「前に進むと決めた彼らが、どこに行くのだろう」
という、素朴な疑問でした。
最初に見た時はまだ学生だった頃で、
第3話の貴樹に、自分の失恋の悲しみを重ね、
励まされ、酔いしれていました。
ただ、曲がりなりにも、とてもこの作品が好きだったのだなと、今は思います。
特に最後の曲の部分は何十回と見直し、
本当は、どこかで二人が一緒になる可能性が、隠されているんじゃないか。
短いワンショット一枚一枚も停止し、見つめ、絵の意図を考え。
そんな可能性が全く見当たらないと分かってから、
次第に作品と距離を取るようになっていったと思います。
「貴樹が前に進んで行くように、俺だって前に進めるよな」など生意気なことを考え、
実際にはその先のこと、大人になるという感覚が全く分かっていなかった自分は、そのまま社会に出ていき、DVDを押し入れにしまいました。
久しぶり過ぎる視聴を経て、数日間。
「貴樹はどこへ、明里も、どうなっていくのだろう」とか、
「前に進むとは、具体的に何を指すのだろう」と。
仕事中も、家の中でも、遊んでいる時も、ずっと考え続けてしまいました。
彼らは、今、どうしているだろう、と。
何が彼らにとっての、前だったのだろう、と。
何故今更、彼らのことをこれまで考えてしまうのか。
もう、三話の貴樹よりも年上になってしまった自分が。
不思議に思いながらも、その疑念が消えていく気配が全くありませんでした。
どこかにそれが載っていないかと、
ネットで調べたり、小説版を読み返したりしましたが、
見つからず、ずっと悶々とした日々を過ごしました。
そこから次第に、彼らにとっての幸せ、
特に、「彼らにとってあの思い出はどうなったのか」を妄想し始め、
朧げにイメージになり始めていった時。
文章にすることでなら、自分でも形にできるかもしれない。
もう終わっている物語を、再度引き摺り始めた自分を解放したくて、
この小さな話を書くに至りました。
ただ、書類は別として「書き物」の類を書いたことの無い自分が、
いざ、たたき台となる文章を一通り書き上げ、読み直した時。
そこには彼らの姿ではなく、半分以上、自分の化身でしかないようなものになり、
彼らの何も、分かっていなかったのだということに気づき、醜く見え、酷く絶望致しました。
そこでようやく、彼らがどういう人間だったのか、
どうしてあれをしなかったのか、言葉にしなかったのか、など。
彼らへの理解を、真剣に始めたと思います。
直接話したことの無い、自分とは全く異なる人生を歩む彼らを、
自分に書く資格などあるのだろうかと。
幾度も、やめてしまおうかと思いました。
書き終えたこの作品には今でも、自分がまだ多く入っています。
ただそれでも、今の自分ではこれ以上、もう書けないだろう、というところまで
書ききれたことだけは、自分を褒めてあげたくはあります。
ようやく、彼らのその後を考え続ける日々からは、解放されました。
この作品を読んでくださった方で、
もし、ご自身の貴樹、明里のイメージに繋がって見えたと思える方が少しでもいらっしゃいましたら、
自分としては、それ以上の喜びはありません。
逆に、全く貴樹にも、明里にも見えなかった、という方には、申し訳ない、としか言いようがありません。
ここまでの長文が「後書きの前置き」というところで、
この後、自分の貴樹と、明里の考察などが更に長々と続きますので、
そういった方はこの時点で、読むのを止めて頂いた方が良いかと思います。
周囲に今さら秒速5センチメートルの話をする人はいないので、
全部ここに吐き出し、自分が気持ちよくなって終わるのみです。
おまけに、あまり推敲をしていないので、誤字脱字も多々ある状態かと、思います。
それでも良いという方だけ、
自己満足でしかない駄文に、お付き合い頂ればと、思います。
●この作品のテーマのようなもの
大人になって前に進むということは、結局過去と向き合い、次に繋げていくことしかない。
