不意に胸を揉んでもシリアス顔すれば深読みされて許される説   作:バリ茶

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1話

 

 

 

「──なあ翔太郎。ちょっと話がある」

 

 はるか彼方まで蒼穹が広がる、よく晴れたある日のこと。

 緑の草花が生い茂る広大な平原にて、春の到来を感じさせる、暖かなそよ風を全身で感じながら、俺はとある男に声をかけた。

 目の間には、荒削りの無骨な墓石。

 その上に腰かける、銀髪の青年。

 今年で齢二十一を迎えるこの俺と、同年代とは思えないような、幼さを残した童顔の彼は、首をかしげて疑問を口にする。

 

「何だい間宮、藪から棒に」

 

 その青年──翔太郎の前に座り込み、腕を組んだ。

 神妙な面持ちの俺を前に、翔太郎も緊張したのか、ごくりと音を鳴らして唾を飲む。

 続けて、俺はこう言った。

 

 

「──性欲が、抑えられない」

 

 

 一世一代の告白。

 人生を左右する懊悩を打ち明けた末に、翔太郎もまた、返事を告げてくれた。

 とても落ち着いた、聞き慣れた、包み込むような優しさのこもった、慈愛の声音で。

 

 何言ってんだおまえ、と──

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 

「言葉の通りだ、翔太郎」

「待ってくれ、間宮。どうか日本語でお願いできるかい」

 

 魔王軍を率いる四天王という、一筋縄ではいかない強敵たちとの決戦を翌週に控えた、とてもよく晴れたある日。

 

 俺こと間宮大我は、大樹の根本に墓石が一つだけポツンと置かれた、だだっ広い平原で、大学の同級生である一人の男に相談を持ち掛けていた。

 男の名は滝川翔太郎。

 同い年で成人済みのくせに、持ち前の低身長と童顔で女子たちから可愛がられたり、一部の男子から性的な目を向けられているものの、あまり三次元には興味を示さず女装が趣味のエロゲオタクという、この世の終わりみたいな生物である。

 

「真剣な悩みとして、性欲が抑えられないと言っている。つまりこの真剣な悩みとは、真剣な悩みということなんだ」

「さっきより言葉の組み立てが下手になってるよ。水でも飲んで一回落ち着いて」

 

 言われるがまま、懐から竹製の水筒を取り出し、ぬるい水で喉を潤す。

 確かに、少々焦っていたかもしれない。

 水を飲んだだけだが、意外と落ち着いた。

 

「ふう。ありがとな、相棒。おかげで冷静さを取り戻すことが出来たぜ」

「そりゃよかった。……じゃあ、改めて相談とやらの内容、聞かせてもらおうか」

「あぁ、アタマからケツまで詳しく話す。まず、俺はパーティメンバーのおっぱいが揉みたいんだが──」

「待て待て待て」

 

 なんだ、出鼻をくじきやがって。

 今まさに打ち明ける寸前だったろうが。

 

「アタマがおかしかったよ、いま」

「なっ! てめ、急に悪口を!」

「いや、きみの頭じゃなくて……ダブルミーニングになってるな。ていうか、間宮も大概おかしかったわ」

「オイやっぱり悪口じゃねえか! 謝れッ!!」

 

 飄々とした態度の翔太郎にイラついたが、怒っていては話にならないと自分に言い聞かせ、深呼吸をすることで平静を取り戻した。

 そうだ、俺の悩みを打ち明けられる相手は、現状コイツしかいないのだ。

 言い争いで貴重な時間を浪費している場合ではない。今は一刻を争う事態なのだから。

 

「……で、結局なんなの。魔物との戦いに明け暮れる毎日で、ついに精神が崩壊しちゃった?」

「いいから聞いてくれ。──まずこの際だから、一度俺の歩んできた道を、振り返ってみたほうが早いな」

 

 過去を、思い起こす。

 翔太郎が『エロゲのヒロインが白ワンピースを着て笑顔で手を振ってるパッケージの背景に丁度よさそうな場所だね、ここ』と、意味不明な戯れ言で評価されたこの緑々しい平原に訪れるまでの経緯を、今一度想起してみることにした。

 

 俺たち二人は、いわゆる異世界転移というものに巻き込まれただけの、本来であればどこにでもいる普通の大学生だ。

 

 いつものように友人たちと酒を呷り、フラフラになりながら翔太郎と肩を組んで帰路を進んでいると、いつの間にかこの世界へ召喚されていた。ほぼ酩酊状態だったので、着いた瞬間のことはあまり覚えていない。

