TS転生令嬢は『カウンター悪役令嬢』を目指す   作:緑茶わいん

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屋敷内の悪意 5

 前世の記憶を取り戻してから初めての「お出かけ」先は騎士団の詰め所になった。

 

『もう! このところ全然羽根を伸ばせていないわ!』

 

 死にかけて、勉強して、また死にかけて……考えてみるとろくな目に遭ってない。

 アンナの手を借りて馬車を降りた俺は、陽光を一度見上げてから騎士団の詰め所へ入った。同行してくれた両親には面会室の前で待っていてもらう。ジゼルと直接話したい、と無理を言って了承してもらった。

 纏うのは漆黒ベースの外出用ドレス。

 敢えてだめになったドレスに近いものを選んだ。喪服を連想させることで「殺せなくて残念だったな」と伝える意図もある。

 

「拘束は行っておりますが、念のため捕虜に近づきすぎないようご注意を」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 護衛兼ジゼルの監視として騎士が二人、それから会話の記録係が立ち会う。

 外にいる両親にも話の内容自体は聞こえるだろう。

 

「久しぶりね。元気にしていた? ……わたしは見ての通りだけれど」

 

 捕まってから今日で三日目だったか。

 小さなテーブル越しに対面したジゼルは少し疲れた様子だった。風呂にも入っていないからか髪は艶が消えてしまっている。それでいて目だけはギラギラしており、会うなり俺を睨みつけてくる。

 

「なんで死んでないのよ!? 十分な量を盛ってやったのに」

「さあ、どうしてかしら。運が良かったからじゃない?」

「ふざけるな! ……くそっ、こんな事なら直接殺せば良かった!」

 

 殺さなかったのではなく殺せなかっただけだろうに。

 毒殺を選んだのは騒がれたら厄介だから。部屋の前に警備兵が立っていたから暴力沙汰は躊躇する。本格的な毒を選ばなかったのはバレるのを恐れたから。

 あまりにも酷い物言いに冷ややかな感情を抱いていると、アンナが進み出て声を上げた。

 

「ふざけているのは先輩の方です! 人の命をなんだと思っているんですか!?」

「……はっ」

 

 ジゼルは一瞬目を丸くしたものの、すぐに冷笑を浮かべた。

 

「私達をさんざんこき使ったと思ったら急に人が変わったみたいになって、じゃあ取り入ってやろうかと思ったらその前にあんたみたいなのを専属にして! そのあんたを遠ざけたのに全然私を気に入ってくれない! それどころか私を疑ってくるような奴、死んで当然でしょ!?」

「なるほど。それが理由だったのね」

 

 俺が聞きたかったのはまさに犯行動機(それ)だ。

 推測はできた。しかし、本当の理由は聞かなければわからない。一縷の望みなんて言うほどではないが、どうしても確かめておきたかった。

 確かに可哀想な部分もある。巡り合わせも良くなかった。後輩が重用された焦りもあっただろう。

 だけど。

 俺はジゼルを真っすぐに見つめる。八歳の小娘なんて普通なら怖くないはずだが、殺し損ねた相手だからか、ジゼルはびくっと身を震えさせた。

 

「ジゼル。あなたがこうなったのは、全部あなた自身のせいよ」

「……っ!?」

 

 紺色の瞳に強い光が宿る。

 手枷を嵌められた両腕が暴れ、蹴り上げようと持ち上げた足が重りによって引き戻される。メイド程度の筋力では何もできない。

 次いでジゼルが選択したのは身体を介さない攻撃だった。交わされた視線を通じ、どろどろとした魔力が流れ込んできて俺の心に触れる。これが心に影響する魔法なのだろう。しかし、それは僅かな悪寒だけを俺に残して何の影響も出すことなく消失する。

 魔力を有する人間は魔法への抵抗力を持つらしい。また、心の魔法は本人の意に沿わない内容ほどかかりにくい。ジゼルが平民相手に半端な命令を実行させたのはそれが理由だ。

 ここで騎士が動き、ジゼルの身体を床に伏せさせる。顔だけを上げてなおも睨みつけてくる彼女を俺は見返して、

 

