったら辛いって言っていいんだぞ?」

「ええ、でも、まだ言わない。言ったら弱くなりそうだから。駿府に着くまでは言わないわ。

それにあんたこそ大丈夫なの?」

 この馬鹿は悲しんだりすれば一発アウトなのだ。

そう言う意味では自分よりも辛いはずだ。

「辛いって思うよりもおっさんがどうすれば喜ぶかって考えてるからなー。俺は」

「あんた、強いわね」

「…………強くねえさ。俺は一人じゃ何にも出来ないしちょっとしたことで死んじまう兎だ。だけどよ、俺には皆がいるし、オメエも居る。だったら笑って前に行くしかねーだろ?」

 そう思えるからこそ強いのではないだろうか?

 大きな喪失を前にして悲しみを抱かないのはそれこそ悟りの境地だ。

「だからよ、オメエも自暴自棄になんなよ? オメエが死んだら俺も死んじまうし他の連中だって悲しむ。

だから笑おうぜ、笑っておっさんを送り出してやるんだ」

 女装の言葉に頷き、腕に抱いた日記を強く抱きしめる。

 そしてぎこちなく笑みを浮かべると女装が笑った。

 皆も頷き笑みを浮かべる。「さあ、行こう」と。

 直後船体が揺れた。

 武蔵の周辺に仮想海が展開され、少しずつ高度を上げて行く。

『これより当艦は浜松港を離脱し駿府に向かいます。戦闘員の皆様は警戒態勢に移行をお願いします━━以上』

 その放送を受け、皆が顔を見合わせる。

そして女装が皆の中心に入ると腰に手を当てた。

「うし! 行こうぜ! みんな!!」

「「Judment!!」」

「「応!!」」

 彼らの決意を乗せ、白き巨大な船が夜の空に飛翔を始めるのであった。

 

***

 

 遠く、遠ざかって行く白の艦群を見送り鳥居元忠は笑みを浮かべた。

━━行けよ。未来を切り開く者達。

 最早自分の四肢に感覚は殆ど無い。

立つのがやっとの状態で間もなく自分は死ぬであろう。

だが、その前にやらなければならない事がある。

浜松港の管制塔前に二百人の兵士達が集まっていた。

 彼らは皆元忠の部隊のものだが全員が共通して年老いていた。

「……馬鹿だな、お前らも。あっちに行けば助かったのに」

「へ、水臭い事言わないで下さいよ大将。あっしらみんな大将について行きたくてついて来たんですから」

「若いのを守るのが年寄りの責務ですからね」

「おっさん舐めんな!! ってんですよ!!」

 皆の言葉に嬉し涙を浮かべ、笑みを浮かべる。

「馬鹿者達が。だが、感謝する」

 皆笑みを浮かべる。決意を秘め、武器構え、兜の緒を締める。

「さあ、やるぞ! 笑顔になれよ! 満足しろよ!!」

「「応!!」」

「意地を通せ! 誇りを見せろ!! 三河武士の結束見せてやれ!!」

「「応!!」」

「さあ、始めよう! 我等鳥居元忠隊、最期の戦だ!!」

「「応!!」」

 午後八時、織田軍は三河領内に侵入。

月明かりに照らされる中、浜松港にて織田軍三万と徳川軍二百の戦いが始まるのであった。

 

***

 

