魔王vsパワードスーツ/魔王に滅ぼされかけた異世界の人々、26世紀のパワードスーツを召喚して反撃に出る 作:kadochika
6.1.王女の休日
秋にまいた種が冬を越して春に育ち、そして収穫を迎えるのが夏だ。
広大な小麦畑では、農家が総出で収穫作業を進めている。
一方でその外れに、真新しく大きな建物が佇んでいた。
二階建ての広く、鉄筋造りを主とする最新の建築様式。
インヘリト王国が新設した魔術工房だ。
その中では、魔術技師たちが製図に勤しんでいた。
季節は夏真っ盛りであったが、天井に設置された冷気の魔術紋様が空気を冷やし、工房の中を比較的快適に保っている。
その作業区画を、複数の人物が固まって歩いている。
先頭を歩いて案内しているのは、銀髪の年若い娘だ。
左手で魔術師たちの製図作業を指し示しつつ、説明する。
「右手に御覧頂いているのは、魔術紋様を分担して製図する工程です。
今は印章の原型を作っていますが、将来的には大量生産にも対応できるよう、機械の導入計画を立てています」
その動きに合わせて、銀色のポニーテールが小さく揺れる。
彼女に率いられた集団の一人が、手を挙げて尋ねる。
「ファリーハ殿下、一つよろしいでしょうか」
「どうぞ」
彼女――ファリーハが促すと、その父親ほどの年齢の議員が、続けた。
「現在作っているのは、歩兵用の鎧の試作と伺っていますが……
これは将来的には、あの黒と白の鎧を代替するものと考えてよいのでしょうか?」
ファリーハは少し迷って、答えた。
「……そうですね、最終的にはそうしたいと考えています。
我々の魔術技術が、異世界の鎧にどこまで追いつけるか、という問題になってきますが」
そこに、質問が重なる。
「ここは魔術工房ですが、着装者の訓練はどのような具合でしょうか?」
「既に両軍から選定を進めています。こちらも最終的には、前線に出る全員に行き渡るようにしたいところです」
「量産の見通しはどの程度立っておりましょうか?」
「理想的には、月産二百領……ですが今は生産試作ということで、今月末までに十領を目指しています。
しばらくは作って試し、運用側の意見を反映して性能を向上させていくことの繰り返しになりますね」
「実戦配備の見通しも、今のところは不透明と?」
「早くても来年度ですね。こちらでも急ぎたいとは考えていますが――」
そうした質問に答えつつ、ファリーハは魔術工房の視察団を案内していった。
ともすれば今日にも、魔王率いる悪魔の軍勢が本土を襲いかねない、という不安はある。
しかし彼女は王女であり、魔術省の主席官――官僚側のトップでもあった。
止めることのできない、日々の仕事が続いて行く。
苦にならないどころか、彼女はそれに充実を感じる性分なのだが。
***
海軍の艦が、沖合を進んでいた。
ノヴァン・インヘリト島を外界から覆い隠す結界の遮蔽面積は広く、島の中心部から半径500キロメートルにも及ぶ。
とはいえこれは、艦艇にとっては決して広い領域とは呼べない。
結界の内外の出入りを物理的に阻むものはないため、航法を誤ると船は容易に結界の外に出てしまう。
悪魔に発見され、撃沈される恐れがあるのだ。
漁船に至るまでそれは同様で、インヘリト王国で製造される全ての船舶には、結界と連動し、近づけば警報を発する魔術装置の搭載が義務付けられている。
そのためもあって、陸を大きく離れて航行することができない海軍の航海術は衰退していた。
それでも、彼らは訓練を続けていた。
いつか悪魔が攻めてきた時に、最後の防衛線となるために。
だが、報告の内容は彼らの劣勢を示していた。
「右弦に複数被弾! 全砲塔破損、発砲不能!」
「くそ、探知はできていたぞ! 化け物め!」
「敵、本土に向かう!」
ウィルキン級装甲艦ウィルキンは、前後に搭載した二基の砲塔に黄色のペイント弾が直撃し、戦闘不能判定を受けた。