「わたしが死にかけたのもわたし自身のせい。確かにわたしは嫌な子供だった。だから変わろうと思った。二度目の毒殺だって不注意が原因だしね。いい勉強をさせてもらったわ」

 

 でもね、と、僅かな間を置いて、

 

「そんなわたしにアンナは優しくしてくれた。人に仕事を押し付けたりしないで、むしろ熱意を持って仕事に取り組んでいた。アンナを選んであなたを選ばなかったのはそれが理由よ」

「違う! お前さえいなければ、お前があそこで死んでいれば!」

 

 確かに。一回目で死んでいれば、俺はきっと病死として処理された。

 毒殺の可能性があったとしても確証は得られない。セレスティーヌなら真相を突き止めた上で捨て置いたかもしれない。

 俺は頷いて、笑った。

 

「残念。運が悪かったわね?」

「殺してやる! 殺してやるっ!! リディアーヌ・シルヴェストル!!」

 

 ジゼルの眼前に水でできた針が複数本生成され、それが見る間に氷へ変わる。射出された鋭利な針は騎士の腕に阻まれ、金属の籠手を貫けずに砕け散った。再度、今度は倍の数の針が生み出されるも、それが放たれる前に、だん! と、室内に強い衝撃音が響いた。

 俺を守ったのとは別の騎士がジゼルの顔を石の床へ叩きつけたのだ。

 

「……余計なことをすればその分だけ罪が重くなるぞ」

「っ、あははっ! どうせ死刑なんだから同じことでしょうに!」

「シルヴェストル公爵令嬢、あまり罪人を刺激されませんよう」

 

 静かな忠告に俺は「申し訳ありません」と頭を下げてから、俺は騎士へ尋ねた。

 

「ジゼルは死刑になるのですか?」

「刑はまだ確定しておりません。先の攻撃も含め、罪状を列挙した上で判断されることでしょう。……もっとも、公爵令嬢の毒殺を企てた時点で死刑が妥当でしょうが」

「そう、ですか」

 

 唇から漏れたのは平坦な相槌。死刑と聞かされて俺が思ったのは「ああ、そうなんだ」だった。殺されかけた怒りはある。知り合いが死ぬという喪失感、可哀そうだという想いもある。その一方でただ冷静に「ジゼルはそれだけのことをしたのだ」と認識している自分がいる。

 立場と状況が違うとこうも変わるものか。

 前世でもジゼルみたいな人間はたくさん見た。彼女たちも人を騙し、利用し、時には理不尽な恨みをぶつけていたが、はっきりと悪と断じられた者はほとんどいなかった。

 悪い女が悪いと認められ、報いを受けることもあるのだと、当たり前の実感をようやく抱くことができた。

 

『本当に当たり前ね。まあ、わたしだって人のことは言えないわけだけど……』

 

 めぐり合わせが違えば、ジゼルの立場に俺がいたかもしれない。

 悪いことはしてはいないのだとあらためて思う。その上で、ジゼルはこれでいいのだろうか? と疑問に思った。

 別に俺は善人ではない。俺を殺そうとした奴なんて死んでも別に構わない。ただ、なんとなく座りが悪い。自分のせいで人が死ぬのが嫌だというだけかもしれないが。

 

「公爵家には相応の賠償金が支払われるでしょう。その請求は彼女の実家へ送られます。支払いきれなければ借金を課すか、家自体が取り潰しになります」

「いい気味だわ。お父様やお兄様達が私のために苦労するなんて。ああ、お姉様の嫁ぎ先にまで影響が出たら最高。賠償金はできるだけ多めでお願いできないかしら」

 

 元メイド、現犯罪者の女はけらけらと壊れたように笑っていた。

 見るに堪えない。魔法なんかよりもよっぽど精神が汚染されそうだ。立ち合い人に過ぎない騎士たちでさえもあからさまに顔をしかめる。

 

「……ご令嬢。刑罰の多寡は公爵家の意向にも考慮されます。どうか公爵様へお伝えくださいますよう」

「あら? お優しいお嬢様がご両親にお願いして、私の命を助けてくれたりするのかしら? ……ああ、どうかお助けくださいリディアーヌお嬢様。ほんの出来心だったんです。これからは心を入れ替えて働きますので許してください、なーんて」

