■月△日(◎)
事故の件を調べているうちに、件数が奇妙なグラフを描いていることに気が付いた。・・・今まではデータのサルベージと記録を行うばかりで気が付けなかった・・・。
大黒市の電脳空間にはたしかに妙なゆらぎが存在している。決まった場所に、特定の時間に「古い空間」が顔をだしている。まるで約束の時間に現れているようだ。それともプログラムを作った人間の意志なのか。調べてみようにも実地調査は難しい。他の報告書なんかを流し見して、なにか掴めたりしないだろうか。メガマスはこの空間のせいでバグが出ると考えているのかもしれない。
それと猫目主任の息子さんに会った。私は面識がなかったはずだが、彼は私の顔を知っていた。外部保存かアーカイブか、それともメガマスの知り合いから指示を受けたのか。彼は「メガマスが憎くありませんか」と言った。「準備のために地村さんの力が必要です」と言った。変だと思って少しだけ調べてみた。まあ、調べたといっても、彼が「どの入口から入って誰と会ったのか」をさらっただけだ。そうしたら彼が会ったのはあのいけ好かない連中の一人だ。嫌になる。明日にはお断りの話しをしよう。いや、もう少し話して、詳しいことを聞けたりしないか?
それにしても何をしようっていうんだろう。本当にいやだ。
・・・
・・
・
黒い訪問者
朝から続いていたデータの収集はようやく落ち着きを見せていた。時刻はそろそろ2時を回る頃だ。空間管理局の尽力、もとい面目躍如といったところかもしれない。ぼろぼろになっていた電脳空間は平時と同じに戻っている。GPSは問題なくネットワークと同期しており、事故が起こる可能性も限りなく低い。研究課のフロアも一息ついたといったところで、緊張感は薄れきっている。
「・・・・・・結局、このバグの原因ってなんだったわけ? 」
穏やかなフロアにぽっつりと落とされた誰かの声が総員の意見といっていいだろう。今回のバグには、研究フロアのほとんどが駆り出された。それだけの人数がそれぞれが情報収集をした結果、結論として出されたのは「人為的なイレギュラーである」ということだ。
ご丁寧に犯人はどのカメラからも消えているし、映っていない。痕跡も丁寧なほどに削除されている。しかし、あまりにきれいなのだ。きれいすぎるほどバグが無い地点、そこが起点になっただろうと考えられた。
「いやー、今回はこれで収まったけどね。この先はまだわかんないからね、もうちょっと注意しといてよ。空間管理局の領分だけど、こっちに回ってくるのが目に見えてるからね」
マグカップを片手に参加者に言うチーフは堂々としたものだ。しかし聞き捨てならないのは、まだこの件が続くかもしれないということだ。たしかに今年の妙なバグを考えれば、大規模な障害がまた起きてもおかしくもないかもしれない。しかし、ここまで大規模な障害が何度も起きるというのは、設計のミスや対策について疑われてしまうのではないだろうか。というか、メガマスの上層部はクレームの処理をどうこなしているのだろうか。
「うげー、まだこんなのが続くんですか? 去年もあったから今年は大丈夫だと思ったのに・・・・・・。こんなの何度もやってられませんよ」
「まあ、予想だから。去年もでかいのが最後にあってそれで終わったでしょう。今年のバグの量だと、これで終わらないような気がしてね」
「・・・・・・たしかに・・・」
話しを聞いていた数人は力強く頷く。今年は例年になくバグが多い。バグの周期もこまめで多い。幸枝は解決に動くことはほとんどないが、今年が異常だというのは話を聞いているだけで分かる。昨年は秋頃にひとりの女の子が交通事故で亡くなった。その時期あたりが一番、バグが頻発していたように思い出された。
「アー、ああ。朗報ですね。空間管理局もとりあえずの処理が終わったようですよ。犯人探しまでいけるかわかりませんけど、今日も電脳空間の安全とバックアップがうまくいったようです」
チーフのメガネに連絡が入ったようだった。内容に心底安堵したような吐息が混じる。そこかしこで犯人について話し合っていたメンバーや、実際に自分ならどんな手段で大規模通信障害を起こすか、などについて話していたメンバーがチーフを向く。
