有馬記念を越えて、ハルウララはたしかに勝利を手にした。

そして、ハルウララとの契約が終わり。

トレーナーはハルウララに有馬記念優勝を送った天才トレーナーとして話題の中心人物だった。

しかし……

1 / 1
冬を越えて、うららかな春が来る

「夢のグランプリを制したのはハルウララ! 年末最後の大一番を制し、栄光のセンターの座を手に入れた!」

 

 高らかに、実況にその声を読み上げられる。

 

 彼女は嬉しそうに、こちらに手を上げ大きく振ってみせる。

 

 こうして、ハルウララとの3年は終わりを迎えた。

 

 

 

 

   * * *

 

 

 

 

 

「――さんっ! あのっ、これ……!」

 

「すみません、その、こちらを」

 

 複数人のウマ娘たちが集まってくる。その手には皆同じ紙を持っていた。

 

「その、申し訳ないが受けられない。……すまない」

 

 そう伝えると、彼女たちは「そうですよね……」「やっぱり……」と言いながら、肩を落として帰っていく。

 

 彼女たちが持っていたのは専属トレーナーの契約書だった。

 

「やっぱりあれじゃない? もう既に見込みのあるウマ娘と契約が決まってるんじゃないかな」

 

「そうだよねぇ、あの――トレーナーだもんね」

 

 そんな言葉を後ろに、俺はゆっくりとトレーナー寮へと足を進めていく。

 その途中にもまた別なウマ娘に声をかけられては断り、声をかけられては断る。

 そのたびに、そのたびに、後ろめたさの鎖が足首を絡め取り、歩みが重くなっていく。

 

「――トレーナー」

 

 落ち着いた声色で呼びかけられる。

 

「……樫本代理」

 

「今はただの一般トレーナーですよ」

 

「そうでしたね、失礼しました」

 

 俺がそう謝ると、樫本さんは「別に構いませんよ」と言ってくれる。

 

「聞きましたよ。貴方まだ担当が……」

 

「すみません、ここだとその」

 

 樫本さんの言葉を、思わず遮ってしまう。

 校舎の出入り口付近とはいえ、周りにウマ娘が何人かいる。

 

「……そうでしたね。向こうで話しましょうか」

 

 察してくれたようで、樫本さんが横に並ぶ。そのままふたり揃って歩き始める。

 足取りは、未だ重いまま。しかし彼女が忙しい人間というのは理解している。無理にでも足を前に出して速く歩こうとする。

 

「今はもう勤務外で、このあとの時間には余裕があります」

 

「……ありがとうございます」

 

 ゆっくりと、ゆっくりと歩みを進める。その間、会話はない。

 そうしてたどり着いたトレーナー寮。

 

「原則ウマ娘たちはここには来ないはずです。特に担当がつく前の娘はなおさら」

 

「……そうですね」

 

 共用廊下に設置されているソファに誘導され、腰を掛ける。

 樫本さんも横に座る。

 

「それで先程の話の続きなんですが、なぜ貴方ともあろう方にまだ担当ウマ娘がついていないんですか」

 

「それは……」

 

「貴方であれば、たくさんの娘が希望して担当されに来るでしょう? 事実先程も」

 

「それは、そうなんですけど」

 

 あの日、ハルウララは優勝した。有馬記念をみごと勝ち取った。

 勝利は絶望的、記念出走などと言われに言われた下馬評を全て覆して、彼女は世間を騒然とさせた。

 

 そうしてメディアは取りあげた。ハルウララに有馬記念を()()()()()()()()と。

 

「こんな言い方はよくはありませんが、貴方であれば担当を選ぶことも可能でしょう。将来が有望な娘もたくさんいます。それなのに、なぜ?」

 

「それは……」

 

 理由を説明しようとするが、思わず口籠ってしまう。

 何も言えずに俯いてしまう俺に、樫本さんは怒らず話しかけてくれる。

 

「もし、貴方にトレーナーとしてウマ娘を導く資格がないと思うのであれば、それは間違いです。いや、そういった思考に陥っているという点では、トレーナー失格ですが」

 

 それは一度おいておいて。と、彼女は続ける。

 

「貴方はメディアに露見するたびに、凄いのは自分ではなくハルウララだと言っていました。確かに彼女は凄いです。けれど、それだけでは彼女はここまで来れなかったでしょう」

