●月▼日(×)
お義母さんは体の調子が悪いらしく、勇子はお義姉さんのところに引き取られることになった。・・・子どもを引き取れるような生活をしていないのは確かだけど、決定されたことを話される、というのにもやもやした。誰かを巻き込むつもりはないから、側に人がいない方がいいのは確かだけど、・・・・・・止めよう。私が勇子にしてあげられることはない。
少しずつメガマスの社内の様子がわかってきた。ネットワーク内の情報も出来るだけ読んでいる。配属された研究課は面白いレポートをいくつも書いているし、上司にあたるチーフは人がいい。うまく人を回して目標を達成していっている。
気になるのは、猫目さんの名前がほとんどないことだ。猫目さんは電脳空間の開発にかなり初期からかかわっているようだったし、随分と結果を出してきていたようなのに。
どこにあるんだろうか。早く見つけたい
・・・
・・
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最後の夏休み
サーバーが低い音を上げている。夏も終わりに近づく頃だが、まだまだ気温は高い。サーバーの排熱のことを考えれば、室温は低い方がいい。もう随分と音には慣れたが、圧迫されるような存在感にはどうも慣れない。
そろそろ小学校は夏休みも終わるころだ。勇子が小学校を卒業する日もそう遠くない。夏が来るたびに、天沢家のみんながそろった夏を思い出す。姉夫婦の仲のよさそうな様子も、信彦と勇子の楽しそうな時間も。もうどうやったって戻らないと分かっているからこそ、どうしても思い出しては悔いてしまう。「もっと自分にはできなことがあったんじゃないのか」そう思っては少しだけ具合が悪くなった。
気持ちを入れ替えるように息をついて、上位アクセス権限で見てきた資料を思い出した。そこにはメガマスに調査を入れるには十分なだけのデータがあった。メガマスは研究機関として、十分な追跡調査も分析調査もしていたのだ。いや、それはメガマスというべきか、前身のコイルスが、というべきか。
新しいものから遡るようにデータを調べているので、これが根本の部分にまでたどりつくには時間がかかる。それだけにもどかしくもあった。とにかく研究員もいれば、日々の業務・通信量も膨大なメガマスのデータは数えるのも嫌になるくらいだ。ソートをかけて必要そうなデータに絞ってもまだ時間がたりない。流し見程度で調査が入るに足りるデータが見えるのだから、推し量れるものもある。
幸枝の問題としている電脳メガネのGPSと運転制御の件に関するデータはまだ見つかっていないが、これからの問題はこのデータをどこに叩きつけるか、である。外部メディアにデータを渡しただけでは握りつぶされる可能性が高い。なにせ、勇子が事故にあったときも、マスコミはメガマスの不祥事に喜んで飛びついたものの、その続報にまではたどりつかなかった。話題の大きさにしては不自然なほどに早く鎮火したといっていい。メガマスが半官半営の組織だと考えれば政府内部からの圧力かもしれないし、メガマス自体がかなりの資金を回しているのだから迂遠に圧力をかけるのは難しくない。そうなると権力に押しつぶされず、金銭的な脅しに屈しないだけの告発先が必要になる。
「メガマスの外部監査なんて動いてないようなものだし……、」
取り合えずでも、調べてみないとわからないことだ。少なくとも今までの幸枝はそこまで調べてこなかった。そこに必要な人脈を築いてこなかったのは単純なミスだった。それだけ必死だったともいえるが、メガマスに執着しすぎていたかもしれない。手元にデータがそろい始めてそう思った。
思考に支配された手足をもたもたと動かしながら出社をすれば、運が自分に向いているのではないかと、そう思えるような予定があった。
【大黒市空間管理局 訪問】
目に見えない神を罵ることはあっても、感謝するのは初めてかもしれない。もしかしたら、小此木医師の息子さんが来るかもしれないし、そうでなくても話を聞くことはできる。それとなく外部監査の状況を聞くことくらいはできるだろう。もしかしたらメガマスに怪しまれるかもしれないが、もうここまできたら走り抜けるしかないのだ。ちょっとくらい動きにくくなったところでどうとでもなる。
「おはようございます。幸枝さん、チーフが呼んでました」
「チーフが? 」