「さて、みなさん。もう少しだけ退勤時間までありますけどね。今日は業務外の仕事も頑張りましたし、中途半端な時間でもあるので・・・・・・
犯人のプロファイルをやってみたいと思うのですがどうでしょうか」
「ああ、もちろん自分のお仕事を優先したい人はそっちをやってもらって結構です」チーフの付け足しに被さるように、メンバー達は喜びの声を上げたのだった。なぜって、それは楽しそうだからに決まっている。
私たちは楽しいことが大好きなのだ。そして、この人為的なバグに対する興味も大変あった。わいわいと会話をするメンバーと、共有される複数の画面。意見をはさみながら、空間管理局のサーバーにプログラムをひとつしかけた。
夕暮れがいっとう赤くなる頃、ようやく家に帰り着いた。同僚達の意見や観測データの見方も興味深かった。自分とは分野の違う視点は、電脳空間というひとつに集約されると面白さが重なっていく。楽しい時間はあっという間だった。
扉を一枚くぐればどの季節でも一定に設定された温度が肌になじむ。一般的な住宅、性別や年齢を加味した平均と幸枝の家を比べれば、幸枝の家は極端にものが少ない。余暇はすべてメガマスのデータ漁りに使われる。だから余分なものが一切ない。
その代わり、あまり見慣れないものが部屋に置かれている。箱型の、企業でしか見ないサイズのーーサーバーだ。幸枝は慣れたように部屋を横切って据え置きのPCデスクの前に座った。この部屋にはそれ以外のイスが準備されていない。
鞄は適当に床に放ってパソコンの電源をつけた。真っ暗な画面に一瞬だけ、ひどく疲れた女の顔が映りこむ。酷い顔だ。メガネを外して眉間のあたりを指先でマッサージする。酷使された目がひどく痛んだ。眼精疲労とは随分と慣れ親しんできたが、ここ数年は頭痛も一緒にやってくるようになっていた。
体のコンディションはよくないが、それでも幸枝はご機嫌だった。ようやく、待望の上位権限を得られたのだ。管理者と同程度の閲覧権限だ。今まで見られなかったファイルも見ることができる。
今年の急進展具合というのはすさまじい。今までの進展のなさが嘘のように、権限を手に入れ、新たなデータを確認することができた。物事がすごい勢いで移り変わっている。
それでも、気を抜いてはいけない。
まだ気を抜く時期ではない。焦ってはならない。
慎重に自分のアクセスログが残らないように目を滑らせていく。今までは見られなかった別の課のデータ、研究資料。それから上層部の会議ログ。たしかに閲覧できるデータが増えていた。
大量の文字を認識してデータのより分けを行うのに、相当な時間がかかる。自分専用のAIを作り出して選別させれば、あるいは時間の節約ができたかもしれないが、精度の高いAIを作るには幸枝の技術がたりなかったし、データ容量の積み重ねもたりなかった。この経験から分かったのは、旧コイルスの電脳ペットに乗せる疑似人格AIは相当なものだということである。
さて、嬉しいことにメガマスは電脳管理局の上位組織として存在する。今日のどたばたの後始末でおおわらわな電脳管理局だ。多少の荒さがあっても今日中にデータを吸い上げてしまえば誰かに気が付かれることもないだろう。
どれからやろうか。悩む部分はあるが、電脳管理局のデータをある程度吸い出した方が後から困らないはずだ。それに、空間管理局の誰かがサーバーのプログラムに気が付くかもしれない。その前にさっさと動いてしまった方がいいだろう。
電脳メガネは確かに優れているが、機体としてパーツが限られる分のスペックの劣りはある。物理的に存在するキーボードを叩きながら、リンクをたどっていく。電脳管理局の管理サーバーまでたどり着くのにそう時間はかからなかった。
カチ、カチとマウスをクリックする音とサーバーの排気音だけが部屋に満ちている。時々、上階か横の部屋から足音や生活の音がわずかに響いた。幸枝の息づかいは静かすぎた。
「これは・・・・・・?」
幸枝がその報告データにたどり着いたのは夕食時を少しすぎた頃だろう。過去に起きた大規模なバグの記録と追跡調査の資料だ。データの作成者はなんとチーフである。閲覧して表れたのは大量の数字だ。しかし系統だててきちんと説明文が添えられている。座標を示す数字と地図、バグの種類を表す数字と発見から修正にまでかかった時間。そして、イリーガルの発生量と電脳空間のバグの数をまとめたグラフ。
