己を徹底的に痛めつけるのが大好きな超絶ドMウマ娘は周りから世界一の努力家と勘違いされている 作:座敷猫いおり
「ねえキング……今日の阪神のメインレースってさ、
「GⅢの朝日チャレンジカップ*1よ」
でも、そう思う気持ちは私も分かるわスカイさん……と、どこか呆けたような面持ちでキングは
人。
人、人、人、人、人――凄まじい人波でありとんでもない人混みだ。いや勿論、日曜日の
しかも今日は小雨といえど雨が降っているし、この後はさらに天気が崩れる予報だ。屋内はすでに入りきれない程の人集りで屋外に追いやられるのは仕方ないと言えば仕方ないが、そんな状況ならいつもはお客さんは帰っているか来ない。
にも関わらず、すでに阪神レース場のキャパシティの限界を迎えつつあるのに、まだまだ人はやってくる。というか今日日GⅠだってここまで人は集まらない。セイウンスカイは口から思わずなんだコレと零れそうになった。とはいえ今日に限ってやたら観客が多い理由ははっきりしているのだが。
メインレースや他のレースに出場するウマ娘達には申し訳ないと思えども、おそらくこの観客の大半の目的は、とある1人のウマ娘がお目当だろう。何を隠そう自分達もその1人のウマ娘を応援する為だけにトレセン学園からやってきたのだから。
「ゴールデンタイムのオグタマの宣伝効果って、やっぱ凄い。それと白毛の話題性?」
「おかげでグリントさんは数日目が死んでいたわね……」
うん、死んでたね、無表情で――まあグリントが無表情なのはいつものことだが。
事の発端は現在の日本でNo.1の知名度と人気を持つアイドルウマ娘オグリキャップと、その相方的存在であるタマモクロスが地上波テレビの生放送で一番注目しているウマ娘としてホワイトグリントの名前を出してしまったことに尽きる。
人離れが進んだと言われていても腐ってもメディアの一角に君臨するテレビ放送だ。しかも発言者がオグリキャップ。その影響力と来たらSNSなどのサジェストがしばらく『ホワイトグリント』とか『白毛』という単語で埋め尽くされた程だった。ネットニュースでも何回謎の白毛のウマ娘と特集記事が組まれたのかわからない。
そして本日、その話題の白いウマ娘が初めてレースに出る。
「ねーおとうさん! しろいウマむすめさんはいつでてくるの!」
「ははは、あと二回レースが終わったらちゃんと出て来てくれるから、他のウマ娘ちゃんを応援しながらもう少し待とうな」
「きれいなおねえさんかなー」
「ああ、ウマ娘ちゃんなんだからきっと綺麗な子さ……と思うんだけど、何故かネットで調べても写真も何も出て来ないから、ひょっとしたらあんまりかも……」
セイウンスカイ達の耳に入って来たのは、オグリキャップのぬいぐるみを大事そうに抱える、雨合羽を着込んだ小さな女の子を肩車して白毛のウマ娘を待ちわびる親子の会話。
「ふっ。あまりの私達のグリントの綺麗さに、あのお父さん腰を抜かさないといいけどね」
「スカイさんはグリントさんの何なの? 後方何面なのよそれは」
強いて言えば後方クラスメイト面で自慢気にするセイウンスカイにキングヘイローはツッコミを入れながら、しかし現代ではネットでもレースが見れる時代に、雨模様でこれだけの人数が集まったのはあの父親が呟いたようにホワイトグリントの
元々、トレセン学園に入学出来るようなウマ娘は小学年レースなどで活躍したり実績があるウマ娘ばかり。そうで無くてもトレセン学園で大々的に行われる年4回の選抜レースなどは一般競バファンの観戦も許されているのもあって、普通は中央レースに出走できるようなウマ娘の情報がまるでないなどという状況は滅多にない事なのだ。
しかし、ホワイトグリントというウマ娘の情報はない。白毛というだけで話題になる程の毛色であるのにまるでない。このネット社会でどれだけ調べても、ない。
