己を徹底的に痛めつけるのが大好きな超絶ドMウマ娘は周りから世界一の努力家と勘違いされている 作:座敷猫いおり
「――えっ? 今からこのコースで模擬レース……?」
「でもここ……新入生向けの
「いや、確かに一人は新入生みたいなんだけど……相手は重賞ウマ娘の先輩らしいよ」
「……うん?」
巨大なトレセン学園のグラウンドに存在するコース場は当然ながら一つや二つではない。ガヤガヤと噂話を囃し立てる
主な用途はまだ長い距離を走れない、又は芝コースに不慣れな新入生が走ることを想定していて、坂や勾配もなく平坦で――それこそミニコースというよりはむしろ芝の生えた巨大なパドックと言った方が相応しいだろう。
そして――そのコースをお目当てにやってきたとある2人のウマ娘は、今から模擬レースの為にしばし使用禁止という報を耳にしてがっくしと肩を落とした。
「ありゃりゃ、今から貸し切りか~」
「もう! せっかく一流の走りを見る権利をあげようと思っていたのに。タイミングが悪かったわね」
さながら青空を流れる雲のような雰囲気と毛色を携えるウマ娘は『セイウンスカイ』。凛とした力強い目つきと気品を携えながらもどこか隠しきれない優しさが滲みだしているウマ娘は『キングヘイロー』――共にトレセン学園に晴れて入学してきたピカピカの新入生だ。
「でもレースが終われば使えるようになるんじゃないかな~? それまでレース見学でもしてく?」
とセイウンスカイは尋ねて、キングヘイローも仕方ないわね、と不承不承にその提案に同意する。彼女達は学園に入学する前からの旧知の仲――というわけでもなく全く知らない間柄ではあったのだが、入学してから昨日の今日という僅かな期間にも関わらず少しの会話を交わしただけでなんだか彼女とは気が合うな……とお互いに感じ入っていて、じゃあお近づきの印に放課後に併走でもしようじゃないか――という流れを経て今に至るのだけれど、突如開催されることになった模擬レースで出鼻を挫かれてしまった形である。
併走をするだけなら別段コース場じゃなくてもいいが、せっかくのトレセン学園に入学したのだからちゃんとした芝コースで走りたいというのはウマ娘なら当り前の感情で――しかしこの時期は大切な重賞レースがいくつも控えていて、大概のコース場は上級生達の使用予定で埋まってしまっているので、新入生が自由に使って良さそうなめぼしいコースがここしかないのだ。
だったらまあ――待つ。模擬レースなれば公式レースのような出走までの段取りも対してないだろうし、開始から終了までかかっても数分。待ってもそう時間はかかるまい。単純にレースそのものも気になるし――と思っての判断だった。
「さぁて、レースの主役は誰かな~? ……って、あの子……」
「あら、あの
ゴロゴロとスタートラインに向かって運ばれる簡易ゲート*1と共にターフを歩くホワイトグリントという白毛のウマ娘は、新入生の間でもかなり話題になっているウマ娘の一人である。
まず彼女は極めて希少な
他にも今日の昼頃にあの有名なアイドルウマ娘オグリキャップと食事を共にして、その際に山のような量の激辛料理を食べ尽くしただとか噂話に事欠かない彼女であったが、彼女とクラスメイトになったウマ娘の間で最も語り草になっているのは入学後のクラスミーティングで行われた自己紹介での『無敗三冠宣言』である。
『ホワイトグリント、です。トレセン学園には
あっけらかんと、まるで大したこともない目標を口にするかのような軽さで宣言されたその言葉を聞いて、クラス中のウマ娘が一斉に目を見開いて押し黙った。かの
実のところ、夢は三冠ウマ娘です! だとかトリプルティアラウマ娘になります! といった
それは
無敗三冠を成し遂げたのは、日本の歴史上たった一人のウマ娘しか存在しない。皇帝シンボリルドルフというウマ娘の一種の到達点、ただ一人。クラシック路線とトリプルティアラ路線では当然勝手が違えども、どちらにせよシンボリルドルフと肩を並べようというものならば常識も歴史もぶっ壊す覚悟と実力と運が備わった完全無欠のウマ娘でなければ不可能。だからこそ、その宣言を聞いたクラスメイト達は一同にシーンと言葉を発せずにいた――というか
ホワイトグリントというウマ娘は余程の現実を見れない
『面白い娘じゃん』
口にするのも憚られる天井知らずの高すぎる目標を事もなげに、夢見がちにでもなく自信たっぷりでもなくその覚悟が伝わってくるような悲壮感があるわけでもなく――
