【プリコネ二次創作】クロエ勤労日誌番外/森の虜囚とエルフの小夜曲 作:神田徳一郎
通勤疲れに資格の勉強に加え、慣れない描写の執筆ということもあり、全然書き進めることが出来ませんでした。
お待たせしてしまったこと、深くお詫びいたします。
澄んだ空の青さが目に眩しい。ギルドハウス前の木々の壁に開けた大きな穴から、昨日までと何一つ変わることなく太陽は照り輝いていた。悪くない日和。
ユウキと人夫の男性たちは魔物の運搬に使う荷車を用意すると言っていたので、その間に軽く辺りを見て回ることにした。準備運動も兼ねて危ない魔物が出たら先んじて始末しておきたかったが、この周りには魔物の気配は感じられなかった。或いは森の奥から感じる濃密な気配に隠されているだけなのかもしれない。
戦きを皮膚から感じて、気持ちが乱れかけた。腰に提げた小物入れから棒付き飴を探り出し、口に運ぶ。いつもの味が乱れ恐れる心に沁み渡った。
(飴がそろそろ無くなるな……帰還したら補充しとこ)
ころころと舌で弄びつつ、短剣を鞘から抜き出す。湾曲した刃には刃こぼれ一つ無く、鋭利そのものだった。研ぎ栄えを見てにやりと笑う。父親から渡された無銘のククリナイフは、愛着が染み付いた逸物になっていた。時々仰々しい名称の短剣にも手を伸ばしてみるのだが――冥刃・鴉天狗とか天黒剣オブシウスとか――、やはり使い慣れたものが一番使いやすい。とはいえそういう武器のデザインの良さには惹かれるものがあるし、今度またユウキを誘って色々と見て回るのも良いかもしれない。
「クロエちゃんおまたせー!」
弾けるような声がクロエの耳朶を打つ。目をやると、大きな荷車をユウキとエルフ族の人夫が曳いて来るのが見えた。ハツネが先導して、アオイが荷車の後ろに隠れるように付いて来る。車輪の両側には男性が一人ずつ。ユウキも含めた四人で交代で運搬するらしい。
「おつかれー。……いやデケぇなオイ。ゲートキーパー? だったかがすっぽり納まりそうなサイズじゃん」
火を噴く扉型の魔物の大きさを思い出しながら口を出す。それを寝かせて五体分くらいは入りそうだった。一般的な魔物なら詰め込めば十体くらいは入れられそうだ。
「ミサト先生にたくさん魔物を持っていってあげたいからね〜。クロエちゃんにも期待してるよ!
「……まぁ、期待にゃ答えてやっけども」
まっすぐ言われると面映ゆい。
「よーし、今日はがんばるよー!」
「おーっ!」
いつの間にかここに来ていたユウキがハツネの掛け声に答えて腕を振り上げていた。
「テンション高ぇなこいつら……。ま、いいけど」
「お、おーっ……」
クロエの傍でこっそりと腕を上げるアオイ。どうも普段接しない人がいるとあの異様なテンションが発動させられないらしい。ハツネもユウキも荷車の方に行ってしまったので、クロエは何も聞かなかったことにしておいた。
少し間を置いてから飴を一本抜き取って、アオイの口に入れてやった。アオイは初め声にならない声を上げていたが、甘味に絆されてにこやかな笑顔になって行った。
程なくクロエとアオイを呼ぶ声。
「んじゃまぁ行くか。……アオイ、アメちゃんは噛んでもいいから。あんま大事そうに口に入れとかんでも」
人から貰ったものを大事にしたがるのは良いのだが、飴なんて後でいくらでも舐めさせてやれるのだから、あんまり感極まったかのような表情をされると落ち着かない。
――私なんかに下さったものを無下にはできません! みたいな事を思っているのだろうか。アオイのぼっちが酷いのはこの辺の大仰な態度にも理由がありそうだ。
(帰ったらアメちゃん十本くらい喰わせてみっかね……ウケるリアクションが見られそうじゃん)
危険な遊びを考え付いたクロエは、アオイの手を引いて部隊へと混ざって行った。
◆ ◆ ◆
【牧場】近くの森。
痛む足で必死に逃げるリン。
巨大な魔物の視線が憐れな餌を捉えた。森を踏み鳴らす跫音が逃げる獲物を追い詰める。