二人が、思い残したことを出来るだけ向き合い、未来に持っていける形にしたかった。
というのを、書き終わった後にようやく気付きました。
悔いているだけでは、その先にもしこりが残り続けることになり、
それが特に、大事な思い出であればあるほど、哀しみや苦しみが積もっていく。
あぁしておけばよかった、次はこうする、という回答を見出してようやく、
綺麗な思い出にしていけるだろうと、自分は考えています。
彼らにそれぞれにある「後悔」や「思い残し」は何だろう。
あれだけの奇跡的な思い出があり、その先の未来が叶わなかった彼らに、
『思い残したことは無い』なんてことは無いはずだ。
そうでなければ、主題歌が「One more time,One more chance」になるわけがない。
そこを考えて、解消して、二人にもっと良い人生と、思い出の振り返り方できるようにと、願いました。
これが、自分なりの、彼らへの理解のアプローチになり、とっかかりになりました。
以下にまず、二人についての考察と、今作での解釈を書いていきます。
●前提の話。原作3話の、踏切での二人についてなど
貴樹と明里は踏切ですれ違い、電車が通り過ぎ、残ったのは貴樹だけでした。
貴樹はその結果を受け止め、前に進み始めます。
貴樹は、いわゆる「振られた」状態にも当たりますが、
明里は「貴樹が残っていたのか」を知らないまま、立ち去ったことになります。
「精神的に近い」という記載のある二人にも、
当たり前ですが様々な差異がありました。
今作を書くにあたって重要視した点は、下記の点です。
【貴樹】
・踏切で別れを実感し、前に進む決心はついた
・大丈夫、という明里の言葉に、常に支えられている
(言葉を「贈られた側」である)
・彼から、誰かに与えられた言葉の描写が無い。
・明里が傍にいれば、いざという時の行動力はある。
(いじられる明里を教室から連れ出す、最後に会う提案をする、など)
・過去の何もかもを、悪い意味で忘れようとする。
(大人の貴樹が、「明里」と名前を出して、過去を思い出すことが無い。
小説内でも、失恋後に「しょうがないじゃないか」などと、投げやりな部分も多い)
【明里】
・踏切で立ち去り、貴樹がいたのかは知らない。
(自分から振り切った。貴樹の想いを知ることは無い。)
・貴樹からの言葉を、思い出す描写がない。
(言葉を「贈る側」である)
・栃木引っ越し後、明里から文通を始める。
手紙の中でも、一緒にいたい、など、想いを綴る言葉が多い。
・入籍前日に手紙を見て、明確に「貴樹くん」と名前を頭に描き、幸せを祈るシーンがある。
(貴樹と比較して、その思い出の大切さを実感した上で、胸にしまっている)
【共通点】
・二人とも、「別れの手紙を渡さなかった」という点。(貴樹は曖昧な表現だが)
→二人とも雪の夜を経て、「別れ」ることをやめた。
(一緒にいられないはっきりとした予感がありながらも、一緒にいたいと願った。
二人とも、相手もそうしていたことは知らない)
細かいところを上げればキリがないですが、
精神性が似ていても、行動や、
過去の処理の仕方には大きく差があることがわかります。
続いて、それぞれの個別の考察をしていきます。
●貴樹と、「A time in spring」について
踏切で貴樹はいわゆる「振られた」状態にも当たり、
ようやく、二人の関係の結果として「別れ」を実感し、進めたんじゃないかと思います。
もう、一緒になる未来など無いと、はっきりと分かったことでしょう。
じゃあ、彼にもう「後悔が無い」のだろうか。
その観点で再度アニメ、及び小説を見返した時、
まず、彼の「口から発した言葉」が少なすぎると、改めて思いました。
明里含め、出会った女性達の声に比べると、彼の口数は本当に微々たるもので。
明里以外で恐らく一番深い関係であった水野に対し想いを告げる描写すら、
