×月△日(*)
この世はなんとかなるように出来ているのだろうか。こんなに世界に感謝したのは初めてだと思う。まさか小此木先生の息子さんが監査を行っているなんて! 一体どうなっているんだ。それに、チーフはどうして知っていたんだ?
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side:勇子
あれはとても暑い日だった。オバさんは前の日からうちに来ていて、お土産をたくさんくれた。午前のうちは涼しかったのに、お昼を食べた後はとても暑くなった。
なぜかその時の家には母も父もいなくて、それでユキちゃんが「ねぇアイスを買いに行こう!」って。私とお兄ちゃんはクーラーの効いた部屋で顔を見合わせた。
「アイス、いらない?」
ユキちゃんはちょっとだけ不安そうな顔でもう一回聞いた。私もお兄ちゃんもちょっとびっくりしただけで、アイスがいらないわけじゃなかったの。そんなユキちゃんが面白くて私は思わず笑っちゃった。
セミがうるさいくらいに鳴いている。
私の身長ではセミを取るのは難しい。かといってお兄ちゃんはセミに興味がなかったし。
近くのお店まで歩く。
夏の日差しは強くて、麦わら帽子をかぶった頭も汗でじっとりとしている。お兄ちゃんはなにを考えてるかわかんないけど、私と手を繋いでくれる。ユキちゃんは楽しそうに、私の腕をぶんぶんと振り回した。私はお兄ちゃんとユキちゃんに挟まれてすごく嬉しかった。ユキちゃんに会えるのはお正月とお盆だけだったから。
「それで、松川さんがすごくってね。電脳ペットの性質モジュールについてだったら、あの人にかなう人って中々いないね」
「ブラックボックス、って前に言ってなかった? それを何とか出来る人ってこと?」
「そうそう。だからすっごいんだよ」
私にはわからないことだったけど、お兄ちゃんが楽しそうだから私も嬉しい。腕をぶんぶん振り回して二人の顔を見上げる。
「なあに?」
ユキちゃんは面白そうに私に聞く。お兄ちゃんも私を見つめている。二人の顔の向こうに白い入道雲がもくもくと広がっていて、びっくりするくらい青い空だった。
「なんでもなーい」
それだけで楽しかった。暑いだけの道のりがその日の絵日記になった。
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メガネを捨てる子どもたち
「これはどういうことですか?! 勇子が? どうして、」
「幸枝さん、落ち着いてください。・・・・・・今のところ分かっているのは、どうも小学校に忘れ物をとりにいって、それで別の階で倒れているのが見つかったみたいです」
連絡を受けてすぐに訪れた病室では、勇子がベッドに寝かされていた。つけたままだった電脳メガネを通して、勇子の体がオフラインになっているのがわかる。なぜオフラインに? それにどうしてそんなことに。言葉を聞いてはいるものの頭は混乱していく。すがるように触れた手は勇子の手はあたたかい。それに少しだけほっとする。
「それで……、こんな状態になった理由はわからない、と?」
「お医者さまも、近くにいた子も警備の人も原因がわからないそうで」
かわるがわるに私に説明をしてくれるのは天沢の義姉と義兄だ。保護者としてすぐに呼び寄せられたという。倒れていたのは現在仮住まいになっている小学校のビル、地下階。一緒に忘れ物を取りに行った生徒は何の影響もない。警備側からは不審な報告は上がってこないという。状況的に考えられるのは階段から落ちたのではないか、ということだけ。
「そんな。だって……これは明らかに
小さく名前を呼んで力のない手を握りしめた。あまりに自分の声がかすれていて、みっともなくて肩が震えた。
誰が、どうして、こんなことを?
現状で考えられるのはメガマスの誰かだけだ。学校の同級生が一緒にいたらしいが、勇子がいじめにあっていたとして、わかりやすい証拠が残るように行われるわけがない。勇子もおめおめとされるがままなタマではない。
じゃあどうしてメガマスが? 勇子はメガマスの被害者のひとりであって、ぞんざいに扱えば一面記事を取れるくらいの爆弾であるはずだ。なぜ?