「わああああああ! たすけてぇー!」
声を限りに叫んでみても助けが入る道理が無い。それでも喚かずにはいられなかった。
懸命に逃げながら、これを牧場に引き込んで大丈夫なのかという疑問が頭を過ぎった。【牧場】ギルドマスターのマヒルは小柄ながら魔物を吹っ飛ばす剛力の持ち主だが、それもこの巨体を相手にしては通用しないだろう。
毛むくじゃらの獣人族のリマも巨体で力持ちではあるが、抑え込むには魔物の体はあまりにも強靭で、リマといえども押し返されてぺちゃんこにされてしまうかもしれない。
守りに入ったら牧場が破壊されてしまうのは目に見えている。となるとあのサイクロプスを倒してしまうしかない。
サイクロプスは大きな目がそのまま弱点になっており、それを貫くことで倒すことが出来る、と読書家のシオリが言っていたのを思い出した。そして今それが可能なのは弓使いの彼女しかいない。
(しおりんに何とかしてもらうしかないよね、これ……? でも……)
昨日の夜、静かなギルドハウスに何度も咳き込む声が響いたのを思い出す。久し振りの来客に興奮したシオリが体力を使い過ぎたのだ。今朝は静かに寝入っていたとはいえ、戦えるだけの体調になっているとも考えにくい。
こんな時にあいつがいてくれたら――リンの脳裏にある少年の顔がちらつく。――せめてあの強化の力があればあたしの槍で――
「――あっ」
足元が疎かになって、落葉に隠れていた木の根にひっかかった。
勢い良く転がって行き、その先にあった木に強かにぶつかった。息が出来なかった。
巨大な目が動けなくなったリンを睨め付け、愉快そうに笑う。本当ならこんな目玉もたやすく潰してやれるのに――今は体を動かすこともままならない。
不遜な視線に苛立ったか、魔物に尻尾を掴まれた。付け根に千切れるような痛みが走る。「あぐっ……!?」声にならない声が漏れる。直後、拳を腹めがけて捩じ込まれた。軟らかい地面に打ち据えられて、リンは気を失った。口から数条の赤い滴りを流していた。
魔物からすれば動かなくなった丸っこい体を八つ裂きにするのはあまりにも容易い。口元を醜悪に歪めて、もう片方の手が伸びて行き――
「――リンちゃん! でええええい!」
――白い獣の突進が、魔物の脇腹に突き刺さった。油断していた魔物は足元をふらつかせ、リンの体を手放した。体はぼとりと地面に弾み、身動ぎ一つしない。
突っ込んだ勢いのまま両腕で拾い上げて、強靭な足で駆け出す。苦痛に歪んだ表情に、流れ出る血に、心が傷んだ。もう少し早く気付けていたら、という思いを抑え込む。
今はとにかくここから離れなければ。
魔物の猛烈な怒りはすぐにやって来た。大きな物音が遠ざかろうとするのを見付けて、眼を血走らせながら追い掛ける。リボンを付けた獣――リマは地の利を活かして小回りを利かせることで魔物を出し抜いて、少しずつでも距離を開けて行った。
木々がなぎ倒されて地響きが鳴る度に飛び上がりそうになる。【牧場】は今まで何度も災難に見舞われて、その度に跳ね返して来たとはいえ、本質的に戦うギルドではない。強大な暴力の前にはなす術が無い。巨大な魔物が出た場合、普段はリンの巨大な槍やシオリの弓矢で追い払っているが、リンが気絶しシオリの体調が思わしくない以上、【王宮騎士団】が来るまでの時間稼ぎが関の山だ。
そして、マヒルが救援を呼んで戻って来るまでは一人で持ち堪えなければならない。力には自信があるけれど、どこまでやれるかは判らなかった。
やがて木々の覆いが途切れ、のどかな牧場の景色が見えて来た。更に足を速める。刻々と迫り来る跫音を振り切って、リマは牧場に足を踏み入れた。
森から飛び出したサイクロプスは不愉快な唸り声を上げてその場で地団駄を踏んでいた。朝の微弱な日光といえども、大きな一つ目にはかなりの刺激になるのだろう。
何にしても、このチャンスを逃す手は無い。今のうちに――
――グルァアアアアアア!!!
