【プリコネ二次創作】クロエ勤労日誌番外/森の虜囚とエルフの小夜曲   作:神田徳一郎

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6話 襲撃

 ハツネの悲鳴に応える声は無かった。

 声の代わりに、黒い矢の一閃。

 風が轟く。

 

「っ!?」

「ハツネちゃん!」

 

 咄嗟にユウキがハツネに飛びかかった。河原の砂利に倒れかかる刹那、矢がユウキのマントを破り取った。

 

「ユウキくんっ!」

「僕はなんともない、──立って!」

 

 ユウキは倒れた少女の手を取って飛び上がり、剣を構えた。困惑した表情が固く強張って行くのがクロエの目にはっきりと見えた。

 シオリのような人間は無表情のまま次の矢をつがえる。矢と言っても実体があるわけではなかった。矢筒には何も入っていない。

 矢を抜き取り、つがえ、射る──目の前のそれは射手の真似をしているだけとしか思えなかった。

 しかし矢は確かに放たれていた。

 腰を抜かした人夫たちの顔が恐怖で歪む。

 

「──っ!」

 

 クロエは何を考える暇もないまま二人の前に飛び出し、短剣で矢の軌道を辛うじて逸らした。矢は勢いを残したまま上の方へ飛び過ぎて行った。

 腕がビリビリ痺れる。矢の勢いは凄まじかった。

 

(……我ながらよくしのげたな。アレ明らか魔法じゃね。なんで弾き飛ばせたんだろ……ユウキの強化のおかげとかかな)

 

 何が何だか分からなかったが、分からないなりにすぐに頭を切り替える。

 目の前にいるのは、確かにシオリの姿をしている。肌が黒っぽくなってはいるが、昨日、【牧場】のシオリの部屋で熱っぽく語らった、あのシオリの姿だ。間違いない。

 それがなぜ、クロエ(自分)たちに弓を向けているのか。

 こちらの姿を認めた上で矢を放った以上、敵意があることは明白だった。

 頭が痛い。実の父親が森の中を彷徨っているというのに、この上シオリまで敵に回すことになるとは──

 ハツネのほうをちょっと見る。魔法のステッキを構えてはいたが、明らかに目線がシオリから逃げている。まともに戦うのは難しいだろう。

 アオイは人夫たちを立たせてユウキたちの後ろに誘導すると、戸惑った表情をしながらも弓を構えた。

 

「──」

 

 何かの音がする。

 シオリの口元から白い息が立ち上る。

 刹那、体の周りに黒い渦が巻き始めた。

 大きな一撃が来る。肌がぞわりと震え上がった。

 

(やば……こんなん受け切れるハズないじゃん。けど──)

 

 一人なら逃げるだけでいいが、後ろに人を庇いながらではどうすれば良いのか判らない。

 小手調べの一発ですら凄まじい威力だったのに、更に強烈な攻撃が飛んで来たら全員ただでは済まない。

 引けば終わる。

 終わらせるわけにはいかない。

 なら一か八かに賭けるしかない。

 

「──クロエちゃん!?」

 

 ハツネの声が遠くから聞こえた。

 踏み出した足はもう止まらない。進んで、進んで──シオリの腕を狙う。

 低く屈んだ態勢から跳ね上がった。

 届く。いける。シオリの腕はようやくこちらに向かい始めた。矢は間に合わない。

 怪我を負わせるのは不本意だが、今は確実に無力化する方が優先だ。

 ナイフの切っ先がシオリの腕を抉る──

 

「──失セヨ」

 

 我が目を疑った。

 シオリの腕から猛烈な風が噴き出して、ナイフの軌道が逸らされたのだ。

 直後、シオリの拳がクロエの腹部に突き刺さった。

 

「がふ……っ」

「クロエちゃん!」

 

 ナイフを取り落としこそしなかったが、不意の一撃は骨身に響いた。頭が揺れる。視界が滲む。

 ぼやけた視界の中で弓だけが鮮明に見えた。そこにないはずの鏃の輝きが見えたような気がした。

 

「──はああああっ!」

 

 喊声。

 ユウキが剣を振り下ろした。

 剣はあっさり避けられたが、ユウキの後からアオイが飛び出してクロエを抱え上げる。

 直後、一瞬の浮遊感とともに三人はハツネの傍に降り立った。ハツネのステッキがピンク色の光を放っている。顔色は悪いままだったが、それでも確かに目の前の敵を見据えていた。

 クロエはアオイの肩から離れ、ふらつきそうになりながらも立ち上がる。

 シオリのようなものはしばらく気が抜けたように立っていたが、やがてその目をハツネの方へと向けた。

 