デスクについて、声をかけられて流石に不思議に思う。こんなに早くチーフが来ているのも、幸枝が呼ばれる理由も思い浮かばないからだ。まあでも呼ばれているなら行かなくてはならないだろう。始業の準備に、鞄から出したペンケースにメモ用のノート、野菜ジュースにお茶の入ったペットボトル。鞄をイスにひっかければそれで終わりだ。
チーフの席は入り口から見て右奥に壁で仕切られている。平の職員がパーテーションで軽く区切られているのに比べると、いい扱いだろう。人によってはパーテーションの中がぐちゃぐちゃになるが、チーフもこの系統が強い。
ノックをして一声かけてドアを開ける。広めの空間のはずだが、壁には付箋やメモが貼られており、さながら星座のようである。
「チーフ? 地村です。お呼びと聞きましたが」
「あ、早かったね。呼び出して悪いね、ちょっとお願いがあってさ」
どうも生返事を返してしまうのは、壁のメモを少し読んでしまったからだし、今までにない雰囲気を感じたからでもある。【電脳体とデバイスのシンクロ度】【電脳体の構成要素】【電脳生物と電脳体の違いとは】
「たいしたことではないんだけどね、今日の予定に管理局の訪問があったでしょ? あれ、地村さんも同席してもらえないかと思って」
「え、私がですか? 」
というのも、空間管理局とのやりとりはいつもチーフと数人がやりとりをするのだが、幸枝が入ったことは一度もなかったからだ。メガマスに入社して以来一度も。
同席するのはその時によって様々だが、その時々の問題によって詳しい人間がつくらしい。それくらいの情報と状況は分かっていた。幸枝のここでの業務といえば電脳ペットの情報を詳しくしていくのと、それぞれのデータをまとめ直したり、チームに加わって検証実験をやったりする程度だ。電脳ペットの大きな問題というのはなかったし、空間管理局で管理・対処できる範囲にしかならないのだ。なにせ数が少ない上に、構成データが大きくない。
「そう。どうもこのところはイリーガルが多いでしょ? イリーガルを研究しているやつをつけるんだけどさ、イリガールって性質的には電脳ペットから遠くないからね、一応入ってもらおうかと思って」
「お力になれるとは思いませんけど、了解しました」
「急でごめんね。13時半に第三ミーティングルームに集合。資料は必要ない。あー、忘れちゃならないのは電脳メガネね」
指折り数えながら「これくらいかな」と呟いているチーフはいつも通りだ。でも幸枝には表現しにくい違和感を感じていた。電脳ペットもイリーガルも確かに似ている。イリーガルの調査内容と電脳ペットの性質レポートは確かに似通っている部分がある。しかし、イリガールは意図的に作れるものではない。それから電脳ペットに繋がるものとは? なんだ?
「うん、多分大丈夫でしょ。時間どおりによろしくね。遅れてくる人って結構いるんだ。……自分がなんで呼ばれるのか、って顔してるけどさ。こないだのヒゲ騒動の時の予想が的確だったからだよ」
「アー……、ありがとうございます。遅れないようにしますね…」
少しバツの悪い気持ちでチーフの元を辞去してからは普段と変わらない一日である。会社に慣れてきた新人に聞かれた質問に答え続けたり、情報源にアクセスしやすい方法や、ビックデータといっていいほどの大量のデータの捌き方やレポートの添削。幸枝が一日で最もやる作業はレポートや書類の添削作業だ。内容についての是非はわからないが、文章のつながりや研究者以外に「伝わる」がどうかが重要なので、一度は他人に読んでもらう必要のある書類が与えられる。幸枝は客員として研究をしているが、一番初めに与えられたのがそういった仕事だったのだ。それが今まで引き継がれている。それをどうも思いもしない。一番初めに読めることを喜んですらいるのだから。
ぼちぼち仕事をこなしていれば時間はあっという間だ。年を追うごとに体感時間は短くなっていく。急いでいるつもりでも時間は走り去っていく。こういう時にパーテーションは邪魔で、周りの様子がうかがいにくい。イリーガルを研究している人間──当麻という──の位置はそう遠くないが、どう過ごしているのかが分からない。時刻は予定時間の10分前だし、そろそろ動き出してもいい頃合いだ。チーフはどうだろうか。普段どれくらいの時間に移動しているのかもわからないし、聞いておけばよかったと後悔した。
