己を徹底的に痛めつけるのが大好きな超絶ドMウマ娘は周りから世界一の努力家と勘違いされている 作:座敷猫いおり
「よう怪物――急に呼び出して悪かったな」
オグリキャップが個室のドアを開けると、そこにはニヒルに笑顔を浮かべるかつての
「久しぶりだな、ろっぺい。気にしないでくれ今はお互いに引退した身だ」
「いよいよ身体にガタが来た
と、六平は指で己が座る
「そのサングラスの下でギラついてる眼で睨まれたら、迎えなんてあと20年は近寄りもしないと思うが」
「くくっ……あの地方から来た天然ウマ娘も冗談が上手くなったもんだ。とりあえずは――茶菓子でも食っていけ」
冗談のつもりはないんだが――とオグリキャップは独り言ちて、六平の後ろへ山のように積まれた茶菓子にきらりと目を光らせた。
「なるほど……つまりそのろっぺいの
もしゃりもしゃりと高級茶菓子の空箱を何十何百と積み重ねながら、穏和なオグリキャップには珍しい他者への攻撃的な批判と不機嫌な顔を隠すことなく彼女は問う。
「それが
「ろっぺいは真相は違う、と考えているのか?」
「
視界を遮るように深々と帽子を被り直しながら、六平はかつて中央で鎬を削った同朋の姿を思い出す。その男は学園を去る最後まで決して名伯楽や名人などという秀でた者に与えられる敬称で呼ばれることはなかったが――。
その見るものすべてが震え上がるような畏怖を宿した目つきを持つその男を多くの者がただシンプルに、たった一文字にて喩えた。
「妄執……?」
「
仕切り直しとお茶を一口飲み込んで潤しながら、六平は机の上に置かれたファイルから数枚の写真を取り出す。そこに写っていたのは
「これがその例のウマ娘――ホワイトグリントだ」
「――」
「本来は俺が直接出向くか『ジョー』の奴に任せるのが筋ってもんだろうが……生憎と俺はこんな
「――」
「だがセンシティブな話だけに適当な奴に任せるわけにもいかん……それにこれは長年トレーナーを続けて来ての
先程からどうにもオグリキャップの反応がない。
「――
「今からか!? いや、引き受けてくれるってんならありがてぇ話だが……」
資料とこの茶菓子は駄賃代わりに貰っていくぞ、とオグリキャップはせっせと口に茶菓子を詰め込んで頬袋をいっぱいにしたリスのようになりながら帰り支度を整え始めて。
「
もごもごと口を動かし六平に向けぐっと親指を立てサムズアップしながら、オグリキャップは軽快な足取りで去っていく。何言ってんのかわかんねぇよ……という六平のツッコミもバ耳東風の有様である。
遠ざかるオグリキャップの背中を眺めながら、六平は静かに呟いた。
「頼んだぜオグリ……奴の
■■■
件の少女――ホワイトグリントの写真を見た時、一目でオグリキャップはその感覚を理解した。これは運命なのだろうと。
かつて食事をするのも忘れて見惚れてしまった
今でも目を瞑れば鮮明に思い出せる。ホーリックスと触れ合った思い出も、ジャパンカップで命を削るような激走を繰り広げたあのレースも……オグリキャップはレースを通して沢山の大切な人達が出来たが、その中でもホーリックスというウマ娘はトレーナーや最大のライバルであり最高の
しかしどうにも今回の感覚はホーリックスの時とは少しだけ異なっていて、わくわくよりもふわふわする気持ちが強い。うまく言葉にできないが、
(早く会ってみたいな……)
資料に載っていた彼女の住所を示すスマートフォンの地図アプリによれば、もうそれほど遠くない場所にたどり着いているらしい。冬が近づき吐息が白くなるこの季節でも体の芯が温かくなるような気持ちを抑えるように、六平から預かった資料に目を通す。
虐待、という言葉の字面の悪さにはいつ見ても気分が悪くなってしまう。六平はそれがスパルタが過ぎて誤解を与えたのかも知れない、とは言っていたがしかしながらそもそも
オグリキャップが普段行っているトレーニングとて普通の競争ウマ娘に比べてもハードすぎる気はあるし、トレセン学園にはそんな彼女を上回る激しいトレーニングを行っている者だって存在する。
だが――それはあくまで“それに耐えうる身体”が出来上がっているからこそ実践に耐えうるのだ。いかな種族・ウマ娘とて本格化が近づく年頃にならなければ幼少期の肉体的強度はそこまで強くない。
にも関わらず、資料によれば彼女は推定
私が3歳の頃は何をしていただろうか、とオグリキャップは物心もつかないような時代に思いを馳せる。
生まれた頃から膝が悪く、満足に歩くこともままならなかった……母親による日々のマッサージをして貰えていなかったら――まず走ることすら夢物語であっただろう。
オグリキャップにとって
