【プリコネ二次創作】クロエ勤労日誌番外/森の虜囚とエルフの小夜曲 作:神田徳一郎
日がカーテンの隙間から洩れ出して、クロエの顔を照らした。朝は普段と変わりなかった。
「スヤァ……」
「あーもう……離せし」
枕代わりに抱き着いて来るハツネを剥がしてベッドを出る。
食事が済んだらアオイたちと作戦のためにミサトの仕事部屋に向かうことになっているので、ユウキが眠っているうちに着替えを済ませておきたいと思った。素肌を晒すにはまだ早いし、不純異性交遊など以ての外だ。
眠っていることに期待しつつ視線を部屋の隅にやる。ユウキのベッドは蛻の殻だった。ユウキの鞄の辺りを見ると、剣も無くなっている。
(普段のうちならバイト疲れでぐっすり寝てる時間だってのに、あいつ、どこほっつき歩いてんだ……? 修業してるとか聞いたこともあったけど、今はんな事やってる場合じゃないはずだし……。まいいや、とりま着替えっかね)
クロエは鞄から真っ黒な服を引っ張り出すと、寝巻を脱ぎ捨てて着替えを始めた。以前、ちょっとやんちゃをやる可能性のある仕事をする時に支給された服だった。結局やんちゃをやる前にバ先が潰されたので、給与代わりに貰っておくことにしたのだった。
腕を滑らせる。黒地の滑らかな肌触りで、体によく馴染んだ。胸にさらしをきつく巻き付けて、お腹までするりと下ろす。穿きなれた黒のショートパンツと合わせて、すぐにでも「仕事」に乗り出せそうだった。
(森を守るってよりも人を殺りに行くみたいなカッコだな……。ま、いいけど)
しどけなく広がっている長い金髪を束ね、黒いヘアゴムで一本に纏める。
ハツネの姿見で自分の姿を確かめてから部屋を出た。アオイの部屋にノックしてみる。「ひゃいっ!」今日もアオイはアオイのようだ。
アオイは大きな羽根飾りの付いたベレー帽に緑色の上着を羽織っていた。ハープを象った弓と矢筒も綺麗に整えられている。戦いの支度は万全のようだ。
「はよっす。てかおどかしちゃって悪いね」
「は、ははははいぃ……! あの、クロエさん、その恰好は……?」
「あーこれ? テキトーに見つくろって来たの。まさか制服で来るわけにもいかないっしょ」
何の気もなしにクロエは言った。
アオイはクロエの方を見ては目を逸らし、しばらくするとまた顔を向けて来たが、クロエが身じろぎするとまた視線をあらぬ方向へと持って行った。
変態不審者に間違われてもしょうがないほどに挙動不審だった。
「……どしたん?」
「そ、その……クロエさんの服装が、似合ってるなぁ……と思いまして」
「そ? ありがと。てかアオイも……あん時よりずっとカッコイイ感じになってンじゃん。イメチェン?」
確か昏睡したユウキを奪還しに行く時のアオイは、白と薄緑のシャツを着た、目立たない服装だったはず。クロエがテレ女を離れた彼女を心配してちょっと様子を見に行った時も、同じ恰好をしていたのを思い出す。
アオイはクロエの誉め言葉に耳まで赤くなって、少しの間うずくまっていたが、
「……この恰好は、BB団の……団長さんとの、絆の証なんです」
照れくさそうにそう言って、アオイははにかんだ。悲鳴を上げないアオイはとことん顔が良い。年齢に似合わない綺麗な顔立ちが、不器用に笑うと一気に少女らしくなって、見る人に否応なしに可愛らしさを押し付けて来る。
クロエは見ているだけで背中がくすぐったくなるような感じ……少年漫画に時々挟まれる恋愛パートを読んだ時と同じ感覚に襲われた。
自虐も絡めて嫋々と続く甘い言葉に内心閉口しないでもないので、
「――あー。ごめ、アオイ。ユウキの居場所知んない?」
「え、ユウキさんですか? ええと、ごめんなさい、私も見掛けてなくて……」
