「スタミナのトレーニングに、水泳か」
微妙な顔してつぶやく。
「君たちウマ娘にはこれが効率いいらしいからねぇ」
「フ、フン。らしいで語るとは信用ならんな」
「いやいや、会長も水泳をしてスタミナつけてたし、確実だって!」
トレーナーはプールサイドのさらに上、観客席のような位置から応答する。ほかのウマ娘もトレーナーもおらず、二人きりだ。かくいう私は、プールサイドで水とかれこれ5分ほどにらめっこしている。
「あのー、そろそろ始めない?」
あまりにも長いこと入らなかったことでしびれを切らしただろうトレーナーが催促してくる。
「あ、ああ。そうだな」
大きく深呼吸をして水に片足を付け、徐々にその身を浮力に任せていく。右足のほうも水に沈め終えてから、水中に飛びおりた。
そして気が付いた。まずい、浮上できない。
ステイシスの散り際が概念として張り付いているのだろう、嫌な予感のとおり、泳げない。手をしゃにむに動かすが、水面がバチバチとたたかれるだけで浮かんでいかない。
「ステイシスちゃん?!」
トレーナーの絶叫が水によって歪められて耳に届く。
意識が
、遠のいていく
メインブースターが、いかれただと...
次に目を覚ました時、私は医務室の天井らしきものを見上げていた。水着のまま横たえられたらしく、背中がびっしょり濡れている。また、水が鼻に入ったとき特有のツンとした感覚が不快だ。
「目を覚ましましたか?」
「...何者だ」
頭痛を抑えながら上体を起こして、カーテンを越えてきたものの姿を見る。
「スペシャルウィーク...か」
「はいっ!スペシャルウィークです、って自己紹介したことありましたっけ?」
カーテンを開けて入ってきたのは、黄金世代五人の中の一人、前髪だけが白いウマ娘、スペシャルウィークだ。彼女は、人差し指を額に当て、思案しているのかどうかよくわからない顔で静止している。
「救出は、貴様がしてくれたのか?」
「スタミナのトレーニングをしようと思ってはいったらおぼれてたみたいなので、つい...」
「それは...申し訳ないことをしたな。だが、なぜ助けた?敵となる可能性のあるものは消しておくのが効率的だろう。それに、貴様のトレーニングを放棄してまで、なぜ」
それを聞いた少女は、きょとん、とした顔をしている。理解ができないような顔だ。顎に手を当て、見るからに考えている顔をしている。
「なにがそんなに不思議なんだ」
「私には、敵っていうのがよくわからないです。だって私たちは同級生で、女の子同士で、仲良くお喋りするのが、楽しいじゃないですか。そんな相手に絶対に手を抜かないでレースすることが、楽しくて、すっきりして、勝ち負けを超えた良さが、あると思うんです。って、よく言葉にできないんですけど...」
そう語る彼女の目は、煌めいていた。秘めた情熱を、偉大な目標をかなえるための正々堂々、正面からぶつかりにいく覚悟をその身に宿した少女は私の前に、圧倒的な存在感をもって立っていた。空に煌めく星のように、晴れのレース場に吹く濃密な風のような勢いをもってその言葉は私に迫りくる。
最後に放たれた照れ隠しで、ようやく彼女の気に吞まれていたことを知覚した。
「くだらん、と切り捨てるには尚早だったのかもしれんな...」
「黄金世代のみんなとはもちろん、ステイシスさんや、ホワイトグリントさんともぶつかりたいです!」
割り込むように私が放ったつぶやきは耳に届かなかったのか、彼女は宣戦布告のようなものを放っている。
やる気に満ちた目だ。私のような人間にはまぶしすぎる。彼女の前に立つと、私の水底に沈んでいた精神が引き上げられるような感覚を味わってしまう。だがしかし、それと同時に私のプライドがそれを許さない。
リンクスの頂点に君臨した自負が、私を水底のさらに深い所へと導いてくる。
「フン...まあ、貴様らとぶつかる日を楽しみにしておこう。だが、それまでは関りは絶たせてもらう。うけた恩は忘れないが、それとこれとは別だ」
「はい!楽しみましょう!」