思い浮かぶのはついさっきの件だ。私は、なんの申し出を断ったのか。分からない。誰であったのかも、何の要件であったのかもわからない。背筋がひやりと冷たくなる。
メガマス内の派閥のどれかが先走って?
あんまりじゃないか。
勇子が死んだってかまわないとどこかの誰かが思っている。ぞっとする。
思いついたことは胸にしまって。大人になった私は義務をこなさなくてはならないことを知っている。落ち着いた顔で、声で病室にいる人たちに向き合う。これからのことを決めなくてはならないのだ。
落ち着いた様子の私に、周りもほっとしたようだった。それもそうだ。明らかに取り乱した様子だったのだから。悪いことをしたのかもしれない。でも身内がこうなったなら心配のひとつだってする。
「すいません、取り乱しました」
「いいえ。それよりも幸枝さんこそ大丈夫ですか? 顔色もずいぶん悪いようですよ」
「えぇ、大丈夫です。だいぶ落ち着いたので、これからのことについてお話を伺いたいのですけど」
「それがねえ、どうも私たちにはぴんとこないものだから、幸枝さんにも聞いてほしくて」
医師が口にして、ふたりが首をかしげたのは電脳治療についてだった。電脳メガネを通して体調を崩した人たち、それからメガマスに記録されていて表に出てこない意識がアッチにいった人たちのための治療。肉体を生かし、"心"が帰ってくるまでの流れについてだった。
ネットに繋がれば噂話はたくさん出てくる。
少しでも情報が見つからないか、と思って掲示板を覗いたのは馬鹿だった。こんなにセンセーショナルな話題が放っておかれるはずがない。学校という点も、メガマスお膝元の大黒市であることも、それから勇子であったことも話題を加速させる一方だ。クソみたいに楽しそうなコメントがついている。増えていく。スレッドが加速する様子を見て気持ちが悪くなる。勇子は、勇子だけが悪いわけじゃない。あの子がどうなっているのかも知らず、電脳メガネの向こうで事故を食い物にしているやつがいる。
なんの信ぴょう性もない噂話しかないくせ、それが転がって真実みたいになっていく。適当に目を通しただけでひどく疲れてしまった。
電脳メガネをはずして、眉間をもみほぐす。
思うのはこの件で世間がどうなっていくかだ。小学生の女の子が電脳メガネに関わって階段から落ちて重体、これだけの言葉なら保護者はメガネの使い方を考えるだろう。ただ、どんな人間も道具は使い方だと知っている。それができないから子供からは取り上げるが、使える・使い慣れた大人はむしろ手放すことはできない。
大人で手放すのは噂話に敏感な人間か、元から電脳メガネに拒否反応がある人間ぐらいだろう。仕事で使っている場合は切っても切れないだろう。
なにが目的でこんな事故を? きっとメガマスでは問い合わせの電話が鳴り止まないだろう。嫌がらせとしては上等だ。でも、そんなことをしたら「コイルスが発明した電脳メガネ」の評判を落としている。旧コイルスの作戦だとしても、ちょっと目的が見えない。
なにを考えているんだろう。どうして。こんなのおかしい。こんな未来になるなんて。電脳メガネでこんな景色が見たかったんじゃない。
胸が痛い。
腹も痛い。頭痛もひどい。
連絡をもらってからずっとこうだ。
私が誘いを断ったからだろうか。
馬鹿にされたことに腹を立てて、それで勇子が死ぬかもしれないことに巻き込む? いいや、あの程度の人間は自分を賭けてまでのことはしないだろう。でも、それを利用した人はいるかもしれない。
じゃあ誰だ。
まただ。また誰かがいる。人を勝手に駒のように扱って、自分以外はどうなったってかまわないと思っているんだろう。自分のために全てがあると思っている人。きっと、信彦の病室を引き上げたときにはもう動いていたんだ。もっと早く気づいて、連絡していたらよかった。
