己を徹底的に痛めつけるのが大好きな超絶ドMウマ娘は周りから世界一の努力家と勘違いされている   作:座敷猫いおり

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八話『ホワイトグリントのマッチレース』

 翠緑に染まるターフを駆ける純白(まっしろ)なウマ娘とはここまで美しい存在(もの)なのか――そのレースを見守る見学者達は改めて感じ入っていた。古来より白という色は幸せ(ポジティブ)の象徴として扱われている。多くの国で白い鳥が平和の象徴であるように、幸福に包まれた美しい花嫁のウェディングドレスのパーソナルカラーであるように……()()()()()()()()

 

 人だけではなく当然ウマ娘にもそれはある。一説には、まだ人もウマ娘も別々に暮らし石斧や草木を使って日々を過ごす文明の開花さえ程遠い古の時代――白という目立つ色は外敵に狙われやすく長生きできるウマ娘が少なかったことから、白毛で長寿のウマ娘はそれだけで尊敬と敬意を集める存在とされていた。

 

 それが現代でも彼女達のDNAに刻まれているのか、白く美しいウマ娘は特別であると感じるウマ娘も多いのだ。だからこそ刻の重なりで白く染まっていく芦毛は誰も彼も問わず人気があり、その人気が仇となってかつては絶対数が少ない故に勝ち鞍が少ないというだけで『芦毛は走らない』と誤解を与えてしまったのだが。

 

 しかし今、目の前でターフを走るウマ娘は芦毛ではない。灰かぶりの姫(シンデレラ)ではなく白雪姫(スノーホワイト)の白毛だ。一切の穢れすら知らないような無垢なる純白のウマ娘。共に走っている芦毛のライジングフリートも白みがかったとても美しい毛並みであるけれど、だからこそ尚更痛感してしまう。

 

「綺麗――」

 

 ぽつり、と誰かが自然と零してしまったその言葉を。

 

 そして熱を帯びた視線が増えつつある観客席の中で、新入生集団は違うベクトルで熱が入っていた。ライジングフリートとホワイトグリントがハロン棒を過ぎる度にポチポチと(せわ)しなくスマートフォンのストップウォッチアプリを押しながらタイムを計測してる者達がいればパシャパシャと動画やカメラにその勇姿を写す者達がいて実に姦しい。

 

5ハロン(1000m)回った! 今フリート先輩のタイム何秒!?」

 

「1分2.2秒……あれ? 思ったより遅くない?」

 

「おバカ! 速い(ハイペース)に決まってるでしょ!? コースのことを考えなさいよ! 直線が短くてスピードが上げられないキツイコーナーを回るこの場所でそのタイム叩き出せるのは普通にやばいわよ!」

 

「さすがG1級のウマ娘って感じだよね……先輩は確か逃げウマ娘のはずだったから序盤からかっ飛ばすのは得意だとしても……」

 

 レースは根本的に良いタイムが出しづらい。ゲート枠の有利不利から位置取り、ブロック、馬場の状態エトセトラ……様々な不確定要素が加わり本来出せる実力が出しきれなかった為に苦渋を舐めるということも多々ある。練習ではレコードを更新するような走りが出来たとしてもレースとなれば練習通り走るのがまずもって難しいのだ。

 

 それに比べて今はどうか? マッチレースとは銘打たれていても二人の根本的能力が違いすぎて競い合いにすらなっていない。つまり実質レースというよりはほぼタイムアタック――何の気兼ねもなく自分のベストを叩き出せるだろう。

 

「白毛ちゃんも回ったよ! コーナーワーク速すぎて驚愕(やばたん)……足にローラーでも付いてるのあれ……? ってタイム何秒!?」

 

「1分9秒……このコースでこれは新入生(わたしたち)からしたら、ベストタイムってくらい凄いけど……」

 

「もう100mは離されてる……あんなに頑張って内を攻めてるのに……」

 

 内ラチに限界まで近づいて距離のロスを減らす文字通り身を削るその行為。ホワイトグリントはいつも通りの無表情(ポーカーフェイス)で、機械仕掛けのような正確なフォームで走り続けているけれど、額から迸る汗が彼女がサイボーグやアンドロイドの類でないことを証明している。あそこまでラチに接近してきっと怖くないはずがないのだ。

 

 特にオグリキャップの走法(フォーム)に酷似した、地を這うようなあの超前傾姿勢ではラチにぶつかるならまだマシで、下手をすると()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。なんでそこまで危険を犯してまで必死に走るのか。このマッチレースがあのオグリキャップのチームに所属する為のテストレースだから? それにしたって――。

 

「スカイさん……あなたが推察してた100バ身差負けという条件を利用しての先輩のスタミナ切れ狙い……上手くいくと思うかしら?」

 

 ここまで不利な条件が揃っているとやはり現役のトゥインクルシリーズで栄誉ある活躍をするライジングフリートよりも、例え白毛の片割れ(やばい方)と噂されていようとも、会話も碌にしたことがなくたって――同じ新入生であるホワイトグリントを応援したくなってしまうのが心情というもので。

 

 キングヘイローとしては、無表情という仮面の下で恐怖と戦いながら身を削るような思いで走っていることが想像に容易い彼女が心配でたまらないのだ。それはセイウンスカイも、そして周りの新入生達も同じ気持ちだった。