だからだろうか……それを潰しかねないことをする輩が人一倍許せないという義憤を湧き上がらせるのは。無論、あるいはそのスパルタとて祖父の愛ゆえに、というものであったかも知れないのは否定できないし……そのスパルタをホワイトグリントが
いずれも、すべては会って確かめてみなければ始まらないな――とオグリキャップが考えていると。
オグリキャップの横をふらふらと、今にも崩れ倒れそうに蛇行しながら過ぎ去る影が1つ。ピコピコと揺れるウマ耳と淡雪のように白い髪がその人物を白毛のウマ娘であることを告げていた。
ドクン、と鼓動が大きく高鳴ることを感じながら、とっさにオグリキャップは大地を蹴って追いつき様に彼女を抱きかかえ、彼女の顔を見てみれば――。
(ああ、やっぱりこれは
運命レベルの繋がりを感じるウマ娘――ホワイトグリントその者であった。
「大丈夫か?」
オグリキャップが不安そうに尋ねると、意識が朦朧としているのかぼーとしたままその少女はオグリキャップの顔を見つめていた。そしてしばらくして彼女は静かに口を開き――。
「……大丈夫です。ありがとう、お父さん」
そう言った。
――お母さん聞いてほしい。私は
しかしむしろこの子に対しては母親というより父親と呼ばれる方が何故かしっくりくるな――と普通とは少し思考がずれているのがオグリキャップという天然のウマ娘であった。
■■■
「わざわざ私の為にありがとうございます」
六平に頼まれて君を訪ねて来たんだ、という件を掻い摘んで話すと眉一つ動かすことなくそんな率直な返事だけがあっさりと返って来た。
しかしこうして一目見たからそれでミッションコンプリート、トレセン学園に帰還する――で済ませるわけには当然いかないのだ。つまるとこ六平が心配しているのは
というわけでオグリキャップは先程彼女がふらふらと走っていたのも心配だったし、単純に彼女の能力も気になったのでこのあとトレーニングするのなら一緒にやらないか、と誘ってみたわけだが――彼女はしばし黙り込み、やはり無表情でわかりましたと静かに答えるだけだった。警戒されているだとか嫌われている……というニュアンスの嫌悪感はおそらくだが感じられないので、どうにも単純に彼女は感情表現が苦手なのかもしれない。
そして彼女が普段よく利用しているという運動公園へ移動し、ひとまず彼女の走りを見学してみたが――オグリキャップは素直に驚いた。自身と同じ
特筆すべきは体幹の
その理由は様々だが一例をあげると地を這うような前傾で
それを彼女は完璧に近い精度で行っている……オグリキャップにとっては母親の献身的なマッサージのお陰で非常に柔らかくなった筋肉によって
(違うだろうな……先程抱きしめた時も思ったけれど彼女の筋肉はむしろ
才能や素質がどうのこうのでやれることじゃない。おそらくは気が遠くなるような膨大な練習の果てに作られた
(これが祖父から虐待に匹敵するトレーニングを与えられ続けたウマ娘、か)
少なくともオグリキャップには一体どのようなトレーニングを続ければまだ
淡雪のような綺羅びやかな長い髪を持ち、人形細工のように整った美貌と豊満な胸を持つこのどこぞの
「オグリさん。私の走り、どうでしたか」
「――ああ、すごく凄いと思う」
「そうですか……すごく嬉しいです」
なんだか
「次は併せてもいいだろうか?」
「……はい、喜んで」
本当に素晴らしいことがあった時の感情とはその言葉以上の物が出てこなくなるのかも知れない。
どうして彼女に接しているとオグリキャップはこんなにも
ホーリックスに対する思いが“恋情”であったとするなら、ホワイトグリントに対しての思いは“親愛”だった。出会って間もなく、そもそも会話だって数えられるほどなのに……いや、もしやそれ以前からあるいはオグリキャップは彼女のことが好きだったのかも知れないと錯覚するような感覚。まるで
もしもこれが三女神に与えられた運命であるというのならば――オグリキャップは両手を握って神様に感謝したい気持ちになる。
少し飛ばそうか、と言ってはやる気持ちを表現するかの如くオグリキャップは加速する。さすがに
その速度はトレセン学園のウマ娘であろうと下から数えた方が手っ取り早いような者では併せて走ることすら難しいだろう。しかし彼女は
(本当に凄い……)
オグリキャップは頭を撫でて褒めたくなる気持ちが芽生えるが、だからこそ同時に気になってしまう。
彼女は普段――どんなトレーニングを
「君は……普段どんなトレーニングをしているんだ?」
「――そうですね。最近は息を止めたまま全力ダッシュを動けなくなるまでやったりとか」
――は?