そんな彼女が、おそらく模擬レースをするためにターフへ向かっている。これは見逃せませんねぇ~とテンションがウキウキと高鳴っているのを抑えるようにそそくさと、しかし抑えきれない尻尾とウマ耳をくるくると揺らしながらセイウンスカイはレース場の
尚、余談だがホワイトグリントの自己紹介はあくまでメジロラモーヌを超えるくらいのつもりで頑張る、できれば誰にも負けたくないという程度の意思表示にすぎず、トリプルティアラを取るつもりなのは間違いないが別に無敗三冠宣言をしたつもりなど毛頭なくて、シーンと静まり返って自分を見つめるクラスメイトと教師の視線に内心滑った! と盛大に頭を抱えこの時の自己紹介は彼女の中で“黒歴史”と化したことをこの時点では当人しか知るよしもなく――後々この発言によって”魔性の青鹿毛” から目をつけられることも、当人すら知るよしもない。
■■■
春先の陽気に包まれたターフに立つと、否応もなしに気分が高揚してしまうのはああやはり私もウマ娘なんだと実感するなぁ。丁重に管理されているのであろう芝の感触を一歩一歩確かめながら、私は先程のフリートさんとのマッチレースの取り決めを思い出していた。
『ハンデその1。
ハンディキャップとして提唱されたルール内容その1。つまり距離によるレースプランが立てられない、という枷である。これはかなりのハンデだろう。当然ウマ娘というのは距離に対してペース配分を変えなければならない。“特例”を除けばどんなウマ娘だろうと初っ端から最後まで全力疾走なんて出来ないからね。
とはいえさすがにゴールがわからない、というのはレースの体を成していないのでゴール地点に北原さんに立って頂いてラスト
『ハンデその2。タイムオーバーは当然知ってるな? お前はデビュー前だから
ルール内容その2。一着でゴールしたウマ娘から定められた時間内で後続のウマ娘がゴールできなかったとき、その者は競争において能力が足りていないと見做されてしばらくの間レースに出場できないというペナルティを与えられる規則がタイムオーバーというのだけれど、今回はハンデとしてタイムオーバーにならなければ私の勝ち、ということらしい。ざっくりとした目安ではあるが、1秒差でつく距離はおよそ
ふむ、これもまたとてつもないハンデである。このルールならばメイクデビューウマ娘であっても展開如何で十分に勝機はあるだろう。
『さて――で、あと
しかしながら、ここまでハンデをつけられても尚メイクデビューどころか
例えレースプランが立てられなくても、
まあ、それは私じゃなく
さてどうする? 距離は公式の芝レースならなんでもいい、か……走るコースは入学してから学校の各所を案内された時に紹介された新入生向けの一周800mの小さなコースだという。そこしか今空いてないんだとか。
――少しの間だけ熟考して、私はおもむろに口を開いてそれを伝えた。
『では、一つ加えて――
『――何?』
ビキッ、と音が聞こえてくるくらいこめかみに血管を浮きあがらせるフリートさん。まあハンデを要求しているのにあたかも自分が不利になるようなルールを格下側が付け足してきたらそれは誰でも
全国各地から“天才”だとか“神童”だとか呼ばれるようなウマ娘がこのたった一つの学園に集められレースで鎬を競い合う。重賞を取るどころか
『100バ身も差がつくような相手であれば――それこそ、フリートさんもレースをする意味がないですよね』
『……上等』
だから私は舐めない――このルールを付け足したのはあくまで私が
ふふふ……
――簡易ゲートの運搬が終わって、いよいよまもなくレースが始まる。
不安そうな顔を浮かべるオグリさんや、私が選んだ距離を聞いて
目を瞑れば思い出せる……おじいちゃんと一緒にトレーニングができて毎日が幸せだったあの日々を――おじいちゃんがわざわざ私の為に広いお屋敷を改造して作ってくれた私だけの秘密のトレーニング基地での思い出を。
『グリント。今の踏み込みと思いきりはよかった』
『ばい゙』
『だがゲートが開くのはスターター*3、そしてゲートに入るウマ娘の面子次第で変わる。それは一定じゃない――集中して開く寸前を察するのはいい、だが予見で行くな。さもなくば今のように鼻から激突して可愛い顔が血まみれだ』
『ばい゙』
『鼻血が止まったらもう一度だ。ゲートが開く瞬間を覚えるまで何千でもやらせる――いけるな』
『ばい゙! お゙じい゙ぢゃ゙ん゙!』