当麻の席を覗いていなければ急げばいいし、いるなら声をかけて一緒に行けばいいか。そう決めて当麻の席に足を運んだ。そこでは当麻がすやすやと眠っているではないか。昼休みは13時までだが、研究職のありがちで熱中して遅くまで残る人もいるので、その関係で眠っているのかもしれない。かもしれない。幸枝は天を仰いだ。チーフの言い分は正しかった。でも他人のこんな様子を見たくはなかった。
「アー……、当麻さん。当麻さーん、そろそろ時間なんですけどー」
デスクに突っ伏して寝る当麻のイスの背を揺らしてやる。簡単に起きないのはなぜなのだ。どこまで深く眠っているのだ。声をかけながらもっとゆすれば徐々に覚醒していく。ぼんやりと顔を上げた当麻であるので、それに声をかければ慌てたように顔を擦りながら立ち上がった。
「すいません!」
フロア全体に響くような声だった。幸枝はまた天を仰ぐことになった。これは恥ずかしい。流石に立ち上がれば頭はパーテーションからはみ出る。何人かがうかがうようにこちらを覗いているのが見えた。わかる。私もきっと気になるから。
「そろそろ約束の時間じゃないですか? 」
「ああー、そうですね。そうでした。すいません、地村さん。……今日って地村さんも出席するんですか? 」
「そうみたいですね。チーフには今日の朝、聞いたばかりなのでなんの準備もできていないんですけど」
「準備なんていらないんですよ! でも地村さんは珍しいですね。まあ俺も呼ばれるのは今年に入ってからですけど。地村さんと一緒のときでよかったです…遅れなくて済んで、本当に良かった…・・・」
目的地に促しながら、ぼちぼち歩いているときの会話である。どうも昨日は遅くまでネット上のイリーガルの情報を収集していたらしい。それらとメガマスに寄せられた情報をすり合わせて、実際にはどのように動いていたのかを検証するのが目的だったらしい。
「地村さんってこういうの興味あります? 」
話題に出てきたイリーガルの関連で出てきたサイトだという。どうにも個人がつくっているようなのだが、その内容が個人だけのものとするなら「かなり」のものらしい。タイトルは、
「"怪奇クラブ"? 」
「はい。実体はほぼ電脳に関係するオカルト掲示板です。これがまた小中学生くらいのコメントが多くて面白いんですよ」
「これ、誰が管理してるんですかね? 噂の書き込み速度がすごいですけど」
「そうなんですよー。今年に入ってから見始めたんですけど、やっぱり子どもたちのネットワークってすごいですよ」
話している間にミーティングルームに着く。微妙に他の部署から遠くて使いにくい場所だ。普段からここを使っているらしく、当麻は当然のように入っていく。
中にいるのはチーフと、それと知らない顔の人が二人。時間には間に合ったが、先方より先にはつかなかったらしい。どうもこういうとき、あんまりいい気のしない小市民なところが幸枝にはあった。定期的にやっている打ち合わせらしく、顔なじみの相手で時間もたいして気にしていないのは雰囲気で分かっているのだが。
「じゃあ、今回のメンバーがそろいましたので、新顔の紹介をしておきますね」
一番初めに雑談に興じていたチーフが、その延長という感じで幸枝を紹介する。電脳ペットに造詣があること、イリガールと電脳ペットの類似性。ヒントになるかもしれないので、ということ。それに軽く目礼をして、幸枝は席に着いた。当麻は当然と言った顔で座っていた。
そして幸枝は二人を指し示される。向かって左側が空間管理局職員で、右側の人が小此木という名の空間管理局室長だった。
「「よろしくおねがいします」」
それぞれが挨拶すれば、それから議題のような世間話ような体で最近の問題とアドバイスを求められる。やっぱりそつなく答えるのはチーフで、当麻も専門のイリーガルについてはいくらか答えた。分かっていたことだが、幸枝が答えられることは多くない。答えられることがあっても、それは当麻が答えるべきことだ。
やはり、というべきか。専門分野で呼ぶだけあって、近頃の問題はイリーガルの出現が大きいらしい。今までもちらほらと見つかってきたが、今年に限っては比較にならないほどなのだとか。それに伴って、小中学生の危険なメガネの使い方も相まってクレームがとんでもないらしい。
イリーガルの急増の話、識別アドレスの不足の話、新しいバージョンに強制アップデートする話。話題は尽きることがないし、小此木さんは半ば愚痴になりかけている。それでも共有されるウィンドウには必要なデータがアップされ、それぞれが必要そうな情報を追加していっているので、これがこの人の働き方なのだろう。
