A time in spring   作:戸口

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踏切で前に進もうと決め、
その後、進んで行った貴樹の数年後を想い描いた物語になります。
彼があの後、どのように進んできたか。
またその前に、過去をどのように振り返ったか。

歩きながら、また振り返り。
行きついた思い出の場所、その隣の公園で。
また、桜の記憶を思い起こします。



A time in spring

前を向き、進んでいった僕を待っていたのは、覚悟していたよりは随分と優しい世界だった。

世界のあまりの広大さに目が眩み、それを必要以上に恐れていたのかもしれないと、今は思う。

 

進む度に少しずつ、この世界を見る角度、付き合う距離感も変わっていった。

 

それでも傷つき、傷つけてしまうこともあったが、

そこで失うだけ、哀しみだけで終わらず、

次に繋がる何かも、手に入れられるようになった。

 

次第に、振り向いた時に映る景色も、変わっていった。

 

進んでは振り返り、また、進む。

そうして進んでいくごとに、遠く後ろにあるものは、小さくなっていき。

 

振り向くこと自体も、段々と、無くなっていった。

 

 

======================

 

地面を蹴る足の感触が、心地良い。

 

四月、桜の季節が訪れた、陽射しの溢れる東京。

 

遠野貴樹は、目に映る春の景色とその歩みの感触を楽しみながら、宛ても無くゆっくりと歩いていた。

 

ポケットの中が、震える。

携帯を取り出すと、妻から写真が届いていた。

眠っている、子供の横顔。

 

メッセージが続く。

先ほどまで、この子が如何に大きな声で泣いていたか、

それを宥めるまでに行った努力、時間など、

慈しみと、冗談の混ざった愚痴が綴られていた。

 

 例のお仕事、まだ大変そうだけど、頑張って。

 疲れたから、少し寝るね。

 おやすみ。

 

最後はそう、締めくくられていた。

自分の顔に、笑顔が滲んでいるのがわかる。

 

 ありがとう。

 夕方に、電話するよ。

 おやすみ。

 

とだけ、返事を送った。

 

 

伝えたい言葉は山ほど出てきたが、彼女はもう、眠ってしまうだろう。

それに、直接でなくても、口から言葉として贈り出したいことばかりだった。

 

この数か月、彼は妻の妊娠と、

年度末納期の大規模な炎上プロジェクトへの急遽参加、所謂、消火作業。

肩の荷というには重すぎるものが二つ同時に立ちはだかり、精神的も肉体的も疲弊しきっていた。

 

その成果物たるシステムは課題を多く残しつつ何とか導入、体裁としては一応三月末に納品、という形にこぎつけ、一息つく。

その数日後に、その子は生まれた。

 

子供を自分の腕に抱いた時、激務の日々や疲れのことなど頭から消え去り、抱いた腕の感触、その小さな命の温度に胸が震え。

僕はこれから、この為に生きていくのだと。

手に感じられるこの温もりを支えていくのだと、分かった。

その腕の感触も、想いも当時のままに、この胸の中に再生できる。

 

実は、先ほど妻に『頑張って』と書かれたその炎上プロジェクトの仕事も、午前中で自分の最後のタスクが完了したところであった。

全てが終わった瞬間、とにかくこのオフィスから抜け出してしまいたい想いに駆られ、

思い切って上司に早退、時間休暇の願いを出した。

 

「終わったなら全然いいよ。

 おかしな退勤時刻にはなるが、何とかなるだろ。

 最悪体調不良ってことで人事には通るさ。

 もう、帰っていい。」

 

 書類を睨みながら話していた上司が、姿勢を正してこちらを向く。

 

「半年以上、本当にご苦労様。

 何なら今月くらいは、もっと休め。

 沢山、奥さんと子供に会いに行ってやれよ。」

 

微笑みながら上司が放ったその言葉は、彼の心と体を一層軽やかにした。

 

重圧からの解放と歓喜を噛み締めながらビルを後にし、

彼は当てもなく、心の向くままに歩き始めた。

そうして、今に至る。

 

 

空の中央、深い深い青色。

太陽光に輝く、遠くの高層ビルたち。

ところどころにある桜の木、春の花々。

視界をよぎる桜の花びら、など。

 

 

一つ一つ、時間をかけて眺め、

喜びの感触を靴の裏で味わいながら、

できるだけ静かな場所を選び、歩き続けた。

 

角を曲がると、古びた本屋が目に入る。

入り口に、雑に置かれた灰皿を見つけた。

彼の腕はライターと、さっき買ったばかりの煙草を、自動的に取り出し始めた。

 

 

火をつける。

煙を大きく吸い込み、ゆっくりと吐く。

 

その動きを繰り返しながら、

彼はこの数か月のことを思い返していた。

 

大変だったと、素直に思う。

 

家の中でも、仕事でも、要するに生活のほぼ全てに、

それまでに経験の無い大小さまざまなことが、常に降りかかった。

どう対応したのか、覚えていないことも多い。

 

だが一番、明確に辛かったのは、苦しみ、痛みに耐える妻に対して、

自分が励ますことしかできないという、無力感そのものだった。

 

自分だけで完結できない問題に、昔から苦手意識があった。

そんな男が結婚して、子供までできて、もう一児の親になった。

 