 たどり着いた場所は別々だった。

 俺は聖導国家エドアールの手先こと、勇者に。

 そして翔太郎は、魔王が統括する魔王国軍の駒である、黒騎士とやらの称号を与えられ──というか強引に押し付けられて、あれよあれよとこの世界の諍いに巻き込まれ、現在に至るというわけだ。

 つまり。

 俺たちは、異世界の人間は強い能力に適合しやすいとか、国民がきみを待っていただとか、滔々と詭弁を弄するアホみたいな連中に、拉致されてしまったのである。

 王の紋章という、教会の最高指導者である神祇官や、無数の魔物の頂点に君臨する魔王には逆らえなくなる刻印を二人して打ち込まれ、協力者という建前のもと半ば奴隷のような形で、この世界で戦うこととなった。

 

 ……といった、よくある血生臭いファンタジーな話は、一旦置いといて。

 勇者とやらになった俺は、とある部隊に配属されることになった。

 そのパーティは魔王軍の四天王や、各地の将校といったえら~い連中を強襲して、軍を内側から破壊するために作られた、通称『勇者パーティ』と呼ばれるもので。

 ()()()()()()()()()()()()()()、俺の悩みの種であった。

 

 ──デカいのだ。

 

 どいつもこいつも、乳がデカい。

 そんなんぶら下げて戦えるわけなくね? とつい悪態が口から漏れてしまうような、ハリのいい巨峰を携えた少女たちが、俺の戦場での仲間だった。

 パーティ構成は、よくあるファンタジーなRPG作品のチームそのものだ。

 騎士、魔法使い、聖女だか僧侶だかシスターだか名称忘れたけどそれと、勇者の俺で四人のパーティ。

 うち三人は女子で、その誰も彼もが見目麗しい顔面と、グラビアアイドルが鼻水垂らして泣き散らしそうなワガママボディをお持ちという、とんでもないハーレムパーティだ。

 

 魔法使いのエレナ。女子高生くらいの年齢に見えるものの、大賢者の弟子という才女にして、ツンデレの基本を押さえたすぐ赤面するチョロ少女。

 

 聖騎士のシャルティア。規律を重んじる性格だが、決して無辜の民を見捨てることはせず、いかなる状況においても人命救助を優先する生真面目おっぱい。

 

 聖女?僧侶?とか名称はよくわからんが教会のシスターっぽい見た目のアイリス。エレナよりちょっと年下程度で、一言で言うと、おまえそんなスケベボディでよく聖職者を名乗れたなと感心してしまうような、ロリ巨乳。

 

 以上が俺のパーティだ。

 異常な俺のパーティである。

 

 

「……つまり?」

 

 要領を得ない様子の翔太郎。

 つまりだな。

 

「あんな連中と四六時中一緒に冒険してたら、性欲が抑えられなくなるのも当然だと思わないか」

 

 一にも二にもおっぱいおっぱい。

 歩けば揺れる。寝てても揺れる。

 あんなクソデカおっぱいに、サイズ外ゆえにギチギチいじめられる衣服たちのことも、少しは考えてあげてほしい。ついでにギチギチな俺のズボンのことも気にしてほしい。

 ドスケベの塊なのだ、奴らは。

 

「それこそ、お前の好きな抜きゲーから出てきたようなヒロインたちだぞ?」

「エロゲと抜きゲーを一緒にするな。梨とリンゴくらい違うんだぞ」

「ごめん……」

 

 あんま変わんなくね?

 どっちも甘くて美味いし、どっちもおっぱいクソデカじゃん。怖いから言わないけど。

 

「……あー、要するにあのパーティで冒険するのが苦痛になってるってことでしょ」

 

 いろいろ要約すると確かにそういうことだ。

 

「あぁいう女の子たちに囲まれて性欲が溜まってる、っていうのはわかったけどさ。それなら普通に()()()()()を持ち掛ければいいんじゃないの? あっちだって、数々の敵を打倒した強くて頼りになる勇者さまから言われれば、無下にはできないだろう」

「それはできない」

「何でさ」

 

 それは──

 

 

「この世界の俺が、無口で硬派なクールキャラだからだ……」

 

 

 そう言葉にした数秒間、沈黙が流れる。

 ──そして、翔太郎は疲れたようにため息を吐いた。

 

「めんどくさ……」

「なっ!」

 

 め、め、面倒くさいだと! ふざけるな!