小説では省略されています。
アニメ、小説共に、主に「貴樹が過去を振り返る」立場でありながら、
自分の頭で考えている言葉、相手から受け取った言葉のことばかりを映し、
自分の口から出した描写が無さ過ぎる。
何なら、自分が出した手紙のことも思い出さないし、
明里側ですら、貴樹からの「言葉」を思い出す描写はない。
これらのことから考えた彼は
『想いを口にしたことが無い』のではないか。
それは明里だけでなく、前述の水野などに対しても。
もしくは、
「口にはしているけれど、自分の記憶に残るほどの想いを乗せてはいなかった」とか。
そういう人物なのだろう、と思いました。
「想いを伝えたい」と彼が感じた描写も、
明里との別れの朝、電車のドアが閉まっていく時だけだったように、思います。
彼がその後、幸せになっていくには、
まずそういう「今までの自分に気づくこと」と、
「想いを伝えられるようになる」ということがどうしても必要だと思いました。
そして、それを気づかせてくれた人がいたら、きっと大切な人になるだろう、と。
「自分から何も言葉を贈ってこなかったこと」と、
「贈られてばかりだった」ということに気づき、
そこから成長した貴樹、というのが、今作冒頭時点での彼になります。
妻にもメールではなく、せめて電話で言葉を伝えようという姿勢を獲得した、彼です。
彼が残していた後悔は、
「明里に何も言葉を贈れなかった」というものかと思い。
今回書いた「A time in spring」のベンチでのシーンで
これでもか、というくらい、明里への想い等を語って頂くことにしました。
全体の中でも、一番最初に考えたのはこのシーンで、
ここに繋がるためにどんな工程が必要だろう、と肉付けしていったのが「A time in spring」、
言葉を受ける側となる明里の話を「A walk of another side」として、
両方平行して書き進めていました。
こんなに喋るのは原作の貴樹らしくはないな、と思いながらも、
想いを口に出せない人のままなら、幸せになることはできないだろう。
それができるようになることが、彼としての「前」への第一歩なのではと思い、書いた次第です。
●明里と「A walk of another side」について
明里についてはまず、
そもそも「もう完全に綺麗な思い出としていて、振り返らなくてもいいんじゃないか」という点を、
悩んでいたところになり、最後の最後まで、捉え方が難しい部分でした。
今作での彼女は、
「手紙と一緒に想いも閉じ込めたことで、まだ『振り返る』段階を経ずに、人生を前に進めてきた」
と解釈した上で、書いています。
(「閉じ込めている」ということをある程度自分でも自覚している状態。)
そう思った根拠は、以下の通りです。
・入籍前日、貴樹への手紙を最後まで読み返さなかったこと
(小説版での「読み返すのは、まだ、早い」とは、何が早いのか。
見返したら、また貴樹の影を探し始めてしまいそうだった?)
・踏切で、電車が来る前に振り向いてはいたこと。
正直、根拠が足りず、ある程度は決めつけです。
もしかしたら結婚するまでの中でも、彼女なりに決別のタイミングがあったのかもしれません。
ただ映画・小説を見た限りでは、彼女が「思い出にけじめをつけた」ような描写はありませんでした。
貴樹は、踏切で振ってもらえています。
じゃあ、明里は?
ただ「振り返れない」から、振り返らなかったのかもしれない。
そうだったら彼女は今後、
その思い出と向き合ったり、決別する機会が、どこにあるのか?
逃げるようにしまった、
昔の手紙を少し見ただけで想いが蘇ってしまうような大事な思い出。
それをいつか、振り返った時。
「良い思い出」としてだけ、本当に振り返ることができるのか。
もし、後悔が残っていたら?
もしかしたら、彼女はそれで、大きく苦しんでしまうのでは?
