コヨーテの歌   作:ねこや しき

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子どもたちの記憶

 父の葬儀で姉は泣かなかった。死ぬことに対して心構えができたのかもしれなかったが、姉の普段を知っている幸枝にはどうもそれがおかしなことな気がしていた。現に天沢さんは心配そうな表情で姉を見ていた。子供たちは元気ではあったが、母親である姉の様子に神経を張り詰めている様子があった。母の死であれだけ取り乱した姉が、父の葬儀でこれだけ平坦な感情を見せるのは異常なことだった。

 

「姉さん、遺品の片付けは私がやるからいいよ。ずっと動きっぱなしだから…休んできたら? 」

 

「え、そう? 幸枝こそゆっくりしてたらいいわ。お仕事忙しいんでしょう? お休み、大丈夫? 」

 

 完全に今までの積み重ねのせいだった。幸枝は姉との共同ができない。お互いに境界線を探してタップダンスをしてしまう。一日二日で関係が変わるのなら世の中はもっと生きやすい。幸枝はまともに姉と話した記憶が無いような気がしていた。姉のことを見ていた自覚はあるが、まともなコミュニケーションをした記憶がない。それでも姉ともう少し話したいと思った。表情では取り繕えないほど疲れが見えた。

 

「休みは平気。むしろ有休をちゃんと消化してこい、って言われたところだから…。姉さんこそ二人の子持ちなんだからさ、」

 

「そうなの? 子供はねー、あの人が見てくれてるから大丈夫よ。じゃあ、ふたりで片付けちゃいましょうか」

 

 二人が育って、両親が建てた家は奇妙なほどに生気を失くしたようだった。家に詰まった遺品を片付けるために物を分別するが、どうにも居心地が悪い。すかすかの麩菓子でもまだ存在感がある。姉は休む気が無いようなので、これはもう放っておくしかないのでは、という諦めに近い気持ちが湧く。それに相反するように、この姉を休ませた方がいいとも思う。

 気持ちとは裏腹にてきぱきと体は動き、姉と一緒に動けば部屋は片付いていく。父の衣類に、たくさんのハガキ、母の遺品整理ではやりきらなかった母の遺品。段ボールいっぱいの図工の成果に、カンカンにたくさん入ったネガ。たくさんのアルバム。

 庭先で遊んでいる信彦と勇子の声。走り回る足音。幸枝は過去を思い返す。確かに、小さかった頃には姉と遊んでいたのだ。一緒に泥だらけになって、駆け回って母に叱られた。

 

「…姉さんは、ちゃんと眠れてる? 」

 

「なあに、心配してくれるの? 大丈夫よ」

 

 心配は、案外と簡単に言えた。幸枝に背を向けて、なんでもないように話す姉にほっとしたような、いら立ちのような気持ちになる。姉は頑なだった。幸枝と同じように。今までがそうであったように。

 しかし、長いこと同じ場所にいれば頼り頼られることも出てくる。家は姉夫婦に相続されることになった。その手続きがまたえらい面倒で、夫婦二人でああでもないこうでもないと奔走することになった。その間の幸枝といえば、戦力外ではあったが子守りは出来るだろうということで、幼少の子どもたちとお絵かきやらかけっこやらで遊び倒していた。年長に差し掛かる信彦は年齢にしては落ち着いていたし、下の勇子はまあ甘えただった。

 幸枝はペットマトンの開発に携わっており、その知識から動植物の知識は豊かだった。子供二人と手を繋いで、近所にある植物の名前を教えればそれだけで子供は喜んだ。美味しい蜜を吸える花、食べられる木の実、色水がきれいに作れる花。絵を描き、絵本を読み、子供というのも案外悪いものじゃないと思った。まあ、転んだりするとめちゃめちゃに泣きわめくのだが。

 

「おばさん、これは? なんて名前? 」

 

「おんぶ! おんぶしてよぉ…!」

 

「それは野ブドウ。きれいだけど食べれないよ。ほら勇子、おんぶしてあげるから泣かないの」

 

 さっきまでぐずっていたというのに、背中に乗ってしまえばあっというまにご機嫌だ。下の勇子は幸枝の背中が気に入ったらしく、頻繁に背中に張り付いてきた。

 長女である姉は相続やらなにやらで忙しいが、幸枝は次女であるからか手伝いを申し出る程度にはやることがなかった。母親である姉の不安定さを察しているのもあっただろう。兄妹そろってじっと姉のことを見つめていることがあった。そういう時、幸枝はなんだか「よくないな」と思ってむやみに明るい声で信彦と勇子のことを抱き上げた。天沢さんがずっといればよかったのだが、彼は幸枝よりも先に会社に復帰した。まあ、おおよそのことは姉妹で終わるような段階まではきていたので。