「マジか……。どこうろついてんだあいつ」
「うーん……気にはなりますけど、そろそろ戦う準備もしないとですし……朝ごはん、食べに行きましょうか?」
同意の相槌を打とうとする前に、クロエのお腹は急に大きな音を立てた。後輩の気まずそうな作り笑いが余計に堪えた。それからも何か同情の言葉を続けようとするので、クロエは半ば強引に手を引いて、食堂に向かった。
◆ ◆ ◆
がらんとした大広間に丸太を切り出したテーブル、大きな木の枝から切り出したらしい丸い椅子。壁には保育園児たち力作の絵が何枚か飾られており、普段は老若男女を問わず、ここでのんびりと寛いでいる姿が想像された。
だが今は、軽鎧を纏った男の兵士たちが、無表情のまま食事を口に運んでいた。ぽつぽつ混ざる繃帯の白さがいやに鮮明で、傷痕の深さを思い起こさないわけには行かなかった。
「……やっぱりみんな堪えてンね」
アオイの細長い耳にひそひそ話しかける。
「……はい。ミサト先生にも抑えられないなんてこと、今までになくて……」
「……あの母性の凄そうな人、フツーにバチバチのやり手なのね」
「ええ、ミサト先生はすごい人です。……ただ、ミサト先生は魔物の闘争意欲を削ぐことで被害を抑えていたので、それが効かないとなるとどうしても魔物に立ち向かえるだけの力が足りなくなるんです」
「ふーん……なるほどね」
(そーいや、むかーし父さんから聞いたことがあったな……『エルフ族は魔物や敵襲といったものに対する備えがなっていない』とか何とか。まぁそれで修業が厳しくなってったんだけど……。門番の人もうちがエルフ族だからってすんなり通してたし、森エルフはその辺ユルユルなんかね……うちらんトコじゃ考えらんないな)
そんなことを思いながら食堂の奥へと進む。厨房前の受付カウンターでは、妙齢のエルフ族の女性が一人、浮かない顔で注文をさばいていた。
彼女はアオイを見付けると、
「あら、アオイちゃん……今日もいつもので良いかしら?」
「……はっ、はいっ……あっ、今日はまた他のものも頼みたいなぁ……と」
そう言うと、震える指先でメニューをちょこちょこ指して行った。指につられてメニューに目をやると、緑黄色多めの献立がずらりと並んでいる。これを弟たちに見せたら泣いて逃げ出すかもしれない。
メニューをしばらく眺めていると、隅の方に肉の乗った丼を発見した。野菜が嫌いなわけではないが、戦いの前には肉を食っておくのが良いと言われて来ていたので、折角ならこれを食べたいと思った。
それに、これなら食べ盛りの男子も満足させてやれるはずだ。
「んじゃうちはこの肉の乗ったやつ。あ、二つ頼んでいいすか? 食わせたい奴がいるんで」
「ええ、わかったわ。――これお願いねー!」
列から離れて数分も経つとカウンターにお盆が運ばれて来た。
「おまちどおさま」
運んで来たのは場違いな笑顔を浮かべる少年だった。いつもの謎マントや肩当てを外し、代わりに白いシャツと鉢巻を身に付けていた。潑溂とした働きぶりが塞ぎ込んだ空気の中では浮いていた。
心配がすっぽ抜けて一気に脱力する。
「いやあんたかよ。うちらの心配返してくんない。てかあんた、戦いに呼ばれてンのに何厨房に立ってんの」
「人手が足りてないみたいだったから」
ユウキの病的なほどのお人好しを思えば十分想像できた答えではあった。
あっけらかんと言い切られて呆気に取られたしたクロエは、「ま、らしいっちゃらしいしいんだけどさ」と呟いた。
「いんだけど、急にいなくなんのやめれ。せめてこう、一言くらい言ってからにしとき」