ふふっ、気持ちよかったなぁ……ゲート訓練。あの後も何度も何度もぶつかって――最終的にはゲートの方がボコボコに変形しちゃったからな……。
おじいちゃん、私は勝つよ。おじいちゃんを大したことないだなんて酷いことを言うような人には絶対に負けないから。絶対に謝って貰うから。
さあ、
■■■
「えっと……つまりフリート先輩は距離を知らずに走って、ゴールした時にタイムオーバーになってなきゃグリントの勝ちだけど、レース中に100バ身差離されてもその時点で負け……?」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!? ハンディキャップってそれだけ!? しかもなんで100バ身差で負けなんて不利な条件もついてるのよ! グリントさんはもう本格化が始まってるウマ娘なのかしら!? そうじゃなきゃそんな条件――
今からなにか新入生のレースが始まるらしいぞ、それもあの話題の白毛の
「仮に
「……去年の秋の
つまるところこのマッチレースが1000mだった場合、予想の範疇であるにせよグリントがタイムオーバー以内にゴールするという勝利条件を満たす為には去年の全国大会優勝ウマ娘よりも2秒以上速く走らなければならない――という果てしない絶望具合が漂うレース内容にえっ、どうやったら勝てるのこのレース……? と新入生達のほとんどが頭を抱えずには居られない。
「短距離でも無理なら中距離以上だったらもっと無理だよ……」
「距離が長い分単純にもっとタイム差も開くし……スタミナだって持つわけないじゃん……こんなのレースになってない」
「――あの、というかハッピーミークさんはなんでそんなに詳しく知ってるの……? あっ、もしかしてホワイトグリントさんとさっきまで一緒に居たとか」
その疑問にふるふると首を横に揺らしてそのもう一人の
「……グリントが部屋を出る時、なんか困ってそうで……気になったから……跡をつけて……こうした」
右手を自身のウマ耳の傍に垂直にして、ウマ耳をそっと押し付けるようにぴとっ、と重ねる。
「盗み聞き!?」
「ミークさん! 盗み聞きなんて一流のウマ娘のやることじゃないわよー!」
「まあまあキング、
私は牛じゃないのよー! と闘牛のように荒れ狂うキングを宥めながら、セイウンスカイはふむ、と一人熟考する。
(まずこんなレース普通にやったら新入生は絶対に勝てない。勿論グリントがもう本格化に向けて身体の成長が始まってるウマ娘だったら、ギリギリ――なのかな? でもそうじゃなかった場合……私ならどうする? 普通にやって絶対に勝てないなら、
ふと、頭に浮かんだ疑問をセイウンスカイは口にする。
「ねえミーク。その100バ身差で負けって条件さ――
同意するように、こくりとミークは小さく頷くと、ええ!? と新入生達の驚く声が多数あがる中、セイウンスカイは腑に落ちたようになるほどなー、と独り言ちた。
「なんでそんな自分から不利になるようなルールを……」
「いや、でも100バ身差って240m……つまり20秒くらいだよね? そりゃ先輩と私達とじゃ自転車と自動車とか以上に実力差があるだろうけど、よっぽど長い距離じゃないと20秒差はつかないんじゃ」
「スカイさん! もしかして何かわかったの!?」
「いや~さすがにただの推測だから当たってるかはわからないけど……多分、あの二人が走るのは
それはどうして、とセイウンスカイの考えを尋ねる前に「みんな! そろそろ始まるみたいだよ!」と言う掛け声によって全員の意識がレース場へ――ゲートの中で発走を待つ二人のウマ娘へ向けられる。
今までの喧騒が嘘のように消え失せて、ごくりと固唾を飲む音すら風に乗って聞こえて来そうになるほどの静寂。
たった一握りの強者だけしか持ち得ない重賞勝利という肩書を持つウマ娘と、未だ何者でもないピカピカの白く輝く新入生という格違いで桁違いで場違いな程に実力差があるであろうマッチレースが今――ガシャン、とゲートの開放と共に始まった。
■■■
それは、鏡合わせのように揃った“完璧”な好スタートだった。どちらもまるで開いた寸前の残像を残すゲートに掠ろうが構わない、と言わぬばかりのアグレッシブさが迸った出走である。
(
ライジングフリートは真横で追走する
――想像はつかないが、しかしそこには気が遠くなるほどの積み重ねがあったのだろうということはわかる。だからこそ新入生であっても完璧な好スタートを切っていく彼女の走りには驚かない。