「・・・・・・イリーガルの出現と電脳空間のバグの発生には関連がある・・・・・・?」
少なくとも昨年の時点でのチーフはそのように考えているようだった。デスクに肘をついて考えをまとめようとする。しかし、疲れた頭ではどうにも考えがまとまらない。イリーガルの研究資料は今までにも見てきたが、因果関係が逆のように感じられた。バグ空間があるから、そこからイリーガルが表れる。そのように感じていたのだが。
「わからないな・・・・・・。直接聞いてみないとわからないけど、聞くのもおかしいだろうし・・・・・・」
背もたれに体重をかけると、いやに音が大きく感じられた。
さすがに空間管理局のデータまで見漁っているのは、会社勤めのーーとりわけ、出向社員として働いている幸枝にはおかしいだろう。やれるとしたら他の資料と併せて考えたり想像したりだけだ。
それにしても、チーフは課の垣根を越えた仕事をしている気がする。今回の昼もそうだが、空間管理局から申し込みを上が受理していないだろうに行動している。縦割りの会社としてはよろしくないのではないだろうか。
そして、もう一つ分かったことがある。
今までたくさんの資料を幸枝は閲覧してきた。どれも旧コイルスの核心に触れるものはなかった。虫食いだらけの欲しいページが抜けた資料、保存ファイルから消えた特定の年月。取り繕った場所もあれば、取り繕いきれていないところもある。簡単に眺めただけでもわかる程度には"消されている"のだ。メガマスに残された資料は完全とはほど遠く、しかも資料は故意に紛失したものとしか考えられなかった。
いったい誰がこんなことをしたのか。
幸枝には信じがたい暴挙だ。技術の継承が行われず、その結果としてなにが起きるか分からないほど子どもじゃないだろう。人が豊かに暮らすために電脳技術は発展してきたのだ。技術にはメリットもデメリットも必ず存在する。それをどうして。
・・・・・・利権と金だ。
欲に目がくらんで使う人のことまで考えられていない。だからこんなに歪んだことになる。法整備も準備も、社内の中ですら話題に上がることは少ない。健康上の問題も少なからず話題にされていたのに、問題の解決について行われた会議ログはわずかだった。
猫目主任の息子の言葉が思い出された。「メガマスに恨みはないか」と問われた。幸枝は言葉が上手い方ではないし、取り繕うにも限度があったので丁寧にお断りをしたが、彼らはなにをしようとしていたのだろうか。 それも、猫目主任の息子なんていう年若い人間を矢面に立たせてまで。そんな、くだらないもののために電脳技術が使われるべきなのだろうか。それとも幸枝の価値観ではそうなだけで、一般的には利権と金のために技術を扱うの普通なのだろうか。疲労が原因ではない頭痛が増したような気がする。
物理PCではなく電脳メガネに赤色のアラートが走ったのはその直後だった。アラートは空管理局に紐付けたプログラム。案の定、というか早かったというか。チーフの言葉を聞いて即席で作ったにしてはいい仕事をする。昼間の自分の行動に賞賛を送りたいぐらいだった。
『住居空間にバグの発生:住所の演算 推定範囲・・・・・・』
カンナとヤサコ
急いで空間管理局の該当部分にアクセスする。空間管理局はメガマスの下部組織だけれど、だからといって上位権限で自由にしていい場所でもないので気を使う。
どうにもログを見ている限りでは、管理局自体が決定した行動をしているわけではないらしい。アクセスログを見ても、空間管理局の物理PCにログインしている人はいない。
電脳空間にエラーやバグが起きれば、迅速な対処を求められるのが空間管理局だ。人でやりきれない部分を補うAIや疑似パッチが普段から飛び交っているのに、外部アクセスからもほとんど見られていない。となると、空間管理局の人員は昼間の件で随分と疲れているのかもしれない。
サッチーの出動記録を見れば、たしかになんらの行動をおこしている。その行動ログを見る限りでは、きちんとバグがあった地点に向かっている。と、いうよりもこれは?