随分と立派な人間になったものだな、と、鼻で笑いながら思う。

 

 

 

 

『立派な人間』、という言葉が胸に残る。

そういう人間になることを、昔、求めていた気がする。

 

火を潰し、二本目を取り出し、また火をつけた。

 

青空を背に消えていく煙を見ながら記憶を遡り、その言葉の在処を探し始める。

 

 

結婚式の時のこと。

共に指輪を買いに行った時のこと。

彼女の部屋、過ごした夜。

様々な季節、場所、時間。

彼女から、想いを伝えられた時のこと。

それに対して、与えられてばかりだと、少し悔しく思ったこと。

 

 

彼女から贈られてきた数々の言葉に、

自分の思ったこと、気持ちを素直に伝えることの大切さを教えられた。

そんな、いつかの授業で耳にしたような月並みの教訓自体は、小学生の頃から知ってはいたはずだ。

それを実際に理解したのは、彼女との時間の中でのことだった。

 

当たり前の言葉たちが生まれた経緯や、

それらを口から出すのに必要な勇気の大きさ、

それ以上の言葉を探すことの難しさ。

 

伝わり切らなくても、言葉を選び、贈ることの大切さ。

全て、彼女から学んだように思う。

 

自分も、それができる人間になりたいと。

少なくとも貰った分の言葉と気持ちを、彼女に返せるようになりたいと、

いつからか、願い始めた。

 

ただ、そんな妻との温かな思い出と、『立派な人間になりたい』といつか願ったことは、どうも別のことだったと思う。

煮え切らないまま、煙を眺め続けた。

 

 

不意に、強い風が吹き抜けていった。

指の間からタバコがすり抜け、地面に転がり、離れていく。

 

その瞬間。

 

雪の中、風に攫われ、駅のホームから闇に吸い込まれていく、一通の手紙。

 

その映像が、脳裏をよぎる。

 

 

 

周囲の音が、消えた。

 

そういえば、遠い昔、あの子に渡すはずだった手紙に。

 

また会えた時、恥ずかしくない人間になっていたい、と。

 

そう、書いたはずだ。

 

あの日踏切で、前に進もうと決めた時から。

東京に来てから。

あの島でロケットを見送った時から。

遠い昔の、あの雪の夜から。

 

どれくらい、僕は、どうなっただろう、と。

まともな文章にもならない、漠然とした疑問を抱き始める。

 

煙草を拾い、灰皿に捨てた。

 

先ほどまでの、ただ明るく幸せな気持ちは、どこかに行ってしまった。

ただ、一握りの切なさ、寂しさのような感情はあれど、暗い気持ち、というわけでもなかった。

車窓に流れる景色を無心に眺め、物思いにふけている。

そんな気分だ。

 

 

腕時計に目をやる。

 

今から妻に会いに行っても、長居はできない。

どのみち、明日会いに行く。

 

そして、自分がいるこの場所が、昔自分の通っていた小学校と。

あの子とよく通った帰り道、一緒に桜を見た場所とも、そう遠くないことに気づく。

 

…散歩としても、ちょうどいいかもしれないな。

 

彼は方向を定め、ゆっくりと歩き始めた。

 

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前にも一度、大きく過去を振り返ったことがあったな、と。

交差点で赤になったばかりの信号を眺めながら、当時のことを思い出す。

 

まだ、妻と出会う前。

春、踏切であの人とすれ違った後の、五月のある日のこと。

家のもの全体を整理したいから、ちょっと帰ってきて欲しい。

そう母に言われ、数年ぶりに実家へ帰った時のことだ。

 

実家と言っても種子島から更に引っ越し、

今は長野にある「その家」に足を踏み入れたのは、その時が初めてだった。

そのこと自体に、懐かしさは全く無かった。

 

一応僕の部屋だとと言われた一室の中央に、自分の荷物が纏められた三つのダンボール。

その内の、クタクタになった小包サイズのものの中に、それは在った。

 

 

昔、あの子との文通で受け取った、数々の手紙達。

 

 

ダンボールの中、皺も少なく、ほぼ当時のままに残っていたそれらを目にした時。

 

もう、捨ててしまった方が、いいのかもしれない。

そう考えたことを覚えている。

 

もし、その思いつきを実行していたら、どんなに後悔しただろう。

 

僕は他の物の断捨離をさっさと済ませ、久しぶりに家族との食事を取った後。

その夜、中に入っていた全ての手紙を、一つ一つ、丁寧に読み直した。

 

便箋を開いてほんの数秒で、それがいつ頃に受け取った手紙だったか、どんな内容だったか、ほとんどを思い出せてしまった自分に驚いた。

それでも、初めて手紙を受け取った時のように、一文字ずつ指でなぞりながら、読んでいった。

 

 

学校帰り、郵便受けの中、見慣れた筆跡で自分の宛名が封筒を見た時の、胸の高鳴り。

幾度も読み返し、その手紙が自分の一部となっていく充足感。

返事に悩み、ペンに走らせる喜び。

それを受け取るあの子の姿を、思い描いていたこと。

 

引っ越し前の三月、雪の日に、彼女に会いに行ったこと。

桜の木の下、彼女とのキス。

別れ際に貰った、「大丈夫」という、言葉。

 