 

「…………」

 

「これは、貴方の同僚からの言葉であり、ある程度近い距離から見ていた人間からの言葉です。貴方のやり方は、傍から見ると確かに褒められたものではなかったかもしれません。しかし、結果が物語っています」

 

 それは、そうなのかもしれない。けれど……、

 

「どれだけ優秀なトレーナーでも、ウマ娘でも、その間に信頼がなければ強くはなれません」

 

 ゆっくりと、諭すような声で。

 静かに、ただ静かに。彼女は願い、乞うように。

 

「どうか、どうか自棄にならず、前を向いてください」

 

 そう言った。

 

 

 

 

 

     * * *

 

 

 

 

 

 樫本さんと別れ、自室へとたどり着く。

 持っていた荷物を机に置き、イスに腰掛ける。

 

 ああは言われたが、正直なところ、トレーナーを続けられる自信はない。

 

 なんの気無しにつけたテレビに、ハルウララが映る。特集だった。放送される彼女の打ち立てた輝かしい戦績。それは彼女の努力の賜物であり、とても喜ばしいものだった。

 ……次いで流れた内容。それを見て、俺は急ぎトイレへと向かった。

 

 乱雑に扉を開け放ち、便器の蓋を上げる。

 

「うっ、おぇ……、あがっ、うっ……」

 

 吐瀉物……とはいっても、ただただひたすらな胃酸が腹を突き上げ、口から漏れ出す。

 

「うっ、げほっ、かはっ……」

 

 喉が焼けるような感覚に襲われる。一時、吐き気が収まったのを感じて、うがいをするために立ち上がる。

 

 ふらり、体が右に引っ張られる。……否、体がよろめく。急に立ち上がったこともあってか、右足の力が抜けたようだった。

 

 気づいたものの、時すでに遅し。体はそのまま倒れていき、壁に頭を打ち付ける。

 

 そうして、意識がだんだんと手元を離れ……て………。

 

 

 

 夢を見た。

 

 最悪な夢だった。

 

 

 

 ケガ寸前になるまでのトレーニングを強いる。

 どう考えても疲れが取れていないのに出走する。

 

 そんなトレーナーの夢だった。

 

 彼はウマ娘に無茶苦茶な要望を告げ続けた。

 彼女は必死にそれに食らいついた。

 

 どれだけ辛かっただろうか。

 どれだけ苦しかっただろうか。

 

 どれだけ痛かっただろうか。

 

 そうして勝ち取った数多の勝利。

 

 そんな勝利たちを称賛されるのは、彼女ではなく、

 トレーナーの方だった。

 

 彼はトレーニング内容を告げた。

 彼は出走を命じた。

 

 彼がしたのはそれだけだったのにも関わらず、努力を、ただひたすらに努力をした彼女に観衆は目を向けなかった。

 

 そして、そんなトレーナーこそが、

 

 紛れもない俺自身だった。

 

 

 

 最初は、彼女のひとことだった。

 

『勝ちたい』

 

 その言葉を叶えてやろうという気持ちだった。

 

 そしてそれは、現実は、そう簡単ではなく、目の前に立ちはだかったのは首が痛くなるほどの絶壁だった。

 

 正直なところ、彼女は弱かった。

 このままだとGⅠはおろか、GⅢ……いや、オープン戦すら危ういかというような状況だった、

 当時から彼女は『なぜトレセンに入学できたのかわからない』だの『十数年に一度の逆逸材』だの、言われたい放題だった。

 挙げ句、同僚は彼女の担当になった俺に『貧乏クジ掴まされて大変だな』と、からかった。

 

 それが、ただただひたすらに許せなかった。

 

 そして、彼女の願いを叶えることをより強く決心した俺は、使えるものは全て使うことにした。

 学園内の施設はもちろんのこと、彼女の()()までもを利用した。

 彼女は、辛いこと、苦しいことを経験しても翌日にはすぐ忘れてしまっていた。

 どれだけ無理な練習を、どれだけ続けても、翌日になれば彼女は元気になっていた。

 もちろん、体はそんなことはない。ただ、彼女の精神はどれだけ練習を積んでも、削れることはなかった。

 そして、俺は彼女に限界ギリギリの練習を、超がつくほどの連戦を。

 彼女が、辛く苦しくても、それでもトレーニングを続けた。

 