 

「……1000m走って約7秒差は、マージンとしてはいいペースで残ってる。先輩がいくらG1級だからってハイペースでずーと走り続けられるはずがないよね。必ずペースは落ちる……この後のどこかでくる全力疾走(スパート)さえ乗り切れれば――」

 

 勝機は、ある。

 

 と()()()()()()()()()()()()()()

 

(……やっぱり無茶だ。先輩がハイペースで走るようにグリントだって100バ身差のマージンを守らなければならない以上かなりのハイペースで走ってるはず……そもそもグリントはコーナーリングが異様に速いからコーナーでもペースを落としてない、つまり全く()()()()()()()。距離適性と勝負根性だけは本格化したウマ娘とする前のウマ娘で差がつきにくい部分だけど、それにしたって……)

 

 最後まで、持つの? セイウンスカイとてスタミナ勝負には自信がある。ひょっとしたら自分の脚質は長距離ウマ娘(ステイヤー)なのかも、と薄っすら自覚している程に……だからこそわかる。いくらステイヤーだからといっても無限にハイペースで走り続けられるわけじゃない。

 

 仮にホワイトグリントが物凄い豊富なスタミナ持ちのステイヤーだったとしても、すでに本格化に向けて成長が始まっている早熟タイプのウマ娘だったとしても――彼女はまだ未熟な新入生なのだ。ライジングフリートが必ずスタミナ切れでペースを落とすというならホワイトグリントだって必ず()()()()()()()()()()()()()()

 

 100バ身差負けのギリギリのラインを死守できたとして、19秒近く開くであろう距離の差を長距離レースとは言えども残った距離で勝利条件のタイムオーバー(6秒)内にゴールタイムを縮めることはあまりにも険しい道程だ。やっぱりこのマッチレースは――奇跡でも起きなきゃ、絶対に勝てない勝負……。

 

「あ、あのさ……あたしずっとフリート先輩とグリントちゃんの区間(200m)タイム測ってたんだけど……」

 

 ふと、引き攣りがちに訝しげな顔つきをして一人の新入生がスマートフォンの画面を周囲に晒す。思考の渦の中に陥っていたセイウンスカイも一端考えるのをやめて注目してみると――。

 

「多分偶然……いや、観客席(ここ)からコースは少し遠いし、ハロン棒を目安にしててもちょっとくらいストップウォッチ止めるのがズレるだろうから、ミリ秒あたりは正確に測れてるわけじゃない。だから間違いなくこうなったのは()()()なんだろうけど、それでもグリントちゃんのタイム――」

 

「――え、なにこれ。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 13.8 - 13.8 - 13.8 - 13.8 - 13.8 - 13.8

 

「びっくりするくらい均一(ゾロ)ってんだけど」

 

 

 ■■■

 

 

「はぁッ! はぁッ! はぁ――!」

 

 二人のウマ娘が同じコースで別々にタイムアタックをしているような、孤独なマッチレースという矛盾を抱える展開でレースはひたすらに進み、800mを3周目してホームストレッチ側の直線を抜け、1コーナーに入り……走破距離が2700mに差し掛かったあたりで、ライジングフリートはすでに己の体力(スタミナ)の限界が近いことを感じ取って焦りが生まれ始めていた。

 

 想定以上に、はるか後方に置き去りにしたはずのホワイトグリントと()()()()()()()()のだ。

 

(今――おそらく2分40秒あたりはとっくに超えているのは確かだが……クッソ、ペースが滅茶苦茶だから上手く体内時計の把握ができねえ……)

 

 ライジングフリートは別段コーナーが苦手なウマ娘ではない。しかしコーナーの距離が120mしかない角度のついたキツイカーブではどうした所でペースダウンは免れないし、そこで仕方なく僅かでも息を整えて、そして短いと有名な中山レース場の最終直線より更に短い280mの直線でスパート気味に加速しタイムを稼ぐという手段を取らざるを得ないのだ。それを3周も繰り返してペースが安定するはずがない。

 

(どうせもうタイムなんて意味ねぇ、従来のコースだったらはるかに遅ぇのは確かだろうが……しかし……ここが変則コースだとしてもとっくに100バ身差がついてるハイペースで走ったはずなのに……なんでまだ奴は()()()()()()()()!)

 

 そもそもこのコースは本格的なレース場に触れる機会が少ない新入生を()()()走らせる為に用意されたコースである。根本的にスピードが出すぎないように設計されているのだから従来の基本的なコースの平均よりタイムは大幅に下回る。だからこそ2400mまでが適正距離と診断されているライジングフリートがハイペースを維持して2700mを超え――そして2800mが近づいてもまだ僅かに脚が持っている理由の一つなのだが。

 

 2800m目のハロン棒の真横を経過した時、一瞬だけフリートは後ろを振り向いて確認する。

 

(――いや、理由はわかってる。あいつのコーナーを曲がる速度が異常すぎるのと、途中でペースを上げてそれを維持したってだけのシンプルな理由だ……どんな体力(スタミナ)と脚してんだよ……! 本当に一ヶ月前までそのでけぇおっぱいぶら下げてランドセル担いでた小学生だったのかお前は……!)