「リディアーヌ様、もう行きましょう」

 

 アンナはいつの間にか完全に涙ぐんでいた。

 怒りや悲しみが押し寄せてきてどうしようもなくなったのだろう。必死に涙を拭いながら服の袖を引く彼女をそっと支えながら、最後に少しだけメイドに──いや、元メイドに意地悪をする。

 すっと向けた指の先から火の粉が舞い、一羽の蝶となる。

 火の粉の鱗粉を散らしながら羽ばたき始める蝶を見て、ジゼルが目を見開く。

 

「な、何よそれ!? どうしてあんたがもう魔法を!?」

「言ったでしょう? 運が悪かったわね、って」

 

 一直線に飛んでいく蝶。

 悲鳴を上げて暴れる罪人を、騎士は困惑げな表情を浮かべながらそれでも押さえつけていた。上位者から下位者へ、被害者から加害者への私刑はある程度見逃されるらしい。もっとも、小さな蝶が一羽留まった程度ではその部分が軽く火傷する程度だろうが。

 ()()が目の前まで飛んで来るのはかなりの恐怖だったかもしれない。

 蝶は、ジゼルに触れることなく空気に溶け、消えた。

 

「本当にやると思った? 残念。お母さまの魔法を穢したくないし、それに、一羽だけ舞わせてもつまらないものね」

 

 言うだけ言って面会室を後にする。

 外に出るとすぐ、俺は冷気と熱気を同時に感じた。表情を保ったままプレッシャーを放つセレスティーヌと、今にも壁を殴りつけそうな父。特に父の方は怒りが収まらないようで、帰りの馬車が走り出した途端に吐き捨てるように文句を言い始めた。

 

「愚か者が! いっそ私が斬り捨ててやりたかった!」

「お、お父さま。お気持ちはわかりますが、それはさすがに問題になります」

「リディアーヌの言う通りです、旦那様。被った心労の分、賠償金に色をつけていただけば済む話ではありませんか」

 

 いや、セレスティーヌの言っていることも相当ひどい。

 損害賠償を迷惑料込みでたっぷり払ってもらうからな、とかどこの悪者だって感じである。

 もちろん、切り裂かれたドレスの代金、新しいメイドを雇って教育するための手間賃、俺の治療にかかった諸経費、割れたカップの代金、盗まれた品を買い戻す(あるいは新しい物を買う)費用等を請求するのは当たり前。

 賠償額はそのまま罪の重さをも表すが、本人が死刑では支払うのは実家だ。

 

 なんとなく、すっきりしない。

 

 一族に連帯責任を科す意味はわかる。子供の罪が家族の罪になるならば教育・躾けはより徹底される。苦境に立つ家を目の当たりにした他家もまた自分たちの身の振り方を改めるだろう。

 でも、どうせなら、

 

「お父さま、お養母さま。賠償金を本人に負わせることはできないでしょうか?」

「本人に? あの者は死刑が当然だ。個人の資産もたかが知れているだろうし、とても払いきることはできないぞ」

 

 内定段階とはいえ俺は王子の婚約者だ。王家への叛意ありとみなされ家族が連座となってもおかしくないくらいだという。

 

「でしたらなおさら死刑ではなく、一生かけて償わせてはいかがでしょうか」

「あの女の平民降格は確実だ。性根の腐ったあやつを生かしておけば当家が逆恨みを受けかねん。それに、女が身一つで稼げる額ではなかろう」

「だからこそです。賠償金は一度実家に払っていただき、ジゼルにはそれを借金として背負わせます。こうすれば、実家は銅貨一枚でも払わせようと躍起になるでしょう?」

 

 当然、ジゼルが何かしでかせば今度こそお家取り潰しの危機だ。必要のある時以外は監禁レベルの扱いでも何らおかしくはない。

 ここでセレスティーヌが「なるほど」と頷いた。

 

「家族さえも敵に回しながら一生をかけて償うことは死よりも重い罰、ということですね。助命する以上、賠償金の増額など何らかの調整は必要になるでしょうけれど」

「無論、自害すれば支払いからは逃れられるが、その場合は『死をもって罪を償った貴族』ではなく『罰から逃れ死を選んだ罪人』となるわけか。……考えようによってはなかなかに酷だな」