大音声。
サイクロプスの苛立ち紛れの怒声がリマの耳朶を劈いた。
「ぐうぅぅ……っ!?」
突然の轟音に意識を持って行かれ、蹴つまづいた。脳を直に揺すぶられる感覚と、耳の奥から響く激痛に、リンを庇うように倒れ込むのが精一杯だった。リンの大きな耳をリマの体毛が覆っていたおかげで、鼓膜を破られずにいたのは幸いだったかもしれない。
平衡感覚を吹き飛ばされたリマの眼前に巨大な一つ目。柵が壊されたことにも気付けなかった。獲物を仕留めた歓びに、捕食者は笑う。その息が朝の日差しに煙る。
いけない、せめてリンちゃんだけでも守らないと――
「――リマリマ!」
魔物の横っ面を巨大な牛乳缶が張り飛ばした。死角からの強烈な一撃に魔物はたじろいだが、強靭な肉体に守られて気を失うには到らない。
「あれ食らって気絶しねぇなんて、どんな頭してんだべ……!?」
「マヒルちゃん……!?」
牛のポンチョを着た小柄な女性――マヒルはリマをちらりと見ると、「リマリマ、立てるべか?」と声をかける。マヒルのおかげで感覚を取り戻す時間が稼げた。「……うん、大丈夫そうだな。リンリンを連れてってやってけろ。……ああ、痛かったろうなぁ」
その声に強い怒りが滲んで来ているのを聞き逃すことは出来なかった。リマは頷いて、「きっとすぐに戻って来るわ」と言うとギルドハウスへと向かって行った。
その後を追わんとするサイクロプスの足元に、背中に括ってあった三叉槍を投げ付ける。びいん、と槍の柄だけが揺れた。
「……どつきがいのある頭だべ。ツッコミの練習台にはちょうどよかんべな。今日はちょっとどつき漫才をやりたい気分だから、付き合ってもらうべよ。
――リンリンとリマリマにひでぇことしたの、オラは絶対に許さねぇど!」
少女同然の小柄な体から憤怒が迸る。
魔物もまた、再三の邪魔に苛立ちを隠していなかった。躍り掛かり、潰れよとばかりに拳を振り下ろす。飛び退ると草原に大きな穴が開けた。
うかうかしていたら牧場がぼろぼろにされてしまう。
力を込めて、再度牛乳缶で殴り付ける。身構えた筋肉に弾かれるが、その隙に槍を拾い上げた。
すぐに身を引き離す。大きな穴がまた一つ増えた。以前の講習で叩いては逃げる戦法を学んでいたおかげでやられずにいるものの、決め手が無いのはいかんともしがたい。
穴ばかりが増えて行く。自身の非力がもどかしかった。
圧倒的な力の差を悟ってか、サイクロプスはにたにたと笑った。微弱な抵抗などすぐに捩じ伏せてやろう。言葉を解せばそう言ってのけただろう。
事実、このままではすぐに叩き潰されるだけだ。
にもかかわらず、マヒルは笑った。
「……確かに、オラだけでは勝てやしないべ。だからこそ――出でよ、エリザベス!」
槍を振り上げて、相方の名前を呼び上げた。
どこからともなく大きな牛が駆け出して来て、魔物の背中目掛けて突撃した。バランスを崩したサイクロプスの体がどうと倒れた。
マヒルは傍に来た牛の頭を撫でてやった。尻尾をぶんぶんと振り回していたので、終わったら念入りに労ってやろう。
立ち上がったサイクロプスは三度の屈辱に怒り狂った。
地団駄を踏む姿に、却って恐怖心が薄らいだ。
牧場を荒らす不届き者に槍を突き付ける。
「人牛一体のコンビネーション、とくと味わうべ!」
重くなって行く体を強いて奮い立たせる。
エリザベスに跨ると、マヒルはサイクロプスに向けて突っ込んで行った。
◆ ◆ ◆
リンの体をベッドに横たえる。苦痛に引き攣った顔が痛ましかった。
【牧場】ギルドハウスには動物との触れ合いで怪我をした時に応急手当をするための部屋が造られており、繃帯や薬品もそこに集められていた。棚から一通りのものを持ち込んで、リマは手当を始めた。
お腹を捲り上げると、拳のめり込んだ痕がありありと浮かんでいた。臓器に影響が無いことを祈ることしか出来ない。女の子の体にこんな大きな怪我を付けるなんて――改めてサイクロプスへの怒りを新たにした。
「尻尾の付け根に繃帯を巻いて……っと。……やれる事はやったけれど、ここの薬だけじゃどうにもならないわ。お医者さんが一番だけど、私のことを見たら逃げちゃいそうよね……うーん、それなら回復魔法を使える子……あっ、そうだわ、マホちゃん!」
リマの頭に、独特な訛りで喋るメルヘンチックな狐耳少女の姿が浮かんだ。彼女は回復魔法が使えるし、彼女がリーダーを務める武闘派ギルド【自警団】ならこの強い魔物たちとも対等に戦えるはずだ。
とはいえサイクロプスだけはどうにかしないと行けない。平地で走ればまず間違いなく追い付かれるし、こんな魔物をランドソルに連れて行ったら大惨事になる。何とかしなければならない。
だけどどうすれば?