 

 そこには丁度一つ前のハロン棒の少し後ろを通過する白いウマ娘。自分と同じかもしくはそれ以上に大量の汗を吹き出しているということを除けば()()()()()()クールで機械的で、敗戦濃厚だと言うのに走るのも止めず、その表情に何の感情も宿さないその姿。

 

(もっと直線が長かったら……くっ、それでももう210m差……くらいか。あとたった、たった30mほど差をつけるだけでいいんだ――スパートはもう掛けれない、そんなスタミナ残ってない……でも少しだけ、ほんの少しだけ今よりペースを上げられるはずだ――距離は3200m(ゴール)間近までかかってしまったが100バ身差つけて勝利できる――)

 

 だがそれは――ホワイトグリントがこれ以上ペースを上げて来ないというのが前提条件の話。だがもはやこれだけ距離が開いてしまっては残り400mしか残っていないこの距離で6秒以内のタイムオーバーにならなければグリントの勝ちという条件を満たすことは()()()だ。

 

 白毛(ホワイトグリント)はライジングフリートのスタミナ切れ狙いという大胆不敵な作戦を見事に失敗したと言わざるを得ない。それはグリントの想定よりもフリートのスタミナが残ったこと――そしてグリント自身のスタミナとスピードが残らなかったことが決定的な敗因で、もうホワイトグリントにこれ以上頑張って走る理由がないはず――フリートはそう考える。

 

 しかし、頑張ってペースを上げる理由が薄いのはフリートも同じだった。

 

 ――ここでペースを上げれば3200mを走り切る前に()()()()()()()()()()()。もしグリントが最後の力を振り絞りペースを上げて追いかけて来て100バ身差勝利ができなかったら万が一にも億が一にも、()()()()()()()()()()()()。別段、スタミナが付きたとしてもそれでゴールが出来なくなるくらい完全燃焼してしまう程ヤワな鍛え方などしていない。スタミナの残り具合からしてペースを上げれてもせいぜい100mが限界だが、例え体力をすべて使い果たして著しくペースを落とそうとも完走はできる、意地と気合と根性で残る300m6秒差を守ったまま走ってみせる。

 

 ……だが、ここでペースを上げても99%問題ないだろうが――ペースを上げるどころかペースを落としほどほどに400m走り切れば100%問題がなくなる。

 

 99%と100%。勝つべくして勝つなら選ぶのは――。

 

(――違う。違う違う違う! 何を考えてんだ私は! なんで私は()()()()()()()()()()()! オグリ先輩が言っていたことじゃないか! ――あいつはまだまだ本格化が遠い、将来が楽しみなウマ娘なんだって……! 悔しいけど、死ぬほど悔しいけど、()()()()! あいつはこの先、絶対にとんでもないウマ娘になる! 本格化もしてない内にこれほど走れるウマ娘なんて、紛れもない()()で――その才能を活かせる()()()だよ! けど! だけど!)

 

 今はまだ――(ライジングフリート)の方が速くて強い。

 

(あの子は――もう負けが決まってんのに、きっと必死の思いをしながらついてきてる! あの無表情の下できっと死ぬほどしんどい疲労の苦しみに耐えてるはず! もう限界のはずなんだ! これだけ走れたのが奇跡で! ペースを上げても絶対についてこれるはずがない! それに……!)

 

 100バ身差をつけてみろ(マンノウォーやってみろ)という条件はこの余りにもグリント側に勝ち目が薄いレースで唯一フリートに投げかけた挑戦(じょうけん)である。それを無視して勝ってどうなる、負ける要素がないようなレースでただ勝ってどうする――そんな勝負に何の意味があるというのか。

 

(何も悪いことさえしてない白毛の新入生に、ただのくだらない嫉妬であの子に何のメリットもない勝負をけしかけたのは意地悪(ヒール)の私だろ! だったら最後まで悪役(ヒール)貫き通せ私! ……行け、行け、行け、行け――行けっ!)

 

 最後のスタミナを振り絞り、ライジングフリートはターフを蹴る。

 

「あああぁっ!」

 

 気力を最後の一滴まで出し尽くすように咆哮と共に加速する。スパートと言えるほどの切れ味なんて残ってない。決してその脚は豪脚や弾丸と名のつくような末脚を宿す脚ではないけれど――中央レースで何度も勝利を重ねた自慢の脚だ。

 

 それが決して遅かろうはずがない。

 

 ――20m。

 ――50m。

 ――80m。

 ――100m。

 

 ――まだ、行ける。

 

 100mまでしか持たないと思っていた脚が、自分を運んでくれる。限界を超えて走ってくれる。

 

 脚が振り上げられないくらい重い。腕だって痺れてもう両腕がちゃんとついてるのかすらわからない。肺と心臓が信じられないほどの爆音の悲鳴をあげている。

 

 真っ白く視界が狭まる中で、3000mのハロン棒が僅かに見えた時――フリートの脚は紐の切れた凧のようにガクッとペースを落とした。

 

(ハァッ、ハァッ――勝った……)

 

 そうしてフリートは勝利を確信しながら、逆再生のムービーの如く視界に景色がゆっくりと戻るのを確かめながら、フリートは静かに後ろを振り返って――。

 