しかしそれでも尚、4コーナーのポケットから出て10mほど進んでコースに合流したほんの僅かな刹那の間にぐんぐんとライジングフリートとホワイトグリントの距離が開いていく。
どれほどグリントが鍛えあげていようとも、本格化を迎え肉体のピークに至ったウマ娘と本格化すら迎えていないウマ娘の間には悲しい程に超えられない壁がそこにはあるのだ。身体の成長だけは、トレーニングのしようがない時間という誰もが平等に訪れる刻を待つしかない。
(100バ身差がついた時点で奴の負け――最初はイラッと来たが、これが
かつて、マンノウォーという
実際にはこの100バ身差勝利はとんでもないくらいに着差が開いてしまったものだからまともに測定ができておらず、だったらもう100バ身差でいいだろう、となげやりに決まったものであると一部では伝えられていて正確には何バ身差開いていたのか定かではないらしいが、まあそれは余談だとして実力差が開ききったマッチレースという点においてはホワイトグリントとライジングフリートの現状にとてもよく似ていた。
だからこそはるか格下のウマ娘から
そしてグリントがなぜそんな挑戦をしたのか? それは――。
(いくら速さに差があっても100バ身という大差をつけるには私は最初から相応のハイペースで相応の距離を走り続ける必要がある。奴の狙いは――
あの鍛え上げられた肉体から察することができるように、おそらくホワイトグリントは
どれだけの距離の間ならば己のパフォーマンスを100%発揮できるかというその指標。適性距離は生まれつきの不変の才能。無論努力で走れる範囲を増やす、というのは可能ではあるがそれにも限度がある。
絶対値ではなく相対値、決して平等ではない多種多様の神から与えられたカードを如何に上手く切るかだ。その為に世の中には自分の愛バである担当ウマ娘を騙してでも適正距離を走らせようとするトレーナーだっているのだ。
グリントが知ってか知らずか定かではないが、北原譲の見立てではライジングフリートの適正距離は
(100バ身差を目指してハイペースで走り続ければ中距離以上は脚が持たない。ゴールまでペースを維持するどころか確実に落ちる)
つまり――中距離までの間に100バ身差で勝利という条件をフリートが
(そしておそらく――いや、確実にこのレースの距離は……)
ちらり、と後ろを振り向くと相も変わらず無表情というポーカーフェイスで追ってくる白毛と、スタート地点のゲートとほぼ一直線上にある、4コーナーの終わり際の内ラチの傍に立っている北原とオグリキャップ、そしてスターター役を担ったベルノライト。ゴール地点が北原の立っている場所であるという取り決めから逆算してスタート地点がゴール地点ということであるのなら、一周が丁度800mであるこのコース場において距離は800の倍数なのは確定で、
(……オグリ先輩に口走ったのは失敗だったな)
それが聞こえてしまったのは本当にたまたまで、ライジングフリートが盗み聞きをしていたというわけではないのだがそもそも人と比べて圧倒的に耳の良いウマ娘は例え小声で会話していても意図せず
春の祭典――それはつまり国内長距離レースの二番目に長い距離であり、そしてステイヤー達の最高峰のレース
(この
距離を知らずに走る、というハンデが完全に消滅してしまった瞬間だった。とは言え北原の立ち位置で走る距離が800mの倍数であることがわかってしまう以上仕方のないことではあるが。現在公式芝レースで800mは存在しない、故に最低距離は2周の1600mとなり短距離ではスタミナ切れ狙いが出来ないので必然3周4周を前提としたレースになるは必定。
(お望み通りつけてやろう100バ身差。その
フリートが更にペースを上げる。
脚の回転数が増し力強くターフを蹴る度に絶望的な差が開いていく。
懸命に走るホワイトグリントがホームストレッチ側の直線を走り終え1コーナーに突入する頃には――すでに、ライジングフリートと30m近くの距離が広がっていた。
■■■
まるで機械みたいに正確で綺麗で――そして自身にとっても特別なウマ娘であり大切な親友でもあるオグリキャップとよく似たフォームだ、とベルノライトはホワイトグリントの走りを見て、ときめく心とハラハラとした不安を隠せなかった。
「本当に、オグリちゃんにそっくりな超前傾姿勢で……そして、速い」
さながら虎やチーターといった大型の猫科の動物を思わせる、まるで地を這うかのような独特な走法。誰にでも真似ができるわけではないそのフォームを完璧に近い完成度で巧みに操り走る彼女の非凡さはいかなるものか――そして注目すべきはフォームだけではなかった。