学園関係者以外の者からすれば、今話題のホワイトグリントはあまりにもミステリアスな存在であるといえるのだ。そんな状況が、オグリキャップ一押しの謎の白毛のウマ娘を一目見たい、と考える人を後押ししているのだろう。
「グリントさんは選抜レースも出ずにトレーナー契約を結んでいたし、SNSも一切やらないものね」
「一緒に写真とか取るのは断らないけど、ウマスタとかに上げるのは止めてねってタイプだしねぇ」
きっと生まれついての珍しい白毛で幼い頃から目立っていた為、過度に目立つのが嫌いなのだろうとキング達クラスメイトはそう判断している。奥ゆかしいといえばいいのか、ホワイトグリントというウマ娘はそういうタイプだった。
「わー! シホちゃんも来てたんだ! 久しぶり!」
「うん、久しぶりカナちゃん。だってオグリキャップの最推しのウマ娘だもの、そりゃ応援しなきゃ」
――おお、
元々競バのファン層は男女比が男性にかなり偏っていた。女性とて可愛いもの美しいもの、アイドル的なものは好きだし、決して少なかったわけではないのだがそれでもわざわざレース場まで足を運ぶ女性ファンは珍しかったのである。しかしオグリキャップブームが一世を風靡すると、その少なかったはずの女性客までわんさかレース場に現れるようになった。その通称がオグリギャル。競バのルールや常識を変えた偉大な芦毛の怪物は、そのファン層すら変えてしまったのである。
しかしそんなオグリギャル達もオグリキャップが引退してから、蜘蛛の子を散らすようにレース場から姿を消した――はずだったのだが。今日に限っては、まるでターフにオグリキャップが帰って来たかの如くギャル達が大集結している有り様だ。
「白毛ちゃん、勝てるかな?」
「勝って欲しいよね! ――でもシホちゃん、調べたんだけど中央レースで白毛のウマ娘が勝った事って、一度もないんだって……それどころか掲示板に入ったことも……」
「あらそうなの……? なら、ウイニングライブを見るのは難しいのかな……」
その言葉にピキッ、コメカミに青筋を立てるキングヘイロー。
「全く! あまりの私達のグリントさんの速さに驚いてその高級なカメラを落とさないといいわね! シャッターチャンスを逃しては一流のカメラマンとは言えないわ」
「キングもいったい何から目線なのさそれは」
■■■
レース場に来るのは、おそらく今日が最後。多分そう思っているのは、私以外のかつてオグリギャルと呼ばれた女性は多いだろう。今日は私達の
オグリキャップというウマ娘のレースを初めて見てから、どっぷりオグリ沼に全身からのめり込んだ女性はそう独り言ちた。競バに飽きたとか、つまらなくなったというわけではないのだ。これからも話題になるようなウマ娘がいればネット動画などで見ることもあるだろう。
でもオグリキャップはもういないじゃない。
全身全霊で応援した、そして愛したオグリキャップは引退したのだ。数年も前に。それからもたまにレース場に来ることはあったが、惰性感が拭えない。どんな可愛らしいウマ娘ちゃんを見ても、どうしてもオグリキャップと比べてしまって、そして重ねて――違うな、と身勝手なのは理解しつつも裏切られた気持ちになってしまえば素直な心で応援する事が難しかった。
オグリキャップが好きだった。オグリキャップが愛おしかった。叶うことならずっと私達の前で走り続けて欲しかった。そんな燃え尽きること無い小さな火種が、心の中でずっと燻り続けている。いや、
そもそも今は競バ以外にも沢山の楽しい娯楽に溢れかえっている世の中だ。一つのジャンルだけに熱中するという事の方が時代に沿っては居ないじゃないか。
だから今日、その女性はそんな思いを精算しに来た。あのオグリキャップが一押しにしているというウマ娘の走りを見届け応援することで、この気持ちに決着をつけようと。勝ってくれたら万々歳だけれど、負けてもきっと納得できるだろうから。
――しかし今日は本当に人が多い。もはや動ける隙間もない。