(――あぁ、お前って奴は、本当に――)

 

 ホワイトグリントとの距離が、開いていないどころか()()()()縮まっていたその光景を目にした。全身汗だくで、びしょびしょになった体操服が透けかけていてそんな些細なことなんてどうでもいいというような無表情なのに目の奥だけはギラギラしてて――。

 

(本当に凄い奴だよ、お前……いや、()()()()()()()()……100バ身差――つけれなかったな……)

 

 ここまで無表情の裏に隠された負けん気と根性を見せられては、問答無用にこの白く美しく輝く毛並みを持ったウマ娘を認めてしまう。ホワイトグリントという才能に溢れるウマ娘を受け入れてしまう。負けた方は勝った相手の言うことを何でも一つ聞く、という約束を取り付けたのは――勝って、グリントをチームに入れないように要求しかったからなのに。今はもう――そんなことが思えない。

 

 先程まで荒んでいたフリートの心が、この純白の色に洗い流されたような気分だった。オグリ先輩を独占する羨ましくて忌々しい存在とさえ思っていたこの白毛のウマ娘と共に走れたことが――今は幸福すら感じるようで。

 

(――レースが終わったら、みんなにきっちり頭下げて、謝ろう。散々酷いことを言っちゃったから、グリントは許してくれないだろうけど……)

 

 レースには、多分勝った。もう残り200mだ。ここからホワイトグリントが伸びてくることはもうない、それができるならもっと速い段階でスパートをかけているはずだから。しかし100バ身差勝利というホワイトグリントの挑戦には届かず――心中に訪れた虚しさと謙虚さと罪悪感を抱えながら、フリートは視線を前に戻して、ゴール際に待つチーム【ジョーンズ】の面々の顔を見た、レース中は怖くて、とてもじゃないが見ることのできなかった顔を。

 

 オグリキャップ、北原穣、ベルノライトの3人の顔にあったのは、怒りでも悲しみでも喜びでもなく――まるで、辛かったらいつでもレースを棄権して、こっちに飛び込んで来ていいんだ――と言わぬばかりの優しさと心配が混ざりあったような表情だった。それはきっと――後ろのホワイトグリントに向けられているもので――。

 

(本当に、ジョーンズは優しくて、あったかくて――良いチームなんだよ……意地悪して、ごめんグリント。ジョーンズは――お前の居場所に相応しい)

 

 自分に向けられたものではないとは思いつつも、もしかしたら少しくらいは私のことも心配してくれているのかな、なんて淡い期待を胸に懐きながら――フリートは3000mのハロン棒を超え、ラスト200mを走る為に、蝋燭の最後の炎を燃やすように、濡れた手ぬぐいから最後の一滴の雫を絞り出すように限界の限界を振り絞ろうとして――。

 

(……あれ?)

 

 ある違和感に、気付いた。

 

 レース前の取り決めでは――確か――ラスト1ハロン(200m)になったら、そこがゴールであると知らせる為に()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 北原の手は――()()()()()()()()()()

 

「――ふぇ?」

 

 意図せず、フリートの口から風船から空気が漏れだようなすっとぼけた声がこぼれて出た。北原トレーナーが、周回数を数え間違えてる? いや、四周だなんて小学生でもちゃんと数えられる数だ。そんなもの間違えようが……。

 

 そんなことを思った、瞬間だった。

 

 背後から、今まで経験した中央のレース中にすら覚えのない――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 三度(みたび)、フリートは後ろを振り向く。

 

 そこで見たものは――。

 

 己の策略が成功した折に策略家が浮かばせるような笑みではなく。

 今からお前を殺してやるぞ、というような攻撃的な笑みではなく。

 明日には養豚場に運ばれる豚を目にしたような冷たい笑みでもない。

 

 

 

 それはそれは、まるで見る者すべてを虜にしそうな程に幸せそうで、これでもかというくらいの多幸感を感じているような――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ■■■

 

 

 実を言えば――私の体力(スタミナ)は2400mを超えたあたりから()()()()()()()()()

 

 まあそれも当然の話で、普段からどれだけハードなトレーニングを積み重ねようとも私の身体がまだウマ娘として未成熟である以上、どうした所で年齢相応の限界値という超えられない壁がある。最初からハイペースで飛ばしてたのに、途中からフリートさんとの100バ身差のマージンを守る為に更にペースを上げたのだから、普段なら3000mくらいならスタミナの範囲内で余裕を持って走れる私であっても体力の枯渇が早くなるのは道理だ。

 

 だからずっと我慢して、走った。

 

 必死に我慢して、耐えて耐えて耐えて――走った。

 

 でも――2800mに差し掛かった瞬間、フリートさんは更にペースを上げる。その加速は力強い物ではあったけれど決してキレがない、フリートさんだってもうスタミナが残ってないのだろう。現在私とフリートさんの距離はざっくり215mほど。私もペースを上げなければ100バ身差がついて負けてしまう。

 

 もう形振(なりふ)りなどに構っていられない。

 

 私はフリートさんを追って限界を超えて脚の回転を上げる。

 

 50m、100m、150m――3000mのハロン棒が間近に迫った時、フリートさんは燃え尽きた蝋燭のようにペースを著しく落とした。ついにスタミナが尽きたんだ、私の唯一とも言える勝ち筋であったスタミナ切れ作戦は完全に成功したと言えるだろう。

 

 けれど私もフリートさんのペースアップについていく為に限界を超えた代償は大きく――。

 

 もう無理だ。

 

 もう限界だ。

 

 もう耐えられない。

 

 もう――()()が我慢ができない!