時々によって、幸枝や研究員に与えられる期限付きの調査はここが出所だったらしい。当麻は興味よりも面倒くささが勝つようで、それが表情に現れていた。どうにも子どもっぽいところのある人間だ。
会話の内容は電脳空間の話は落ち着いて、今はチーフと小此木室長の世間話が主だ。幸枝たちがたどり着く前から電脳空間の話しをしていたようだし、おおよそのことは終わったらしい。ここまでで小一時間だ。そんなに時間がたったように感じないのは、その内容が興味深かったからだろうか。さっきまでは小此木室長が娘たちの成長と父親の悲しみを語っていたものだが、今度のチーフの話はなかなか面白い。
「そういえば前ね、路地で面白い子たちを見てね。なんていうかさ、その時はぼく、メガネをかけてなくてね。近所の喫茶店で本でも読もうと思ってたからさ。でね、その子。険しい顔でいきなりおデコにチョキを当てたわけ」
中々に出だしからパンチがある。ただ、小此木室長は顔をひきつらせたようだ。当麻ももう一人の職員もうんうんと頷いているだけなのに、だ。
「あ、適当に作った話だと思ってる? 残念だけど本当なんだよね。多分だけど、電脳メガネがあればモーションで発動するなんかだったんだろうね」
それに内容も興味深い。モーションで電脳空間にアクションをかける、というのは電話の機能に近い。しかし、それを実装している機能はそう多くないはずだ。それなら、それは野良で作られたプログラムで管理局からすれば取り締まりの対象になるのではないだろうか。そもそも、それは合法なのか? 違法なパッチでも当てているのでは?
「いやー、そうだよね。きっと違法なパッチを当ててるんだろうけどね。それってすごい楽しそうじゃない? 今の子たち特有の楽しみと冒険だよ。ぼくたちはそういうのが大好きだったじゃない? それってすごくいいな、と思ってさ。でも今日の強制アップデートでそういうのも消えちゃうよね」
それがすごく残念でさ、と続くチーフの言葉に顔色を変えているのは小此木室長だ。チーフは何かを知っていて、この話題を出してきたらしい。小此木室長も心当たりがあるのだろうね。分かりやすい顔色だった。それに興味を示さない当麻と職員もなかなか面白いが。毎度のことなのかもしれない。
「アー、チーフすいません。今日の強制アップデートって言ってましたけど、それって事前告知はありました? 」
そうなのだ。幸枝はそっちの方が気になっていた。幸枝が覚えている限りではそのようなことは予定されていなかった。メガマス内ですら置いてけぼりにして、強硬に強制アップデートなんて行われるのだろうか。
「古い空間が出やすい地域の、一部の住人にだけお知らせが送られてるよ。やるのもそこだけ。そこで試運転をして、全域に強制アップデートがかかるわけ。今度はすごいよ。本当に強制アップデートさ。さっきの話しの子たち、新型オートマトンにメガネの違法パッチを焼かれちゃうんじゃないかな」
チーフの回答で今日の会はひと段落となったらしい。青い顔の小此木室長に、しらっとしたままの空間管理局職員(幸枝は名前を聞いたところで、緊急度が低いとすべて忘れてしまう)、それに飽きた様子の当麻といつも通りのチーフ。それぞれが荷物をまとめたり、雑談を続けたりしながら少しずつ戸に向かっていく。
「あ、地村さん、下まで送ってきてもらっていい? 」
「わかりました」
「佐脇さんいいですよ!? 」
「まあまあ、今日はあんまり地村さんが会話に入らなかったでしょう? そういうのも含めて今日は送られてくださいよ」
そういうものなのかは知らないが、その後もチーフと小此木室長はなんやかんやとやりあってチーフが勝ったらしい。疲れた表情でなぜか幸枝に頭を下げる様子が哀れだった。しかもどこか慣れたところがあるので、幸枝の知らないところで苦労が絶えないのかもしれない。そもそも空間管理局もそういう面があった。
送るといったところで、空間管理局の二人は慣れているから道案内もいらない。チーフの意図が計りかねたが、幸枝にはありがたい。小此木室長と話してみたいことがあったのだ。
雑談の中で気取られないように話題を滑りこませた。
「昔、メガマス病院で小此木先生という方にお世話になったのですが、お知り合いですか? 」