多くの人の期待を背負って。多くの人の特別となって。
けれど、藤丸立香は折れてしまったのです。
前に進むことも、立ち上がることも、出来なくなったのです。

※バッドエンド注意

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少しだけ心が弱かった藤丸立香

 暗い、暗い部屋の片隅で。

 綺麗に整えられたベットの隣で、影が懺悔するかのように独りごちる。

 

「すみません、先輩。私では…先輩を救えない」

 

 ごめんなさい、ごめんなさい、と。影は壊れたスピーカーのように同じ言葉を吐き出し続ける。

 やがて、影は痛ましげに“それ”から顔を背ける。最早人とは呼べぬ“それ”を、これ以上直視したくはなかったから。

 けれど、影はぎゅっと目を瞑りながら、また顔を上げる。“それ”を見続ける義務があるかのように。

 

「殺すことがせめてもの救いだと知っていながら、私には先輩を殺すことすら出来ません。先輩、私を罵ってください。私を嘲ってください。私を叱ってください。お願いです…お願いですから…」

 

──起き上がってはくれませんか。

 

 そんな願いが、暗闇へと解けていった。

 今すぐにでも、立ち上がって欲しい。そしてその強い意志が込められた瞳で見つめてほしい。何も成せない私を叱って欲しい。

 だが、そんなことありえはしない。

 

──藤丸立香の旅はもうとっくに、終わったのだから。

 

 凡ゆる魔術、凡ゆる英霊に頼った。全ての英霊の“特別”であった彼女を救うことに否を発する者はいなかった。

 あらゆる英霊たちの献身に、しかし彼女が起き上がることはなかった。脈はある。呼吸も正常だ。魂の存在も確認できる。脳に異常はない。

 小さな万能の天才が涙を零した。医神が匙を投げた。クリミアの天使が。錬金術の祖が。影の国の女王が。コルキスの魔女が。原初の英雄王が。

 ノウム・カルデアに存在するどの英霊も、彼女を救うには至らなかった。

 だからこそ、影に出来たのはたった一つ、祈ることだけだった。

 

「先輩…どうか…どうか、死なないでください」

 

 

・・・・・・

 

 

 そんな中で藤丸立香は。

 その全てを聞いて、見て。それでも尚、立ち上がる気にはなれなかった。彼女は膝を抱えて、親を失くした迷子のように、蹲っていた。

 事実、彼女は道を見失っていた。

 

「私にこれ以上どうしろってのさ…」

 

 脳裏に、かつての記憶がよぎる。それは、こんな場所で僅かな仲間達と共に戦うよりもっと前の、些細な、本当に些細な幸せな日々の記憶だった。

 

 頑張って朝早く起きて。

 学校で仲の良い友人達と笑い合って。

 うるさい弟や妹達を叱りつけ、仕事に忙しい両親の代わりに料理を作って。

 寝る前に、明日の事を考えて。

 そうして、穏やかな微睡みに落ちていく。

 

 そんな、代わり映えしない普通の毎日が、何より好きだった。その為になら、いくらでも戦えた。私をいつでも支えてくれる後輩や、カルデアの皆の為、と言う理由もあったけど、一番はやっぱり自分の為だった。

 こう思うと、私はどこまでも普通なんだなぁ、と思わずにはいられない。これまで出会った英雄達は、正しく“ヒーロー”だった。自らを顧みず、見ず知らずの相手の為に戦える彼らが、ただただ眩しかった。羨ましかった。

 

 そして、普通な私には耐えきれなかったのだ。私には余りにも重すぎた。期待が、憐憫が、そしてなにより、誰かの“特別”であることが。

 

 もし、私に他の者にはない素晴らしい才覚があったのならば。私はこれほど多くの英霊達の“特別”にはなり得なかっただろう。それどころか、誰の特別にもなれない、なんてのもあり得ただろう。

 私は普通であるが故に。彼らの特別たり得たのだ。

 

 分かっている、分かっているのだ。

 けれど、想像せずにはいられない。もし、私に他の者にはない素晴らしい才覚があったのならば。私はこれほど多くの英霊達の“特別”であることを誇りに思えただろう。

 でも決して、私は特別ではないのだ。

 要するに、私は怯えているのだ。

 “普通”の私が、誰かの“特別”たる資格があるのだろうか、と。

 

「私だって、すごい力が欲しかった」

 