「──ソノ力、何ゾヤ」

「──!?」

 

 シオリの咽喉からシオリでない声が飛び出した。

 新たな獲物を見付けた獣のような、残忍な眼差しがハツネを射竦めた。

 明らかにハツネの知るシオリの瞳ではない。

 気圧されそうになりながら、ハツネは言葉を絞り出した。

 

「あなたは誰!? シオリンに何をしてるの!?」

 

 ハツネの問い掛けに、しばしの沈黙があった。

 目の前の存在はいかにも退屈そうに溜息を洩らした。

 直後、矢がハツネのそばを掠めて行った。

 

「…………えっ?」

 

 アオイの口から間の抜けた声が出た。

 ハツネの頬から血が垂れて行く。遅れて来た痛覚にハツネの顔が歪んだ。

 誰も反応することが出来なかった。弓を構えていなかったのだ。ユウキたちはただ呆然とハツネの傷口を眺めていた。

 

「……予ノ問イニ答エヨ」

 

 目の前の射手はあからさまに機嫌を損じている。

 舐めるような視線と交錯して、ハツネの瞳が震えた。

 次の一撃は確実に当てに来る。手か、足か、腹か──あるいはその全てを一時に射抜くかもしれない。

 

「……この力は、私の──「待てよ」

 

 ハツネの言葉をクロエが遮る。腹部の痛みは治まらないが、されるがままになるのは気に入らない。

 闖入者の方をちらと見て、ますます不愉快そうに鼻を鳴らした。シオリなら絶対にこんなことはしない。

 ちらとハツネの方を見やると、その目は再び敵を見据えていた。

 短剣を握る手に力が入る。

 ユウキの強化が入って来るのを体で感じる。

 

「羽虫ノ分際デ予ニ抗ウカ……下ラヌナ」

 

 それは下卑た笑い声を上げた。

 

「……あのさ、あんたが誰だか知んないけどさ、シオリの体でくだらない事言うのやめてくんない」

「シオリ? コノ獣人族ノ娘カ」

「そうだよ」吐き捨てるようにクロエは言う。「シオリはうちらの大事な妹だからさ、あんたに取り憑かれてるのを見過ごせないんだよね。返して欲しいんだわ。あんたがおいくつかは知んないけど、今更お人形遊びってトシでもないでしょ」

「人形……カ」挑発に反応した、と思いきや哄笑。「見ル目ガ無イナ。コノ小娘ハ大シタ代物ダ。凄マジイ力ガ肉体ニ秘メラレテイルゾ」

 

 シオリの腕を撫でる手の動きが粘っこい。自分の所有物(もの)だと言わんばかりだ。

 

「ソレニ何ヨリ、獣人族ノ王タル予ノ力ヲ授ケタノダ、コノ一体ダケデエルフノ森ナド容易ク蹂躙出来ル」

 

 そこまで言って、再び矢を構える体勢を取った。既に漆黒の矢が番えられている。

 

「手始メニオ前ヲ始末シテヤロウ、短剣使イ。──尤モ、拳一ツデ憔悴シテイルヨウダガナ」

「……言ってくれンじゃん。──ま、あんな不意打ちだけで勝った気になられても困るンだけどね。てかさぁ──」

 

 クロエは言葉を切った。そして精一杯のにやけ顔をしながら、

 

「──獣人族の王とか何とか能書き垂れてっけど、あんなあっさり懐に入り込まれてるとか……ただのシロートなんじゃないの?」

 

 鋭利な風が頬を掠めた。否、切り裂いた。

 頭が繋がっているのが不思議なくらいだった。

 後ろではハツネたちが身を屈めていた。どうにか躱してくれたらしい。

 

「──矮小ナルエルフノ分際デ、予ヲ愚弄スルカ?」

 

 猛烈な怒気を孕んだ声。

 殺意に満ち満ちた目を向けられて、クロエはそれでも平静でいられる自分に驚いていた。

 あるいはとっくに頭が煮え上がっていたのかもしれない。

 

◆ ◆ ◆

 

「あわわ……ど、どうしたら……」

 

 アオイは二人の人夫の前で立ち竦んでいた。

 ユウキとハツネは勇み足で飛び出したクロエの援護に回っていた。アオイはこの二人を荷車まで連れて行き、ギルドハウスまで帰すようにとハツネに命じられたのだ。

 

「──ひぃぃっ!?」

 

 眼前に強烈な風を感じ飛び退った。逸れた矢がこちらにまで飛んで来ている。

 すぐにでもこの場から去るべきだと思ったが、アオイはそれでも三人を残して逃げてしまう決心が付かなかった。

 ハツネの妹の体に纏わり付いている何か……矢として放っている黒いものとは対照的な、白いもの。アオイはそれが気になって仕方なかった。

 