窓の外を見ると、マヒルとエリザベスがサイクロプスの攻撃をちょこまかと避けつつ反撃を続けていた。しかし魔物には全く効いていない。
次第に牛乳缶を振り下ろす速度が落ちて行く。
拳を躱す動きがどんどん鈍くなって行く。
力が尽きかけているのは明らかだった。
――考えている場合じゃないわ。行かなきゃ!
部屋から飛び出して玄関に行くと、そこには朝から眠っているはずの少女が、弓矢を携えて待っていた。
「シオリちゃん……!? まさか、戦いに行く気なの!? ダメよ、寝てなくちゃ!」
シオリは壁に凭れて辛うじて立っていた。血色が悪い。息が上がっている。昨日の疲れと病気がのしかかっているのはすぐに判った。
こんな状態で戦闘なんてしても持つはずが無い。
シオリはリマの心配を察していたが、それでも引こうとはしなかった。
「二階から、リマさんやマヒルさんが戦ってるのを見ていました。あのサイクロプスは凄く強い。ですけど、サイクロプスである以上、目を射抜けば倒せるはず。リンちゃんが倒れた今、私がやらないといけないんです……」
「だ、だけど……」
リマにも、シオリの矢でならあの魔物をやっつけられるだろうということは判っていた。日差しだけであれだけもがき苦しんでいたのだから、矢でなら確実に倒せるはずだ。
しかし、と咳き込むシオリを見て思う。今の彼女に弓を引くだけの力があるだろうか。真っ先に狙われたらなすすべも無く殺されてしまう。守り通せる自信もない。
逡巡するリマを見て焦れったくなったのか、シオリはリマに歩み寄る。一歩一歩、病人の覚束無い足取りで、ようやくリマの胸元に辿り着いた。抱き留めてあげると、シオリが口を開く。
「……【
「シオリちゃん……」
陰謀と暴力に晒された牧場をみんなで守り抜いた、あの日々のことを思い出した。シオリの覚悟はあの時のように
「……わかったわ。でも、絶対に無理はしちゃダメだからね」
あくまでもシオリを気遣う言葉に、「……はいっ」シオリは嬉しそうに言った。
リマはシオリを背負うと、ギルドハウスの外へと飛び出した。
◆ ◆ ◆
マヒルの槍が弾き飛ばされた。
腕ごと持って行かれたかのような衝撃。
「ぐううっ……!」
マヒルの小柄な体にはもうほとんど体力が残っていない。尋常ならざる速度の拳を避けるのはもちろんのこと、拳が跳ね上げる土の塊が、マヒルの動きを大きくさせ、反撃を許さなかった。
牛乳缶は圧し潰されて鉄の板になっていた。白い染みがあちこちに飛び散っていた。
エリザベスも疲弊し切って息が荒い。
怒りだけではどうにもならなかった。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
(オラがもっと強ければ……こんな魔物くらい、けちょんけちょんにしてやれんのに……!)
振り上げられる拳。
疲労で浮きかけている足。
避けられない――
「――エンチャントアロー!」
一陣の風と見まがう矢の一閃が、サイクロプスの胴体に突き刺さった。
――ギャオオオオオッ!