クロエの言葉に無断ボランティア少年は頷いた。アオイには聞かん坊にお説教をする母親のように見えたが、口にはせずに黙っていた。
ユウキはそのままテーブルまで二人分のお盆を持って行く。
「あそこの席で良いかな?」
「ありがとうございます……!」
「サンキュ。そだ、あんた朝メシは――」
「僕はまだ仕事があるからこれで」
「ちょっ、待て待て」
戻ろうとするユウキの首根っこを捕まえる。勤労意欲が高いのは結構だが働き通しになっているのは見過ごせない。
というわけで無理に引き止めたは良いものの、なかなか言葉が出て来ない。
「……あー、ほら、この肉丼さ、間違えて余計に取っちゃったんよ。だから……」
「それなら返して来る」
急いでお盆を下げようとするユウキの肩を掴んで押し留める。
「そーゆうの、いいから……! ……とりまさっさと食えし」
「もうまかないを食べちゃったから……」
「あんたみたいな男子は食わないとやってらんないもんだし、ヨユーで入るっしょ。無理そうなら食えるだけ食って残りをうちが食べればいいし」
「それなら食べる」
「ん。そーしとき。おばちゃんの厚意は素直に受け取っとくのが礼儀ってもんよ」
取り皿を受け取りに行って、ついでに受付の女性に「飛び込みバイト君借りてくんで」と許可を貰った。暗く淀んだ顔の中にかすかに笑みを浮かべていたが、クロエは気付かなかった。
席に着いてめいめい食事を始める。慣れた手付きで小皿に取り分けてやると、ほとんど丼一杯分の山が出来上がった。ユウキの顔が少しだけ歪んだが、見ないふりをしておいた。
「そーいやあんた、ここの手伝いする前は何してたん?」
「あ、それ、私も気になります……」
ユウキは目の前の小山を少しずつ崩しながら言う。
「魔物が来たからみんなでやっつけてた」
危うく肉を落としかけた。
隣からは果物を落として慌てる声。
またしてもあっけらかんと言いながら、ユウキは肉を乗せたご飯を口に入れる。
「ま、魔物ですか?! 大丈夫だったんですか!?」
アオイの声が頭の中で一段と大きく響いた。
淡々と食べていた兵士たちの視線が一斉にアオイたちの机に注がれる。
見た限りユウキの体には傷らしい傷はなかったが、既にミサトの回復魔法で治されたのかもしれない。
この場の雰囲気にただならぬものを感じたのか、勝手に戦う少年は再度口を開いた。
「えっと……僕が兵士のみんなを強化して、倒したんだ。数は少なかったし、弓矢や槍で遠くから攻撃したから誰も怪我しなかったよ」
「……なんだ、脅かすなし」
言いながら、クロエは自分がやけにほっとしていることに気付いた。仕事を終えた時のような安堵。
気を張り直す。自分はクールで通しているのであって、決してチョロい女ではない。チョロいのはユニパイセンとチエルだけで十分なのだ。
アオイは安心し切った顔でユウキを見つめていた。自分たちが知らないうちに大怪我をしていたと知ったら本気で悲しみかねない。
(……前々から思ってたけど、こいつ、絶対一人きりにはさせちゃダメなやつだな)
残っていた肉丼をかっ込む。アオイの皿もお盆にきっちりと乗せて、ユウキは厨房の方に消えて行った。
二人はしばらく待っていようかと思っていたが、待つまでもなくユウキが戻って来た。
変わった装飾の剣を佩き、見慣れた軽鎧を纏って、「今日はもう上がっていいって言われた」と残念そうに言った。
◆ ◆ ◆
後ろ髪を引かれているらしいユウキを引き摺って、クロエとアオイはギルドマスターの部屋へと向かった。
ミサトは部屋の奥の大きな机に腰を落ち着けていた。机の周りには書類が山をなしており、緊急事態に忙殺されているのがすぐにわかった。