「──ふっ!」

 

 矢の嵐をどうにか掻い潜って、クロエの鋭い突きが敵の腕に伸びる。

 勢いはそのままに短剣の軌道が不自然に逸れて行く。

 すかさずクロエの後頭部を襲う掌底。

 

「えーいっ!」

 

 ハツネの掛け声とともに、バリアがクロエの背に割って入る。

 力任せの攻撃にたやすく破られるものの、クロエが無事に避けるには十分な時間が稼げた。

 仕切り直しだ。クロエは舌打ちする。

 

(……あれ、なんなんでしょう? クロエさんたちも違和感には気付いてそうですけど……)

 

 ハツネは要所要所でクロエを守るのが精一杯だった。

 普段はもう少し大雑把な魔法の使い方をしているが、ハツネ自身のマナが枯れてしまえばユウキの強化の力があっても魔法が使えなくなるかもしれない──そう判断して魔法の使用はなるべく控えるようにしたとアオイは聞いていた。

 あの謎の白いものの解析はハツネには難しいだろう。それでなくてもよく動くのだ。ハツネの運動能力は低くないものの、あの闘いに付いて行けるほどではない。

 力任せに放たれる矢の一発、拳の一撃は、着実にクロエたちを追い詰めている。

 今はまだクロエが動けているが、時間が経つほど勝ちの目は無くなって行く。

 このままではいずれ力尽きてしまう──

 

「……アオイさん」

「ひゃい!?」

 

 跳ね上がってしまった。

 びくびくしながら振り返ると人夫の一人がいた。

 人夫たちの青ざめた表情を見て、今は与えられた指示に従うべきだと思い返す。

 

「あ、え、えっと……お二人は私と一緒に──」

「アオイさんもクロエさんたちの戦いに加わってください」

「……え?」

 

 思わぬ言葉で呆気に取られたアオイの視界にもう一人の人夫が映った。その体は戦場に向けてまばゆく輝いていた。

 魔力を使っている。

 

「な、何をなさっているんですか!?」頭がグラグラしてしまう。ハツネの指示に応えられない。「私たちはギルドハウスに──」

「シオリさんの体に憑いている何かが、アオイさんも気になっているのでしょう?」

「それは……っ」

 

 言葉に詰まる。

 

「……ハツネさんたちがやられてしまえば我々も後を追うばかりです。あの魔物は相当強い。シオリさんの病弱な体でああも戦えるとなると、あのお三方といえども無事では済みますまい。──おい、どうだ?」

「……まだ、完全には、一体化、していない……ようだ……」息を切らしている。虫の息とさえ言えた。「肉体と、精神が……不調和、だから、弱らせた……ところで、ハツネ、さんが、叩け、ば……」

 

 そこまで言って、マナを使っていた人夫が膝を突いた。ただでさえ調査のために残り少ないマナを絞り出していたのだ。これ以上の無理はさせられない。

 もう一人が肩を支えて、木の陰に移動しようとする。

 慌てて肩を貸そうとするアオイをやんわりと制止して、

 

「……敵はクロエさんを圧倒しているように見えますが、あの白い靄のようなものに守られているだけです」そう言う人夫の体もまた輝いていた。「クロエさんの攻撃を受ける時、靄がそこに集まっています。その分他の部分は靄が薄くなっている……」

「……つ、つまり、私とクロエさんで一緒に攻撃すればいい……ということでしょうか? で、ですが……それなら私も一緒にクロエさんたちと戦えばいいのでは……?」

 

 おずおずと訊ねると人夫は静かに首を振った。体の輝きは消え、老人のように疲れ果てていた。

 体を支えているのは最後の意地なのかもしれない。

 

「……あなたとクロエさんが一緒に出ていては、二人とも靄に認識されてしまうでしょう。敵の猛攻の前ではこちらの攻撃は満足に届きませんし……みなさんが疲弊したところで倒されるばかりです」

「……」

「……それならば、敵の意識の外から攻撃することが鍵となりましょう。そして、今それが出来るのは……」

 

 そこまで言って、人夫はアオイの顔をじっと見詰めた。

 アオイの肩に責任が重くのしかかる。この場にいる全員の命が、自分の一撃にかかっているのだ。

 弓を持つ手が震える。目の奥が熱い。口がわななく。

 叫び出したかった。

 人夫は口角を緩めて、

 

「……どうか、恐れないでください。あなたなら、きっと出来ますから。……頼みましたよ、アオイさん」

 

 よろめきながらもようやく二人の人夫は木陰に身を凭せた。

 ちょっと小突かれれば息の根が止まってしまいそうだった。

 生まれたての小鹿のように脚が震えている。逃げ出すことが出来るならすぐにでも逃げ出していたに違いない。

 

(……だけど、今は私にしかみなさんを救えない……。……なら……!)