「原川・・・・・・? 女子高生を起用したっていう、あの? 」
彼女のアクセスもおかしな位置からだ。サッチーを出動させたアクセス履歴もおかしい。未成年を使うだけあって優秀で、情報を書き換えているのかもしれないが。
それにしたって住宅街、それも民家に入った後からの情報がおかしいのだ。書き換えるにしたってもっと上手くやるだろう。というより、文字化けがひどいか、情報が少なすぎるかのどちらかだ。文字列を追うだけでは現状が全く分からない。
でも、彼らが電脳空間で形を得ているのなら目を借りることができる。ログでも構わないのだが、ログは一定期間後に情報を軽くしてまとめられるので、今は少し時間が惜しい状況だ。
サッチーの視覚情報保存エリアまでのルートは尋常じゃなくめんどうだった。サッチーの個体認証パスやバックドアを知っていればもっと簡単にアクセスができただろう。あるいは空間管理局の管理者コードがあれば
しかし、幸枝はどれも持っていないのだからしらみつぶしに当たるしかない。時間がかかればかかるほど気が焦る。空間管理局の中からのアクセスなのにアクセスログを残さないように動くために、余計に時間と手間がかかるのだ。それでもたどり着けないわけじゃない。
サッチーの視覚から見えたのは、普通の民家に沸き上がる無数のイリーガルだった。
「どういうこと・・・・・・? 今までの記録から見ても一般の民家に表れるなんて珍し、」
タマと呼ばれたサッチーの視界のありとあらゆるところから、滲むように出てくる黒い影は出来の悪い映画か悪夢のようだ。幸枝の頭の中にある報告ログと比べても、イリーガルがここまで発生していることはない。それにイリーガルと一言で言っても様々な形をもっているのに、ここに表れているのは人型ばかりだ。
こうして思考を走らせることはできても、現場にいない幸枝にはこれ以上にできることはない。現場にいたとしても、必要な処理をしてきていないのだから出来ることはないだろう。
・・・・・・見ていることしかできない。
幸枝にできるのは、この状態を記録することだけだ。もしもサッチーがバグやなにかに巻き込まれたとしても、ログが失われることがないように細工をする。もしかしたら、それがなんらかの助けになるかもしれない。
観察を打ち切り、情報の取得を優先する。サッチーの記録領域にアクセスする。記憶能力の上書きだ。動画をスライスしたような最小領域の視覚情報をまるごと動画形式にする。もちろん記録領域を著しく圧迫するだろう。緊急措置として圧縮されないようにそっちにも手を回す。動画の重さであれば1週間だって保存できるだろうが、それでもやっておいて損はないだろう。
作業途中で現場の原川が異変に気が付く可能性もある。本来的な権限でいえば原川の方が上だ。もしも気づかれたら逆探知されることもあった。だが、今回の件では現場の緊急性でカバーされたようだった。メガネに映る状態は惨状といっても過言ではない。電脳メガネに慣れた少年少女であればトラウマになってもおかしくない。しかも、理解のない大人にはなにも理解してもらえない。電脳メガネを常にしていなければ、同じものを見ることは出来ない。見えないものは理解してもらいにくい。
しかし、話しを聞く限りではイリーガルに触れられた少女の電脳体が「アッチ」に行ったという。どういうことだ。
さすがに記憶領域の強化を勝手にやっては足が着くか、と思い立ってログを書き換える。今日の昼、空間の修復の途中で記録用に強化をした、ということにしておく。適当な人間のアクセスログをコピペして張り付けをする。許可も適当な権限を持っているような人物から降りたことにすれば、表面上は業務で必要だから拡張したということになる。これ以上のことは幸枝にはできない。
「・・・・・・記録は私ももらう、から」
もしかしたら誰かが気が付くかもしれない。
原川が、気が付いたならどうするだろうか。いぶかしむだろうか。消してしまうだろうか。それとも上司に素直に報告するだろうか。あの状態からして彼女の独断で行動しているようだから、それはないような気もする。
見ているだけなら映画と一緒だ。娯楽とかわらない。私に何も出来ないなら、自分の出来ることをやるべきだ。
私にはなにもできない。
振り切るようにウィンドウを閉じようとした視界に、最後に映ったのは通路。
「ーーこれは、? 大黒市の古い空間にはまだなにかある・・・・・・? 」
調べなくてはいけないことが増えた。
電脳空間の性質には不明な点が多い。ログやデータの統計だけでなく、もっと根本的な部分へのアクセスが必要だ。あふれかえるバグをつぶす対症療法でなく、根本的な治療が必要なのだ。
メガマスは何を恐れているんだろうか。不思議とそんな考えが思い浮かぶ。怪物みたいなものだと思っていた。形のない気味の悪い群体のように見えていた。でも、少しだけ形が違って見える。どうやら不安定な場所の上に立っているのはお互い様のようだった。
私になにが出来るんだろうか。
まだまだ夜は長い。このバグからして、簡単に収まるとも思えない。それに今夜からアップデート2.0が始まる。これが大黒市の古い空間にどんな影響を与えるというのか。
眠れない夜はまだはじまったばかりだ。