後悔ばかりがよぎる。いつもそうだ。昔からずっと。
後悔するぐらいならさっさとやればいいんだ。それもわかってんだ。分かったつもりでもできないことが多い。
ぎゅっと強く目をつぶる。どうしようもないことを悔やんでも仕方ない。いつだってそう。その後の私が次にどれだけ頑張れるかが勝負。
細く長く息を吐き出して気持ちを落ち着かせる。とり急ぎやるべきことはなんだろう。この一連の首謀者を知りたい。しかし、それがすぐに分かるなら警察の必要はないだろうから。せめて少しでも情報を得なくてはならない。勇子が怪我をしたときの状況だけでもいい、そうなると必要なのは空間管理局へのアクセスだ。
絶対に犯人を豚箱にぶち込まなくては気が済まない。こんな好き勝手にやってくれて、私の計画も人の人生もめちゃくちゃにして。なにもかもが明らかになって、それで。
思考を前向きにしようとしても、どうやったって思い出すのは勇子の姿だ。まぶたが熱い。勝手に視界がゆがむ。反射的に奥歯を噛みしめた。病室とあたたかい手の平。生きている人のぬくもり。
勇子は大丈夫。勇子はきっと、また戻ってきてくれるから、私は私のやるべきことをやらなくては。恥ずかしい叔母では格好がつかない。
両手で自分の頬を叩く。じんじんと熱くなる皮膚の感触に、頭が切り替わっていくのがわかる。手始めに空間管理局のサーバー、該当時間の監視カメラの映像を確認しておきたい。まだデータが改竄されていないことを祈ろう。改竄されていたとしたら、そこに綻びがないかどうか。あのふざけた掲示板のログもとっておきたい。コメント欄がどうも具体的なのが気になった。
勇子の病室から少し離れて掲示板を検索していたが、近くまで来た足音に目を上げた。先ほど病室で分かれた義姉が、花を持ってそこまで来ていた。義姉は影がかった、疲れた表情で私を見ている。
「忙しいところ悪いね、幸枝さん。一緒に花の入れ替えをしに行かない?」
「もちろんです。こちらこそ、気が付かなくて・・・・・・」
花は随分と大きい。誰かが持ってきたのだろうか。事故が昨日の今日とあって、義兄の家も私も大した準備はできていなかった。
「この花束はメガマスの人が持ってきたんですって。私はもう腹が立っちゃったもんだから、あの人に追い出されちゃって」
花束を持つ義姉と、ナースステーションで花瓶を借りた私。早く戻りすぎるとまた顔を合わせる可能性があるからか、歩みは遅い。
清掃がきちんと入った床はぴかぴかと光り、靴が踏みしめる音がする。手洗い場もひどくきれいで、水を流すのが躊躇われるほどだ。
「治療についてさっき話があったけど、私はあんまりぴんとこなかったけど、幸枝さんはどう? 」
「特別に分かるというわけではないですけど、どう進めていくかはわかりましたよ。体を維持しながら意識が帰ってくるのを待つ、というのが大体のところですかね」
「ああ、まあそう言ってたね。はあ、何事もなくと言ったらおかしいんだろうけど、意識が回復したらね・・・・・・。勇子も、最近はこの街に慣れて、お友達も増えてきてたんだけどね。こんなことになっちゃってさ、私はもうどうしたらいいのか・・・・・・」
「・・・・・・本当に、お義姉さんには、苦労をかけてばかりで・・・・・・」
「いやねえ、愚痴っぽい言い方をしちゃったね。幸枝さんにも色々あるでしょう。わかってるよ。でもね、やっぱり気持ちが追いつかないんだね」
幸枝には頷くのが精一杯だった。義姉の顔には隠しきれない暗い影がある。勇子が義姉に心労を与えているのは確かだった。
整えられた花だけがやけにみずみずしい。花瓶を抱えた幸枝は、義姉と最近の様子について話す。勇子のことだけじゃなく、義姉の住まいの話し。大黒市の話題。電脳化していく街についていけないことがあること。