 

 アオイは足音を殺して木陰に入って行った。

 

◆ ◆ ◆

 

 クロエの脇腹を矢が掠めた。隠密服は多少は頑丈だと聞いていたが、既に何箇所も破られている。

 ハツネの手助けがなければとっくに全身を射抜かれていただろう。

 傷の痛みが苦しくて、それでも泣き叫ぶ訳には行かなかった。

 

「――フン、コノ程度カ?」

 

 敵は満面の嘲りを浮かべている。

 シオリの顔が悪意に歪むのをクロエは見ていたくなかった。ハツネもきっと同じ思いをしているだろう。

 

「……ジョーダン。あんたの方こそ適当に()ちすぎなんじゃない?」

「ナニ、子兎ヲ甚振(イタブ)ル戯レヨ」眉間に皺が寄るのをクロエは見逃さなかった。

「そ? にしちゃ随分手が震えてるっぽいけど……ウサギ一匹狩るのに時間掛けすぎじゃね。やっぱりあんたただのシロート──」

 

 追撃の暴風。

 咄嗟に屈んで事なきを得た。

 

「えいっ!」

 

 矢が硬いものに弾き飛ばされる音がした。振り返りたかったがそんな余裕がない。

 目前に拳が迫る。

 

「……ぐっ!」

 

 短剣の腹でどうにか凌いだ。それでも勢いを殺し切れず、地面に轍が出来上がった。

 ハツネの援護を受けてもなお、両腕が鉛のように重い。

 シオリの体のどこからこれだけの力が出ているのか。

 

「──オ前ノ顎ヲ粉々ニ砕イテヤロウ」

 

 身に余るほどの殺意を肌で感じて、クロエは凍り付きそうになる。

 臆病になる身体とは裏腹に、クロエの頭は冷静に一つの傾向を見出していた。

 

(あれ、こいつの攻撃……めちゃくちゃ読みやすくね……?)

 

 どこぞの王でもあるかのような自信過剰ぶりを見ていれば、侮辱に過敏な反応をするであろうことは想像出来ないでもなかった。

 あまりにも挑発に乗りやすかった。

 何となく思っていただけの事だったが、繰り返すうちにいかにも本当らしくなって来て、却って不安すら覚えるほどだった。

 無論、油断していられるはずはない。

 敵の拳が再度飛来する。

 

「──っぶなっ……」

 

 首を傾けて、どうにか一撃を躱した。

 頬に鋭い痛み。

 頭を狙って来ることこそ判っているが、敵の攻撃は速度も威力も尋常のものではない。

 獣のように見境なく辺り構わず破壊する意志。

 挫ける訳には行かないが、突破の糸口が掴めないことも事実だった。攻撃が逸れて行く原因は何なのか、クロエにはさっぱり判らない。

 それでも止まれない。止まれば死ぬだけだ。

 敵の伸びた腕を目掛けて短剣を振り下ろした。

 

「──フン、ソノ程度カ?」

 

 やはり短剣の軌道は逸れて行く。膜のようなものに攻撃が絡め取られているような感覚。

 直後に放たれた裏拳が、クロエの脳天を叩き付けた。

 

「ぐぅっ……!」

 

 土の味。

 腕に力を込めようとしたが体勢を立て直せない。平衡感覚が崩れているのか。

 

「命乞イデモ聞イテヤロウト思ウタガ、モウ立チ上ガルコトモ出来ヌトハナ」嘲りの言葉に反応することも出来ない。「弱キ者ヨ……ココデ死ネ!」

 

 耳の裏から強烈な風が渦を巻く音が響く。

 シオリを助けられないどころか、仲間まで巻き込んで死なせるなんて──

 

「──クロエちゃんっ!」

 

 ユウキの吶喊。

 一瞬、風の音が乱れた。

 クロエはようやく頭を擡げる。

 

「……目障リナヒューマンメ……」

 

 ユウキの目が見開かれた。

 シオリの手はユウキの剣を掴んでいた。刃に触れた掌から腕へと赤い筋が伝っているが、さらに流れては行かなかった。

 ユウキは腕を振るって剣を取り返そうとするが、ぴくりとも動かない。獣の硬い顎で噛み締められているように思われた。

 

「弱キ者ヨ、余ノ邪魔ヲスルナ……!」

 

 強い憤りが、颱風のような風となって溢れ出した。

 

「うわっ!?」

 

 シオリの腕が振り上げられ、ユウキの体が小枝のように空に舞う。

 無防備になった体に、射の構えが向けられた。腕から溢れ出た黒い霧が弓矢となって、弓が引き絞られる。

 残忍な笑みが口から漏れ出ていた。

 視線は浮き上がった獲物に注がれていた。

 白いものが、敵の体からゆらりと溢れ出た。

 

(……?)