 いったい俺がどんな気持ちで、あんな性欲なさそうなフニャチン野郎を演じてきたと思ってるんだ。

 この世界では、舐められたらすぐ破滅に直結する。

 他人から奪い取ることが常識となっている、クソ殺伐とした余裕のない人間で溢れかえったこの世界で、自分の身を守るにはこうするしかなかったのだ。

 動揺すれば、隙を突かれる。

 穏やかさを見せれば、仲間や村民が人質に取られる。

 だからこそ、つけ入るスキがない寡黙な雰囲気を纏い、人質をとっても人質ごと殺してきそうだからそんなのやるだけ無駄だと思わせるような、冷たく硬い鉄の仮面を被り続けたんだ。

 いわゆる生存戦略である。他に選択肢など、俺には残されていなかった。

 なるべく胸を見ないように。

 なるべく太ももを観察しないように。

 性欲溢れる二十代の感情を殺しに殺して、今があるのだ。

 それを面倒くさいと一蹴するとは何事か。

 

「結局、パーティの女の子に嫌われたくないだけだろう? 国のトップと直接繋がりがある勇者なら、その権限も絶大なんだし、命令すれば立場上彼女らは従わざるを得ない。そもそも勇者パーティって名前の部隊なんだから、あの中じゃきみが一番偉い人だ」

 

 俺は、首を横に振った。

 

「無理やりはダメだ。嫌われたくないからだとか、そんな理由ではなくな」

「じゃあどんな理由なんだよ」

 

 そんな分かり切った質問をするとは、やはり愚かな男だ、翔太郎。

 

「──かわいそうなのは抜けない」

「…………、」

「っ? かわいそうなのは──」

「いや二回も言わなくていいよ! 聞こえなかったわけじゃないから! 聞こえなかったことにしたかったけど!」

 

 何を興奮してるんだ。

 落ち着け、どうどう。

 

「つまり間宮の性癖の話じゃないか……! シリアス顔してくだらない相談しやがって……」

「別にいいじゃん、いまのおまえ暇人だし」

「好きで暇人やってるわけじゃねーの!」

 

 荒ぶった様子で、胡坐をかきながらプカプカと宙に浮かぶ翔太郎の姿は、なんというか半透明だ。

 俺の相棒が暇人で、かつ透けて見える身体になっているのには理由がある。

 答えは簡単だ。

 彼が現在、物理的に死んでいるからである。

 

「ったく。殺した本人が平然としやがって……」

「しょうがねーだろ。魔王への服従を強制するあの刻印、翔太郎の肉体に直接埋め込まれてたんだから。ちゃんと魂だけ排出して幽霊になる術式も事前に教えたろ?」

「分かってても怖かったけどね!? 友人が真顔で殺しにかかってくるのは!」

 

 くそー、この~、と当たらないパンチを繰り返す翔太郎。

 無駄なことをしても疲れるだけだというのに。やはり愚かな男だ。

 

 

 ──俺たちの目的は、元の世界への帰還にある。

 

 こんなヒトと魔物が殺し合いを続けるファンタジー世界なぞ、こっちから願い下げだったので、こっそり二人で会いながら綿密な計画を企てていたのだ。

 作戦は大きく分けて三つだ。

 まず、俺と翔太郎に打ち込まれた、服従の刻印を何とかする。

 次に、俺たちをこの世界に召喚した術式と、その起動方法を調べる。

 最後に、翔太郎を召喚した魔王城か、俺を転送させた聖導国家エドアールの王城に忍び込み、ゲートを起動させて元の世界へ帰る──と、こんな感じだ。

 

 で、いまは作戦の一段階目。

 俺の刻印については、もう外す方法を見つけてあるため、怪しまれないよう、聖導国家に反旗を翻す直前までそのままにしておくとして。

 教会よりも慎重な魔王は、翔太郎の内側に刻印をブチこんだため、こればかりは彼の肉体を諦めるしか道はなかった。

 

「大丈夫なのかい、間宮。僕の新しい身体の方は」

「あぁ、ホムンクルスだろ? 一週間後に戦う四天王の一人が持ってる、あのレアアイテムの指輪を奪えば何とかなるさ。俺の聖剣めっちゃ強いからどうせ勝てるし」

 

 翔太郎には新しい肉体を用意して、そこに魂を移して生き返ってもらう算段になっている。

 ……ちなみに、俺が使える術式と、四天王の指輪を組み合わせると、不思議なことにロリっ娘の見た目をしたホムンクルスしか錬金できないみたいなのだが、これは直前まで黙っておく。文句言われて他の方法を探せと言われても面倒だから。

 相棒にはおとなしくTSしてもらおう。戻った後の生活の面は、責任もって俺が何とかするので。

 

「……ていうか間宮。きみ、四天王から指輪を奪ったら、ホムンクルス錬金のためにパーティをこっそり抜けて雲隠れするんだろう。しかもこの世界からはいなくなるし、パーティの女の子がかわいそうとか、あんまり気にしなくていいんじゃないの」

