コヨーテの歌   作:ねこや しき

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選ぶこと

 無理を押した姉の体調が崩れたころ、幸枝の有休にも終わりが見えてきた。元々が強くない姉の体は、精神に引きずられて簡単に体調を崩したのだ。幸枝がわかる、というのなら天沢さんはもっと早くから気が付いていただろう。それでも動き続ける、というのは妻としての立場なのか、それとも自分で追い詰めているのか。幸枝にはそういう情動がうまく理解できない。でも、姉が追い詰められているのはよくわかった。

 

「やっぱり無理してた」

 

「……平気よ。これくらなら大丈夫」

 

「…、自分の顔見た? 」

 

 紙のように真っ白な顔で姉は言う。腰のベルトの穴がひとつ縮まったことを幸枝は知っていた。困った顔で幸枝を見上げるが、幸枝は医者ではないので「大丈夫です」とは言えないし、そんな状況でもないだろうことは火を見るより明らかだ。

 

「とにかく、お義兄さんに報告するから。今までのことも全部」

 

 そう言えば一層のこと困った顔になる。幸枝と話すとき、姉はよく困った顔をした。これが天沢さんも一緒だと円滑にいくのに。ままならない。幸枝は上手に出来ない。心臓がぎゅぅっと痛んだ。心臓が痛むなんて重病だ。でも、この痛みが病ではないことは確かだった。痛む分だけ上手になればいいのに、何度繰り返したところで幸枝には上手くできない。やり直しは二度と出来ない。

 夫婦の寝室に姉を寝かしつけて天沢さんに電話をする。姉に聞こえないくらい離れれば、電話口で天沢さんは「やっぱり」と言った。この1週間で幸枝が知っていたことを全て伝えた。幸枝にはそれ以外に姉にできることがないと思った。気休めの言葉も、手伝いも姉には必要がなさそうだった。むしろ──その言葉こそが姉を追い詰めるだろうことが、天沢さんの言葉でわかった。

 

「──、僕も休むように言ったんだけどね、『ユキちゃんが頑張ってるのにお姉ちゃんが休んでられないわ』なんて言うもんでね、いい機会だからこのまま休ませるよ」

 

 喉が締まって言葉が出てこない。姉は、私のことを理由に使ったのだ。それなら幸枝はもうここには残れない。子供たちの世話をして、姉の手伝いをしているつもりだった。でもそれが姉の理由になってしまう。姉のことを考えるなら離れた方がいいのだと思った。幸枝ができることなんて、指を折って数える程ももなかった。

 

「お義兄さん、姉さんのことをよろしくお願いします。私は…、明日の午後には会社に顔を出さないといけなくなったので。何かあったら連絡してください。なんでも、出来る限りのことはします」

 

「随分と突然だね、幸子には話した? 」

 

「いえ、話そうと思った矢先のことでしたので。これから話します」

 

「そっか……、信彦と勇子も残念がるなあ。随分と君に懐いてたみたいだから。詳しい話は家に帰ってから聞くよ」

 

「お仕事中にすいません」

 

 「そんな、家族のことなんだから」という返答を最後に電話が切れた。幸枝は空をぼんやりと眺めて、その場に立ちつくすしかなかった。幸枝には何も上手くできない。自分の行動が空回りしていることを感じた。この選択も、姉から離れることも空回りかもしれなかった。だが一緒にいるのも限界だった。それが目に見えた瞬間だった。

 

 幸枝が明日から仕事に戻る、と天沢さんが戻った夕食時に告げれば、子供たちは「え~!」と大きな声で不満をぶちまけた。ばたばたしている親より、飛びつけば構ってくれる大人である。信彦も勇子もがっかりした。公園で寂しくないと言い張った勇子も、不満に口をとがらせていた。それが嬉しいようで寂しいようで胸がきゅっとした。

 

「ユキちゃん、また会えるの…? 」

 