ミサトは目を瞑り、両の手を組んでいる。アオイ曰くミサトは魔力を溜める時にはこうしているらしい。ルーティーンがいかにも聖母らしく見えて、クロエは感心しないではいられなかった。
ゆっくりと目を見開いて、ミサトは三人を見た。隈が柔和な顔に陰を作っていた。
「ユウキ君、アオイちゃん、クロエちゃん、おはよう」
「おはようございます、ミサト先生」
「おはようございます……ミサト先生」
「……おはようございます」
三人の顔を見て、優しい微笑を浮かべる。強い人だと思った。
「それじゃあ、さっそく作戦会議を始めましょう。ハツネちゃんが起きたらユウキ君が教えてあげてね。まずは……そうね。今朝、このギルドハウスに魔物さんが襲撃して来たわ。ユウキ君とみんなで撃退したから無事に済んだけれど……」
ユウキは静かに頷く。二人とも前もって聞かされていなかったら大きな衝撃を受けていたに違いない。
「あら? あんまり驚かないのね」
意外そうな顔をされた。
「あー、さっきユウキに聞かされたんで」
「あらあら……そうなのね。それじゃあ悪いお話はこれでおしまい。良いお話をしましょう。……昨日大怪我をした兵士の男の人なんだけどね、今朝、目覚めたの」
アオイとユウキは胸を撫で下ろした。クロエは顔にこそ出さないが、何とか助かったことに安堵していた。
「みんなのおかげよ……本当にありがとうね。それにまだまだいい事がわかったわ」
「えっ、まだあるんですか?」
「ええ。彼が持ち帰って来てくれた情報のおかげで、もしかしたら魔物さんたちの暴走が止められるかもしれないの……」
「ほんと!?」
「本当ですか!?」
二人の子供のはしゃぎぶりに少しだけミサトは苦笑したが、そんな彼女の声音は普段よりも上擦っていた。ミサトという女性の人となりをまだ詳しくは知らないが――人見知りするアオイをテレ女に編入させるというスパルタ教育を施したセンセイ、という印象の方が根強い――、それでも物静かでおっとりとした人だという感じを受けていた。
そんな人が興奮を隠せずにいるということに、一刻も早く平和な森を取り戻したいという思いが強く感じられた。
そしてその思いはクロエのものでもあった。
「……それで、その情報ってのはなんなんすか? うちら、何だってやりますケド」
つい迂闊な事を口走ってしまうくらいには興奮していた。
「えっとね……エルフの森のとある場所に、魔物さんたちが湧き出る場所があるそうなの。真っ黒な穴みたいになってて、切っても、射ても、またその中からとめどなく出て来るらしいわ。それに一匹一匹がこの森で見られる魔物さんよりずっと大きくて強いんですって……」
「え、待って待って、一旦ストップ。あの、ミサトセンセ、さっきの希望ありげな前フリはどこ行ったんすか。どう見ても絶望まっしぐらじゃないっすか」
敬語を使うのを忘れてしまった。元々あまり使えていなかった気もするのだが。
ミサトはクロエの疑問に「確かに、私たちだけじゃどうしようもないわね……」と尤もらしく答えた。それからユウキとクロエに目を向けて、
「だけど今の【
「「ミサト先生……」」
ミサトの寄せる温かい信頼に、ユウキとアオイはすっかり感じ入っていた。クロエはツッコミの勢いを削がれて口を噤まされる。にこやかなご尊顔、溢れ出る信頼感に負けてミサトを母として崇めそうになり――慌てて頭を振った。
(……あっぶな、母性の過剰投与でママ堕ちするとこだった。なるほど、パイセンが欲しがってあちこちに恥と迷惑をかけ散らかすのもわかる……や、てかうちは堕ちてない、堕ちてないから……)