あの島から初めて出した、彼女への手紙。

初めて受け取った、彼女からの手紙。

 

手紙を受け取るあの子の姿が、不透明になっていき。

手紙を入れずにポストを横切った、澄田との帰り道。

書いては消した、出す宛の無いメール。

ロケットに重ねた行き先や、幻影。

 

春、線路の、踏切の先。

微かに見えた、横顔。

 

 

今まで目を背けていた、多くの感情。

手紙の中には、それが剝き出しの状態で詰め込まれているようだった。

 

昔、夢見た先にいる二人と。

今、ここにいる自分。

 

便箋を捲る毎にその差は明らかになっていき、

歪な形を成し、自分の胸をずぶずぶと、深く、深く。

潜るように、突き刺さしていった。

 

化膿し腫れあがった箇所からとにかく膿を出し切ろうと、

知識も無しに刃を立て、一心不乱に傷口を弄繰り回す。

そんな行為だったと、思う。

 

確かな痛みを伴ったが、受け入れること自体は、とても自然にできた。

無かったかのようにしてきた、本来必要だったものがただあるだけなんだ、という納得と。

今の自分に必要なことだ、という確信もあった。

そのまま最後の一文字まで、休まず、ひたすらに読み続けた。

 

…僕は他人も、自分すらも傷つけておきながら。

己の傷すら気づかないフリをして進んで、随分愚かだったんだな、と。

未だ変わらない信号の赤を眺めながら思う。

 

 

手紙を全て、読み終わった後。

手紙は小さな菓子缶に移し替え、大切にしまった。

 

 

  あの子にも、澄田にも。

  これまでに出会い、傷つけてしまった人たちに。

  俺から与えてあげられたことが、何かあっただろうか。

  伝えられた想いが、一つでも、あっただろうか。

 

 

曙色に染まり始めた空の下。

実家の外をただ独り、朝日が昇るのを待ちながら、ずっと歩いた。

 

あの時はまだ、膿を出し切っただけであって。

傷が癒えるにはそこから、長い時間がかかった。

 

時の流れの無慈悲さを、呪ったこともあった。

だが、その古傷を治すのに必要だったのも、あとは時間だけだったと思う。

 

 

信号が、青に変わった。

並ぶ人々と共に、前に歩き出す。

 

あれから大きく迷うことのなく前に進んでこられたのは、

あの時、「後ろ」が分かったからだろうか。

 

昔は、漠然と進む未来があって、そこが前だと、そう思っていた。

ただ、今となっては、後ろが決まったからその反対として前がある。

…少なくとも自分にとってはそうなのだろうと、ぼんやりと考える。

 

今、また振り返り始めていることも、

前に、何かに繋がっていくのだろうか。

 

 

そんなことを考えながら、彼は歩き続け。

記憶も、更に遡る。

 

 

======================

 

気になる曲がり角を見ると、何となく曲がってみたり。

ふと目が合い、走り去っていく猫の後ろを、少しだけ追いかけてみたり。

コンビニの屋根の日陰に涼んだりして、気ままに寄り道をしながら進んだ。

 

目的地は決めたが、焦って行く必要は全く無い。

少しずつ、ゆっくりと。

歩みも、追憶も、進めていくことにした。

 

今の会社のこと。

最初の会社のこと。

その間にあった、フリーランス時代のこと。

 

大学時代のこと。

塾のアルバイトのこと。

種子島を発ち、東京に戻ってきた日のこと。

 

澄田と見上げた、ロケット。

原付で走り抜けた、数々の景色。

その中に探していた、あの子の影。

 

岩舟の雪の夜のこと。

 

今は遠い、あの子と過ごした小学校での日々。

 

過去の様々なことを、取り留めも無く思い出し。

目に映る世界のところどころに、その思い出を重ねながら、歩き続けた。

 

見慣れない曲がり角や小道が気になり、時にそこを選んだのは、

その先で、かつて探していた景色に出会えてしまうんじゃないか、と。

そういうことを期待していたんだなと、また自分の新しい一面に気づく。

 

いや、新しい一面ではないのか。

元からそうで、今それを知っただけなんだろう。

 

段々と、見覚えのある建物や景色が増えてきた。

 

桜の記憶が、近い。

 

 

======================

 

懐かしい、桜の舞う坂道を上り始める。

 

この坂の上には、小学校の帰りによく通った桜の並ぶ道があり、

その横には、あの子ともよく遊んだ公園があったはずだ。

今もその通りなのかは、まだ、わからない。

 

ここに来ることも、この近辺を通ることすら数年は無かったと思う。

 

坂を登り終える。

桜の漂う、昔とそう変わらないその道を、ただ眺めた。

 

整理したばかりの本棚から、

大事にしていた一冊を取り出し、読み始める。

それに近い感覚を、彼は抱いた。

 

最初から、その物語を追いかける。

始まりも、過程も、結末も、何も変わりはしない。

そこにあった、輝きも、後悔も、温かさも、切なさも。

何もかも。

 

昔はそれらが変わらないことを理解しているつもりで、

その実、別の結末に変わって欲しい、そう願っていたのかもしれない。

 