「そりゃあ親戚なんだから。また会えるよ」

 

「父さんよりずっと休んでたけど大丈夫なの? 」

 

「…信彦はよく知ってるなあ…。戻ったらたーくさんの仕事を片付けないといけないよ。今から憂鬱だわ」

 

 思えば1月近く休んでいるのである。同僚は背を押してくれたが、押し寄せてくる仕事量を考えれば気持ちは落ち込む。上司も同僚も後輩も、両親の葬儀だと言えば「ゆっくり休め」の一点張りだった。そもそも幸枝が取るべき有休を全く消化していなかったのもあった。幸枝の場合、趣味の延長線に仕事があった。だから仕事が全く苦にならない。そりゃあやりたくもない雑務もたくさんあるが、それでも抑えきれない興味だった。

 彼女にとって興味という感覚は興奮状態に近い。欲しい情報を脳みその中に蓄える。興味の派生を追ってさらに不思議の端を掴む。それをまた追う。それの繰り返しだ。脳みその中にたくさんある情報は劣化していくがそれで構わないのだ。情報を認識した瞬間、脳みそに入れた瞬間、それがとてつもない快感に変わる。まるで、うまい食事を摂取するようである。

 広まりつつある電脳デバイス。特に電脳メガネの汎用について、幸枝は尽きない興味をもって研究をしていた。一昔前ではSFの中でしか見れなかったような景色が現実になりつつある。このままメガネを使える範囲を広げていけば、日本中でもっと便利に多くの可能性を叶えられる。それを拡張して、拡張して新しい何かを考えていく。幸枝はその中でも電脳生物を専門にしていた。

 

「なにする仕事なの? 」

 

「えー、そりゃあ…電脳生物かな…。電脳メガネの世界で生きる生き物を作るんだよ」

 

「え、おばさんがそんなの作れるの? 」

 

「なにおう失礼だな信彦。まあ、まだペットの一つも世の中に出してないからな。でもこれは将来性のある企画だと思うよ」

 

「ユキちゃんペット作るの? どんなやつ? 」

 

「ンー、人が知ってるやつと、知らないやつかな。勇子が好きなもこもこの猫ちゃんも作るし、猫ちゃんみたいな何かも作るんだよ。どうやってものを考えて、どんな動き方をするのか。それを考えるのが私の仕事」

 

「おばさんの言い方、悪役っぽい」

 

 「でもそれ、面白そう」と信彦が言うもんだから、幸枝は嬉しくてにんまりと笑った。そうなのだ、幸枝の大好きなことは面白いのだ。信彦にそう言われたのが、ことさらに幸枝は嬉しかった。「信彦は大人になったら何をやってんだろうね!」なんて言って、ぐるんぐるん振りまわした。

 

 夕日もすでに降りて、あたりは暗くなっている。幸枝は晩ご飯の後、荷物を片付けるために自分の部屋に戻った。すると兄妹でやって来た二人は思い思いにくつろいでいる。部屋を片付ける幸枝のことなんてお構いなしだ。こんな日々も終わってしまうのかと思えば、幸枝も寂しいような気がしてそれが可笑しかった。

 鞄の中に持ってきた分だけの物をしまって。散らかりつつあった部屋の中も整理整頓していく。多くの物は父や母の遺品整理の時にやってしまったので、部屋の中は物が多くない。それでも今日までは生活していたのだから、片付けにもそこそこ時間がかかる。

 きゃらきゃらとじゃれてくる子供たちを目に、幸枝は昼のことを思い出していた。

 

 

「そう。こっちは大丈夫だから、お仕事頑張ってね」

 

 

 ノックをして部屋の戸を開ける。布団から顔を出した姉は、相変わらず白い顔だった。ベッドの脇で「明日の昼には会社に戻る」と告げた。家でやることが姉には増えるだろう。体調も良くないだろう。姉は何を思ってほっとした顔をしたのだろうか。

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