ゆっくりと歩いて病室に戻っていると、義姉が突然口を閉じた。不思議に思っていると、突然駆け出す。
「ちょっとあなた! あなた空間管理室の人でしょ! 二度と近寄らないで下さい! 」
大きな声での警告。ヒステリックに聞こえるのは彼女の性格なのか、疲労なのか幸枝にはわからない。ただ、彼女がひどく空間管理室を嫌っているのはわかった。
「お義姉さん、落ち着いて下さい。大丈夫ですよ。病院までなんとかなることってないですよ」
「そうだよお前、落ち着きなさい。ちょっと話をしていただけだ」
「勇子も信彦も、空間管理室がちゃんとしてないからこんなことになってるんじゃないの! 」
「メガマスの担当の人はこうじゃなかった」と義姉は言う。幸枝とは少し違う考えだ。空間を管理どうのの前に、電脳空間の整備やらなにやらをしないメガマスに非がある。治療を提供するのは当然のことだ。それとも、メガマスの担当者になにかを言われたのか。
落ち着いてきた義姉を義兄に任せて幸枝は早足に向かう。義姉が追い返したのは、ライダースーツの女だ。もしかしたら、と思考にあぶくのように浮かんでくるアイディアがあった。これが神の思し召しというやつなのかもしれない。彼女が病院を出る前に捕まえなくては。
早足で病院の出口に向かう幸枝の視界に、ライダースーツが入ってきたのはそう時間はかからなかった。どうも落ち込んでいるのか歩みが遅い。
「間違っていたらごめんなさい。あなた、原川玉子さん? 」
前方に回り込んで顔を見る。メガネをかけた女だった。やっぱり見たことのある顔である。それも、メガマスの名簿でだ。
「・・・・・・そうですが。あなたは? 」
幸枝のことを知らない玉子はいぶかしげな顔である。当然だ。知らない人間が自分のフルネームを呼べば困惑する。
「私、メガマスで働いている地村幸枝といいます。空間管理室が女子高生を起用した、っていうのはメガマス内の一部で有名なんです。突然ごめんね、聞きたいことがありまして」
「は、あ・・・・・・? 本社の方が私に聞きたいことというと? 」
幸枝は迷っていた。どう考えても空間管理室が個人の情報を外に漏らせるはずがない。メガマスと提携した調査なら、データはメガマス内にあるはずだから聞くのはおかしい。つまり、メガマスの社員である幸枝がふつうするはずのない質問をするのだ。どうしても歯切れの悪い聞き方になってしまう。
「アー・・・・・・、その。もしかしたら守秘義務に抵触する可能性があるので、無理なら無理と言ってもらって結構なんですけど」
簡潔にものを話さない幸枝に、玉子は内心いらだちを感じていた。メガマス本社に勤めるほど優秀な大人が、まごまごと人の顔色をうかがって言葉に迷っている。これなら自分の方がよほど仕事をこなせるのではないかとすら感じられた。
幸枝は人の耳を恐れて、玉子と壁際に移動した。「あの、とりあえずそっちに移動しても? 」という言葉すら聞き取りにくい声だった。移動途中も幸枝は悩んでいるし、玉子は幸枝という人がわからなくてやきもきする。
病院の窓から見える太陽はもう随分と沈んでいた。
「・・・・・・昨日の、天沢勇子の事故は空間管理室ではどのように扱われていますか」
玉子からすれば「やっと」聞くことが出来たのはそんな言葉である。玉子からすれば現在、もっとも空間管理室に問い合わせがある質問であるし、特に何とも思わない。ただ、地村幸枝という人の目があまりにも、
「天沢勇子・・・・・・? 失礼ですが、あなたは天沢勇子さんとどういった関係で? 」
その質問は玉子の記憶を刺激する。先ほど追い払われた病室でもずっとその名前を考えていた。
目の前の女は先ほどまでの態度とは随分と違う。落ち着き払い、玉子の目をのぞき込むように観察している。その視線にわずかな既視感があった。この人は私の感情の欠片のひとつも見逃したくないのだ。