今はただ、愛おしく。

静かに、振り返りたい。

そう思った。

 

公園から、子供たちの楽しげな声が聞こえる。

周辺の様子は、さほど変わっていなかった。

桜の美しさも、相変わらずだ。

きっと、その花びらが落ちる速さも。

路上駐車の具合すら、そう変わっていないように見える。

 

 

振り返り、今しがた上ってきた坂道に目をやる。

桜の下、坂を走って下っていく女の子と、追いかける男の子と。

その先の踏切にあったささやかな春の約束が、未だに自分を支えてくれていることを実感した。

 

…本当に春なんだな、と。

当たり前のことを、改めて思う。

 

 

ひとしきり思い返したところで、

ふと、随分な距離を歩いてしまったことに気づき、

途端、汗ばんだシャツ、足の疲れ、喉の渇きを体が認識する。

一気に、感傷は消え、現実へと引き戻された。

 

肉体って何でこんなに不自由で、面倒なんだろうな、なんて考えた。

内にある夢のような、理想のような物だけで生きていられればいいのに、なんて考えながらも、今はそういう理不尽さが、前よりは嫌いじゃない。

 

一休みする場所を探して、公園の中を覗き込む。

遊具はほとんど一新され、記憶にあるものは残っていなかった。

だが、奥の方には昔と変わらない東屋とベンチがあり、その傍らに自動販売機が見えた。

 

真っ直ぐ自販機に歩み寄り、コーヒーを買い、ベンチに腰を下ろす。

早速缶を開け、目を瞑りながら一口、喉に通した。

喉を通り、周辺の細胞に冷たさが伝わる感覚が、気持ち良い。

 

…あぁ、美味しいな。

 

回復して気が抜けた体をベンチに預け、

そのまま缶を手に、焦点を絞らないまま公園の中をぼんやり見回す。

 

小学生の男の子たち。

頭を集めて固まり、手元の何かに盛り上がっている。

…ゲームでもしているのだろうか。

 

母親に手を引かれ、共に公園の端に咲く花を眺める女の子。

 

入口から、柴犬を連れた白髪の老夫婦が入ってきた。

 

ぼんやりとその人々の姿に、家族のそう遠くない将来を重ね、思い描く。

僕らは、どうなっていくんだろうなぁ。

 

 

「ポン太だ!ポン太! わたし、ポン太と遊んでくる!」

 

 

母親の傍らにいた女の子が柴犬の存在に気づき、老夫婦の連れた犬にめがけ、跳ねるように駆け出した。

追突するのでは、と心配してしまうような速さで走りこんで抱きつき、わしゃわしゃと頭を撫で始めた。

躊躇が全く、感じられない。

犬は尻尾を最速のワイパーのように振り回し、その抱擁に歓喜しているのがわかる。

 

母親と思しき女性が、老夫婦に謝っている。

老夫婦は快く、むしろ喜んで、何か承諾している様子だ。

きっと、いつものことなのだろう。

 

「お母さん、こっちで休んでるからね~!」

「は~い!」

 

母親の女性は、無理をして何とか大きな声を出している、ような気がする。

何となく、元々は大きい声を出す人じゃないのだろう。

そう、勝手に推測していた。

 

それにしても、コーヒーが美味しい。

目の前に広がる穏やかな風景とコーヒーの喉越しのおかげで、煙草を落とす前の「明るい気持ち」に、次第に戻りつつあった。

 

 

その女性が、こちらのベンチに近づいてくる。

姿勢を軽く正し、体をベンチの端に寄せた。

 

「すいません、隣、失礼しますね。」

 

 

 

聞いたことのある、声。

 

どこかで。

 

あの子。

 

 

「明里・・・?」

 

 

僕が考える前に、その名は口から、出てしまっていた。

 

 

女性が、こちらを振り向いた。

 

 

 

「貴樹くん・・・?」

 

 

======================

 

自分は今、どこだ。

 

何を、しているんだったか。

 

何が、何だったか。

 

雪。

 

桜。

 

花びら。

 

思い出が、駆け抜ける。

 

どうして、今さら。

 

何もわからない。

 

もう会うことなんて、無いだろうと。

 

何で、こんな。

 

ここに来たのは、そんなつもりじゃあ。

 

俺が、軽率だったのか。

 

こんな、突然に。

 

 

あぁ

 

それでも

 

 

 

それにしても、何て綺麗なんだろう。

 

 

 

彼女が視線を逸らし、俯く。

その瞳から、解放された。

 

それまで僕は、ずっとその瞳の中の記憶を、彷徨っていた。

 

 

自分の瞼を閉じて。

気持ちと、息を整えながら、正面を向く。

 

大きく、深呼吸をして。

ゆっくりと、目を開く。

 

ここは、そう。

公園だったと、思い出す。

 

 

彼女は、犬と無邪気に戯れる女の子の方を見つめていた。

自分も、同じ方向を見る。

 

 

女の子がボールを投げ、犬が喜々として取りに行く。

何回も、何回も。

 

 

「久しぶりだね」

 

 

自分の喉から、何とか、言葉を出す。

 

静かにさよならを言い、帰ることも、できたはず。

 

 

「…うん。久しぶり」

 

 

だが、話さなければならないと、思う。

何を、というのは、まだ掴めていないけれど。

 