しかし冷静になってみると、ミサトの言葉には解決の方途が無いのに気付く。魔物の入れ食い状態ではこちらの戦力を蕩尽してしまうばかりではないか。ユウキの力で一般兵たちも強化すれば魔物たちを狩り尽くすのもあるいは可能かもしれないが、そうなるとギルドハウスの守りが限りなく薄くなってしまうはずだ。傷病兵と非戦闘員だけでは彷徨い歩く暴力に為す術もない。
「もちろん、根本的な対策を打たないといけないわ。今はまず、その準備をするつもりよ。いけない魔物さんたちがおいたできないように、穴に蓋をするの」
「フタ、っすか……。話聞いたカンジずいぶんデカそうな穴っすけど、どうやるんすか」
「エルフ族の魔力を強固に練り固めて結界を作るのよ。昨日の治療で判ったんだけど、あの穴から出て来る魔物さんは普通の魔物さんじゃないみたいなの」
「どういうことですか?」
ユウキに尋ねられたミサトは昨日の治療の際に気付いたことを話した。
血まみれの兵士の傷痕の奥深くから、普段の魔物のものには無い禍々しい魔力が見付かったこと。それが傷口を蝕み、ミサトたち回復術士の治療を妨げていたこと。「今朝の魔物さんにも同じ魔力が見付かったの。みんなで研究したから色々とわかって来たけれど、治癒には時間がかかるし、普段よりも魔力を消耗するわ。だから……」と言いかけて、ミサトは人を庇いがちな少年を見詰める。その目線をエルフの少女たちも追い掛ける。
当人は首を傾げていた。
「……こほん。他の人からも話を聞いたら、穴からは色んな魔物さんが出て来るんですって。エルフの結界で封じ込めるにしても、あんまり結界の魔力が効かない子がいるとそこから破られちゃうと思うの。
逆に言えば、出て来る魔物さんを網羅して、その魔力に応じた結界を幾重にも張れれば封じ込めるのも決して不可能ではないわ。もちろん抜本的な対策をするに越したことはないけれど、それは【カルミナ】のチカちゃんや腕利きの魔法使いさんたちを呼んで、一緒に封印することにしようと思ってるの。
それでね、ユウキ君、クロエちゃん、ハツネちゃん、アオイちゃんの四人には、なるべく色んな魔物さんたちを倒して、ギルドハウスまで持って来てもらいたいと思ってるわ。……あなたたちならきっと出来ると思うから」
ミサトの依頼はクロエからすれば願ってもない、単純なものだった。人の護衛をするよりも気楽だ。ユウキをしっかり守ることも、手練のハツネとアオイがいれば容易だろう。今のエルフの森は決して予断を許さない状況ではあるが、活路があるならそれに乗っかって勝ちの目を作った方が良い。沈んだ空気を吹っ飛ばす好機でもある。
ユウキとアオイも明快な目的にやる気がバチバチに湧いているようで、BB団とか何とか騒ぎながらバンザイしている。あちらの方からは目を逸らしつつ、
「……ま、うちらに任しといてもらって。ミサトセンセたちは結界とか治療のためにしっかり休んどいてもらえたらと思うっす」
「……ありがとね、クロエちゃん。実はね、先生は今とってもわくわくしてるの。ユウキ君とあなたが来てくれたことで、おかしくなった森がまた元通りになるかもしれないって思えているのよ。――どうか、お願いね」
ミサトに手を握られた。不意に優しい温もりに包まれて、クロエは何も言えずに俯いていることしか出来なかった。
ここでユウキが「僕も僕も!」と言い出さなければ、本当に母性を求める魔物と化してしまっていただろう。うちだけがなかよし部の良心なのだ――クロエは必死に耐えた。
◆ ◆ ◆
森に朝が来た。
腰を上げようとして不愉快な疲労感に一瞬ふらついた。昨日の魔力の消耗が激しかったこともあるが、森の瘴気の影響もあろうかと男は思った。