 暗く長い洞窟を抜けると紅が広がった。

 紅の海は超高の熱を放ち、岩や土を飲み込み溶かしている。

 紅の溶岩は空洞に広がっており、数百メートル上の天井すら赤く輝かせている。

 そんな溶岩の海の中央に神殿があった。

いや、神殿と言うよりも金属の社とでも言うべきそれは溶岩を浴びても溶けるどころかあっと言う間に溶岩を弾いてしまう。

 そんな謎の金属で出来た社に一人の少女が降り立った。

 驪竜だ。

 彼女はこの灼熱の中汗一つ掻かずに薄い笑みを浮かべ社の中央にある巨大な祠のような物を見上げる。

『小童が、我が聖域に土足で入るでない』

 女の声がした。

 空洞全体を振動させる声は何処からとも無く発せられ、それだけで溶岩の波が止まる。

 そんな中で驪竜は薄い笑みを変えずにいた。

「ふふ、聖域? 牢獄では無いのかしら? いえ、この場合牢獄の看守塔かしら?」

『これでも我なりに住みやすいと思うのじゃがな』

 「それは貴女だけでしょう?」と苦笑すると女の笑い声が響く。

『して、何用じゃ。汚物が』

「分かっているでしょうに。━━━━貴女の“核”、いただきに来たわ」

 直後、圧倒的な威圧感が祠より放たれた。

 それだけでありとあらゆる生き物を根絶しそうな威圧感の中、驪竜は愉快気に目を細め空間から巨大な黒の戦斧を取り出す。

『東の方、“翠”の気配が途絶えたと感じたがやはりお主か』

「ええ、寝惚けていたところをこの手で屠ってやったわ。ふふ、楽しかったわよ?

生きながら肉を裂き、骨を砕き臓物を取り出すのは。

最期はなんて言ってたかしら? たしか“済まぬ、同胞よ”だったかしら?

馬鹿よねぇー、最期まで他人の事考えているんだから!」

 そう笑った瞬間、祠の扉が開かれ大出力の火柱が放たれた。

 火柱は溶岩すら弾く金属をいとも容易く溶かし、飲み込んでゆく。

 驪竜はそれを颯爽と避け、近くの柱の上に着地すると祠の方を見る。

 扉の奥からそれは来た。

 それは紅の輝きであった。

 四本の足で歩行するそれは全身を紅く輝く羽毛で包み、背中からは二対の巨大な翼が生えている。

 頭部は鋭く尖った嘴を持っておりその体と同じ紅い二つ瞳で己の敵を睨みつけていた。

 朱雀だ。

 まるで神話の朱雀のような姿をしたそれは翼を伸ばし、嘶く。

「ふふ、やっと姿を見せたわね。“八大龍王”、“紅天の頂”」

『貴様ごときが我が名を呼ぶな。我等が汚点、汚物、裏切り者よ』

「裏切る? 裏切り者ですって? 先に裏切ったのは貴方達でしょう」

 そうだ、自分がこうなったのもこいつ等のせいだ。

 あの苦痛を、恐怖を、絶望を味わわせたのはこいつ等だ。

故に私は外道に墜ち復讐を誓った。

『……確かに、あれは我等の間違いであったじゃろう。だが、貴様を放置する訳にはいかん。我は“翠天”とは違うぞ?』

「上等。貴女を殺して私の一部にしてあげる!!」

 驪竜が叫び、“紅天”が嘶き、両者は激突を開始した。

 

***

 

 溶岩の海が敷き詰める空洞の中で嵐が起きていた。

 熱風と巻き上げられた岩石の嵐の中心にいるのは黒の輝きと紅の輝きだ。

 “紅天”が翼を広げ、羽根を飛ばす。

 飛ばされた跳ねは高出力の流体となり嵐の雨のように驪竜に襲い掛かる。

 それに対して驪竜が行ったのは回避だ。

彼女は必要最低限の動きで回避を行い紅の弾幕を抜けると戦斧を両手に持ち構える。

 狙うは敵の首だ。いかな大龍であったとしても首を断たれれば致命傷を免れない。

 故に渾身の一撃を戦斧に乗せた。

 空中で体を回転させおこなう全力のスウィング。

 あと僅かで刃が敵に届きそうという所で気が付いた、

 敵が余りに無防備であると。

 回避の判断は咄嗟であった。

 身に纏っていたマントを翼状に広げると大きく羽ばたき後ろへ跳躍。

その直後に爆発が起きた。

 敵の周囲を全て燃やし尽くすような熱の爆発。

 咄嗟に回避したため直撃は免れたが伸ばした右腕が巻き込まれ肘まで一気に炭化する。

『呵呵!! よう避けおった!!』

 敵は賞賛の言葉を送ると同時に巨大な嘴を開き、火柱を放つ。

「っ!!」

 咄嗟に横に跳躍を行い回避するが、敵の攻撃は止まらない。

 羽根が来る、火柱が来る。

 ありとあらゆる物を砕き、飲み込むべく敵は攻撃の津波を放った。

「流石は龍王一の火力持ち!!」

 この敵を相手に出し惜しみは不可能だ。

そう判断すると戦斧を掲げた。

 漆黒の斧はその刃を展開させ、瘴気を振り撒く。

 