 

 さっきまでは見えなかったものだ。何なのかはさっぱり判らないが、強い力が漏れ出ていることだけは肌で理解出来た。

 短剣を握り締め、シオリの足に突き刺す。

 しかし手応えは感じられなかった。肉に食い込むよりも前に、何かに止められている。

 力が入らないので、両手で短剣の柄を掴み、その何かを突き破ろうとした。何かは少しずつ削れて行く。

 何かある。このまま続ければ――

 

「ぐぶっ……!」頭を踏み付けられた。

「……弱キエルフノ分際デ小賢シイ真似ヲスル……!」声が上擦っていた。

「クロエちゃん!」

 

 幾度目かの激しい圧力に襲われる中で、大きな物が落ちるような音を聞いた。

 意識が遠のいて行くのを感じながら、せめて、この手は短剣を離さずにいたいと思った。

 このまま足止めをしておけば──

 

「──ムウッ!?」

 

 動揺の声。

 急に軽くなった頭をどうにか擡げる。前後不覚の意識の中、一つの声がクロエに届いた。

 

「──じょうぶですか、クロエさんっ!」

「アオ……イ……?」

 

 クロエの意識が少しずつ覚醒する。

 直後、体が浮き上がったような感覚に襲われた。

 

「クロエちゃん、大丈夫?」

「ハツネ……」

「これ、飲んで」

 

 ハツネの膝の上。

 口の中に何かの瓶を突っ込まれた。舌が甘みを感じ、頭の疼痛が薄らいだ。

 飲み干す頃には体の節々に力が戻って来た。

 

「ポーションありがと。でも、もう残り少ないっつってたんじゃ……」

「クロエちゃんが死んじゃったら意味ないよ」ハツネの潤んだ瞳はまっすぐクロエを捉えていた。

「……ん」クロエは目を背けた。「……もうだいじょぶ。立てるよ」体が嘘みたいに軽く感じられた。「安心しとき」

 

 接敵しているユウキとアオイがちらりと顔を向けた。安堵の表情だった。

 その向こうには、クロエたちを睨み付ける赤い瞳があった。威圧感はすっかり消え失せていたが、何をしでかすかはわからない。

 確実に無力化する。クロエは二人の一歩前に足を踏み出した。

 低い唸り声が聞こえた。

 

 ――グウウウウ、貴様ラァ……

 

 さっきまでの敵の声とは違って、シオリの声が混じって聞こえた。

 荒い息で喘ぐ度に、シオリの横腹から赤い血が噴き出した。

 

「……痺れ薬の矢で射られたのに、まだ動けるなんて……」

 

 アオイの言葉は戦慄(わなな)いていた。

 

「アオイ、もっかいやれる?」目を離さずにクロエが言った。

「は、はい……!」

「うちが叩くか、アオイがやるか……どっちにしても、ここで絶対倒すよ」

「……頑張ります……!」

「ん、頼むわ」

 

 無用の緊張をさせたかと不安になったが、アオイの目は揺らいでいなかった。ユウキからの強化もある。きっと成し遂げてくれるだろう。

 クロエはほうと息を吐いた。

 アオイの射線を遮らないよう、姿勢を低くして駆け出す。

 背中に矢の風圧を感じた。白い靄が矢に向かって立ち上るのが見えた。矢は急激に減速してポトリと落ちた。

 

「――おらっ!」

 

 ――後頭部ががら空きだ。

 クロエの短剣がシオリの頭を切り付けた。

 勢い良く血飛沫が上がり、シオリの体が倒れ伏した。

 

◆ ◆ ◆

 

 息が上がっているのにも構わず、クロエは鞄から麻縄を取り出した。

 シオリの体に近寄り、後ろ手に縛り、脚を拘束する。

 ハツネが駆け寄って来た。

 

「ハツネ、今魔力は大丈夫そ?」ハツネの顔を見ずに言った。ハツネが息を呑む音が聞こえた。

「う、うん……どうして? シオリンを早く治してあげなきゃ――」

「……んーと、シオリの腹、見てみ? さっきうちが矢引っこ抜いたんだけど……」

 

 ハツネはシオリの腹部に目をやり、目を見開いた。

 傷口が消えている。生々しく流れていた血の痕もなくなっていた。

 