同級トワンサンも同様で、これが実戦であれば海軍は主力艦艇の半数を無力化された計算になる。
彼らを判定上撃破したのは、二領の全身鎧だった。
スラスターの作用で海上を飛行してノヴァン・インヘリト島本土へ向かうのは、漆黒の全身鎧と、純白の全身鎧だ。
多額の予算を費やし、異世界から王国の救世主となるべく召喚された、異世界の鎧だった。
ただ、それをまとっているのは、インヘリト王国出身の二人の若者だった。
黒い鎧の中から、着装者・ディゼムが通信を送る。
「そんじゃあ、予定通りに行くぞ!」
それに応じて、白い鎧の中から着装者・アケウが答える。
「了解だ!」
黒い鎧はそのまま海上を飛行し、白い鎧は空中高く飛び上がった。
その高度は数秒で海抜一千メートルに達し、白い鎧の頭部装甲が変形する。
鎧の内部にいるアケウは自身の目を凝らすように、意識を集中した。
すると、彼の目には島に生きる全ての生き物が、ほのかに光る点のようになって見えてくる。
“
そして白い鎧の頭部には、観測装置を通してもその魔眼の力を発揮可能となる、超高精細の撮像装置が組み込まれていた。
その名も、ルーシーズ・レンズ。
繊細な装置なので衝撃に比較的弱いという欠点があったが、利点はそれを補って余りある。
アケウは島の北西部に警戒の手薄な領域があると判断し、ディゼムに伝えた。
「ディゼム、北西部にはトラップがあるはずだ。そこは避けてくれ」
「了解。んじゃあ、ちと回り込んで西から行ってみるわ」
黒い鎧が旋回すると、アケウは自らの白い鎧を降下させ、島の南に回った。
一方、島の北部に展開していた陸軍の迎撃部隊は、別の物体と交戦を始めていた。
「撃ち方、用意――始め!」
新式の機関砲から弱装弾が発射され、沿岸に接近する飛翔体を迎撃する。
が、黒い飛翔体の勢いは落ちず、そこから発射されたペイント弾によって逆に、機関砲陣地が粉状の塗料の花を咲かせた。
その飛翔体はディゼムの着装した黒い鎧ではなく、遠隔離操作された増加装備だった。
その名も、ジャイガンティック・ゴーントレット。
巨大な腕の形状をしており、本来は異世界の鎧の右腕に追加着装して使用するものだが、こうした使い方も出来た。
『第二機関砲陣地、全滅!』
彼らが“前線”と魔術で通信する様子を演習指揮所で見ていたファリーハは、メガネの位置を直しながらうめいた。
「……以前と大差ないような気もしますが、これで本当に我が軍は増強されているのでしょうか……」
通信機を介して、白い鎧の制御人格・エクレルが鈴の鳴るような声で答える。
『こちらからの観測では、間違いなく強化されている。
下級悪魔の群れならば、倍の数程度はさしたる損耗もなく防げるだろう』
「ならば陸軍の総勢六万人で、十二万は防げると?
中級以上の悪魔はどうなります?」
今度は黒い鎧の制御人格・プルイナが、落ち着き払った女の声で答えた。
『そこは我々の出番です。もしくは、あなたが開発させている新式の魔術鎧に期待、といったところでしょうか』
彼女の言及する通り、一刻も早く強力な魔術の鎧を実用化させたいというのが、ファリーハの本音だった。
救世主召喚は、フンババ事件によって見直しを迫られている。
ならば、異世界の鎧たちが寿命を迎える前に、その戦力を代替したい。
また、鎧の着装者であるアケウとディゼムに負担が集中しているのも問題だった。
理想を言えば、交代要員を養成するべきところだ。
更に言えば、既に既に各所から着装者の交代要員を出向させるべきではないかと、打診が来てもいた。
だが、訓練に使える練習用の鎧などはない。
異世界の鎧たちの性能を考えれば、着装者を増やせと命じて素人を宛がってもいいのかも知れないが――実際に、二等兵だった二人を着装者に選び、不意に続いた悪魔との戦いを死なせずに切り抜けている――、追加の着装者の選定が問題だった。
また陸軍から着装者を? それとも海軍から? 魔術省から出すのか?