 

「あの子は、君の子?」

 

「そうだよ」

 

 

やっぱり。

…でも、よかった。

 

 

「君に、似てるね。」

 

「そうかな。

 自分じゃあ、よくわからないの。

 あんなにわんぱくでは、なかったと思うけれど」

 

彼女の視線は変わらず、女の子を見ている。

 

「髪型とか、声とか、あの走り方とか。

 昔、ここで遊んでた頃も、ああいう風、だったと、思う。」

 

俺は、何を言っているのだ。

適当な、ことばかり。

 

「そう」

 

 

苦しい、静寂。

 

 

当然過ぎる、沈黙。

 

 

 

ふと、優しいそよ風が頬を撫でた。

 

 

それに吹かれて桜の花びらが数枚、ひらひらと目の前を舞い落ちる。

 

「…ふふっ」

 

隣から小さく、微笑みの零れた音が聞こえた。

 

 

「…やっと、一緒に見られたね。」

 

 

あぁ、そういえば、そうだな。

 

 

彼女が、こちらを向いた。

とても、懐かしい眼差し。

 

 

「…うん。」

 

 

でも、その微笑みはどこか儚げで。

 

僕は今、桜ではなく、雪を見ているような。

 

そんな気がした。

 

 

======================

 

少しずつ馴染ませるように、他愛の無い世間話を始めた。

 

彼女はここの近所ではなく、数駅離れた場所に住んでいるらしい。

子供の友達がこの辺りに住んでいて、よく遊び場となるこの公園に、彼女もついてくるようだ。

といっても、今日はその友達が怪我をして来れなくなったと、ここに着いてから連絡が来たのだという。

 

自分の話もする。

 

大学から、東京に来たこと。

何回か転職して、システムエンジニアとして働いていること。

職場はここから近いとは言えない距離で、家は更に遠い。

今日はたまたま空いた時間ができて、ここへ来たこと。

2年前に結婚し、ついこの前子供が生まれたこと。

 

社交辞令染みた、今までの自分の簡単な経歴のような。

大人になってから何度もこんな話、というよりは、説明をしたなと思う。

だが、その定型的な安定感が今の僕らには必要だとも感じていて、

実際そのおかげで、そんな風に今の状況を俯瞰できる余裕も生まれ始めていた。

 

子供が生まれた後の夫婦が気を付けるべきポイントとか。

彼女の夫が、弁当箱を水洗いして持って帰るようになったとか。

僕が妻と、部屋の掃除の精度について言い争ったこととか。

 

お互いの、今の話。

職場の同僚とも、何度もしたような話題。

 

あの頃のような話はもうできないだろう、という寂しさはあったが、

こんな話をするほど二人とも大人になったんだな、という感慨深さも胸に、そのまま、会話を続けた。

 

会話はそのまま大人同士の世間話だったが、彼女の声が、言葉が耳に入る毎に。

失ったとばかり思っていた自分の部品が、色鮮やかに蘇っていくように感じられた。

会話にも感情が芽生え、彼女の表情も柔らかくなったように見える。

 

 

「妻が実家から帰ってきて落ち着いたら、引っ越しの話をしようと思ってるんだ。

 今は賃貸だけど、多分、マンションに。」

 

「私の家もマンション。

 一軒家も憧れたけれど、都内はやっぱり土地の値段が凄くて。

 資産価値とか税金とか、色々夫とも悩んだけど、最終的にはね。」

 

そう言って一息ついた後、彼女は大きめのブラウンの手提げから水筒を取り出し、コップにお茶を注いだ。

 

「よかったら、どう?」

 

「ありがとう。いただきます。」

 

僕は缶コーヒーを飲み終わっていることにして、コップを受け取り、口をつける。

冷たい麦茶だ。

彼女も自分の分を、小さな桃色のプラスチックのコップに注いでいた。

きっと、あの女の子用のコップなんだろう。

 

そういえば、この横並びの位置関係。

昔、岩舟の夜、温かい駅の待合室で、二人椅子に座って話した時間のことを思い出し、懐かしむ。

…あの時も駅員さんに声をかけられるまで、大したことないのことも、沢山話したなぁ。

 

 

そんなことを考え麦茶を味わいながら、視線を柴犬と女の子の方に向けてみる。

女の子は無謀にも、おばあさんが投げるフリスビーをどちらが早く取れるのか、犬と競争していた。

おじいさんが、木陰で涼みながら、それを見守っている。

 

女の子がこちらの視線に気づき、大きく手を振った。

女の子の横にいるおばあさんも、続いて手を振る。

明里は小さく、手を振り返した。

 

 

良い日だな、と。

 

 

誰にも聞こえないほど小さな声で、呟いた。

 

 

「引っ越しかぁ…」

 

 

そう言うと彼女は息を大きく吐いた。

彼女の視線は、どこか遠くを見つめているようだ。

 

「…引っ越し、寂しかったね。」

 

彼女の、その一言に含まれた。

自分も先ほど口にしたばかりの一つの単語から、計り知れない、懐かしい重量を感じる。

 

「…うん。本当に、とても。」

 

その重さが空気にも滲んで、数秒ほどの静寂。

 

 

 

 