本来エルフの森はエルフ族にとっての揺籃のようなものであり、例えば木に身を預けるだけでも森の霊力との繋がりが大きくなり、魔力や体力をそれだけ大きく回復することが出来る。
ところが今は森とエルフとの絆が断ち切られたようになっている。木々に触れてもまるで言葉を返さない。この瘴気のせいだろうが、これがどうして発生したかは判らなかった。あまり重要なことでもなかった。
ともかく、体を休めていた木の洞から出て、魔物の血と脂にまみれた短剣を取り出す。刀身に触れた時、こびり付いたものから微かに嫌な魔力を感じて手を止めた。それはエルフ族だからこそ感じ取れる、ごくごく些細なものだったが、それ故にエルフ族への満々たる憎悪を感ぜずにはいられなかった。
木の葉を敷き、昨夜生成した魔法の水を短剣に振り掛ける。汚いものをこそげ落とすように砥石で擦ると、血の魔力が水の魔力に掻き消され、葉の上に赤い雫となって落ちた。それは葉を舐め、葉脈を蝕みながら広がって行く。獲物を貪るように。
男は熾火の呪文を唱え、敷き葉を燃やした。
魔法の水を啜り、自身に強化の魔法を掛けて、再度川まで汲みに行くことにした。
目的の地はそう遠くはない。事に臨むために魔力を回復しておきたい。逸る心を抑えつつ、男は歩き出す。
◆ ◆ ◆
ミーティングを済ませた三人は、人影の無い食堂の一隅でハツネの食事が終わるのを待っていた。「ユウキくんにバクバク食べてるとこを見られたくなくて……」とクロエの耳元で乙女らしい事を言っていたので、情けをかけてやることにしたのだった。
戦場に赴く前の静かな時間を送ろうとしていたクロエだったが、震え出したアオイがユウキに話し掛けた。
「だだだだ団長さん……、私大丈夫でしょうか? みなさんの足を引っ張ってしまわないでしょうか?」
「アオイならきっと大丈夫。マイフレンドくんV4もアオイのことを見守ってくれてるはずだよ」
「……で、でも、いざってなると本当に怖いんです。昨日までも不安でしたけど、今日はユウキさんにクロエさんも一緒で、怪我の治療にも時間がかかるそうですし……もしも私の矢が届かなくてお二人に怪我をさせたりしたらと思うと……」
そこまで言って、アオイは俯いてしまった。さっきまでのはしゃぎぶりが嘘のように弱気になっている。
アオイは時々の感情に強く影響を受けやすい。本質的には臆病で気弱なのに、いきなり吹っ切れたようにめちゃくちゃに明るくなって、それが過ぎると一気に沈み込んでしまう。とはいえ、ここまで大きな揺り戻しが起こるのは信頼出来る友人が身近にいるからなのかもしれない。
ユウキは彼女の震える肩に手を掛けて、「BB団の絆は裏切らない」アオイの目をまっすぐに見て言った。まっすぐな信頼が届いたのか、アオイの震えが少しずつ収まって行く。もう顔は上を向いていた。
クロエはしばらく二人を眺めていたが、
(ふーん……あいつ、ああやって女子トモを籠絡してんのね。ま、あいつのことだし他意はないんだろーけど……アレどー見てもヒロインを落とす主人公のムーブなんだよなァー……。いいけど、なんでも……)
二人の空間から目を離し、短剣を抜き取ってしげしげと眺める。戦闘に入る前にする精神統一のルーティーンだ。
短剣は光を浴びて鋭く輝いた。いついかなる時も武器の手入れを怠るべからず。父親の遺訓みたいなものだが、クロエにとっては大切な指針となっていた。守らなければならない時はいつ来るか分からないのだから。
「みんなおまたせー☆ 朝ご飯を食べて元気いっぱいのハツネちゃん参上なのだ〜!」
ルーティーンの終わる頃、ハツネの元気な声が耳に届いた。