強大な力を持った異世界の鎧の着装者を選ぶとなれば、政治的な調整に時間がかかるのは明白だった。
加えて、案内人であるホウセがどう反応するかが気になった。
「え、別の人? ……いいけど」
と、了承しそうではあるが、彼女と代替要員との相性がいいとは限らない。
組み合わせがうまく回っている現状――ディゼムとホウセは一時的に仲たがいをしていたようではあるが――を変えるのは避けたい、という心理が働いていた。
残る人類の残存地は、メイエとウィッシェルを残すのみだ。
それらを一通り巡り終えるまでは、現状維持でも良いのではないか。
ファリーハは今は、そう考えていた。
そこからさほど長く経たずに演習は終了し、彼女は事後分析を軍人たちに任せ、次の仕事に向かった。
***
その後は転移の魔術紋様でアウソニアに向かい、理事会長と進捗確認を兼ねて会食を行った。
翌朝には外務省の新事務所の開所式に立ち会い、午後には来年度の予算編成に関して、魔術政策に関わる議員たちと意見を交換した。
そして夕方には、アウソニアとアールヴィルの使節を宮殿に迎えての懇親会に参加する。
私室で美容師によって髪の編み上げやメイクなどを受けて、侍女に付き添われて会場に向かうため部屋を出た、その直後のことだ。
「あら、ファリーハ? あなた、自分の部屋を使うことなんてあったのね」
彼女に声をかけたのは、背の高い銀髪の女だった。
鎖骨や肩の大きく露出したきらびやかなドレスを身にまとい、目元・口元には念入りに化粧が施されている。
一部を脱色して赤く染めた髪を結い上げ、派手な細工飾りで留めてもいた。
比較的簡素なドレスとアクセント程度にとどめたファリーハとは対照的だ。
ファリーハは、彼女に挨拶をした。
「姉上……ごきげんよう、ございますでしょうか」
「ごきげんよう、
扇子を掲げて挨拶を返したその女は、ファリーハの実姉だった。
シャーディヤ・クレイリーク。
インヘリト王太子の長女であり、男兄弟だけの太子の世代を飛ばして、第一王女ということになる。
彼女は紅を引いた唇を艶めかしく動かして、口にした。
「外務省審議官も兼任したんだってね~、仕事中毒もほどほどにしたら?
侍医から倒れたって聞いたけど?」
言葉の上では気遣っているようだが、その声には棘があると感じられた。
ファリーハも負けずに、言い返す。
「……お気遣いありがとうございます。
ですが、御心配には及びません。
国難を退けるために心身を砕くのが、王族の役目ですから」
「あーらこの子ったら、私が歌にうつつを抜かしてるって言いたげ~。
慈善コンサートは大好評なのにねぇ~マルワ?」
「は、はい……」
話を振られたシャディーヤの侍女が、恐縮して頷く。
「…………」
ファリーハは、彼女が苦手だった。
王族に生まれながら自分のことばかり考えている、姉が。
だがそれは、相手も同様なのだろう。
――王家姉妹の壮絶な確執――原因は異性関係か
――シャーディヤ姫の男性事情 ファリーハ姫の冷たくも熱い視線
少なくとも、『インヘリト・ポスト』や『女性水準』といったゴシップメディアは、二人の関係をそう書き立てている。
そうした彼女の思惑を知ってか知らずか、シャーディヤが話題を変える。
「ところでさ、ファリーハ?
あなたの所の異世界の鎧、今度やる慈善コンサートに出して欲しいんだけど」
「……コンサートで、彼らに何をしろと?」
「手から色々出せるらしいじゃない?
前にあなたが開いた展示会みたいに、きれいな煙幕とか出しながら、サーッと飛んでもらったりして欲しいなぁって。
もしよかったら、セッションしてくれたらいい演目になると思わない?」
彼女の提案を、ファリーハは言葉を選んで否定する。
「以前のあれは、召喚に多額の税金を使った鎧たちの力をアピールするためにやったことです。
今や実際に悪魔を倒し、旧世界から難民を救出するという効果を発揮している以上、余分な演出は必要ありません」
「あーら、身近さや親しみやすさを感じてもらって悪いことはないんじゃないの~?」
鎧たちの稼働時間が残り少ないことは、機密扱いにしていた。
よって、言えない。
少なくとも、この口の軽そうな姉には。
ファリーハは苛立ちを隠しながら告げた。
「申し訳ありませんが、鎧とその着装者は、旧世界探査に従事することになっています。
関係のない用途に駆り出すならば、議会に諮ってください」
「あっそ、ならいいわ~。
それより、あなたさ」
「まだ何か?」
苛立つあまり、それが声に出ていたかも知れない。
だがシャーディヤは表面上はそれを気にした様子もなく、妹に言う。
「若いうちからそんな仕事仕事じゃ、そのうち後悔するかもよ~?