「天沢勇子は私の姪です。彼女はいま、この病院に入院しています。証明することは難しいですが、昔の写真やログがいくつか残っていますよ。確認しますか? 」
いくつかのログを見せてもらえば、たしかに地村幸枝は天沢勇子の叔母であることがわかった。写真の中の天沢勇子は今では信じられないほど無垢に笑っていた。たしかに2人の顔は似ている。
空間管理室の、とくに個人情報に関わる部分だ。当然、情報を漏らすことは許されない。しかし、現状を考えれば情報を提供することで、こちらも得られるものがあるように思われた。少なくとも、なんらかの情報が得られると玉子のカンが告げていた。
「内情を漏らすのは処罰ものですが、地村さんはメガマスの社員の方ですからなんとか言い訳も立つでしょう。
・・・・・・こちらでは事故扱いです。彼女の不注意による事故だと。調査はある程度行われていますが、途中からメガマス本社に引き継がれています。そのため空間管理室には資料が残されていないかと」
「そうですか・・・・・・。では、引き継ぎをしたメガマスの社員の名前を覚えていたりはしませんか? 」
「ああ、名刺があります」
玉子からもらった名刺データは2枚。名前だけでは検討はつかないが、メガマスのデータベースを参照すればそれなりのことは分かる。
幸枝はそもそもデータを融通してもらえるとまで考えていない。これまでのことを考えれば、そういった核心に近いデータは秘匿される。
しかし、若いデータなら他のやりようがある。引き継ぎをした人の名前がわかるのならなおさら。
「該当ビルの防犯カメラの設置はどこにあったかわかりますか? それから、そのログのバックアップは空間管理室に? 」
「防犯カメラの設置場所はわかりませんが・・・・・・、バックアップくらいなら残っているかもしれませんけれど・・・・・・、」
玉子は目の色が変わる瞬間をはじめて見た。地村幸枝という人はどうも不安定だ。わずかな時間では彼女を理解することは難しい。なんならお近づきになるのも遠慮したいほどだ。
それほどに、彼女はぎらついた目でやさしく笑う。
「それなら、なんとかなりそうです」
それからの様子を玉子は本当に理解できなかった。言葉に語弊がある。玉子は何が起きているかを、病院のロビーにいる誰よりも理解できた。理解できたからこそ、地村幸枝という女のことがわからない。
「は? 」
電脳メガネが通信するたびに、ジジと鳴る。そのたびにめまぐるしく画面が増減する。ログは延々と文字を吐き出し続けている。視界の全てが画面で埋まっているだろう。横から覗いていた玉子は、ログを読むことでアクセス先ややりたいことが読める。だから、幸枝が空間管理室のサーバーにアクセスしていることがわかった。ただそれしかわからない。それ以上を読みたくとも、早すぎて追いつくのが難しい。
弾幕シューティングゲームを複数同時にやっているような視界なのである。ちかちかとコードが連続で動き、幸枝の指先はよどみなく動き続けている。彼女の視線は固定され、数多くのウィンドウが勝手に動いて場所をゆずりあう。その中に文字という文字が詰まっている。玉子のためにか、ルートと達成度合いを視認できるようなウィンドウまで用意された。
玉子とていっぱしの腕を持つ。だから、彼女の腕前も分かった。驚くほど迷いのない強引なアクセス。到着地点を見定めたスマートなやり口。迂遠な回路を選ばず、権限とコードの解析で強引にセキュリティを突破していく。彼女には迷いがなかった。
それから、彼女は管理者権限を持っているようだった。玉子が出会った人の中で地村幸枝は間違いなく、もっとも権力を持った人だ。権限が強いだけでこんなにもやりやすくなるというのは、玉子に新たな思いを吹き込む。きっと楽しいに違いないのだ。こんなにも自由に電脳空間を操ることができるというのは。