「…私もね、あの子くらい無鉄砲さがあったらよかったのかな、なんて。

 最近思ったの。」

 

「え?」

 

どういう、流れだろうか。

 

 

遠くを見つめたまま彼女は微笑み、話を続けた。

 

「あの子ったら気になるものを見つけたら、すぐそっちに走って行っちゃうの。

 知らない人にもすぐ懐くし、いつも心配しちゃう。

 この前なんてね、好きなキャラクターのイベントをどこかで知ったみたいで。

 何キロも離れたその会場に、私にも夫にも何も言わず、一人で出かけようとしたの。

 理由を聞いた時、流石に怖くなっちゃった。

 

 だから最近は、玄関を見張るようになって。

 どこに行くにも、とにかく私がついていくことにしてるの。」

 

「大分やんちゃなんだ。流石に、ちょっと大変そう。」

 

「本当、大変だよ。

 普段は聞き分けも良くていい子なんだけど、自分のやりたいことに真っ直ぐ過ぎるっていうか。

 でも一緒にいると、新しいことがいっぱい見つかって、毎日が楽しいの。

 私も一緒に大きくなってるような、そんな気になっちゃう。」

 

視線を、女の子の方に戻す。

 

「でも、この前実家で自分の荷物の整理してたら、色々と昔のことを思い出しちゃって。

 その後に、そういうあの子のことを見ていたら、

 『行きたいところに行けばいい』とか、『やりたいようにやればいい』とか…

 そういった言葉も、よく耳にしていたはずなのに。

 子供の頃、どうしてそうは思えなかったんだろうって、考えちゃって。」

 

そういうことって、誰にでもあるんだな、と。

それが彼女にも言えることだと知って、少しだけ、嬉しくなった。

 

「夫にも、いつも頼ってばかりで。

 そういうことを考えると、あまり自分は昔と変わってなくて、弱いままのかなって、考えちゃう。

 あなたにだって、会いたかったら、ただ会いに行けばよかったって」

 

 

その言葉に、僕の心臓が大きく鼓動した。

 

思わず、彼女に顔を向ける。

彼女はハッとした様子で、口を手で抑えた。

 

 

 

『あなたにだって、会いたかったら』

 

 

 

何度も、その言葉が頭に響く。

 

 

  いつのことだ。

 

  種子島に、僕が行って。

 

  文通の、途絶えた後か?

 

  踏切での、あの時か。

 

  いつのことだ。

 

  どちらでも、無い時か?

 

 

その一言に、頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されていく。

 

 

高らかな、女の子の笑い声。

犬の鳴き声、遠くの車の音、隣の道の、誰かの靴音。

急に、それらの音が、大きく、聞こえるようになった。

でも、耳を通り抜けるだけだ。

 

 

二人とも、暗黙的に超えないようにしていた一線を、彼女は、本当に少しだけ。

ほんの数センチだけ、超えてしまったのだと思う。

 

 

…いや、この特別過ぎる状況で、僕は何か期待をしてしまっていた、かもしれない。

さっきの言葉も本当は、もっと軽いもので。

ただの僕の考え過ぎで、普通の人なら気にも留めないものかもしれない。

 

…そう、そうだ。

 

そうかもしれない、じゃないか。

 

会社の同僚にも、

同窓会で会えた昔好きだった女の子に告白しちゃった~、だなんて、

飲み会で笑い話にしていた奴がいた。

それを少しだけ羨ましく思ったことを、覚えている。

 

今の言葉だって、そういう…

 

そういう、ただ思い出話を楽しむための言葉、だったかもしれないじゃないか。

 

 

でも、僕らの関係は、そう扱うものではないように思えて。

そのほんの少しに、僕はつい昂って。

彼女は小さくない罪悪感を覚えたように、見える。

どれ程の大きさなのかは、知る由もない。

 

急に、そんな風にしか言葉を選べない今が、途轍もなく悲しくなった。

 

先ほどまでの会話が嘘のような、軽やかさとはほど遠い、重い重い静けさだけが、辺りを包み込んでいた。

 

 

嬉しそうな、犬の鳴き声。

女の子はキャッキャと笑い、老夫婦がそこに語りかけ。

男の子たちも楽しそうに盛り上がって。

春の風がその全てを、優しく撫でて。

 

公園に溢れた平和で温かなものたちが、何故だか無性に胸に刺さる。

 

 

 

…でも、あのまま。

 

苦しい言葉を避けて、楽しい世間話だけをして。

「昔の友達」として話すだけで、

それで、「良い日だったな」なんて。

そうして僕は、今日、帰るつもりだったんだろうか。

 

 

だけど、僕は、妻のことを。

 

 

…だからってあのまま、

ただの談笑だけをして、別れの時が来たら、そのまま帰って。

 

そんなのはきっと、何も言えなかったのと、

同じ後悔が、残ったんじゃないか。

 

 

僕は、隣の女性が明里だと分かった後。

なんで、帰らなかったんだ。

 

 

僕だって、会いたくて。

何か、伝えるべきだったのに、伝えられなかったことが、あったんじゃないのか。

 

 

そこまで考えた、途端。

 

 

自分の情けなさ、かつての想い、妻への愛情。

今の、昔の、様々な感情が、一気に押し寄せてくる。

 