ま、私が口出しすることじゃないかも知れないけど。
そんじゃ、がんばってねぇ~♪」
姉は扇子をひらひらと振りながら、懇親会の会場となる宮殿の大広間へと向かう。
ファリーハも、奥歯を噛み締めならその後に続いた。
***
更に翌日、ファリーハは執務室で通信機に話しかけた。
相手は白い鎧――その制御人格、エクレルだ。
鈴の鳴るような女の声が、やや高圧的に応答する。
『エクレルだ。当機に何の用だ』
「ごきげんよう、エクレル。
早速で申し訳ないのですが、飲むだけで健康になれる飲み物などは作れないでしょうか?」
『…………』
普段は高圧的で挑発じみた応答をする鎧だったが、今回は内容が唐突だったのか、やや長い沈黙があった。
『用途は何だ』
正直に、ファリーハはそれを打ち明けた。
「……お恥ずかしながら、わたくし、疲れているようなので……
疲労回復の手助けになるようなものを、作っていただけはしないかと」
エクレルは通信の向こうから答えて、
『抗疲労物質を配合した飲料なら作れるが、それだけではいけない。
人間が健康を回復するには、心身が安らげる環境を作ることが肝要だ。
当機にとって、今のお前は逃避先として仕事を選んでいるように思える』
逃避。その言葉は、彼女にとっては意外だった。
エクレルがこちらを挑発しているというわけではないように思えて、ファリーハは自問するように口にした。
「わたくしが、逃げている……?」
『いつ魔王が軍を率いてインヘリト本土を襲うかわからない。
国交を樹立した友邦を滅ぼすかわからない。
そうした状況が訪れるのを、恐れているんじゃないか?
仕事に打ち込むのは正しいようではあるが、倒れるようでは本末転倒というものだ』
「だからこそ疲労を回復して――」
『まぁ待て』
反論しようとした彼女の言葉を、エクレルが遮る。
『お前が自分の意思で仕事をしているのは理解している。
国を良くして国民を幸せにしようと考えてのことであることも、理解しているつもりだ。
だが、第二王女、魔術省主席官に外務省審議官……兼任のしすぎだ。
人間には物理的・生理的な限界もあること――そして自分が超人ではないことを、お前はもっと強く認識すべきだと、当機は考える。
論理的であろうと心掛けているお前のことだ。
先日のように倒れていた時間を休みに充てれば、総合的にはもっと仕事の能率が上がるはずだと思えないか?』
「………………」
彼女が理不尽なことを言っているとは思えず、ファリーハは考えを変えた。
超人になれないのであれば、休息を取ってみるのも選択肢となるのか?
(出来れば仕事に穴は空けたくないけど……
能率が上がるというなら、試してみる価値はあるかも)
そして彼女は関係各所と調整し、一日だけ休みを取った。
***
刃物屋ゼギ。
インヘリト王国の遷都より以前から存続している、老舗の刃物商である。
一見した店構えは小さく、百に満たない展示品以外は、箱に収められた商品が積み上げられている。
だが、そのカウンターの向こうには、工房が広がっていた。
そこには鋼材を切り出す丸鋸、刃を成形する研磨機、熱処理用の炉など、ナイフの製造に必要な設備が全て揃っている。
複数の職人が、それぞれの工程を進めている。
ファリーハも、そこに混じって作業をしていた。
彼女は職工というわけではないが、ナイフ作りを趣味としている。
王女として、こうした趣味は公にはできなかった。
王宮に工房を作るわけにも行かないので、こうしてひそかに民間人に――王宮御用達ではあったが――頼んで、工房を借りているのだ。
ファリーハは粗削りを終えた刃を見て、一息をついた。
「ふぅ……」
以前ホウセから借り受けたエリカレスの遺品を修理したことはあるが、趣味に手を出したのはその時以来だ。
一か月ぶりだろうか。今回は、放置していた品の続きに取り掛かっている。
「お久しぶりです。いかがですかな、御加減は」
「えぇ、ごきげんよう、店主」
足音と共に声をかけてきた店主――待ってくれていたのだ――に挨拶をすると、彼は笑って言った。
「段取りはもう、問題ありませんな。あとはひたすら、御加減を身につけて頂くばかりかと」
「ありがとうございます。ここのところ仕事にかまけていたので……」
「お忙しい中、こちらこそありがとうございます。心行くまで、お楽しみください」
「それと、なのですが……」
尋ねようとする彼女の言わんとするところを察したか、店主が申し訳なさそうに告げる。
「お品物のことでしたら、残念ながらまだ……」
ファリーハの作ったナイフで、商品として用を為すと判断されたものは、彼女の希望で店頭に並べられているのだ。
だが、それが売れる様子がない。
それなりの心得があるとはいえ、アマチュアの作った品だ。
名を出して売ってはどうかという提案もあったが、秘密の趣味なので、彼女はそれを辞退していた。
ファリーハはわずかに気落ちして、頷く。
「そうですか……ありがとうございます」
工房では、研磨機が鋼材を削る音が引っ切りなしに響いている。
が、時々それを休止するタイミングが合って、工房が一瞬の静寂に包まれることがあった。
そこに差し込まれるように、店頭から声が響く。
「すみません、お店の方、いらっしゃいますか?」
「っ!?」
それは、ファリーハにはひどく聞き覚えのある声だった。
聞き間違いでなければ、アケウ・ハーンの声。
聞き間違うはずはないのだが、彼女は一瞬、幻聴でも聞いたかと耳を疑った。
売り子が対応したのか、更に声が聞こえてくる。
「はい、ご入用ですか?」
「あ、すみません。とある人を探しておりまして……今日は……
他にどなたかいらっしゃっていませんか?」
「っ!!?」
彼女は、更に動揺した。
人を探している。まさか、自分のことか?