「……しかもさ、後頭部の傷もなくなってんの。結構血流れてたのに」シオリの頭を持ち上げながら言う。

「どうなってるんだろう……」クロエの傍にいたユウキがぽつりと言った。

「もしかして、シオリンの中にいる魔物のせいなのかな?」

「たぶんね」クロエは振り返ってハツネに言う。「……で、ハツネの魔法で魔物を体から追い出してほしいってワケ。やれる? ……訊くまでもないだろうけどさ」

 

 クロエの問い掛けに少しだけハツネは目線を彷徨わせたが、すぐに向き直って大きく頷いた。

 クロエはユウキと一緒にシオリの体を近くの木に縛り付け、魔法の的にした。

 魔物を射抜くためにアオイが弓を構える。ユウキはハツネの傍に立った。

 

「シオリン……今私たちが助けるからね!」

 

 ハツネの魔法が放たれた。白い靄が宿主を守ろうと湧き立ったが、ハツネの魔法を遮るにはあまりに微弱だった。

 程なく靄が破れ、シオリの肉体に魔法がぶつかった。優しい光がシオリの体を包み込む。

 

「グウゥゥゥゥ……オオオオオオ……!」

 

 シオリの口から悍ましい呻き声が発せられた。

 クロエは顔を顰めて、シオリの体から魔物が逃げ出すのを待った。

 呻き声が止んだ。

 

 魔物は体から抜け出さなかった。

 

「――ヨクモヤッテクレタナ貴様ラァ……!」

 

 それどころか、拘束の縄を引きちぎった。

 血よりもどす黒く輝いた瞳が、クロエを捉える。

 

「やばっ……!」

 

 慌てて腰を落とした直後、頭上に猛烈な圧が通り過ぎた。そのまま食らっていたら胴体から吹き飛ばされていたに違いない。

 

「クロエさん、危ないっ!」

「クロエちゃんはやらせないよ!」

 

 アオイの矢とハツネの魔法がシオリ目掛けて飛来する。シオリの体の周りに白い靄が吹き上がり、矢を弾き飛ばし、魔法を霧散させた。

 態勢を崩したままのクロエに、再び拳が降りかかる。加減を知らないままに振り抜かれた拳は、銃弾のような速度でクロエの頬を掠めた。

 偶然避けたようなものだった。

 怖気づく心を必死に抑え付けながら、攻撃の隙を見出そうとする。幸い、攻撃そのものは単純なままだ。

 拳が振り抜かれた隙を衝き、クロエは横薙ぎに短剣を振るった。

 

「――はっ!?」

 

 胸を抉るはずの短剣は、靄を切った。

 シオリの顔を使った貪婪な表情がクロエの眼前に迫る。

 

「死ネェッ!」

 

 隙を晒したクロエの背中に、拳の一撃が突き刺さった。

 

「ごふっ……!」クロエの体が勢いのまま転がって行く。木にぶつかってようやく止まった。

「クロエさんっ!」アオイの悲鳴は「――っ!?」飛び掛かる敵の姿によって呑み込まれた。

「貴様モ――死ネッ!」

「させない!」

 

 突き上げる拳を、ユウキが剣で庇う。強い衝撃に剣が跳ね上がった。

 

「消エ失セロ弱者ッ!」がら空きの体目掛けての一撃が放たれる。

「そうは──させませんっ!」

 

 アオイの矢が敵の肩に突き刺さった。血が迸る。

 しかし勢いが止まらない。

 

「ぐあっ……!」

 

 拳はユウキの腹に突き刺さり、勢いのままに吹き飛ばした。

 石ころのように転がって行くユウキを見ている暇はなかった。

 目前に拳。

 アオイは尻餅を突くように倒れ込んで拳を躱した。

 次はもう避けられない――

 

「薄汚イエルフラシク、コソコソト邪魔ヲシテクレタナ……今度コソ死ネ!」

 

 醜い笑い顔は、シオリのものとは思えなかった。

 次に来る瞬間を本能的に恐れて、アオイは目を瞑った。

 

「……あ、あれ?」

 

 それは来なかった。

 代わりに生温かい飛沫が顔に飛び散るのを感じた。

 

「グ……ウガアァァァァァ!?」

 

 苦悶の唸り声を上げ、敵は腕を押さえて蹲っていた。押さえた手から血が噴き出して止まらなくなっている。

 治るはずの傷が治らず、ますます裂傷が深くなっていくように見えた。

 アオイは口から込み上げるものを噛み殺しながら、ハツネのところまで退却する。

 