 

  また、眩しい時間に目が眩んで。

  その温かさに、身を任せて。

 

  別れの時が迫ってから、焦って、言葉を胸に詰まらせ。

  離れた後、伝えられなかったことを、悔いるつもりなのか。

 

  弱いままなのは。

  電車の扉が閉じていくあの時と変わっていないのは、僕だったんだ。

 

  僕より先に、走り出すのも。

  二人の願いを、言葉にしたのも。

  その言葉に想いを込め、贈るのも。

 

  いつも、僕じゃなくて。

  いつも、君の方だった。

 

 

「…君は、いつも、強い女の子で。

 ずっと、僕を、守って… くれた。」

 

 

何とか、出した言葉だった。

彼女の左手が、微かに動いたように見えた。

自分でも、声が震えてしまっているのがわかる。

舌も、上手く回っているかわからない。

 

 

適切な言葉を、選んであげたい。

 

出来る限り、何も壊れなくて、素敵なものを。

 

でも、見つからなくて。

 

 

胸に溢れたままを、伝えるしか。

 

 

視界の隅で、彼女がこちらを見たのを感じた。

 

でも、僕は彼女に顔を向けることなんて、できない。

 

「小学校の、卒業式の日も。」

 

懺悔にしか、ならないかもしれない。

でも、もう。

何も伝えられず、いなくなってしまうよりは。

 

このままでも、君に伝えないと。

妻が、僕に、そうしてくれたように。

 

「あの日も、ずっと、俺は黙って。

 目も… 合わせないで。

 君の方がずっと、辛かったはずなのに。

 君は、別れの言葉を、贈ってくれた。」

 

呼吸を、する。

言葉を、選ぶ。

 

「栃木からの文通も、君から始めてくれた。

 手紙でも、話す言葉にも。

 君の言葉はいつでも、僕を案じてくれていたのに。

 俺は、いつもカッコつけて。

 君への想いを、ひと欠片すら…言葉に、できなかった。

 

 あの朝、電車の扉の前…

 君と別れる時ですら。

 君は、僕の未来を、心配してくれていたのに。

 俺は自分のやれることだけ何とか探して、口にして。

 寂しさを、紛らわすことしか。」

 

躓きながらにしか話せない自分が、恥ずかしい。

 

何という、言葉だろう。

 

「そういった言葉を贈るのに、どれだけのことが必要だったか。

 大人に…つい最近になってから、ようやく、わかった。」

 

本当に、本当に最近だ。

 

「前に進むためと、言い聞かせながら。

 全部、後ろに投げ捨てるばかりで、誰の想いにも、応えようとしなかった。

 君にも、他の女性にも。

 

 過去になって、無くなってしまうことが、当たり前だと。

 約束なんて、所詮そんなものだって。

 

 そうして、格好だけ大人になって、

 気づけば、どこに進めばいいのか、わからなくなった。

 

 それでも。」

 

涙が滲む。

でも、彼女の目を見て、伝えなければ。

 

「君がくれた、僕は大丈夫だっていう言葉が。

 いつも、僕の傍にあって… 守って、くれた。

 何度も、ずっと。」

 

一滴、零れてしまった。

 

「俺はもう、大丈夫。

 だから、明里だって。

 きっと、絶対、大丈夫だよ。」

 

彼女の顔に、ようやく向き合った。

 

こんな自分しか見せられないのだと、諦めただけだと思う。

 

 

互いの瞳だけを、ただ、見つめ合った。

 

 

僕の中はぐちゃぐちゃに混乱して、自分の出した言葉の幼稚さに、罪悪感を感じ始めていたけれど。

 

 

彼女の瞳から、一筋、涙。

 

 

雪が、解けていくような、感触。

 

 

 

明里はゆっくりと目を閉じ、下を向いた。

 

「…うん」

 

彼女から、小さな声と、小さな頷き。

 

本当に小さくて、でも、確かな返事。

 

…僕は、届けたかったことを、届けられたのだろうか。

 

自分の頬に残る微かな涙を拭い、視線だけを前に戻した。

視界の片隅に、震えながら光る、彼女の指輪。

 

 

 …『ただ、会いに行けばよかった』。

 そうか。

 それだけで、きっと。

 

 あの雪の日の朝、閉まりゆく扉の前で。

 締まる前に、また会いに行くよ、と言って。

 

 君の、僕の、不安や、悲しい予感の全てを拭い去って。

 君も同じ未来を目指していると、信じて。

 ひたすらそれに向かって、進んで。

 

 そうして一度でも、会いに行っていたなら、

 もしかしたら、僕らは。

 

 そういった言葉を贈るのにどれだけが必要か、

 あの時、知っていたなら。

 

 世界は思ってたよりかは優しいと、

 せめて、知っていたら。

 

 …別れを告げるためには会いに行けた癖に、僕は、なぜ。

 

 

静かに涙する彼女が顔を上げ、前を向くまでの、少しの間。

僕はずっと、そればかりを考えていた。

 

並んで座る僕らの間は、もう電車の扉よりも厚いもので遮られていると、それぞれに震える指輪が示していた。

 

======================

 

「1回だけ、ポン太に勝ったんだよ!