 

「おばさんは物知りだね」

 

「そりゃあそうだ。信彦より長く生きてるんだから」

 

「お父さんの方が年上だけど、ずーっとおばさんの方が物知りだよ?」

 

「信彦のお父さんは…、私よりずっと二人のことに詳しいはずだよ。人によって知ってることは違うからそりゃあ仕方ない」

 

「…そういうもの?」

 

「そういうものだよ。大人だってなんでも知ってるわけじゃない」

 

 どことなく納得のいかない顔で信彦は言う。なんというか、すごく賢い子供なんじゃないかと思った。随分と落ち着いている。幸枝が知っている同僚の子供は、常に動き回って目を離せない生き物だったはずだ。幸枝の言い分をちゃんと聞いてくれるし、目立った癇癪もない。逆に勇子はこのところ癇癪が多い。姉がてこずっているのをよく見る。天沢さんの腕の中で海老ぞりをしているところは傑作だった。信彦と一緒に笑ってしまった。そんな勇子だったが、幸枝の背中にのっている時には癇癪を起したことがない。信頼関係が出来きっていないのかもしれないが、それでも不思議だなと幸枝は思った。こんなに小さな子供にも意思が存在している、ということがすごい気がした。

 

 その日も近所の公園まで三人で歩いていた。おぶわれた勇子は大人しく、見慣れた道をきょろきょろと見まわしていたし、信彦は信彦で道端に突然しゃがみこんだりはした。そのたびに「これはなんだ、あれはなんだ」と上がってくる質問にひとつずつ答えていった。

 

「ユキちゃんは、いつまでいるの? 」

 

「え-、そうだなぁ…多分もうちょっとしたら戻らないといけないかな」

 

 おや、と思った。幼い子供は時間の感覚がないというが、勇子にはもうあるようだった。耳元で潜めた声は幸枝のことを考えてのことか。聞こえる声には、寂しさや残念さがあるわけではなく、ただ確認のために聞いたようであった。

 

「…。」

 

「どうしたの、勇子。さみしがってくれるの? 」

 

「ユキちゃんがいなくてもさみしくないもん! 」 

 

 耳元で爆発したようだった。大音量で幸枝の上半身が揺れた。大声過ぎて耳が痛いが、揺れた幸枝に思うところがあったのか勇子は感情を抑え込むように口を閉じた。植物を眺めていた信彦も、さしもの大声に釣られて勇子を見つめている。

 幸枝は大声にはびっくりしたが、勇子の気持ちが自分に向いているのを感じて内心では微笑ましく思っていた。家族に目を向け始めた幸枝には、甥と姪が中々に興味深かった。幸枝は下の子だったから、周りにはあまり年下はいなかった。いたとしても、その頃の彼女は寄り付きもしなかっただろうが、年を重ねた彼女にとって奇想天外な行動をする子供は好奇心を誘った。彼らは自分なりの理由を重ねて動いていて、小さな体に果てしない何かを詰め込んでいるように見えたのだ。

 

 幸枝が変わろうと思ったところで、今までに積み重ねてきたものは中々に変えがたい。特に幸枝は姉の前ではなかなか思ったように行動をとることができなかった。そもそも、幸枝にはどうするのが正解なのかもわかっていなかったのだ。その結果、甥と姪の前では気負うことなく動けるので、上手くいかない反動もあって彼らを可愛がることになった。しかし、今までの幸枝であれば甥と姪にも最低限の関心しか向けなかっただろうから、確かに彼女は少しずつ変化していた。

 幸枝は人の細かい感情を気にしない。自分にどうしようもないことを知っているからだ。でも、信彦と勇子にかけた時間はその考えを覆し始めていた。会社の同僚とは違う。学校の友人とも違う。逃げず、避けられず、それでも一緒に笑い、喜び、過ごすというのは幸枝にとって苦しく、興味深い生活になった。彼女には未だ理解し切れていないが、こうやって思うことが家族なのだろうかと。こういうものを大切といえるのは良いことなのかも、と思った。後年、彼女はこの考えを悔いることになる。「大切」なら、それなりの行動をとらなくてはいけなかったのだ。

 

「そお?私は勇子と会えなくなるのは寂しいけどなあ」

 

「…勇子はさみしくないもん…」

 