鼓膜破りの大声に慌てて耳を塞ぐ。
「マヒルちゃーーんっ!」
勢い良くリマが駆け付けて、マヒルと魔物の間に立ち塞がる。その背中には、病んで眠っているはずの少女が懸命にしがみついていた。
「マヒルさん……っ!」
「シオシオ!? 体は大丈夫なんだべか!?」
「大丈夫……です……!」言いながらシオリは咳をした。「この魔物を倒したら、しばらくゆっくり休ませてもらいます……」
言いたい事はたくさんあったが、マヒルは一旦飲み込んだ。ふらつきながらも立ち上がることを選んだのなら、野暮な事は言いたくなかった。
弾き飛ばされた槍を拾い上げる。腕に再び力が籠って行くのを感じる。
「シオシオ……絶対にあいつを倒すべ!」
「行くわよ、マヒルちゃん、シオリちゃん!」
「はい……!」
リマは剣を構えて、マヒルとシオリの盾になるように立った。特にシオリは死んでも守らなければ行けない。
マヒルも同じ思いだった。エリザベスとシオリを更に下がらせながら言う。
「オラたちでどうにか隙を作っから、行けると思ったら射ってくれ!」
「シオリちゃんの準備が出来たら、思いっ切りやっちゃって!」
二人の言葉にシオリは力強く頷いた。
シオリの体調のこともある。すぐにでも終わらせないと行けない。二人は肚を括り、敵を見据える。
魔物の呻き声が止んだ。再度の怒声が落雷のごとく鳴り響む。ちっぽけな反抗が積み重なって、魔物の苛立ちは最高潮を迎えていた。
【牧場】の仲間たちは恐れない。大切な場所のため、傷付けられた仲間のために。
拳がリマに飛んで来た。
血走った瞳には獰悪な意志が充満していた。
頑丈さには自信があるが、まともに受け止めることは出来そうにない。後ろに飛んで躱す。
四本の腕から繰り出される拳の波をいなしては避けつつ、隙を見て懸命に攻撃をするが、剣は肉に弾かれる。恐ろしい硬さだった。
「くっ……逃げながらだと力が入らないわ……」
木の伐採を涼しい顔でこなすリマだが、戦闘における剣の扱いには不慣れだった。大抵の魔物は剣を鈍器として振り回しているうちに倒せてしまうためでもあるが、蹄で挟んでいるために動くものを切り付けることは本来難しいのだ。
まして果てることを知らぬ猛攻だ。回避を優先するために腰を浮かさざるを得ず、碌に力が入らない。
じりじりと体力を削られて行くばかりだった。
何とかして隙を作らなくては――何か、何か……。
下がりながら目をあちこちに向けているうちに、リマは閃いた。
下がる方向を少しずつずらして行く。
「さあ、私はこっちよ!」
魔物は獲物の意のままに動いた。
向かう先はマヒルとエリザベスが必死に戦っていた場所。輪を描くようにして、拳の痕が目立つ場所まで戻って来た。
足元が不安定な場所に引き寄せても、リマが戦いやすくなる道理は無い。寧ろ防戦が難しくなるばかりだ。転ばせるにしてもあの浅さでは――
(……そうか、リマリマは……! なら、オラのするべき事は……)
リマの行動の意図に勘付いたマヒルは、シオリに声をかける。
「シオシオ、リマリマの後ろで準備するべ。渾身の一発であいつを射抜いてけろ」
「……わかりました」
「オラは仕込みをしに行くべ。エリザベスはシオシオと待機だ」言いながら、近くに来ていたエリザベスの首元や耳元を掻いてやる。「オラが指示を出すから、あいつに思いっ切りぶつかってけろ。渾身のツッコミに期待してるべよ」威勢よく鳴いたのを聴いて、満足気に笑った。
リマは攻撃をいなしながら、誘導を続ける。横に薙ぎ、縦に振り下ろされる一撃一撃は、命を粉砕する鎚のようだった。
それももうすぐ終わる。
「――リマリマ、準備が出来たど!」
マヒルの声を合図に、リマは急に大きく跳び退った。逃げる餌を追い掛けるべく、サイクロプスは足に力を入れようとして、つるつる滑る何かを踏んだ。前のめりに拳を振り下ろし続けるうちに腕が足元を隠してしまい、鉄の板――マヒルの牛乳缶だったものに気付かなかった。
板は魔物の後方に勢い良く吹っ飛んで行く。
重力に引っ張られ、サイクロプスは前方に倒れ込む。