「それでも命は助かります。死にたくないと思えば縋りつくでしょう。死んだ方がマシだと自ら命を絶つのであれば、その時はもう、わたしの知ったことではありません」

 

 しばし、全員が黙り込んだ。

 馬の足音、車輪の立てるがたごとという音だけが響き、

 

「慈悲深い公爵家の長女は己の命を狙った使用人に対しても寛大な処置を望んだ。元使用人は命を救われる代わりに重い借金を背負い、子爵は彼女の監督を徹底しなければならない。……単純な減刑ではなく賠償金の追加と合わせて嘆願することで、減刑という印象を回避しながらリディアーヌの存在を主張できるかもしれませんね」

「……そうだな。悪くない。八歳にして元使用人の死を望んだ無慈悲な令嬢、などという風評をリディに背負わせたくはない」

 

 両親は俺の意見を考慮すると言ってくれた。

 もちろん、要望はあくまで要望であって必ず通るとは限らない。それでも父は宰相という立場であり国王にすら顔が利く。無茶な願いでない以上は十中八九通ることが予想された。

 これにはアンナもほっとしたようで、

 

「リディアーヌ様は、ジゼル先輩を助けようとしてくれたんですよね?」

「……そうね。擁護の余地があるのなら、その方がいいと思っていたわ」

 

 俺は言葉を濁しつつそう答えるのが精いっぱいだった。

 慈悲深いなんて嘘だ。俺はただ甘かっただけ。同じことが次に起これば、きっと俺は容赦なく相手に罪を突きつける。改心の余地など考えずにそれを償わせようとするだろう。

 

 

 

 

「リディアーヌ」

「お姉様」

 

 屋敷に戻ると、アランとシャルロットが玄関まで迎えに来てくれた。二人とも心配してくれていたようなので、無事に話が終わったことを伝える。安心したような表情。これで、俺が倒れたことに端を発する一連の事件はひとまず解決と言っていいだろう。

 と、そこでセレスティーヌが俺を呼び留めた。

 

「リディアーヌ」

「? なんでしょう、お養母さま」

 

 振り返った俺は、その場にしゃがみ込んだセレスティーヌにふわり、と抱きしめられた。

 

「……え?」

 

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 百合の花か何かの香り。ぎゅっと抱き寄せられ、俺の小さな身体が養母の身体へ服越しに触れる。なんだこれ。貴族は親子であってもあまり身体的接触を行わない。まして、俺がこの養母に抱きしめられるなんて、下手をしたら初めてのことだ。

 混乱したまま俺が硬直していると、耳元で優しげな声がする。

 

「よく頑張りましたね。あなたが生きていてくれてよかった」

『な、なによそれ! 騙されないで! 絶対何か裏があるんだから!』

 

 内心では反抗的な想いもあったが、一方で無意識の部分からは切ない想いがこみ上げてくる。

 実母アデライドとは匂いも感触も違う。それでも、母親に相当する存在から抱きしめられたのは数年ぶりのこと。八歳に過ぎないリディアーヌにとっては永遠とも呼べる長さであり──瞳からは涙がこぼれ落ちた。

 アンナから抱きしめられた時も嬉しかったが、彼女との関係はせいぜい姉妹だ。大人の女性に、母に抱きしめられるのはまた別の感慨がある。

 とはいえ恥ずかしいし、素直に嬉しいと認めたくもない。

 

「お養母さま。わたしは、あなたが嫌いです」

 

 俺はセレスティーヌの胸に顔を埋めると、涙と上ずった声を隠した。

 

「ええ、そうでしょうね」

 

 二人目の母は「知っています」とばかりに答え、その手のひらで俺の紅の髪を優しく撫でて、

 

「それでも構いません。それでも、貴女と私は母娘なのですから」

 

 血の繋がらない母娘の抱擁はしばらくの間続けられた。

 当然、その姿は兄妹にも見られていた。顔を上げた時にはさっと目を逸らされてしまったので俺は気づくことができなかったが──俺の養母の抱擁を、義妹は目を丸く見開いたまま複雑な表情で見つめていた。


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