 

 

 きっっっっっっっっもちいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!

 

 

 一歩一歩ターフを蹴る度に脚に雷が落ちたような苦痛(きもちよさ)が来る! 腕を振る度に万力で締め付けられるような激痛(かいらく)が奔る! 呼吸をする度に今にも破裂しそうな肺が! 悲鳴を上げる心臓が奏でるそれはまるで豪華なオーケストラが奏でる地獄(てんごく)のようなハーモニー!

 

 汗でびしょびしょに濡れて肌に纏わりつく体操服と下着の不快感(かいかん)ときたらもう極上のシルクで仕立て上げられた最高級の新品のお洋服を来ているかのよう! 濡れちゃいけない場所まで濡れそう!

 

 やっぱり本気のレースは最高だ……走ることは最高だ! ハードトレーニングとはまた違う、これほどの痛気持(ここ)ちよさを私に与えてくれるのだから!

 

 スタミナが尽きたはずの身体にドーパミンだとかエンドルフィンだとか多分そんな感じの快楽物質が埋め尽くす! 喜びと快感が合わさり混じって弾けて数多の多幸感が私に身体を動かし続ける気持ちよさをくれる!

 

 もっと。

 

 もっと!

 

 もっともっともっともっともっともっと――もっと欲しい!

 

 そんな風に頭がバカになりそうな程の快楽の渦に身を委ねれば本当にどこまでもどこまでも無限に走れそう――だけど、そんな幸せの絶頂の中でも笑顔を我慢しきれなかったことの一抹の不安が募る。

 

 レース中の自分の笑顔なんて見たことはないけけれど、きっととんでもなくだらしない顔をしているだろう――必死に走っている途中でそんな顔をしながら走るウマ娘なんて多分人の目には気持ち悪い存在に映るかもしれない……小さい頃のように周りから()()()()()()()()()目で見られるのは、怖い……凄く怖い。

 

 でも。でも! ()()()()()! 私は――己を徹底的に痛めつけるのが大好きな超絶ドMウマ娘だから! それだけはやっぱり偽れない! あとでどうにかランナーズハイになっちゃったとかでなんとか誤魔化そう!

 

 だからこの瞬間瞬間を、この幸せを大切に大切に噛み締めながら、私を気持ちよくしてくれるすべての苦痛をたった一つでも疎かにしないように――走ろう。そして勝とう!

 

 とはいえ流石に私もペースを落とさないと気持ちよくなりすぎて失神しかねないから()()()()だけど――フリートさんのスタミナが切れてペースを激しく落としたこの状況なら200m差はあるだろう残った距離も十分覆せる。 

 

 やっぱりレースはタイムオーバー以内だったら私の勝ちだとか特殊ルールで勝つんじゃなくて――抜いて勝ってこそだよね!

 

 ああ、本当に――こんなにも気持ちのいいレースがあとたった1()0()0()0()m()しかないのが残念すぎる――!

 

 

 ■■■

 

 

()()()()――」

 

 一瞬だけ、セイウンスカイはその笑顔に見惚れてしまった。あまりにも楽しそうなその素敵な笑顔に、あまりにも幸せそうなその綺麗な表情に。否、見惚れてしまったのは彼女だけではなくその場でそれを目撃したキングヘイローや新入生達も同じだった。なぜか()()()()を感じてしまうその笑顔から目が離せない。

 

「……はっ! あ、あれ!? っていうかこのレース…天皇賞・春(3200m)なんじゃないの!? ゴール間際になったらトレーナーさんが手を上げるはずだよね!? 上げてないんだけど!」

 

「どういうこと!? 春天じゃなくて中山のステイヤーズステークス(3600m)だった!? ……いやでもゴールがスタート地点の直線上なんだから距離は800mの倍数しかないはずだし――4000mなんて芝のレース、()()()()……あっ」

 

 騒いでいた一人の新入生から呆けたような声がまろびでた。現在日本の最長レースは3600m*1、しかし()()()()それよりも長いレースが複数存在する。

 

「うん、グリントが選んだ距離は間違いなく()()()()()だ」

 

 その一つが今しがたセイウンスカイが答えたように、パリ・ロンシャンで開催されるフランスの長距離最強古馬決定戦として位置づけられた伝統と歴史ある距離4()0()0()0()m()のレース――『カドラン賞』である。

 

「海外レースじゃん!? ありなのそれ!?」

 

「いやだって、選ぶ距離は()()()()()()()()()()()()()()()んでしょ? カドラン賞はURAにもちゃんと公認されてる芝レースだよ。日本からちょっと一万kmほど遠くで開催されてるだけで」

 

「全然ちょっとの距離じゃないんですが」

 

「でも本当にカドラン賞(4000m)なの……? 障害競走とかならもっと長いレースあるよね」

 

「芝レースならなんでもよくたって、障害物もないこのコースで障害競走の距離とするのは無理筋」

 