「――エリザベス! 思いっ切り突っ込むべ!」
その胸板に、エリザベスの渾身の突進が突き刺さった。
その背後からリマの突進が続く。
サイクロプスの巨体が浮き上がった。
「――今だべ、シオシオ!!」
「――行っけええええ!」
無防備に見開かれた瞳目掛けて、鋭い風が突き抜けて行った。
◆ ◆ ◆
牧場には、巨大な亡骸、重い疲労感……そして大切な人と場所を守り抜いた達成感があった。
死体の後片付けをしないと動物たちが嫌がるとは思いつつも、マヒルは体を動かす気にはなれなかった。草原に身を横たえ、茫然と空を見上げている。鼓動は激しいままだった。
「……はぁ、はぁ……朝からハードな稽古だべ……鍛え直さにゃならんべなぁ……わぷっ!? こらこらエリザベス、くすぐったいべや……」
エリザベスがマヒルの傍に寄って来て、顎の辺りを舐め回した。汗や土埃で汚いので止めさせるべきだったが、親愛の気持ちを無下には出来なかった。
続いてリマがマヒルのところにやって来た。背中からシオリの虎耳がぴょこんと顔を出している。
「お疲れさま〜マヒルちゃん」
「リマリマもお疲れ様だべ。シオシオは大丈夫だべか?」
「シオリちゃんは大丈夫よ」そう言うと、振り向いて背中にいる少女を見せた。リマの体毛に埋もれて顔は見えなかったが、かすかに寝息のような音が漏れている。「朝からすごく頑張ってくれたし、そろそろ寝かせてあげたいわね」
「そうだな……シオシオにはしっかり休んでもらわねぇと」
「マヒルちゃんも一緒にギルドハウスに戻る? 連れて行ってあげましょうか?」
疲れ切った肉体にはリマの提案は魅力的だったが、今はまだぼうっと寝転んでいたかった。リンが今のマヒルを見たら「あたしもサボる〜」と一緒に寝転んでいたかもしれない。
「ありがてぇけんど、オラはもう少しここにいるべ。エリザベスの世話もしてやんねぇと」
「そう? それじゃあ私たちは先に戻るわね」
リマがシオリの体を揺すって背負い直した。揺れにびくっと震えて、シオリがもぞもぞ動いた。
「あっ、ごめんなさいねシオリちゃん。揺すっちゃったから……」
「いえ……なんだかドキドキしてて、よく眠れなかったんです。みんなでやっつけたんだって思うと、達成感が凄くて……」
マヒルはぽつぽつと喋る声を微笑みながら聴いていたが、シオリの淡黄色の瞳が赤くなっているのに気が付いた。緊張して目を使いすぎたのだろうか。
「おろ? シオシオ、目が赤くなってるべ」
「えっ、本当ですか?」
「ああ。このままだとリンゴみたいになっちまいそうだべ。弓使いは目が命、しっかり休んでもらいてぇ。牧場の片付けはオラたちで頑張っから、シオシオは休むのを頑張ってけろ」
「……はい」
リンが聞いたら「あたしも頑張って休みたい〜!」と喚き散らしかねないセリフだ。病弱な身でありながらやれる事を精一杯やってくれるシオリだからこそ掛けてあげたくなる言葉だった。
「リンちゃんをマホちゃんの所まで連れて行ったら、私もすぐにお手伝いするわね」
「頼んだべ、リマリマ」
「それじゃあ、また――」
「――二人とも、待ってください! 向こうを見て!」
シオリがいきなり叫んだ。
震える指の先には、大量の魔物が湧き出るようにして牧場の柵を乗り越えて来ていた。
「……何なんだべありゃあ!?」
「嘘……!?」
動揺するリマの背中から飛び降りて、シオリは言う。「リマさん、剣を取ってください……! 私も戦います……!」
「無茶よ、シオリちゃん!」シオリを抱えようとするものの、するりと避けられてしまう。
「平気です……今は、何だか、体がよく動かせそうなんです……!」そう言うと矢を次々に射ち出した。魔物はばたばたと倒れて行く。確かに体の調子は悪くなさそうだ。
「……シオリちゃんがやれるって言うなら、私も一緒に戦うわ」リマも再び剣を抜いた。「終わったら絶対安静なんだからね!」シオリは微笑んで「はい……!」と言った。