 恨んでくれたら、どれだけ楽だったろうか。

 抵抗してくれたら、どれだけ楽だったろうか。

 

 無茶苦茶すぎる練習に彼女は応えてくれた。

 文句1つ言わず、ただただひたすらに、純真な笑顔で。

 

 そんな、無垢な彼女を利用した自分自身が許せなかった。

 

 たしかに、彼女を勝たせるためには必要なことだったのだろう。

 だがしかし、途中から目的がズレてはいなかっただろうか。

 彼女を勝たせたかったのは本当だ。事実だ。

 

 けれど、それと同時に、いや、それ以上に。

 

 彼女のことをバカにした人たちを見返してやりたいと、そう思っていたのではないだろうか。

 そして、そんなことをハルウララ、彼女が望んでいたのだろうか。

 

 いや、きっと、彼女は……。

 

 ……結局、俺は彼女の思いを理由に、盾に、自身の私情を叶えようとしただけなんだ。

 彼女の願いを利用して、自分の願いを叶えるために。

 

 そして、そのために賭けたのは、彼女の選手人生。彼女の体。

 

 こんなこと、許されるはずがない。

 こんなことをするやつが、トレーナーであってはいけない。

 

 ハルウララは、頑張った。頑張って、頑張って、頑張って。そして、勝利を手にした。

 しかし、彼女は奇跡的な例なのだ。現実はそんなにうまくはいかない。

 

 彼女の評価評判を聞いて、それに勝手に怒り、平常心を失った。そして、その怒りのツケはウマ娘へと向かう。

 そんなやつがトレーナーを続けようものなら、いつか担当したウマ娘に甚大な被害が訪れる。

 未来ある彼女たちの、その人生を潰すことになる。

 

『どうか、どうか自棄にならず、前を向いてください』

 

 樫本トレーナーの言葉が、目の前に現れる。

 

 すみません、けれど、でも、

 

 もう、俺にはトレーナーをやれるとは到底……。

 

 

 

 コンコンコンッ! コンコンコンッ! ドアが激しくノックされる。

 

「――トレーナーッ! ――トレーナー!!!」

 

 そんな叫び声が聞こえて、一気に現実に引き戻される。

 どうやら、トイレと廊下の境目に倒れていたようだった。痛む頭を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

「ハルウララさんが!」

 

 その言葉に、意識が覚醒する。

 まだうまく力が入らない体に鞭打って、無理矢理に体を動かす。

 

 ドアを開けると、そこには血相を変えたウマ娘がいた。

 

「――トレーナー、ハルウララさんが、ケガを!!!」

 

 

 

 

 

      * * *

 

 

 

 

 

 それからというものの、よく覚えてはいない。

 誘導されるままにただただひたすらに走り続けたのは覚えている。

 

 そうして気づいたときには、ハルウララの元にいた。

 

「ハルウララ!」

 

 そう叫び、彼女の近くによる。

 

「あははー、ごめんねトレーナー。ケガしちゃった」

 

 そういって差し出された脚をゆっくりと観察する。

 軽く診た感じではケガの程度は深刻という程ではなさそうだった。

 とはいえ、足首を強く捻挫しているようではあった。とりあえず、保健室でしっかりと様子を見る必要があるだろう。

 

「歩くのは、キツイだろう。そうだな……」

 

 俺が背負ったり抱きかかえればいいといえばいいのだが、いちおう少し前まで指導者と生徒の立場だったことからややためらわれ、何か別の方法を探す。

 

「大丈夫だよ、これくらいなら全然歩けるから!」

 

 屈託のない笑顔でそう言い放つ彼女に、俺は胸の奥を刺されるような痛みを感じる。

 彼女は今まで、どれほどの痛みを抱えながら「大丈夫」と言い続けていたのだろうか。

 そう思い、俯いていると「どうしたの? トレーナー」とハルウララが声をかけてくる。

 

「あっ、もしかしてケガしたこと怒ってる?」

 

「いや、そんなことはない。それより、今は自分の体のことを……」

 

 ハルウララは、俺の言葉を遮るようにして語る。

 

「あのね、私、トレーナーに教えてもらってたみたいに頑張ろーって思って、やってみてたんだけどね。やっぱり私ひとりじゃダメみたい」

 