「そういえばカドラン賞ってあったね……海外レースなんて凱旋門とかブリーダーズカップみたいな有名なレースしか頭になかったや」

 

 確かに、とセイウンスカイは思う。カドラン賞は伝統と歴史のある偉大なG1レースではあるが日本ではあまり馴染みがない。そもそも近年高速化していく日本競バの世界で長距離レース自体が軽視されがちになっていて、わざわざ長距離レースへ挑みに海を渡る日本ウマ娘がほとんどいないことからカドラン賞やゴールドカップといったレースの一般知名度が日本ではそこまであるわけではないのが現状だ。

 

 セイウンスカイとて長距離が得意分野であるから世界の長距離重賞を調べていたというだけで、そうでなければ自分だって聞いたことのある海外レース程度のふわふわした知識しかなかったかも知れない。

 

「いくら距離はなんでもいいって言ったってふつー選ぶ!? 3200mでも私達には長すぎるのに4000mだよ4000m!?」

 

「なんでまだ走り続けられるの……スタミナが豊富だとかそういう問題じゃ……」

 

「でもさ、グリントちゃん――すごく楽しそう」

 

 最後の気力を振り絞ったかのようなライジングフリートのペースアップが終わってから、両者の速度は格段と落ちている。フリートは言わずもがな完全な失速だが、しかしホワイトグリントだってペースは格段に落ちていた。両者とももうスタミナが無くなって限界のはずなのだ。糸の切れた風船のような拙い二人の走りが、最後の最後に残された意地と気合だけで走り続けていることの証拠だった。

 

 片や、フリートの表情にはありありと苦悶と苦痛が浮かんでいて、呼吸だって絶え絶えで、もう走るのをやめたっていいじゃないか、もう無理をしなくたっていいじゃないかといっそレースを止めてしまいたくなるほどの苦しさがあるのに。

 

 片や――どうしてホワイトグリントはあそこまで楽しそうに走れるのか。全身から汗を垂れ流して、あれほど機械のように正確だったフォームだってもうガクガクと崩れ始めているのに。

 

 作戦がうまくいったから? あと少しでレースに勝てるから? 奇跡的な大番狂わせ(ジャイアントキリング)に酔いしれているから? 勝てばチームジョーンズに入れるから――?

 

 違う。そのいずれもきっと違う。それが何なのかわからない、上手く言葉にできない。

 

 だけど、その表情に目が奪われる。

 

 だけど、その走る姿から目が離せない。

 

 彼女を見つめ続ける程に胸が熱くなっていく、心の奥から情熱を帯びた衝動が溢れてくる。

 

 どうしてこんなにも、今の彼女が()()()に見えてしまうのだろう――。

 

「……羨ましいわね」

 

 ぽつり、とキングヘイローが身体の内側から溢れる熱を吐き出すように言葉を零す。

 

「キング……?」

 

「オグリキャップさんみたいに走れることだとか、恐れを知らないようなライン取りだとか、とてつもないスタミナだとか、芸術的なコーナーワークだとか、精密なラップタイムを刻めることだとか――」

 

 そういう技術に裏付けされたものが、羨ましいんじゃない。むしろそういった完成度の高すぎる走りが出来なくなるくらい消耗していくほどに、ホワイトグリントというウマ娘からむき出しに感じられるたった一つの思いこそが、羨ましいのだとキングは続ける。

 

「一歩一歩、地面を蹴れば身体が前に進む。風が身体を包んで、風景が流れていく――今、彼女が全身全霊で示しているのは私達ウマ娘が誰もが持ってる根源的欲求なのよ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だからこそみんな目が離せない――彼女を見てると、つくづく実感できるもの。私達ウマ娘は――」

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「――もう! あんなに楽しそうに走るのを見せられたら、こっちも走りたくなって堪らないじゃない! ずるいわよ! 私達も混ぜなさいよね! 4000m走はまだちょっと勘弁して欲しいけど!」

 

 ああ、だからか。そういうことだったのか、たったそれだけのことだったんだ。その場にいたウマ娘達は理解する、彼女に惹かれていく自分の心を。その確かな理由を、そのシンプルな答えを。

 

「……頑張れ」

 

 誰かが、そう小さく呟いた。それに呼応して熱の入った声援が、次々と火口を切って荒ぶり始める。

 

「頑張れ……頑張れ! ホワイトグリントー!」

 

「負けるなーーー! 白毛ちゃあああああああん!」

 

「いけるぞ新入生ーーーーーー!」

 

「差せー!」

 

 真っ白なゲレンデを転がる雪玉が大きさを増していくように、情熱がウマ娘も人も、誰も彼もを巻き込んで伝播する。観客席いたほぼすべての者が、白毛のウマ娘に声を出す程夢中になっていく――。

 

 

 ■■■

 

 

『大丈夫ですよオグリさん。私、春の祭典には出たいと思ってて……本番に向けていい経験をさせて貰えますから』

 

(何が春の祭典だ……! 確かに昔はカドラン賞は5月くらいに開催されてたけど――()()1()0()()()()()()()()()()()*2 完っ全にハメられた!)