それとも、他の異性でも探しているのか?
売り子がアケウに答えるのが聞こえる。
「存じておりませんが……刃物や研ぎ物のご入用でないのでしたら、ご希望にはお答えできかねます」
「待って!」
ファリーハは作りかけのナイフと道具を置いて、慌てて工房の中を小走りに、店頭へと向かった。
そしてカウンターに出ると、そこには赤毛の若者の姿があった。
「あ、アケウ……」
彼は少し恥じ入ったような、嬉しそうな表情――期待が見せた幻覚でなければ――で、敬礼をした。
「ファリーハ王女殿下、おはようございます。お休みのところ、申し訳ございません。
本日は、ご挨拶をと思いまして……!」
「えっ、わ、わたくしにですか……!?
あ、ありがとうございます……あ、あの……」
アケウは、なぜここに彼女がいると分かったのか?
わざわざ会いに来てくれたのか?
それが気になるあまり、店の中で作業着のまま話し続けそうになってしまっていたことに気づく。
ファリーハは落ち着こうと努めながら、彼に要請した。
「アケウ、悪いのですが、少し話したいことがあります、外で待っていて頂けますか!」
「あ、その前に……お邪魔しただけでは申し訳ないので、何か買っていこうかと。
そうだな……」
青年はガラスの陳列棚に並んだナイフを見渡して、言った。
「すみません、この白木の柄のやつをください」
「!?」
ファリーハはそれを見て、それはもう動揺した。
「はい、今包みますね」
返事をした売り子がカウンターを回ってそちらに向かうと、
「で、ではわたくしは今、支度をしてきます!」
「え、何のお支度で――」
彼女は急いで工房に戻り、作業を中止した。
そして作業服から私服に着替え、店の外へと出る。
そこで彼は、待っていた。
折り目正しく敬礼し、ファリーハに陳謝する。
「殿下、お邪魔してしまい申し訳ありません」
「い、いえ……こちらこそ、急な話で待たせてしまいました……
あ、人目をはばかりますので、失礼して――」
ファリーハは商店街で目立つのを避けるため、薄手のジャケットについていたフードを被りながらアケウに尋ねた。
「アケウ、話したいと言っていたことなのですが……
なぜわたくしがここにいると……?」
「すみません、実はエクレルから、殿下がここにいらっしゃるので寄って挨拶をしてはどうだ、と言うものですから」
「エクレルに……!?」
恐らく、万一の時のために持っていた超空間通信機で場所を探知したか、ドローンで監視されていたのだろう。
彼女は白い鎧を恨むような、褒めたいような、複雑な感情を覚えた。
アケウが恐縮しつつ、述べる。
「僕もお邪魔かとは思ったのですが、お休みの日のお姿を拝見できたら、と……
下心が出てしまいました」
「そ、そうでしたか……構いませんよ、人目をはばかるような趣味でも無し……」
と、彼女は少し、嘘をついた。
王女が息抜きにナイフを作って喜んでいるというのは、インヘリトにおいてはやや外聞をはばかる。
幸いにして未だ、ゴシップ紙などの嗅ぎ付けるところにはなかったが、ファリーハにはそうした不安もあった。
だが、彼がそこを、特に気にする様子もないのがありがたかった。
それどころか、こうして会いに来てもくれる。
実際に嬉しい気持ちがあったのだが、もしそれを問われたならば、ファリーハは否定してしまっていただろう。
仕事に喜びを覚える半面、自身の純粋な楽しみがために時間と労力を費やすことに対し、彼女は後ろめたさを覚える傾向があった。
王室の責務を放り出して歌に精を出している姉とは違うのだ、という思いもあったことだろう。
とはいえ、彼女はせっかく訪れたアケウを返したくないと、つい工房の軒先で話をしてしまう。
「と、ところで、わたくしが関知すべきことではないかも知れませんが……
あなたは、休日は何を……?」
話を長引かせようとしてか、つい、そんなことを聞いてしまった。
(何を言っているのわたくし!?)