そういう観点で書いたのが、
「A walk of another side」になります。
最初は、「A time in spring」の半分くらいに収まるかと思いきや、
結局同じくらいのボリュームになり、
何なら中身はこっちの方が濃いんじゃないか?と思います。
彼女が上手く思い出と決別できていたなら、
入籍前日に手紙を全部読んでたでしょう。
じゃあ何で読まなかったか、をひたすら掘り下げた内容になりました。
読み返したら貴樹を探してしまいそうだったんじゃないか。
じゃあもう、貴樹を探しに行けないくらいの、今の幸せを掴んで。
その後に手紙を読み返してしまったら、辛くなってしまうんじゃないか。
そういった未来を考えたくなくて、
その先に救いのある物語を書いたつもりです。
要するに、自分が思いついた悪い可能性を潰したかったということです。
●「A time in spring」「A walk of another side」
この小さな話を書くにあたって、自分の中で決めていたのは、
「(少なくともこの話の中では)二人をくっつけない」
「細かい設定を書かない」という点です。
「二人をくっつけない」は、学生時代に何十回も見直し、
今になって、3回ほど見直しても、そういった未来を見出すことができなかったからです。
今回描きたかったのは、踏切の先に進んだ彼らの話であったので、
そこだけは自分として守ろう、と思い書きました。
逆に言えば、その範疇でギリギリまで幸せにしてしまえ、という考えもありました。
何とか、なったと思いたいです。
「細かい設定を書かない」は、
前書きにも書いた通り、自分が東京で暮らしたこともない、
貴樹や明里のような素敵すぎる恋愛をした覚えがない(というかあったら凄い)こともあり。
最初は原作小説のように、現地で見える一つ一つの景色や物に対する感情を描いてみたかったですが、
それをやってる間に何年もかかってしまうと感じ、止めました。
なので今作では、東京じゃなくても思い描ける部分だけを書くことに決め、
散歩をしている時や、思い出を振り返る時、疲れた頭で切ない夢に入っていく瞬間、それと、会話。
そういった部分だけを書くことに焦点を絞りました。
そのせいか、全体的に口調が説明的になってしまっている部分があり、
目や耳や肌で感じた、感覚そのものに置き換えられなかったというのが、この作品で一番大きな心残りです。
●その他のキャラクターについて
①明里の娘
「細かい設定を書かない」と思ったものの、決めないと描けない描写が多かったので
ざっとした性格だけを決めたキャラクターです。名前は決めてません。
貴樹と明里がかつて、世界を味方とは思っていなかったような捉え方をしていたのに対し、
明里の娘は常に世界を信じて、想いを胸にどんどん前に進すキャラ、という感じです。
世界は確かに広大で、嫌な部分もあるけれど。
ちゃんと優しい部分があって、そこを信じて動くと、何とかなることだってある。
そういうことを、このキャラクターとの対比で伝えたかったんだと思います。
②老夫婦とポン太
老夫婦が子供と長い時間遊んでくれたのでこの話が成立するわけですが、
自分の中では、老夫婦は貴樹と明里の並々ならぬ関係と察し、
時間稼ぎとして子供が飽きないように立ち回ってくれていたことにしています。
この小さな話の中での、「世界が時折見せる優しさ」の化身のような存在です。
●終わりに●
ここまで読んでくださる方など、いないかもしれません。
でももしいらっしゃったなら、改めて、本当に、ありがとうございました。
自分が昔見た『秒速5センチメートル』という作品を、
今の自分としてようやく、ひとつの思い出にできたと思います。
自分なりに、二人の幸せを願い、形にできて、本当に嬉しいです。
二人のために物語を書いている最中、
貴樹と明里が、相手を想って文通の返事を考えていた時の、
その気持ちが、少しだけわかったような気がします。
新海誠監督、並びに、製作に関わられた方々にも、感謝の念を禁じえません。
また、自分の周りにいる人たちにも、密かに感謝しています。
自分が秒速5センチメートルが好きなことを知る人もごく僅かで、
まして、こんな話を書いていることを知る人は、いません。
ですが、この作品の文章が思いつくのは、半分以上、誰かと話し終わった後で。
仕事中でも、遊んでる時でも、チャットでも。
誰かと話して、終わった後に。
目に見える景色と、その会話の感触だとかを、物語の中の日常に重ねたりしていました。
作中でも、「世界」との関係を述べる部分が所々にありますが、
自分たちが使う「言葉」は、身近な世界に触れることで生まれたり、
伝わっていくものなんだなと、改めて気づかされました。
好きだったものに、真っ直ぐ向かっていく胸の高ぶりを、久しぶりに思い出し。
改めて、この作品が好きなんだと、自覚することができました。
またいつか、「秒速5センチメートル」を見返した時。
更に進んで行った貴樹と、明里のことが、想像出来たらいいな、と。
願わくばそれが、幸せなイメージであればいいなと、思います。
ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。