「トレーナーは、もう私のトレーナーじゃない? けど、また時間があるときでいいから一緒にトレーニングしてほしーな!」

 

 彼女は、そう言う。「トレーナーがトレーナーじゃないって、なんか変な感じだね!」と。彼女は笑ってみせた。

 

「……俺のトレーニング、辛くなかったのか? 大変じゃなかったのか?」

 

「うーんとね、覚えてない! でも、トレーナーがとっても頑張って考えて、私のことしっかり見てくれて、それで私が強くなれるよーにってしてくれてたのは覚えてるよ!」

 

 言葉が、出ない。

 

 俺は、俺は。どうすれば……。

 

「前を向いてください」

 

 隣から、声が聞こえた。

 

「ウマ娘のできることを客観的に捉え、それを指示するのもトレーナーとしての役目です。彼女の体の限界を見定め、それに合わせて指導するのは正しい行いです」

 

「樫本トレーナー……」

 

 彼女は、一緒に来ていたファーストのメンバーに、ハルウララの搬送を命じた。

 ハルウララの姿を見送り、その場には俺と樫本さんだけが残った。

 

「傍から見れば無茶で無謀。ウマ娘の体を重んじていない。そう評価されるのも無理は無いような指導内容だったのは紛れもない事実」

 

 実際、同じようにと実践してみたハルウララがケガをしてしまった。樫本さんは、そう続ける。

 

「ですが、それと同時にそれは貴方が彼女の願いを叶えるために必要だと判断したことであり、その練習はハルウララにとって必要な練習だったと私は思っています」

 

「……たしかに、勝つために必要だと思って指示をした内容ではあります。けれど、けれど。……私は自分の願いのために彼女を利用しました」

 

 俺がそう言うと、彼女は優しい声で返してくれた。

 

「私も、同じですよ。――トレーナー」

 

 目を伏せたその表情は、少し歪む。

 

「徹底管理主義を掲げ、その正しさを示すためだけにファーストの皆を利用した。私が行っていた育成はそういったものでした」

 

 嫌なことを思い出すように、彼女は絞り出した。

 

「けれど、言い方によれば自分の信じるやり方で彼女たちを導いた、とも言えます。結局は表現の仕方なんです。それで聞こえ方は良くだって、悪くだってなります」

 

 ハルウララの思いを利用したとも言えるし、彼女の願いを叶えるために尽力したとも言える。

 

「動機なんて、建前なんてなんだっていいんです。大切なのはトレーナーとウマ娘の間に確かな信頼関係を築くこと。その道程の貴賤なんて存外本人は気にしていないものですよ」

 

 結局、お互いにとって利点があったのであれば、それでいいではありませんか。そこになにも不利益なんて起こっていない。

 

「そして、これはフォローをするわけではありませんが、貴方の同僚としての言葉です」

 

 スッと立ち上がった彼女は、くるりとこちらを向く。

 

「他のウマ娘を担当したときに無理をさせて潰してしまうのじゃないかとか悩んでいるかもしれませんが、貴方の目は確かです。その限界を見極める力はホンモノです」

 

 それは、彼女……ハルウララが証明してくれています。

 

「それでもやりすぎと感じた場合は、私だって止めますし」

 

 これでも徹底管理を掲げていた人間ですからね。そのあたりについては得意分野です、任せてください。

 そう冗談めかしながら、樫本さんは手を差し伸べてくれる。

 

「安心してください。貴方は、貴方が思っているほどひとりではありません。私もいますし、なによりハルウララがいます」

 

 だから、前を向いてください。

 

「――トレーナー」

 

 

 

 

 

     * * *

 

 

 

 

 

「それじゃあ追加で坂路行くぞー!」

 

「えー! もう無理ですってー!」

 

「大丈夫だ、壊れる寸前で止めてやるから安心しろー」

 

「わー、ひどーい。パワハラだー!」

 

「――トレーナー、調子はどうですか?」

 

「樫本トレーナー。見てのとおりです。まだまだ荒いですが、いい原石です。きっと最高の輝きを見せてくれますよ」

 

「それは楽しみですね。と、今日はそれだけじゃないんです。――トレーナーに、来客ですよ」

 

「トレーナー、久しぶり! 遊びに来たよー!」

 

「……ああ、久しぶりだな。ハルウララ」


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。