「グウウウウ……何ガ……何ガ起コッテイル……!?」呆然と腕を見詰めている。

「な、なんで回復しないんですか……?」

「……もしかして、シオリンの体が限界に……!」ハツネの顔が青褪めた。「アオイちゃん、すぐにユウキくんを起こしてきてっ!」怒鳴るような声が出たことにハツネ自身が驚いた。

「は、はいっ!」

 

 アオイが飛んで行ったのを横目にハツネは魔法を発動した。

 シオリの体から、暴れ狂ったように白い靄が溢れ出しているのが見えた。それと一緒に、シオリの体から急速に血の気が引けて行くのも。

 猶予はない。ハツネは魔法の出力を上げる。

 倒れたシオリの体から、靄とは違う白いものが抜け出し始めた。獣の噛み跡のようなものが輪郭の中にいくつも残っており、小さな牙が何本も生えているのが見えた。

 

 ──離セェッ!

 

 魔物の声が牙の隙間から漏れた。

 ハツネは魔力以外の力が自分の体から発せられるのを感じた。シオリの体から白いものが抜け出た。

 それは周りから締め上げられるようにして、丸く小さくなって行った。

 

「……シオリンに憑依してみんなを傷つけたこと、絶対に許さない……!」

 

 魔物の体はますます縮んで行き、掌に乗りそうなほどの大きさになった。

 

「──ハツネちゃん! ダメだ! 魔法を止めて!」

 

 ユウキの切迫した声が耳を打った。なおも魔力を込めようとして、ハツネも違和感に気付いた。

 ハツネの力で収縮していた魔物の体が、枷から外れたように膨張し始めている。魔力と超能力とに挟まれたそれは、両手で手で押さえ込まれた風船のように、歪な様相を呈していた。

 

「う、うん――っ?」

 

 急な眩暈にハツネはよろめいた。体の中に残っているはずの魔力が枯渇寸前だった。

 魔力を使い過ぎたかと思ったが、足も手も頭も重い倦怠感に襲われていることに気が付いた。

 力なく河原に座り込んだハツネの目の前で、魔物の膨張が止まった。

 直後、空気を抜かれた風船のように吹き飛んで行く。

 

「アオイ!」

 

 ユウキの声に応じてアオイの矢が放たれるが、無軌道に飛んで行く魔物の体には当たらない。

 そのまま森の白い闇の中に消えて行く魔物を、ユウキたちは見ていることしか出来なかった。

 

「──逃がさねぇぞコラ……!」

 

 ──鬼の形相。

 木蔭からクロエが飛び出した。

 驚愕する魔物の顔に短剣が降りかかる。刃は顔をわずかに抉り、逸れて行った。

 魔物は呻き声を上げながら霧の中に逃げ去った。やがて音が消えた。

 クロエは歯を食いしばりながらしばらく魔物が逃げた方を見詰めていたが、程なくハツネたちのいる方に駆けて来た。

 

「……ごめん、仕留められなかった」すっかり気落ちした声でクロエが言った。

「そ、そんな……私たちも何もできませんでしたし……!」

 

 上擦ったアオイの声を聞いて、ハツネがユウキの肩越しにピクリと反応した。

 

「……ハツネはどしたん? 眠いだけ?」

 

 ユウキは首を振って、

 

「ハツネちゃんはあの魔物に魔力を吸われて、体調が悪くなってるみたい」

「吸われた? どゆこと?」

「ハツネちゃんが魔法を使ってる時、白い膜みたいなものが魔物の周りに出来てたんだ」

 

 白い膜という言葉を聞いて、クロエは眉間をぴくりと動かした。

 

「……アレ、魔法にも効果あんのね。うちは短剣(けん)ぶっ刺してやろうとしたのに邪魔されてたわ」

「さっきアオイの矢が刺さったのは、たぶん攻撃の最中にはあの白い膜が出せないのかもしれない」

「ってコトは……いろんな方向から攻撃するとかすればやれんのかも? ……つっても今は逃げられちゃってっからなァー」

「さっきの小さな姿では、当てるのにも苦労しそうですね……」

「んー……何となくだけど、アイツはすぐ何かに憑依すんじゃないかって思うんよね。ほら、あーゆうのは味方がいないとぴいぴい逃げ回っけど、ちょっと味方ができっとすぐ態度がデカくなんのよ、うちの弟みたいに」

「クロエちゃんの弟くんたちは良い子だよ?」

「それはあんたが見てる間だけっしょ……」そう言ってクロエは呆れ顔を浮かべる。

 

 ユウキの背中にいるハツネがぴくりと動いた。

 