二人の活躍で前方にいた魔物はあっさりと動かなくなって行くが、後続の魔物たちは斃れた同胞を踏み越えて牧場を侵食しようとする。シオリとリマは協力して押し留める。
マヒルは一人、不可解な現状に戸惑っていた。
(どうしてシオシオは何度も矢が射てるようになってんだべか……? あんなに疲れてるってのに……)
当然の疑問だった。兄ちゃん――ユウキの強化が無い状態では繊弱なシオリの体はすぐに息切れする。調子が良い時でもそう長くは戦い続けられない。
だというのに、今のシオリはいかにも快活に、軽々と魔物を射抜いている。楽しくて仕方ないというようにさえ感じられる。
矢を放つ時、シオリの体の周りを黒い風が吹き抜けた。
何かがおかしくなっているのは明らかだった。
「大変よマヒルちゃん! 槍を取って!」
声に呼ばれて見れば、広大な牧場を呑み尽くさんとするほどの魔物がこちらにやって来ていた。柵は完全に潰されていた。
魔物たちの目は真っ赤に染まっていた。異常な昂奮を示しており、動くものならなんでも襲いかねないとすら思えた。
――今は考えてる場合じゃねえべな……!
槍を持ってシオリとリマに加勢する。
エリザベスもまた、助走を付けて魔物の群れに体当たりを始めた。
「でりゃあぁ!」
――ギャオオオオッ!
「助かったわマヒルちゃん! ――はっ、危ない!」振り向きざま剣を振り回してシオリの近くまで来ていた魔物を食い止める。「大丈夫!?」
「何とか……ですけど、数が多過ぎます……! 一匹一匹は弱いのに……!」
魔物の一体一体はマヒルの突きだけでも倒せる程度だったものの、それが洪水のように押し寄せて来るとなると話が変わる。【牧場】の面々は疲れ切っている肉体を更に酷使して持ち堪えていたが、無理がいつまでも通せるはずもなく、どんどん押し返されて行く。
シオリは攻撃の手こそ速いが、魔物が迫って来る速度には間に合わない。
爪が太腿に飛ぶ。
牙が腹を舐める。
シオリはそれらを悠々といなしていたが、マヒルは気が気でない。
(シオシオ、攻撃に夢中になり過ぎだべ! 万が一のことがあったら……!)
マヒルの危惧にも拘わらず、矢を射る手はなおも止まらない。
迫り来る爪牙の雨を紙一重で躱しながら後退るうちに、サイクロプスの死体のところまで来ていた。【牧場】ギルドハウスまでもう後僅か。
――一か八か、みんなにも助力を頼むしかねぇか……!
牧場の家族――牧場で飼育している牛や鶏たちをも引っ張り出して、みんなで突撃させようかと考えていた。リマとシオリの活躍で魔物の数もそれなりに減らせていた。全員で突っ込めばもしかしたら――
急に魔物の進軍が止まった。
魔物たちはサイクロプスの死体を見るや、その体を少しずつ貪り始めた。弛緩した筋肉は魔物の牙をすんなりと受け容れて、魔物たちの腹に納まって行く。
「ううっ、気持ち悪いわ……!」目を背けるリマ。
「サイクロプスの体は筋っこくて食べられたものじゃないって、どこかで見た覚えがありますけど……」
「……何にしても、今がチャンスだべ。シオシオ、オラは牧場の牛たちを連れて来るから――っ!? なんだ、あれ……!?」
マヒルの目の前で、サイクロプスの肉を喰らった魔物たちが変態して行った。
あるものは外甲殻が刺々しく、爪がより尖くなり、またあるものは筋肉が隆起し、肉体が巨大化した。
瞬き一つ二つの出来事だった。
明らかに道理を外れた成長を目の当たりにして、戦慄を禁じ得ない。
「――し、シオシオ、あいつらはすぐに倒さねぇと!」
マヒルの叫び声にシオリは動揺したが、魔物を倒すのは望むところだった。
弓を軽く引くだけでどんどん魔物が倒れて行く。巨体にはなったが強くなったわけではないらしい。
一体、二体、三体……「――何この魔物、凄く強くなってるわ!」「リマリマ、無理すんな!」……十、二十、三十……今ならいくらでも射てそうだった。
不思議な高揚感――サイクロプスを倒した直後から感じていた何か――に突き動かされるようにして、シオリは矢を放ち続ける。
――牧場のみンなのたメに、もっトもットタオサナキャ……!