彼女は笑顔でそういった直後、不意に時計のほうを見た。そして、あっ!という声をあげた。
「ごめんなさい、トレーニングの約束があるので、私はここで失礼します!安静にしててくださいね」
彼女は一礼をしてとてつもない速度で医務室から出ていった。そして、入れ違いになるように金髪の男が入ってきた。
「...恥をさらしたな」
「いやーまさかステイシスちゃんがカナヅチだったとはね」
「笑いたければ笑え。私には何も言う権利はない」
「まさか、ウマ娘に得意不得意はいくらでもあるんだ、この程度で笑わないよ」
椅子に座ったトレーナーはどこともなく窓のほうを見つめている。
「さて、これからどうしよっか」
「...随分とあっさりしているな。慰めてくれないのか?」
「ステイシスちゃんはそういうのよりもっと効率よくしたほうがいいでしょ?」
「フン、なるほど。少しだが、見直した」
「それじゃあそろそろ名前を...」
「それは無理だ」
このような談笑を挟んでいるうちに体のけだるさはいつの間にか消え、普通に立ち上がっても問題ない程度には回復した。よっ、と勢いをつけてベッドから飛び降りる。
「さあ、二回戦といこう。時間がもったいない」
「いやさすがにダメだよ?」
「貴様先ほどの発言と矛盾があるぞ」
「効率をよくするためにはいったん安静だよ、ウマ娘の体は人間と違って回復に時間がかかるのは君自身が一番よく知っているだろ?」
「ま、まあそうだな」
知らないが。私はウマ娘になってまだ一週間くらいしか経っていない新参者だぞ。だがそんなことを言ってしまえば白い目で見られるのは必至、なんとかごまかす。
「といっても何もしない、っていうのもなんだし座学でもしようか」
「レース学ということか?なるほど、戦略は何にも勝るものだ。ありがたく頂戴しよう」
移動して更衣室。さすがに医務室で着替えるわけにもいかず、また着替えを持ってきてくれる友もいないので着替えの置いてある更衣室に舞い戻ってきたわけだ。
スポーツドリンクを片手に更衣室に入ると、そこには白い髪に青目のウマ娘、とそれにまとわりつく金髪女の二人がいた。まあ要はいつも通りのホワイトグリントとフィオナイェルネフェルトなのだが、ここからが異常だ。ホワイトグリントのほう、着替えの途中ではないか。肌着を無感情にパージしようとしているのをとんでもない顔でフィオナがいろいろな方向から見ている。頭がおかしい。
幸いこちらには気づいていないようなので無神経痴女と変態にからまれることはないことに安堵しつつさっさと出たい一心で爆速での着替えを行う。が、見つかった。
すでに学園指定の水着に着替えたホワイトグリントが私のそばへと来ていた。
「ステイシス、今帰りか?」
「あ、ああ」
「そうか」
まったく、ここ二人はどうあがいても会話が発展しないな。というかこいつもそんなくだらないことを話しかけるくらいならフィオナイェルネフェルトの相手をしてやればいいものを。
「ステイシス、このあとはどうするんだ」
「座学をやる」
「そうか」
またもや単調な応答で終わった。なんだこいつは。お前の犬だろうとフィオナイェルネフェルトを見るが、あいつはしゃがんで何かをしているようだった。
「ステイシス、」
「やかましい!何回呼べば住むんだ貴様!」
さすがにしつこいので少し語気を荒げると言葉がとまった。その表情も、目の色も一寸も動かない。さながら、本物のネクストだ。いや、ネクストよりも機械らしい。
だが、変化が生じたものがあった。アホ毛だ。先ほどまである程度の強さを持っていたそれは、どんなメカニズムなのか、水にぬらしたティッシュのようにしおれた。
私がそれに気づき、なんだこれはといぶかしむと、今度はフィオナのほうをアホ毛が指し、バツ印を作った。
構われすぎてさすがにしつこいと思ったのだろうか。
そしてホワイトグリントはずっと私の目を凝視している。
...なるほど、あの女を観客席に連行しろということか。面倒だが、まあその程度はやってやるか。
にしても、アホ毛は口よりもものをいうものなのだな。