シオリお手製のリボン(ハツネがベッドで自慢していたのを思い出した)、星空のような色合いのコーデ、星をあしらったアクセサリーをごてごてと組み合わせたハツネらしい装い……要するにいつもの服だったが、よく見ると杖の意匠が変わっていた。アオイのように、特別なカスタマイズを施したのだろうか。
「お、やっと来た」
「ごめ〜ん、待たせちゃったね……って、ユウキくんとアオイちゃんは何をしてるの?」
「さあ……BB団? ってのの儀式か何かじゃないの、知んないけど」
二人の話し声に気付いたアオイの顔から恍惚とした表情が消え失せ、いつもの顔に戻って行った。そしてユウキから身を離して机に突っ伏した。何かもごもご言っているような気がしたが、何を言っているのかはさっぱり聞き取れない。
少しして「すみませんすみません……」という声が聞こえたものの、何に謝っているのかはわからない。
「うーん……? まあいいや、それじゃあアオイちゃんが行けるようになったら出発しよー!」
「おーっ!」
浮かれているくらいに元気いっぱいな二人。
「すみませんすみません……」
悶え苦しんで譫言を言っている少女。
「……ホントに大丈夫なんかコレ……?」
クロエは前途が不安でならなかった。
◆ ◆ ◆
なんやかんやでエルフの精鋭たちが出発したのと同じ頃。
「あぁ〜……眠い、早く休みたいよぉ〜……」
リスの獣人族の少女――リンは朝の見回りをしていた。【牧場】の周りをぐるりと見回して、何か怪しい物や事があればギルドマスターのマヒルに報告する仕事だった。
とはいえ、牧場は大抵の場合のどかなので、ぐるっと見回すだけでも良いのだが、サボリ癖がまた酷くなっていると毛むくじゃらのリマに言われてしまい、身の潔白を証明するべくしぶしぶ仕事に精を出していた。
「んん〜……っ。……今日も一日何事も無し、ヨシ! ドングリ拾いはまた今度にして早くゲームの続きしよ〜っと…………って、んん?」
リンは森の方に何かの違和感を抱き、吸い込まれるようにそちらの方を見詰めていた。
いつもの森なのに何かが違う。
直後、強烈な臭気。腥い血と脂の臭いがリンの嗅覚を侵す。鋭敏な嗅覚が仇となって意識が飛びそうになり、立ちも敢えずうずくまる。
「げほっ、ごほっ……何この臭い!? めちゃくちゃクサい!」
生命の危機を朧気ながら感じたのか、体が俊敏に動き、気付けば大きな樹上の洞穴にすっぽり入っていた。
足元が揺らぐ感覚。恐る恐るそちらに目をやれば、巨大な一つ目の魔物が我が物顔で森を闊歩しているのが見えた。四本の腕は分厚い皮にありったけの肉を詰め込んだように膨れ上がっている。
(さ、サイクロプスだ……なんでこんな所に!? っていうかこれ、絶対ギルドハウスにまで来るよね!?)
リンの視線に――あるいは獲物の臭いに気付いたか、魔物は歩みを止めた。
息を潜めたがもう遅かった。
――グオオオオオッ!
唸り声が耳を聾した。
木が枯れ枝のようにへし折られた。
「うそ……っ!? わああああっ!」
小柄な体は倒れる木の勢いのままに投げ出された。大きな尻尾をクッション代わりにして何とか着地の衝撃を和らげはしたが、痛みで少し足がふらついた。
魔物は枝葉に遮られてリンの姿をしばらく探しているのか、腕をめちゃくちゃに振り回している。
今しかない。
痛みと恐怖に怯える足に鞭打つようにして、リンはその場を後にした。
【牧場】に何度目かの危機が訪れようとしていた。
暇な時間を見付けて書き溜めたプロットが完成しましたが、なかなか手が動かなくて小説に出来ないのが悩みです。
描写が特に難しい……ゲームのようにセリフだけ書いてたら小説風にする必要がありませんし、かと言ってゴテゴテ書き過ぎるとテンポが悪くなりますし、常に悩み通しです。