「おいクズが過ぎるぞ翔太郎。お前を生き返らせるのやめようか」

「ご、ごめん」

「ハァ、萎えた。やめるわ俺」

「ねぇーえー! ごーめーん!!」

 

 まぁ、二人で協力しないとほぼ無理ゲーだから、生き返らせないのは嘘だが。

 

「……結局、間宮はどうしたいのさ」

 

 その質問に対する正確な答えを、俺は持ち合わせていない。

 できるのは感情の吐露だけだ。

 

「おっぱいが、揉みたい」

「やればいいじゃん」

「あの三人に嫌われたくない……」

「じゃあ、どうするの」

「わ、わからない。──分からないんだ!」

 

 地面に拳を叩き落とす。

 項垂れて、涙を流して、俺は叫んだ。

 

「ああああぁぁぁァァッ゛!!!! 触りたいいいいぃぃぃぃ……ッ!!!」

 

 帰りたいのは本当だ。

 こちらへやってきて数ヵ月、いやそろそろ半年が経過がしようとしている。

 家族も、友人も、大学の授業も、実家の猫も心配だ。本当に、一刻も早く帰りたい。

 

「でも、でも、あのクソデカおっぱいを揉まずに帰ったら絶対後悔するし、勢いに身を任せ彼女らの気持ちを無視して触り逃げしても、俺の心に後味の良くないものを残す……っ!!」

 

 さらにいっそう声を張り上げ、彼に問う。

 

「どうしたらいいんだ親友ッ!! 教えてくれェッ!!!」

 

 涙ながらに、縋るように、俺は幽霊になっておっぱいも触れなくなった哀れな男に、心の内をさらけ出した。

 いま、俺の感情をぶつけられるのは彼しかいない。

 バカな俺では答えを見つけられない。

 いつでもSNSでの承認欲求に飢えて女装しまくっていたこの男にしか見えない道もあるはずなのだ。

 俺一人では叶わなくとも、二人ならきっと解決の光をもたらすことが出来るんだ。

 そうだろう、翔太郎。

 そうであってくれ、頼む。

 俺にはもう、お前しかいないんだ。

 

「──はぁ、まったくしょうがないなヤツだな、間宮は」

「ッ!」

 

 ふと、顔を上げると、そこには不敵な笑みを浮かべる男の顔があった。

 俺にはそれが、とてもとても眩く見えた。

 

「生粋のエロゲマスターである、この僕が教えてあげるよ。殺伐した世界に生きる少女たちのおっぱいを、どうすれば合法的に揉めるかを、ね」

 

 そう。

 滝川翔太郎という男は、カスでクズで愚かな変態だが、それでもやはり。

 

「ありがとう……翔太郎」

 

 やはり、俺の親友なのであった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──ああああぁぁぁァァッ゛!!!!』

 

 

 その日、わたしたちは、目を疑うような光景を目の当たりにした。

 

 泣いていた。

 彼が。

 誰もいない、ただ広いばかりの草原に聳え立つ樹木の根元で、たった一つの墓石の前で──泣いていた。

 

 彼は、勇者だ。

 名を、タイガという。

 救世主の一人という(てい)でこの世界へ召喚された、異邦より訪れし異世界人だ。

 教会に仕え、そのすべてを間近で見てきたわたしからすれば、突然ここへ呼ばれた彼の心境は、察するにあまりあった。

 だからこそ、勇者を支持する市民と違い彼の事情をすべて知っているからこそ、タイガ様の気持ちを思いやることができていた。……()()()()()()()

 辛いだろう。

 苦しいだろう。

 そして何より、とても悔しいに違いない──と。

 だが、結果的に、わたしのそれは、浅はかな思い込みでしかなかったらしい。

 

 神祇官に王の紋章を与えられ、強制的に勇者となったタイガ様は、来る日も来る日も魔物との闘いで、心を摩耗していた。

 分かっていたのだ。立ち振る舞いから、察していた。元いた世界では、彼は命の奪い合いなどしていなかったのだと。

 状況の飲み込みが早く、一定の冷静さと容赦の無さからして、貴族の出だということは大方予想がついていた。

 だが、実際に剣をもって、戦場で意思を持つ相手を殺すというのは、決して上に立つ人間がやることではない。

 彼が、やることではない。

 そんな状況に放り込まれて、平気でいられるはずがないのだ。

 余程強い心の支えでもない限り、踏みしめられた小枝の如く、簡単に折れてしまうに違いない。

 