 わたし、足が、速くて、その… ポン太よりも、強くて!!」

 

 息を荒げ、興奮冷めやらぬ様子で、必死に明里に語り続ける。

 

「そうだね、本当、凄かったね~。」

 

 明里は適当としか思えない口調で、

 タオルでその子の汗を拭きながら返事をする。

 

「おじさんも、ちゃんと見てたでしょ!?」

 

突然声をかけられ、たじろいでしまった。

僕はまだ一度も言葉を交わしてない、知らないおじさんでしかないのだが。

 

「え、うん… そうだね。

 その… 本当に、カッコよかった。」

 

僕も適当な言葉しか、見つからなかった。

…先ほど帰った老夫婦はこんな元気な子に長い時間、よく付き合ってくれたものだ。

 

明里は汗を拭き終わると、にこやかに携帯を取り出した。

 

「はい、じゃあ勝利記念の写真撮影! はい、チ~ズ!」

 

「やった~!!」

 

そうしてその場で、色んな角度、様々なポーズ、何パターンも。

しばらくの間『撮影会』が開かれた。

女の子も、まんざらではない様子だ。

 

…妻と自分もきっと、その内こうなるのだろうな。

その様子に未来の自分たちを重ねてみる。

 

 

明里は先ほどまで泣いていたのが嘘のような、どこにでもいる優しい母親、といった様子だ。

 

でも、泣き終わった後に、

『ありがとう、貴樹くん』と。

 

こちらを真っ直ぐ捉えて、久しぶりに名前を呼ばれた。

あの感触は、忘れられないだろう。

 

 

「私たち、ああいう駆けっことかで遊んだことは、無かったね。」

 

ひとしきり写真を撮り終わった明里が、話しかけてきた。

 

「そもそも激しい運動を、避けてたんじゃないかな。

 俺は小さい頃、身体が弱くて、外遊びもそんなに好きじゃなかったし。」

 

「そっか。

 そういえば貴樹くんも、あまり体強くなかったね。

 …そうだ、だからいつも私と、図書室にいたんだ。」

 

そういえばそういうところも似ていて、僕らは仲良くなったんだったな。

 

「あたし、けっこう強いんだよ!」

 

突然足元から出た主張に、思わず笑ってしまった。

この小さな体のどこに、その自信や力が秘められているのだろうと、不思議に思わざるを得ない。

 

「…強いのかも、しれないね。」

 

僕がかつて熱望した強さは、

こういう姿だったのかもしれない。

 

 

頭を撫でてみる。

汗で少し、湿っていた。

女の子の表情が照れた笑顔に変わり、そのまま僕の瞳を捉え続ける。

 

 

あぁ、それにしても、本当に。

君に、よく似ている。

 

 

君が、隣にいて。

君の未来に、手を触れて。

 

 

今、ここは。

この瞬間だけは、あの日の願いの、先にいるような。

 

 

不意に長い風が、公園を吹き抜けていく。

 

 

木々がざわめく。

髪がなびく。

 

静まり、沢山の、桜の花びら。

 

 

「ねえ」

 

 

隣から、明里の声。

 

 

「…まるで、雪みたいじゃない?」

 

 

彼女は僕を見て、そう言った。

 

…やっと一緒に、桜を見ることができたと思う。

 

 

「すごい桜!きれい~~!」

 

 

僕の返事は、その足元の声にかき消されてしまった。

虚を突かれた思いで、僕はぽかんと立ち尽くす。

 

その様子がそんなにおかしかったのか、明里は口に手を当て、声を出して笑い始めた。

 

 

屈託の無い、笑顔。

 

 

 

  ずっと、一緒にいたかった。

  離れたくなんて、なかった。

  好きだった。

 

 

 

とうの昔に諦め、捨ててしまった気持ちの中心にあったものを、今さら見つけてしまったようで。

たまらなく、寂しくなった。

 

未だ笑顔に揺れる明里と、目が合う。

遠い昔の夜と同じ、温かな眼差し。

 

その眼差しに僕は、今までずっと見守られていたこと。

この先の、大人になった僕にすら未だに巨大な人生の中にも、それが続いていくと、

はっきりと、分かった。

 

僕も同じものを、彼女に与えられているだろうか。

 

…妻にも、共に待つ子供にも、こんな祝福を与えられる人間になりたい。

そう思う。

 

「捕まえた~~!」

 

元気な声が響く。

声の主はすぐ、母の元に駆け寄る。

 

「花びら、捕まえちゃった!」

 

満面の笑みだ。

秘密の宝物のように、風に攫われぬよう大事に手で覆い隠しながら、母親に見せている。

 

「おじさん、知ってる?」

 

突然こちらを向き、話しかけてきた。

何がだろう。

 

「『秒速5センチメートル』なんだよ!

 桜の、花びらが落ちてくる、スピード!

 知ってた?」

 

それ以上でも、それ以下でも無い、当たり前のことだと。

何の迷いも無い瞳が、そう語りかけてくる。

 

「うん、知ってるよ。」

 

小学生の頃から知っていたはずの、その言葉の意味を。

 

今、ようやく、知ったと思う。

 




後書きはまとめて、最後に記載いたします。

明里視点の話を、
次の「A walk of another side」に続けます。
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