パドックを見渡せる良い位置を陣取っている彼女が言うのもなんではあったが、ターフビジョンでもスマートフォンでもパドックの中継は見れるのに。あのオグリキャップブームの時代であっても、パドックにすらここまで人が押し寄せた事があったか? 少なくともその女性の記憶にはなかった。
……そうしてしばらくして、新バ戦に出走するウマ娘達が紹介されていき、ついにお目当てのウマ娘の出番だ。
今日を最後に、と決めていても長らく居なかったオグリキャップ以来の心から応援しようと決めたウマ娘である。心が高揚してしまう。ボルテージが上がっていく。ああ、なんだか懐かしい。オグリキャップが居た頃のレース前は、いつもこんな気持だったのだから。
可愛いのだろうか。綺麗なのだろうか。速そうなのだろうか。強そうなのだろうか。白毛といってもどれくらい白いのだろう? 勝てるかな。勝って欲しい。ウイニングライブも見たいな。
『続いて、本日一番人気。話題沸騰、白い彗星のように現れたそのウマ娘、7番ホワイトグリントの――っ!? し、失礼しました、登場です』
――そのウマ娘がパドックから現れた時。
プロの実況者が、一瞬言葉を失った。
「……」
――そのウマ娘がパドックから悠然と歩いて進む時。
先程まで、がやがやと興奮気味で喧騒に満ちていたパドックの観客達が、一斉に口を閉じた。
その初雪のように輝く白毛を携えたウマ娘が、あまりにも――美しかったから。
これだけの大観衆の前で表情一つ動かさないその美貌は、あたかも高名な人形師がその人生を賭して生み出した麗しい西洋人形のよう。足元まで届きそうなほどのロングウェーブの白髪が小雨に濡れた艶めきなど、もはや白銀と言っても過言ではない程に輝いている。豊満な胸の谷間はしかし一切の下品さを感じない黄金の比率で備わっていた。その引き締まったボディラインなど、体操服の上からでも分かるほど美しい。鍛え上げた筋肉が高密度に圧縮されたかのような四肢など思わず抱きついてしまいたくなる。
まるで、
「――綺麗」
綺麗という言葉すら彼女を称するには陳腐に感じてしまうけれど、しかしその言葉を呟いた者はそれ以上の言葉を知らない。胸が焦がれる。脳が焼ける――目の前のウマ娘から目が離せない。
そして。
そして、そして、そして、そして――気の所為だろうか。気の迷いだろうか。勘違いだろうか。ただレース場に来るの最後の事だからと、そう思いたいだけの身勝手な願望なのだろうか。
彼女は何故か――この世で一番愛したウマ娘、オグリキャップに似ていると感じてしまうのは。
初めて競バファンの前に現れたホワイトグリント。そのファーストコンタクトは――数多の声援を受け取るよりも尚、さらにその上を超えて行く物だった。
けれど当の本人は。
(あああああああぁぁぁぁ、凄い、凄い見られてる……! しかもなんか全然盛り上がってない!! なんで!? 白毛だから!? 私がドMだから!? 筋肉ゴリラだから!? 恥ずかしい! 今すぐここから逃げ出したいっ! でも
誰にも悟られる事のないまま、心の中でゾクゾクしてしまい――その気持ちよさから思わず、にこりと
■■■
実際、オグリキャップとタマモクロスは阪神レース場が鮨詰め状態になってしまったこの状況に深く反省している。いや、グリントにも、運営の人達にも、本当に悪かったと思うのだ。自分達に影響力がある事自体は認識しているのだが、それにしたってまさかここまで人が押し寄せると思ってもみない。
「ホンマにすいません……」
「申し訳なかった……」
応援の為とはいえオグタマのような有名人が一般席に居るのはまずい、ということで案内された主賓席で、二人は申し訳無さそうにぺこぺこと頭を下げる。
「いえいえ、頭を上げてくださいオグリキャップさん、タマモクロスさん。むしろ我々
しかしURAのお偉いさんの1人であるその中年の男は、心からの笑顔でそう言って年甲斐もなく浮ついた気持ちが押さえられないようだった。