ファリーハは衝撃を受けながら、辛うじてそれは表には出さず、彼の返答を聞いた。
「僕はその、退役後は店を始めようと思っておりまして……商売の勉強をしているところです。
帳簿とか、税金のこととか……まだ基礎ですが。
殿下に取り立てていただいたおかげで、教本も不自由なく買えるようになったので……
改めて、本当にありがとうございます」
「それは……あなたの人生の助けになれて、喜ばしく思います」
言葉とは裏腹に、彼女は内心で焦っていた。
(これではわたくしが、休日に彼と……逢引きして喜んでいるかのような……!?
色ボケしている!? わたくしが!?)
二人きりで彼を目の前にすると、仕事をしている時のような冷静さが保てない。
実はその様子を店内から、ゼギの店主たちが見守っているのだが、彼女はそれにも気づいていなかった。
そしてその時、鐘が鳴った。
「――!」
正午を知らせる、大聖堂の鐘――幸い、フンババ事件では鐘楼とその基礎部分は損壊を免れた――だ。
鐘が鳴り終わると、アケウが話題を変える。
「殿下、お食事はどちらで召し上がるご予定ですか?」
「ここにお邪魔する時に、いつも行っている店がありますので……
そこで頂こうかと」
ふとそこで彼女は気になって、アケウに尋ねた。
尋ねてしまった。
「あっ……アケウは何を食べるか、決めているのですか……?」
「いえ、まだです」
何が、彼女にそうさせてしまうのか。
ファリーハはままよと、そのまま一気に踏み込んだ。
「よ、良い所なので……よかったら……?
今日は一緒に、どうでしょう……!?」
「……!!」
そう告げられた彼は、一瞬こわばったように見えた。
ファリーハも、己の失言を疑った。
自分が王女であり、何を言っても国民を委縮させてしまい得る立場だということも忘れて、迂闊なことを口走ってしまったかも知れない。
しかしアケウは背筋を伸ばしてびしりと敬礼し、言った。
「ね、願ってもないことです!
ご相伴に与れて、まことに光栄です!」
それは彼女の望む姿勢ではないように思えて、ファリーハは少しだけ冷静さを取り戻し、告げた。
「ええと……もう少し砕けた感じで構いませんので……
工房は引き払いましたし、行きましょうか」
「はい!」
緊張させてしまっているのだろう。
ファリーハは申し訳なさを覚えつつ、彼を連れて歩き出した。
仕事と無関係に隣り合って歩くとなると、気恥ずかしくも、悪い気はしないのだが。
***
一方、官舎のアケウの部屋では、白い鎧が部屋の隅に佇みながら、情報を分析していた。
アケウの首元の超空間通信機から取得した簡易ライフログと、ドローンからの撮影映像及び音声だ。
ファリーハが休みを取ることは、エクレルにも知らされていた。
そこで彼女は一計を案じ、ファリーハの休日における行き先を追跡した。
更にそこに同じく休日のアケウを誘導して、引き合わせる。
予想外に話が都合よく進んだのか、簡易ライフログではアケウの脈拍数が跳ね上がっていた。
『くくく……我ながら完璧な計画だな。
怯えろ人類よ、これがアルファ級汎用人工知能の力だ』
そこに、超空間通信機の着信があった。
発信者はディゼムだ。
エクレルは留守番機能を起動し、それを受け流した。
『我が着装者は留守中だ。
用件などは発信音の後に録音してやるから、簡潔に要点を述べろ。ピーッ』
「ふざけんなこの性悪女! 勝手にアケウの保護者ヅラしてんじゃねぇぞ!」
がちゃり、と通話は切れた。
エクレルは引き続き、分析を楽しむことにした。
『さて、今日のところはどこまで行くかな……?』