 

 そもそもグリントは春の祭典に出たい、と言っただけで別にこのレースの距離が春天の3200mだと言ってはないし、カドラン賞の4000mという超長距離が春天の為のいい経験になるのは間違いないのだからライジングフリートが()()()()()()()()のはまごうことのない事実。というかその言葉はオグリキャップに向けられたものであり、()()()()()()()()()()()()()だけでフリートに向けられたものですらないのだ。

 

(そりゃ耳に残ったわけだよ……たまたまじゃない。確実に()()()()()()()()()()()()()()……!)

 

 しかしそれがフリートに距離を誤認させる為に仕組んだことであることはあからさまである。フリートのような高等部の生徒は海外レースだってちゃんと勉強しているし、レースの距離が800mの倍数であるならば、ひょっとして3200mではなく更に上の4000mの海外レースなのかも知れない――というのは十分考察できた。

 

 それが春の天皇賞を匂わされたせいで、すっかりこのレースは3200mであると思考がロックされてしまって――さらに言えば3200mの距離は本格化してスタミナを有り余す長距離ウマ娘(ステイヤー)ですら、全力で3分間以上レースを走り続けるのはっきりいって()()()のだ。なればこそ、それ以上の距離を未成熟のウマ娘が選ぶのは尚更ありえないと考えてしまうのは道理である。

 

 距離が4000mなのかも知れない、という考えがわずかに頭の片隅にでも残っていれば――こんな展開にはならず、もっと違ったレースになっていただろう。

 

(あんなかわいい顔してエゲツねぇ……)

 

 ジョーンズの部室でレースの内容と走るコースを聞いたあの僅かな時間で、この展開を読んで作戦を思いついてそれを実行したというのか? ホワイトグリントというウマ娘は――いったいどんな化け物(・・・)だ。白雪姫(スノーホワイト)のように白く美しいウマ娘の中身は、飛んだ白い怪物(ホワイトファントム)だった。

 

(……勝てない……)

 

 レースをする前にフリートの心の中にあったホワイトグリントへ対する負の感情は、すでに消えている。それどころかホワイトグリントという一人の白毛のウマ娘の実力を心から認めた事によるリスペクト精神さえ芽生えていた。だからこそ、まるで少し速いジョギング程度までしか速度が出せないボロボロの状態になった今となっては、更に一周(800m)走ってグリントの追走を振り切るのは無理(・・)だと理解してしまう。それどころか完走だって、もう――。

 

「いっけー! グリントーーー!」

 

「もう少しだぞーーー!」

 

 先程からドカンドカンと破裂するような、彼女に魅せられた観客達の熱い応援がフリートの耳に届いていた。ただの物見遊山で集まっただけの観客をここまで虜にしてしまうホワイトグリントに驚きを禁じ得ない。すでに彼女は――日本中を熱狂させたオグリキャップのような()()()()()()()()()()としての片鱗を表している。

 

 最初から――器が違った、格が違った。例え圧倒的な能力差があったとしても私なんかが勝てる相手じゃ、なかったんだ――。

 

 もうこの場所で、きっとライジングフリートの勝利を望んでいる者なんて、一人も……いや、()()()()……。

 

(……これ以上、走れない。負けたくない、負けたくない……走りたい……でも、もう……無理……だ……)

 

 絶望がフリートの心を覆い尽くし、走るのを止めようとした――その瞬間。

 

 

「頑張れ!!! ライジングフリートォーーー!!! 走れ! 走るんだァアアア!!!」

 

 

 間違いなく、その日で一番の魂が籠もった声援がターフに木霊し、フリートの脳を揺さぶった。その声の主は、いつでも優しくて、いつでも楽しそうに私達を見守ってくれるライジングフリートの北原穣(トレーナー)

 

「顔をあげて! 前を向きなさいフリート! 息を整えて! 腕はコンパクトに振って! 脚はピッチで! まだ、まだ走りたいんでしょ!? 勝ちたいんでしょ!? だったら、諦めるな! 最後まで頑張れぇぇぇ!」

 

 ゆっくりと、フリートは視線を後ろに向ける。先程通り過ぎたゴールラインの地点で、必死にフリートを応援する北原とベルノライトの姿がそこにはあった。

 

「――ぁ」

 

 本来、このマッチレースに北原達は不測の事態でも起きなければ口を挟むつもりはなかった。いくらフリートから言いだしたとはいえ、お互い合意の上で開催された勝負である。心情的には思うことがあれどどちらかに肩入れするのは立場的にフェアではない。しかし――そんなことは関係ない、関係ないのだ。

 

 自分の担当が勝ちたいと思っているのならば、諦めという絶望の淵に立たされているのなら――それを応援しないトレーナーなど()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ぽろぽろと汗と一緒にフリートの目から涙が溢れてくる。こんなにもチームは自分を大事にしてくれているのだ。それを、ちゃんとわかっていたはずなのに。

 

 そして――フリートが心底から敬愛するオグリキャップもまた、フリートとグリントの二人をしっかりと見据えながらその目で語りかけていた。『どっちも頑張れ』と――グリントがオグリキャップの特別ならばまたフリートとて特別なのだ。そこに差別も不公平もない、オグリキャップにとって二人は平等に愛すべき後輩である。

 