「祖父の家にある大型タイヤに向かって全力タックルを出来なくなるまでやったりとか」
――まて。まてまてまて。
「バランスボールの上でバーベルスクワットを立てなくなるまでやったりとか――」
「そんなことを毎日やってるのか!? ターフを走る前に身体が壊れてしまうぞ! まさかあの時倒れそうになってたのも……!」
思わず彼女が喋り切る前にオグリキャップは大声を上げた。対してホワイトグリントは無表情のままきょとんとしていて小さく「ぁ」と零す。
「……駄目でしょうか?」
「駄目に決まってるだろう!? なんだその無茶苦茶なトレーニングは!? 何の為にそんな……!」
少なくともオグリキャップには意味がわからなかった。
息を止めたまま全力ダッシュを動けなくなるまで? タイヤに向かって全力タックルを出来なくなるまで? バランスボールの上でバーベルスクワットを立てなくなるまで……そんなものトレーニングではなく“
オグリキャップとて必要ならば時には激しいトレーニングをする。するが少なくとも
過剰なオーバーワークは
それ以上に――いつ故障して走れなくなるかわからないようなトレーニング、まともな
何の為にどれだけ辛い思いをして。
何の為にどれだけ痛い思いをして。
何の為にどれだけ苦しい思いをして――
彼女は今日という今を迎えているというのか。
オグリキャップの理解を超える現実がぐるぐると脳内を駆け回る。そんなオグリキャップをじっと見つめ、ホワイトグリントは鉄仮面のようだった表情を
「痛くないと、意味が無いんです」
何故?
「苦しくないと、意味が無いんです」
何故だ?
「だって私は……そうじゃなきゃ、満たされないから――!」
――満たされ、ない? どういう……ことだ?
オグリキャップは必死に混乱する頭で考える。彼女の言葉の真意を。満たされない……つまりは彼女は己を徹底的に痛めつけることで何かを満たしていることだ。何を……何を満たしているんだ? まさか痛みや苦しさで心地よいから心が満たされる、というわけでもないだろう。
こんな自虐的な行いで……こんな
まさか、とオグリキャップは思いざまに言葉を絞るように吐き出した。
「……それは、自分を罰しなければ気がすまないということ、か」
彼女は――
その疑問を肯定するかのようにホワイトグリントはこくりと頷いた。
「だが……それは君が悪いんじゃ……」
どうしてそれがホワイトグリントの罪になるというのか。そこに本当に祖父の愛があったとしても、絆があったとしても彼は客観的に虐待を行っていたと見做される程のことを彼女に行っていたのだ。
気にするな、なんて軽口は決して挟めない。けれども――君は何も悪くない。罪の意識が満たされるまで己を自罰する必要なんてどこにも――。
「……そうやって生きていくことしか私はできないんです」
そのオグリの考えを否定するかのように、涙ぐみながら彼女は言った。
違う。祖父が悪いんじゃない。すべては敬愛する祖父を犯罪者にまで貶めた自分が悪いのだから――己を罰しながら生きていくことしかできないのだと。
「許せない」
それは紛れもなく己に対しての強い怒りだった。彼女はきっと――祖父が居なくなってからずっと、ずっとずっと――自分を痛めつけることなんて
苦しかったんだ。
自分の両目から流れてくる涙を拭うことも忘れオグリキャップは彼女を抱きしめた。どんな言葉であれば彼女を苦しみから救ってあげられるのかわからない。それでもオグリキャップは伝えたかった。これだけは言ってあげたかった。
「……たとえ、君が自分を許せなくても……私は……私が……君を許すよ」
今しがた出会ったばかりのウマ娘から与えられた免罪符に何の意味があるというのか。そうわかっていても、言わずにはいられない。
ホワイトグリントは、泣いた。思いっきり、泣いた。それはおそらく祖父に対しての謝罪の涙であり――同時にきっと、
■■■
「――そう、なっちまってたか」
「ああ……彼女は、
六平の元に戻ったオグリキャップは憔悴した顔つきのままことの有様を告げる。しかしその目には、絶望は見られない。かつての大レースに挑む時のような強さが宿っていた。
「それでも……私がそうであったようにトレセン学園に来て、大切な人達が沢山できれば……彼女は自罰以外でも、満たされるかも知れない」
「……俺も、ガタが来たなんて言ってられねぇな。できることは少ねえが、あの子の祖父を――
「頼む……彼女が自分を許す為には、その男もきっと必要だから」
おそらくオグリキャップは彼女の
だが、同時にホワイトグリントがどれだけ祖父のことを思っていたのかがわかるから――。
(きっとこの運命は、私が学園を卒業する前に成すべき最後の使命なんだ)
オグリキャップはそう確信する。
だからオグリキャップはもう泣かないと決めた。泣いていいのは、彼女が心から自分を許せる日を迎えた時だ。
お母さん、見てて欲しい。お母さんのようにはいかないかも知れないけど……。
かつて無償の母の愛によって碌に立ても走れもしなかったウマ娘が1つの伝説を時代を作り上げる程のウマ娘に成長したように。
私も愛で――。
あの子を、救って見せるから。
これまでの勘違い
シンボリルドルフ
祖父の名誉を回復させる為に身を削るようなトレーニングをしていると思っている。
オグリキャップ
自分のせいで祖父が逮捕されてしまったから自罰的な行いをしていると思っている。
ホワイトグリント
オグリキャップには性癖カミングアウトが済んだと思っている。
ネタバレ
ろっぺいさんは実は足を怪我しているだけ。
速く怪我を直したいなら車椅子に座って安静にしてください! とキタハラとベルノに無理やり座らされている。ありがてぇが爺扱いすんじゃねえよ……爺だけどよとは六平の談。