「オグリ先輩とタマモ先輩がテレビで一声話題にすればこれくらい人は集まって当然ですからね。それに、オグリ先輩が言わなくてもグリントが話題になるのは遅かれ早かれだったでしょう」
えへん、とオグタマの偉大さに心酔するように、自称・ボディーガード兼お手伝いとして着いてきてセットで主賓席に入れて貰ったチーム【ジョーンズ】のウマ娘、ライジングフリートは誇らしげに胸を張る。
「……その、フリート……直接会うのは久しぶりやけど、しばらく見ないうちにえらい変わったんやな……」
「……? そうでしょうか。以前タマモ先輩とお会いした時と、別段何も変わってないと思いますが。身長も体重も変化はないですよ」
いやそこでなく。『白毛LOVE』って刺繍してあるハチマキ巻いて、『レッツゴー! 未来のアイドルウマ娘ホワイトグリント』とかプリントアウトされてるハッピを着て、『グリコ激推し』とか『私の愛バが!』とか書いてあるウチワを二刀流で身につけてレース場に来るようなキャラやったか? おどれ? 一年半の間に何があったんやろうこの子……まあええんやけどとタマモクロスは深く考えないようにフリートから目を逸らす。
「しかし今の中等部には白毛のウマ娘が二人もいる、というのはこちらでも確認していましたがまさかその1人があれほど美しいウマ娘だったとは……凄いですね、スタンドを見てください、ほぼ全員ターフビジョンのパドック映像を見たまま固まっていますよ」
「おー。うちらはもう慣れたもんやったけど、やっぱグリントってとんでもなく別嬪さんなんやなぁ」
「……」
歓声を上げるでもなく絶句するという今まで見たこともない観客の反応にタマモクロスは感心しきりだが、対してオグリキャップはとても静か。
しかしその顔には慈愛が宿った優しい笑顔が浮かんでいて、言葉にせずとも『頑張れホワイトグリント』という気持ちが伝わるようだった。
■■■
あー、
パドックから逃げるように地下バ道へ避難した私は、心を落ち着けるようにパンッ! と大きな音が響くくらい自分の両頬を手で張った。痛気持ちいい! ふぅ頬がヒリヒリして落ち着くな。やっぱり精神的な苦痛も悪くないけれど肉体的な痛みに勝る喜びはない。オグリさんとタマさんの影響でなんか物凄い数の観客が来ちゃったみたいだけど、うん。大丈夫! 目立っても気持ちよくはなれる! 恥ずかしいけど!
いよいよだ。おじいちゃんとトレーナーに捧げるトリプルティアラウマ娘になる為の大事な大事な
でも今日は間違いなく大丈夫だという確信がある。私にはおじいちゃんと
そしてなにより――。
前夜に行ったトレーナーとの最後のミーティングを思い出すように私は目を瞑る。
『メイクデビューの為に作戦は考えた。考えたんだが――すまないグリント、
『……えっと? つまり、今回はノープランで走るということですか』
『出走する他のウマ娘達のデータを参照して、何千何万回とシミュレートしたんだがな。どういう想定をしても、どういうレース展開になろうとも……逃げようと、先行しようと、差そうと、捲くろうと、追い込んだところで――
そう言ってニヒルに笑って私を見つめるトレーナーの目は、とてもゾクゾクしてしまうくらい
『オーダーは一つだ私のビジネスパートナー。好きに走れ、そして好きなだけ――蹂躙しろ』
そのドSな程に凛々しくおどろおどろしい声が耳に入って来る度に身体がガクガクと快楽で震えそうになるのが止まらない。
ああ、本当に私のトレーナーは素敵な人だ! これだけレースの前に私の
――でっかい夢に向かって、さぁ行こう!
それは、うぬぼれなどではなかった。
事実として、そのデビュー戦はレース中に
だから、結果的には勝つ。間違いなど起こらず、ホワイトグリントはメイクデビューを勝利する。
けれどそのメイクデビューが後に『血濡れのメイクデビュー』と語られる様になった原因は――不運な事故が重なったのと、主にホワイトグリントがドMだったから――それに尽きた。