「恐ろしい程に正確なライン取りだな――限界まで内ラチを攻めて、文字通り最短距離でターフを走り抜いている。無理をしているようだったらこのレースを止めるとこなんだが……完全コントロールできる自信と実力を持ってるな、あれは……」
もはや身体の一部が内ラチに当たっているのではないか、と見てる側が心配になりそうなほどインを攻めるのがホワイトグリントというウマ娘だった。ライジングフリートもかなり内を回っているが、それでもラチに接触しそうになるほど攻めてはいない。正式なコースで走る経験が少ない新入生であそこまで内側を攻められるウマ娘は北原の知る限り見たことがなかった。
単純にラチと接触しそうになるほど接近するのは
ラチと、それを支える支柱はぶつかってもウマ娘が大怪我を追わないように比較的柔らかい素材で出来ている。しかし如何に柔らかいとは言っても最高速度70キロを叩き出すウマ娘のスピードで接触すれば、当たりどころが悪ければ決して軽くはない怪我は免れない。
それ以前に近づけば近づくほど障害物が自分の視線の真横にある、というのは視覚的にも恐怖でしかないだろう。それを彼女は全く意に介していないというのだから、驚きを通り越して彼女には恐怖を感じる機能が欠落しているのでは、とさえ思ってしまう。
「……」
オグリキャップは喋らないが、しかしその面持ちは決して穏やかではない。静かに握りしめた拳がその心中の不安を物語っていた。
「……それでもやっぱり差が開きますね……グリントちゃんがフリートのスタミナ切れ狙いなのは私もわかりますけど……これじゃ100バ身差のマージンを守るなんて無理ですよジョーさん」
「――いや、そうでもないかもな」
「えっ!? いやでももうあんなに距離を離されて……っ!?」
コーナーに突入したグリントを見て、ベルノは北原の言葉の意味を理解する。このコースのコーナーは120mほどである。中京レース場のように
「え、ええぇ!? なん……で!? どうやったの、今……!?」
「技術もあるが、一番の要因は超がつく程の前傾姿勢の強みを活かしたんだ」
「それはどういう……?」
「地を這うように進む超前傾姿勢ってのは、普通のウマ娘よりもさらに
――まあしかし、とてもじゃないがあの年齢で出来る走りじゃない、ってのは確かだけどな……と小さく付け加えて、北原は目を細める。
「すごい、ジョーさん……まるでベテラントレーナーみたいです!」
「ベテラントレーナーだよ?」
もうこの道ウン十年である。そしてそれを横目で聞いていたオグリキャップは――。
(……そうだったのか……知らなかったな……)
膝の悪かった自分が母親の愛のマッサージによって自由に走れるようになってから会得したこの走りの極意を地味に初めて知っていた。
「――しかし」
北原は顎に手を添えて、考える。
努力で届かない才能という煌めきは、間違いなくある。努力でどうしたところで埋められない天性という輝きは、間違いなくある。当然そんなものはウマ娘だけでなく人間も生きとし生けるすべての生物がそうだろうが――能力の上限、スピードの限界値、スタミナの豊富さ――センスに運。勝負の世界に努力すればなんでもできるなんて
ホワイトグリントにも勿論才能はあると思う。あるとは思うが――それが天才や秀才と呼ばれる特別なものが備わっているとは、感じない。
北原はあえてオグリとベルノには語ってはいないが――彼女の異様さの一端をにわかにではあるが理解していた。オグリキャップは身体がとても柔らかいという特能があるからこそ超前傾姿勢というバランス取りの難しい状態を維持し加速し走れている。
柔軟だからこそ、姿勢が崩れる前に次の脚の回転が間に合う。崩れそうになっても柔軟さで無理な姿勢を維持出来る。崩れてしまったとしてもその柔軟さでカバーができる――だからこそ走り続けられるし、超前傾姿勢で走ることが
だがホワイトグリントは一見、普通に走れているように見える――いや、実際に素晴らしい精度で走れているのだが……おそらく驚異的なバランス感覚と筋力だけであの走りを
端的に言えば、多分一度回転が崩れたらオグリキャップのようにフォローが出来ずに
あの走りを完璧にできるという自信がなければ――
(
自分の孫に、いったい何をやらせればこんな
ゾクリ、と北原はトレーナーとしての技量を知らなければ顔も知らない彼女の祖父を思い――少しだけ、恐怖した。