 だからこそ、わたしがその支えになろうと思った。

 孤独で冷たい世界に放り込まれた彼の、せめてもの拠り所になってあげようと。

 それが無辜の人々を導く、聖職者の使命であるはずだから。

 

 戦いの支援は当たり前だ。

 それを怠らないのは前提として、彼を支えるためには戦場以外での場所でのケアだと考えた。

 まず、タイガ様が住むこととなった住居に、よく足を運んだ。

 炊事洗濯はもちろんのこと、この世界での常識や歴史、知りたい情報の収集なども買って出た。

 とても無口で、知らない人から見れば無愛想な人に見えるかもしれないけれど、聖剣に適応したことからも分かる通り、彼はとても優しい心の持ち主なのだ。

 それを知っていたからこそ、力になってあげたかった。

 優しい人は、誰かの分まで痛みを耐える人。

 優しい人は、とても傷つきやすい人だから。

 湯浴みのお手伝いや、耳のお掃除など、リラックスになると思ってわたしが提案したものは、すべて『気遣いは不要だ』と一蹴してしまうストイックなお人だけど、彼が自分に厳しい分、わたしは彼にとって負担にならない──癒しを与えられる存在になろうと考えていた。

 

 けど()()()()()()()()

 タイガ様は、いま、自身の心を壊している。

 

『どうしたらいいんだ親友ッ!! 教えてくれェッ!!!』

 

 今朝、彼が神妙な面持ちで家を出た。

 いやな予感がして、悪いと思いつつも、後を追って後悔した。

 ──亡き友の墓標の前で、彼は失意の底に沈んでいたのだ。

 

 

 タイガ様の召喚当初、もう一人召喚するはずだった人間が、術式の妨害で魔王軍側に奪われたことが明らかになっていた。

 その瞬間の、彼の『アイツもいるのか』と呟いたときの、安堵の表情は今でも忘れられない。

 わたしは現在に至るまで、あれほどタイガ様を安心させられたことがないから。

 もう一人の転移者であるその人に、若干のモヤついた感情を抱きはしたものの、わたしの目的は魔王の支配から解放したその転移者と、タイガ様を再会させるというものに決まった。

 

 だが。

 結局、わたしには何もできなかった。

 導くことが──できなかったのだ。

 

 タイガ様は、ご自身の手でその親友を討たれた。

 辺境の山奥で、勇者パーティの前に立ちふさがった彼──黒騎士の称号を与えられていた”タキガワ”という男を、勇者としてまるで容赦なく討伐した。

 あまりにも平然としていた。

 遺体を埋めたあと、まるで一仕事終えたときのような、軽いため息すらついていた。

 わたしはタイガ様にとって”不要な守るべきもの”で、彼は本当に守るべきだった者をその手にかけてしまったのだ。

 

 壊れて当たり前だ。

 心が死んでしまっても、何もおかしなことではない。

 親友を手にかけ、その後も不自然なほどいつも通りに振る舞う彼に、何も言えなかったのは悪手だった。

 ──遂に、彼は我慢の限界を迎えた。

 

「…………わたしの、せいです」

 

 動揺するエレナさんとシャルティア様のそばで、ぼそりと呟く。

 自分の罪は、自分が最もよく理解している。

 

 

『ありがとう……ショウタロウ』

 

 

 誰もいない虚空に向かって、まるで神に祈りを捧げるかのように跪くタイガ様。

 彼を、あれ以上放っておいてはいけない。

 平然とした顔の奥で、誰よりも悲しみに耐え続けて、まさに薄氷の如く精神が壊れる寸前の彼の支えになれるのは、ずっとそばで戦い続けたわたししかいないはずだ。

 

「ま、待ちなさいってば、アイリス!」

「そうだ、今のタイガにしてやれることは、そっと──」

 

 振り返る。

 そうじゃない。

 お二人もタイガ様の理解者ではあるが、最も長い付き合いのわたしからすれば、そっとしておくのは得策ではないと分かるのだ。

 

「ダメです。いま、あのお方には、わたしが。──わたしたちが必要なのです」

 

 意を決し、再び歩みを進める。

 もうこれ以上は見過ごせない。

 多少無理やりでも、他人が介在しなければ、彼はさらに深淵へと落ちていってしまう。

 だから何とかする。

 方法は……えっと、まだ、なにも思いついてないけど。

 とりあえず、かつて泣いていた幼少期に、孤児院のシスターにやってもらった方法から試してみよう。

 

 タイガ様を、この胸に抱き留める。

 たとえ拒まれても、怒りをぶつけられたとしても、わたしは決して怯まない。

 彼の痛みを、悲しみを、一人だけのものにしてはいけないのだ。

 

 




TS要素はもう少し後になります

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