玉子はここまで腕と権限をもった人を見るのは初めてだった。自分と同等か、それ以上の腕前。
彼女と同程度の権限を持っていたら、同じように事を運べるだろうか。
ちかちかと瞬いていた画面の群れが、その痕跡を消しはじめたのはそれからわずかな後である。地村幸枝はなぜか、丁寧に自分の痕跡を消していく。彼女はメガマス社員である権限で強引に突破をしたり、偽装しつつ不正アクセスをかけていたが、その痕跡すらも消そうとしている。
自分の巣である空間管理室のサーバー内のデータを荒らされ終わるのを見届け、玉子はふいに数日前の違和感を思い出した。
「地村さん。もしかして数日前にサッチーの記憶領域を広げたりは? 」
「・・・・・・ええ。わかりましたか? 」
必要なデータをコピーしたのはわかるが、どこに保存したのか玉子にはわからなかった。アクセスログを偽造した上にきれいに消していく。舌を巻くような腕だ。それに早すぎる。
再び、ウィンドウが大量に開かれていく。今度は空間管理室ではなく、ーーメガマス本社サーバーにアクセスしている。
「なぜ、そこまで警戒されるのですか? 」
「さて。原田さんに伝わるか分かりませんが、」
もう玉子には幸枝がどんなデータを探しているかわからない。空間管理室にアクセスしていたときよりもずっと速いペースで進んでいる。慣れているのだ。
「どこにでも用心深い人間というのはいるものですから」
玉子は再び考える。今度は目の前で起きていることではなく、彼女が天沢勇子の叔母であることだ。
今、玉子たちが抱えている難題、そして先ほどは聞きそびれた「4423」を、この人なら答えられるのではないかと。
ただし、幸枝が味方なのか敵なのかというのは玉子にはわからない。しかし、天沢勇子のために何かをしているのであれば、この状況をどうにかしたいと思ってくれるのではないかと思う。
「ありがとうございます原川さん。おかげでいい資料を見つけることができました」
たった数分だろう。メガマスへのアクセスはそれで終了したらしい。満足げに微笑む幸枝に玉子も覚悟を決めた。じわりと緊張で汗がにじむのを感じる。
「地村さん、ひとつ伺いたいことがあるのだけど。・・・・・・あなたなら信彦君が亡くなったときのことを話せませんか? それか、4422のことについて」
その質問は幸枝にとって、なにをはらんでいたのだろうか。玉子は部外者であるから何も知らない。それでも、「聞き方を間違えた」と思った。今までで一番、まずいことをしたと感じた。
幸枝の表情は、怒りと悲しみにゆがんでいた。
「だめ。原川さんには助けてもらいましたが、話すことはできません。私は話す権利を持っていませんから」
「話す、権利? 」
「・・・・・・失言でした。今のは聞かなかったことにしてください。今日はありがとうございました。失礼します」
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「ちょっと聞いてよ幸枝さん! このひと、さっき空間管理室の人と話してたんですよ! 信彦のときも勇子のときも何一つしなかったのに! 」
「おまえねえ、そんなにカッカしたって仕方ないだろう。人には出来ることとできないことがあるんだから。それにあの人はね、信彦のことを不思議がっていたからね、ちゃんと関心をもって勇子の件にかかってるんだよ」
「そんなこと言ってもね、割り切れない気持ちがあるんですよ・・・・・・! あの事故がなかったら、勇子だってこんなことにはならなかったんですから」
「・・・・・・お義兄さん。もし、ですよ。・・・・・・小此木先生の奥様をおぼえてます? あの人になら勇子と信彦のこと、伝えても大丈夫だと思います。きっと、よくしてくださると思います。どうも、詳しい人のようですから」
あと2話です。