 私には、何もない。

 孔明のような明晰な頭脳も。アルトリアのような絶対的な力も。ギルガメッシュのような暴力的なまでのカリスマも。巌窟王のような不屈の精神も。

 何も、ない。

 唯一あるとすればそれは、誰にでも物怖じせずに話しかけることができる肝っ玉の太さぐらいであろうか。

 

「私だって、特別になりたかった」

 

 他者に依存する“特別”ではなく、自らが“特別”と呼ばれる存在になりたい。

 とは言え、“特別”は特別であるが故に特別と呼ばれる訳で。いくらたくさんの特別に囲まれた所で、なんの才能も持たない私が平均以上になれるはずもなかった。

 

 それでも。

 それでも、こんな醜く愚かな劣等感を抱きながらも、なんとか人理修復を成し遂げた。私一人では不可能だった。英霊達だけでも不可能だった。私がいたから、英霊がいたから、カルデアの仲間たちがいたから、世界を取り戻すことができた。

 そして、人理修復が“特別”なものであることは間違いなかった。その事実は、私に自信をくれた。

 私は“特別”なんだって。英霊のマスターたる資格があったんだって。そう、信じられたから。

 

──でも、違った。

 

 本物の“特別”を見た。

 Aチーム、或いは、クリプター。

 彼らは、“特別”なマスターだった。

 そんな彼らがたった一つだけ、私と違ったことは、ただひたすらに、運がなかったことだ。もし彼らが殺されなければ。彼らは必ず、世界を救っただろう。

 そうして、私は気づいた。私はただ、運が良かっただけの“普通”なんだって。

 

 一人は、努力の天才という“特別”だった。彼は諦めを知らなかった。嫉妬し、焦がれながらも努力をやめなかった。

 一人は、魔眼を持つ“特別”だった。その瞳は剪定されたはずの巨人の王すら見通し、現代の戦乙女と呼ばれるに相応しい実力を持っていた。

 一人は、永久の命を持つ“特別”だった。人間を憎みながらも、人を愛した吸血鬼。彼女は愛の為に、その身を捧げた。

 一人は、誰よりも義理に厚い“特別”だった。彼はいつでも変わらず、楽しげに笑っていた。だからこそ、彼の周りには涙なんてなかった。

 

 一人は、“特別”だった。

 彼を言葉で飾る行為に意味はない。彼にはあらゆる賛辞が当てはまるし、あらゆる罵倒は届かない。

 彼は、人間を信じた。“普通”の人間を。どこまでも脆弱で、どこまでも愚かな人間を何故あそこまで信じることができたのか。私にはもう、分からない。

 それでも一つ、確かに分かることがあった。

 彼の期待もまた、私に向けられているということだけは。

 

 そして。

 厳烈なる自然に立ち向かってきたロシア異聞帯。

 痛みを知らない無垢なる北欧異聞帯。

 唯々諾々と皇帝に従ってきた中国異聞帯。

 邪悪を忘れ、ひたすらに廻ったインド異聞帯。

 神に縋り不死を手にした大西洋異聞帯。

 

 そして、そこで生きてきた者たち。

 パッシィ。

 ゲルダ。

 始皇帝。

 アーシャ。

 マカリオス、アデーレ。

 彼らだけではなく、私が異聞帯で出会った全ての人が。

 

 誰もが、私を見つめる。誰もが、私を責めない。誰もが、私を励ます。

 それがどうしようもなく嫌だった。

 何故自分ごと世界が殺されるのに、殺した相手を責めないのだ。意味が分からない。気味が悪い。どうかしている。

 人間とは、そんな生き物ではない筈だ。みっともなく足掻き、相手を蹴落とし、罵倒し、醜く生にしがみつく。それは普通の人間である私が一番良く知っている。

 なのに何故。何故、彼らはああも美しいのだろう。その輝きに、瞳が潰されそうになる。その眼差しに、臓腑が掻き混ぜられたような気分になる。

 どうしようもなく怖気がして。どうしようもなく吐き気がする。

 

 異聞帯を一つ取り除くたび、心が軋む。幾百、幾万の人間たちを犠牲にして、前に進む。そして前に進むたびに増えていく、期待。

 私には、耐えられなかった。

 

──だから、逃げたのか?