 ぎゅっと首にしがみついた勇子の行動で、気持ちなんてわかったようなものだった。ちらりと信彦を見れば、信彦は信彦でどこか不安そうな顔をしていた。(不思議だ…)そう幸枝は思う。数週間前には彼女と全く打ち解けていなかったのに、今は会えなくなることを惜しんでくれる。

 背中の勇子を揺らして、無理やり空けた左手で信彦の背を叩く。当たり所がよかったのか、大分いい音がした。

 

「勇子、私は寂しがってくれるのは嬉しい。だからそんなに怒らないでほしいな。信彦も、言いたいことがあるなら言ってごらんよ」

 

「なにもないよ」

 

「えぇ? 本当にー? 勇子はー? 」

 

「勇子もない! ユキちゃんがいなくても平気! 」 

 

 「それは残念~」と返せば、勇子は鼻をふんすと鳴らした。信彦も特段なにをすることもないので、なんだか幸枝は一周回って愉快な気持ちになってきた。こんなに小さいのに体の中に感情を詰め込んでいる。よく考えなくても自分もそうだった。

 公園に着けば、勇子の機嫌は簡単になおったし、信彦は信彦で勇子の面倒をよく見てくれる。手のかからない兄妹だった。幸枝は時々ブランコに乗る勇子の背中を押したり、信彦から尋ねられることに答えていた。子供の手のひらは熱くて、ああ生きているんだなと柄にもなく思った。

 

「会えなくなっちゃうおばさん。四つ葉のクローバーを探してよ」

 

「えっ、くれるんじゃなくて探して? さては信彦、さっきのことを根に持ってるな? 」

 

 日がだいぶ傾いた頃、「そろそろ帰るか-」と呼びかければ信彦が私の手を引いてそう言った。にっこりと笑う表情は天沢さんにそっくりで親子だなぁと思う。その辺を走り回っていた勇子も信彦の言葉にはしゃいだような声を上げた。どうも見つけたことがないらしい。

 

「…まぁ、それくらいの時間なら大丈夫だから…さがそっか」

 

 きらきらとした目を向けてくる勇子に負けた。クローバーが生えているところで腰を落とし、じっと探す。もちろん近くには信彦も勇子もいる。「じゃあ競争だね」なんて声にすれば、勇子は楽しそうに手を突っ込んでかき回し始めた。一方の信彦はじっと足元を見つめていて、探し方まで大人びていて二人の様子の落差に笑ってしまった。くつくつと笑いながら遠目で眺めれば、ちょうど勇子の足元に1輪見つけた。

 

「勇子、足のとこにあるよ」

 

「えっ、どこぉ? 」

 

 「そこそこ」と指で示せば見つけた四つ葉に歓声を上げる。それがあんまりにも嬉しそうで、幸枝まで嬉しくなってくる。四つ葉のクローバーひとつでこんなに喜んでくれるなら、いくらでも見つけてあげたくなる。

 

「ねぇ、僕にも見つけてよ」

 

 勇子を見ていると、隣の信彦が袖を引いてきた。信彦はいいお兄ちゃんで、妹の勇子を優先するから珍しい行動だった。見上げる表情がどこか拗ねているように見えて、思わずぐしゃぐしゃと頭を混ぜてしまった。「もちろん」と返せば、「じゃあ早く」なんて言うから、もう一度頭をぐしゃぐしゃにしてやった。

 

「これで信彦の分も見つけたからいいね! 」

 

 今度の四つ葉は三人から等距離のあたりにあった。ぐっと手を伸ばして摘み取ってやる。「ユキちゃんすごい! 」幸枝の指先を見つめて勇子は言う。あっという間に見つけた幸枝に対する賞賛は、輝かんばかりで体がむず痒くなった。すごいすごいと笑う勇子を背に、信彦に四つ葉のクローバーを渡す。

 

「クローバーはね、成長の途中で傷つくと葉っぱが分かれるんだよ。突然変異もあったりするけど、大体はそう。強いよねー」

 

 幸枝は小難しい話をそのままする。普通の大人は簡単な言葉に言い換えたりするが、信彦から質問がこない限りそのままだ。幸枝が幼い頃に分かっていたからで、それで良いと思っている。

 受け取った信彦は、手の中のクローバーを見つめながら幸枝の話を聞いていた。信彦は幸枝のそういうところが好きだった。年齢が子供であっても、幸枝と話すときは同じ目線でいるような気でいられた。母とは円滑な仲ではないし、変なところのあるおばだ。だが、物知りで、一緒に遊んでくれて、優しさの加減がわからない人だった。信彦はそれが分かる子供だった。

 

「んー。どうせだからお母さんとお父さんの分も探してく? 」

 

 

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