「ハツネさん、大丈夫ですか……?」

「うう、頭がぐらぐらするよ~……魔力はもう空っぽ……」

「んじゃハツネは荷車の上で寝てな。うちらが牽いてくから」

「ん~……ごめんね、クロエちゃん……」再びハツネの瞼が閉じた。

 

 クロエたちは荷車までハツネや人夫たちを運び込んだ。魔物の死体と一緒に積んだことでハツネたちの顔に皺が寄ったが、見ない振りをした。

 荷車を牽くクロエとユウキもまた、度重なる戦闘と運搬とで疲弊している。アオイが索敵を買って出てくれてはいるが、体調は決して万全ではない。

 

「んじゃ……飛ばしてくぞ」

「うん」

 

 今はただ、魔物に出遭うことのないように願うだけだ。

 

◆ ◆ ◆

 

 男の歩む先には、依然として白い毒があった。防護の膜が粗い鑢にかけられたように削れて行く。

 牙の痕は次第に疎らになって行ったものの、ここまで進むのに魔力を使い過ぎてしまった。

 瓶の底に溜まった数滴を舌に乗せて、男は先を急ぐ。

 そのうち、白い瘴気が一段と濃く蟠っているところにぶつかった。

 ――これは。

 短剣を取り出し、虚空に振り降ろす。刃の軌道が不自然に歪んだ。溶けた飴の中に刃を通したような、奇妙な手応えだった。

 直後、男の喉元を目掛けて熊型の魔物が飛び込んで来た。

 ――!

 飛び退(すさ)って爪を躱したが、僅かに首を掠めた。熱いものが体を伝うのを感じる。

 ――魔物が潜んでいたか……

 中背の男の二倍はある巨体がどのように隠れていたのか。これもこの森の霧の効果なのだろうか。

 その場合、他にも潜んでいるのではないか。

 ――仕方ない。

 強化の魔法を使い、感覚を研ぎ澄ます。肌に伝わる感覚の限りでは、他に魔物はいない。

 次いで、腕に力を籠める。毛皮は厚いが、心臓を貫くくらいは造作もない。

 首の熱が強くなるのを感じながら、男は短剣を振りかぶった。

 

◆ ◆ ◆

 

 木々の隙間から覗く太陽は傾き始め、淡い茜色が混じり始めた。

 汗と土埃にまみれた体をどうにか動かして、クロエたちはギルドハウスへと向かっていた。

(足が痛ぇわ腕が痛ぇわでもう全身ボロボロだわ……マジしんどい)

 ユウキとアオイの方を見やる。二人とも疲労の色が歴然としていて、軽口を叩けそうになかった。

 荷車に乗っている四人は目覚める気配がない。

 どうにか引っ張って行くうち、【フォレスティエ】のギルドハウスへの大きな案内板が見えた。

 

「もうすぐで帰れるね」ユウキの声に少し元気が戻っていた。

「ま、そだね。さすがにうちも疲れたし、帰ったらソッコーで寝ると思う」

 

 荷下ろした報告と、いろいろやらなければならないことはあるが、ギルドハウスに戻ったら寝落ちする未来しか見えなかった。

 もう一踏ん張りと荷車を牽いて行く。

 進んで行くうちに、車輪の軋る音がやけに大きくなって行く。

 何かの魔法だろうか。いや、人気がない? 人が消え失せたような……。

 クロエが疑問を抱いた直後――ギルドハウスの方角から、何かが倒れる音が聞こえた。

 

「アオイ!」

「は、はい……すぐに──きゃあっ!」

 

 駆け出そうとしたアオイを何物かが襲う。

 

「魔物が!?」

「……っ、ユウキ、すぐ強化!」

 

 強化の力を身に受けて、クロエは魔物を切り裂いた。

 調査中に戦った、不気味な魔物と同じような個体──非戦闘員ではとても太刀打ち出来ない、獰悪な魔物たち。

 まさかここまで来ているなんて──クロエは【フォレスティエ】の敷地を駆け抜けて行く。

 魔物たちに阻まれながら、ようやくギルドハウスに着いた。

 扉を開ける。

 ――血の臭いが鼻の中を突き抜けて行く。

 数体の魔物の死体の傍で、赤いものに染まったミサトが仰向けに倒れていた。




大変長らくお待たせしました。
転職や引っ越しで時間を取られ、気付けば3年です。
プリコネは第3部が終わって、第4部が始まろうとしています。
騎士くんを強化したり、コネクトランクが来たり、誰か一人を選んで幻境竜后と戦ったり……大変ですがぼちぼち楽しんでいます。

次の予定は未定です。
前話でもう少し早く書けるなどと言ってこの体たらくなので……。
そろそろやりたいことがあるので、頑張りたいです。
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