 さらに目線をずらして、後ろから凄まじいプレッシャーを放って追いかけてくる白毛のウマ娘を見る。

 

(負けたくない…負けたくないッ……オグリ先輩が大好きって気持ちも――! 私だって、私だって――)

 

 笑ってる。本当に綺麗で素敵な笑顔で――きっとそれは走ることそのものを心底から楽しんでいる笑顔――走るのが大好きだから、このウマ娘はこれほどまでに速く、そして強くなれたのだろう。

 

 その笑顔を見ていると小さい頃を思い出す――芦毛は走らないなんて言葉に傷つけられる前、ただただ走るのが楽しかったあの日々。あんな素敵な表情をしていたはずなのに。時が経つにつれて、上を目指せば目指すほど勝つことの重圧や負けることの怖さが勝っていって、走り終わったあとは充実感はあるけれど、楽しいと思えることが少なくなっていった。

 

 だけど、これだけは間違いないはずなのだ。

 

「私だって! ()()()()()()()()!」

 

 もはや限界の限界すら超えたフリートの背中を、トレーナー達との信頼が押す。走るのが好きだという気持ちが彼女を支える。

 

 走る、走る、走る。

 

 もう無理だと思っていたラスト一周(800m)の距離が見る見る埋まっていく。

 

 そして――ラスト200mに差し掛かって北原がここがゴールだと手を上げた時――あれだけあったフリートとグリントの距離の差はなくなって、併走状態にまで滑り込んだ。

 

 そこからは、完全に意地と意地のぶつかり合いであった。

 

 もう二人共まともなフォームで走れてすらいない。

 

 がたがたで、くだくだで、ぼろぼろで――まるでそれは年端も行かぬ幼子同士の追いかけっこ。

 

(クソッ、クソッ、クソッ! ()()()()()! ()()!)

 

 気づかぬ内に、フリートも浮かべてしまったその笑顔は――ホワイトグリントにも劣らない、素敵な笑顔だった――。

 

 

 

 

 

 うおおおおおおおぉ――そんな大声援に包まれて、ほぼ同時にゴールした瞬間二人は倒れるようにターフへ突っ伏した。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

 すべてを出し尽くした。もう一ミリとも走れと言われても走れない程に。大丈夫か!? と一目散に駆け寄るジョーンズの面々に介抱されながら、フリートは力ない声で勝者を称える。

 

「ホワイトグリント――お前の、勝ちだ。完敗だよ……本当に」

 

「……とても気持ちいいレースでした。こちらこそ――ありがとうございます、フリートさん。また、走りましょうね……今度は、ちゃんとした中央レースで」

 

 ――いや、お前が本格化してシニアクラスのレースに出れるようになるまで現役で居ろ、と――? それ何年かかんだよ、とは思いつつも。

 

天辺(G1)取って待ってるから、できるだけ速く来い。ウマ娘の現役(ピーク)は短いんだ」

 

 フリートは目を瞑りながら、そんな先の先の未来に思いを馳せ静かに答えた。

 

 

 ■■■

 

 

 そんな掛け合いをする二人を眺めながら、オグリは、北原は、ベルノは――にこやかな表情で見守っていた。今の二人にもう、レース前の遺恨なんて残っていないだろう。これほど激しく長い激走を繰り広げたのだ、きっとこの二人はレースを通して分かりあえたんだ――。

 

「さて……フリートさん。それはそれとして……()()()()()()()()()()

 

 と、思っていたのだが――。

 

 ベルノから渡されたタオルで丁寧に右手を拭きながら、再び無表情に戻ったグリントは問いかける。約束とは当然、負けた方は勝った方の言うことを何でも一つ聞いて貰うという権利である。

 

「――ウマ娘に二言はない。私にできる範囲のことなら、なんでもだ」

 

 負けるつもりはなかった故の約束だったけれど、しかしこうして負けてしまった以上速やかに約束の履行を果たすのは筋である。ライジングフリートは粗暴だが約束事を守らないほど卑怯者ではない。

 

 何をさせられるのか(いささ)か不安だが、しかしどんな無茶な願いであれフリートは出来る範囲なら本当になんでも言うことを聞くつもりだった。ジョーンズから脱退しろと言われればするだろうし、トレセン学園を辞めろと言われれば従う。

 

 賭けの条件を先に出したのはこちらである。その代償は甘んじて受けねばもはや何が何やらわからない。それくらいの覚悟はして望んだレースだ。

 

「では――」

 

 ふらりふらりと、グリントは幽鬼のように頼りない足取りでフリートに近づいて。

 

「少し、口をあけて貰えますか」

 

「……?」

 

 言われた通り、フリートは口をあーんと上げると――。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(え!? えっえっえ!? 何これ!? 私今から何させられんのこれ!?)

 

 突然の行動に困惑するフリートを尻目に、グリントは静かに告げる。

 

 

 

「それではお願いを聞いて貰いますね――そのまま、思いっきり――その素敵なギザ歯で――()()()()()()()()()()()

*1
かつては日本にも日本最長距離ステークス、中山四千米という4000mのレースが開催されていたが現在は無くなっている。

*2
史実世界ではカドラン賞は1971年からグレード制が導入されると同時に5月下旬に開催されていたが、1991年から10月に変更されている。

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