 

 

・━━時は歪む。

 

 

 

 直後奇妙な事が起きた。

 攻撃の津波はその速度を落とし、まるでスローモーションのようになる。

そして炭化した腕は一瞬でその姿を戻していった。

 その様子に“紅天”は目を細める。

『時を歪め、空間を歪め、起きた事象すら歪める。それが貴様の“概念”であったな。

やはり危険じゃ、その力復讐を終えた後、何に使う?』

「ふふ、そんなの決まっているわ。“私”の為よ。

━━━━“私”は孤高だ、“私”は孤独だ、“私”特別だ。だから“私”は“私”以外の全てを歪める!!」

 刃を振る。

 ただの空振り。だが直後、敵の翼が断たれた。

『ぬう!?』

 驪竜は舞った。

 復讐を願い。刃に憎しみを乗せて。

 届かぬ刃はしかししっかりと敵に届いた。

 紅の巨体の胴を裂き、足を裂き、尾を裂き、翼を裂く。

『これは……己の攻撃の事象を歪めおったか!!』

 “当たっていない”という事象を“当てている”という事象に置き換える。

 故に今の彼女の攻撃はどうやっても紅の龍に当たるのだ。

『嘗てより強くなっておる!! 貴様! これまでにどれ程の事象を喰らった!!』

 そんな事覚えているはずが無い。

 “私”以外は粕、糟、滓。

 だからこの目障りな龍も……。

「━━━━消えてよ、カス」

 龍は憤怒の声を上げて羽根を飛ばす。

 しかしその攻撃は彼女に届く事は無かった。

 全てが突然に消失したのだ。

『空間を歪めおったな!?』

 そうだ、自分はもうその“領域”まで来たのだ。

目指すはさらにその上、この檻を越え、全ての始まりの地へ。

 驪竜は跳躍した。

 なんてことは無い縦方向への跳躍。

しかしその体は幾つも龍の眼前に現れる。

 その全てがあったかもしれない“私”。それを歪め、現出させ攻撃を叩き込む。

「さあ、終わりよ。安心してね、“他の連中”も直ぐに送ってあげるから」

 直後龍が翼を広げた。風が吹き荒れ、空洞全てを飲み込んでいく大気の渦。

『嘗めるなよ!! 小娘があ!!』

 

 

 

・━━風は灼熱となる。

 

 

 

 空洞を飲み込む灼熱が一気に広がり全てを紅へと変えた。

 

***

 

 全てを溶かし尽くし“紅天の頂”は己の勝利を確信した。

 相手が事象を歪ませ攻撃を防ぐのなら、防ぎようの無い一撃を加えれば良いのだ。

 敵にとって場所も悪かった。

 広い地上であれば“回避の可能性”はあったがこの閉鎖空間ではそんなものは無い。

 数千年ぶりの戦いに重い疲労を感じる。

“概念”を使った事によってほぼ全ての力を使い果たし、満身創痍だ。

だが敵は屠った。

 永年にわたって争ってきた敵はようやく斃れ、散っていった多くの同胞の敵を討てたのだ。

━━これで後は“白”に任せればよいか。

 そう思い、眠りにつこうとしたした瞬間それは来た。

 黒の流体槍。

 長く尖ったそれは突然に現れ此方の胸を貫く。

『なん……じゃと……』

 溶岩の上、敵が立っていた。

 彼女は身に纏っていたマントを失い、一糸纏わぬ姿で歪んだ笑みを浮かべて立っている。

 無傷であった。

 傷一つ火傷一つ負わず彼女は勝利を確信した表情で此方を見上げる。

━━何が起きた? 何故無事なのだ!?

 敵の“概念”ではアレは防げない。ならば何故? そこで思い至る。

我々が一番恐れていた状況を。

『貴様っ!! 何を喰らった!?』

 直後、光りが空間を包んだ。

 閃光の中聞えたのは掠れた声だ。

 

 

 

・━━□□は□を□する。

 

 

 

 空洞が崩れ、溶岩が溢れる。

そして穴から溢れた溶岩は地上へ向けて飛び出した。

 大地を砕き、紅の海が夜の空に噴出す。

 午後八時十分。

 九州南部、桜島にて突然の大噴火が始まるのであった。


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