「シオリちゃんの体が、赤く光って……!?」
魔物の瞳と同じ赤が、シオリの体を包んでいた。
それはシオリが魔物を倒す度に濃くなって行った。
血を覚えた獣が新たな血を求めるような――こんな喩えが頭を過ぎった。赤く光る瞳は獲物を求めて輝いていた。
シオリの顔は愉楽に歪んでいる。
異変が起きているのは明らかで、なのに何が何だか解らない。
怖気が止まらなかった。
それでも取り押さえなければならない。
「も、もうやめるべシオシオ!」
小柄な体がシオリの細腕に薙ぎ払われた。
「うわああぁっ!」
「マヒルちゃん!」転がって行ったマヒルを抱え上げる。胸を強く叩かれたのか息をするのも苦しそうだった。「シオリちゃん、一体どうしちゃったの……!?」
リマの悲痛な問い掛けにも答えず、シオリはからくりのように矢を射続ける。体を包む赤い燐光は、今や血と見紛うばかりにどす黒くなっていた。
リマの腕の中で、マヒルはシオリが魔物たちを狩り尽くすのを呆然と眺めていた。リマもまた、立ち尽くすことしか出来なかった。
牧場の草原を魔物の死体で埋め尽くして、シオリはほうと息を吐いた。瞳だけが爛々と不吉な光を放っている。
魔物がもういないことを悟ると、シオリは――シオリのようなものは、サイクロプスの亡骸の方へと歩んで行く。リマとマヒルには目もくれなかった。
「――」
何かを呟いてサイクロプスの亡骸に触れると、そこから魔法陣が広がった。
禍々しい光、毒々しい紋様――止むことの無い憎悪の感情が籠められているように思われてならなかった。
魔法陣の線がシオリの体を這い回り、サイクロプスともども覆い尽くすと、赤い光が膨らんで行き――爆ぜた。
光はほどなく熄んだ。そこにはサイクロプスの血痕だけが残されていた。
悪い夢でも見ているのかと疑った――そう思いたかったが、疲労も痛苦も間違いなく二人のものだった。
しばらくして、マヒルが沈黙を破る。
「……リマリマ。シオシオは最後、何て言ってたべか」
聞きたくはなかったが、訊かずにはいられなかった。
「――エルフどもを殺せ、ですって……」
◆ ◆ ◆
朝の瘴気が一段と深まった。目にはほとんど見えないはずのそれは、今は真っ白な霧のようになって森を覆っていた。
白は純粋や無罪を象徴する色だが、ここにある白は紛い物でしかない。一面に広がるは脱色されただけの毒――それもかなり強い毒だ。
男は口の中で何かを唱える。魔力を防護膜として纏い、歩を進める。要らぬ魔力を使わされることに少なからず苛立っていた。
この森には何か不吉なものがある。それが何なのかについては興味が無い。目的を済ませたら速やかに脱出すべきだろう。
――……?
進もうとする足を止めた。何かの違和感。
森の何処かに、異質な気の流れが生まれた。それはあまりにも微弱だが、にも拘わらず魔力の膜を波立たせている。
初めは気にせずに歩き続けていたが、やがて膜のあちこちに牙の痕のようなものが点々と出来始めた。
みすみす放っておくと膜も男も食い破られる虞がある。
――魔力を浪費するのは避けたかったが……。
男は魔法の瓶に入ったポーションを一本丸々飲み干し、膜の内側から魔力を放出した。波が止み、歯型が消えた。
――急がねば。
白い毒の中を、男は駆け出した。
やれるだけの事はやりましたが、構成力も文章力もボロボロで情けない限りです。
勉強しなければ……