 

 唐突に響いた声に、少し驚く。でもそろそろ来るだろうと予想はしていた。そんなに長く引きこもっていられる訳がないって。

 

「うん」

 

 我が儘はもう終わり。そろそろ皆の所へ帰らなきゃ、なんて思って。そうして、立ち上がろうとして。

 でも、立ち上がれなかった。膝が震えていた。理性では戻らないと、なんて思っていても体が操作を受け付けない。まるで石膏で固められたかのようにピクリとも動かない。

 何故、と思う。

 もう一度、カルデアのみんなの顔を思い出す。

 ダ・ヴィンチちゃん、ホームズ、新所長、ムニエル、キャプテンネモ、シオン、カワタ、オクタヴィア、トマリン、チン、カヤン、エルロン、マーカス。

 そして、マシュ。

 

 そうしたら、また彼らのためにも動き出せるはず、なんて思っていた。そうして、もう一度立ち上がろうとして。

 フッ、と。力が抜けた。どすんと、尻餅をつく。

 

「え」

 

 なんて間の抜けた声が溢れる。

 だって、立ち上がれないなんて、想像だにしていなかったから。いつものようにまた立ち上がれるはずだったのに。

 

 そうして、気付いた。

 私の心が立ち上がるのを拒絶していることに。

 

「なんで…!私は…!」

 

 世界を救わなきゃ、と言おうとして。そんな気持ちはカケラも存在していないことに気付く。藤丸立香は世界を救わなきゃいけないのに。どんな困難も、苦難も乗り越えて最後にはハッピーエンド。それが私の役割なのに。

 でも、私はもう、疲れ切っていた。バッドエンドでも良いじゃないか、私は十分にやったじゃないか、なんて思いが、溢れて止まらなかった。

 そうして、理解してしまった。

 私の旅はここで終わりだということを。

 

 そして、私に問いかけてきた声の主に弁明するように呟く。そうしたらまた立ち上がれるかも、励ましてくれるかも、なんて淡い期待を抱いて。

 

「普通の私には人理修復なんて荷が重すぎたんだよ」

 

──既に一度成し遂げたのにか?

 

 声色は、優しかった。

 

「そんなの、ただの偶然だよ。奇跡は2度も起きない。それに、あなた達が助けてくれた」

 

──お前は未だ生きている。これは奇跡ではないのか?

 

 幼児(おさなご)を諭すように、優しく、優しく問いかけてくる。

 

「奇跡なんかじゃないよ。これは必然。たとえ死んでも私を生かそうとする人がいるから、私は死ななかった。ただそれだけ」

 

──ならば、今回は?

 

 やめてくれ。

 

「だから未だに死ねてないんだよね。やっぱり誰かの特別なんてなるもんじゃないよ」

 

──責任を放棄するのか?

 

 分かっている。この行動がどうしようもなく無責任であることは。

 

「そうだよ?そもそも70億人の命をたった一人に背負わすなっての。一人が支えられるのは一人だけなんだから」

 

──お前の家族は、友人は。お前が立ち止まれば、彼らは決して戻らない。

 

 その程度、私とて分かっているのだ。

 

「そんなの今まで5回もやってきたじゃん。いつも通りに切り捨てるだけだよ。今回はちょっと知り合いが多いだけ」

 

 声の主が、私を責めるつもりがないことはよく分かる。でも、その事実が何より私を責めたてる。貴方にとって、人間とは大嫌いなもので。そして同時に、何より尊いもので。

 そんな貴方が、人間より私なんかを優先する。それがやっぱり、辛かった。

 

──お前はどうするつもりだ?

 

 そんな私の内心を察したのだろうか。少し、声の調子が変わる。

 

「どうするって、何を?」

 

──此処で朽ちるのか、否か。

 

 私は、どうすべきなのだろう。

 冷静に考えれば、私は目覚めなければならない。世界を救うことの、何を躊躇うことがあるのだろう。

 

 けれども、私の心はもうとっくに折れてしまっていたようだ。私だけがそれに気付かず、迎えが来る頃には立ち上がれるようになると信じていた。

 なんて滑稽で、なんて無様で、なんて愚かなのだろうか。

 だから、この物語は此処で終わるのだ。

 

「私はもう、無理だよ。マシュみたいにはなれない」

 

──そうか。

 

 その言葉を最後に、気配が遠ざかっていくのを感じる。彼は優しいから、きっと私を一人にさせてくれたのだろう。

 

 そうして、私は一人、暗闇の中で蹲る。彼は、そんな私をずっと見つめているのだろう。

 他の英霊達もまた、同様に。

 

 そうして、暗闇の中で足を組んで、下を向いて。ずっと、そうしていた。

 ずっと。ずっと。

 



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