とは言ったもののだな、どうこの女を連れていくべきか。力づく?スマートじゃないな。...よし、物で釣るか。物で釣るのがスマートかどうかは怪しいところだが。さも当然かのようにプールサイドまでついていくつもりのフィオナに声をかける。
「おい、女。こっちを見ろ」
手に握られているのは、先ほどまでホワイトグリントの着用していた制服だ。当のホワイトグリント本人は、ステイシスはなぜ自分の制服を手に持っているのだろうという顔をしている。いや、察せよと目線をホワイトグリントのほうに送ると、はっとした顔でプールのほうに走っていった。フィオナイェルネフェルトはいなくなったことに気付いていないのか、制服につられるかどうかのはざまの顔を続けている。愚か者め、貴様のホワイトグリントはもうここにはいない。
このままいてもどうしようもないし、誘導するか。制服を持ったまま少しずつ後退する。彼女は、理性を失った亡者のようにゆっくりとこちらに迫ってくる。その距離感を維持したまま、階段を上って、観客席まで、誘導することに成功した。私が立ち止まったことで機を得たととびかかってくるのをひょいと交わしたところで、彼女に理性が戻ったようだ。
「ここは、どこでしょうか」
観客席の間にヘッスラをかました体を起こしながら私に尋ねてくる。いまさらそのキャラは無理だぞ。
「貴様あまり依存するなよ。奴にとっても毒だ」
奴の制服をフィオナイェルネフェルトに投げつけ、踵を返す。
「ふっ、とはいえリンクスが他人に生き様を指図するものではないな。これからの道をどう生きるかは、貴様たちの問題だ。好きにやれ」
受け取ったそれを大事そうに抱きしめながらプールを眺める女の脳内がどうなっているのかまでは、私の知ったところではない。この女のことなぞ、理解したくない。
さて、約束通り、座学へと移ろうか。事前に伝えられていた場所は私の所属する一年の教室。すでに準備は整えられているとのことで、特段持ってくるものはないらしい。プールから校舎までは時間が少しかかるため、否が応でも人前を歩かねばならない。先の水没話が校内の皆に広まっていないことを祈りたい。
放課後を楽しむ学生が多い中を進むとやはり、こちらに目線が向いた。なんか心なしか笑い声も聞こえてくる気がする。いやまあ恥をさらしたのは私の失態なのだから笑うなと声を張り上げる資格は私にはない。好きに笑えと自嘲的な気分になっていると、視線に交じっていきなり背中に刺すような殺気を覚える。後ろを振り替えるが、そこには何もおらず春風が通り抜けていっただけだった。
拍子抜けはしたが明らかに気のせいではない殺気、警戒しておくに越したことはないか。
ところ変わって教室。放課後ということもあり、すでに人はほぼいない。私の机の上には、勉強のための鉛筆とノートや教科書などが広げられている。まあこれを見て学習しろということか。席に着き、鉛筆を取って筆を進め始める。最初はレースの基礎、芝やダート、などの一枚絵を用いた絵本チックな紹介や、パラメータに基づく脚質の分類、距離による短距離などの分類法の紹介などがまとめられている。あまりにも簡単だったので、ここは軽く飛ばして中級編と記されたところへ移る。
そのとき、隣の席のイスがガタリと動く。何者かが座ったかは確認しない。別に私には関係のない存在なのだから。だが、その存在はずっとこちらを見てくる。
「何か用か」
視線を外さずに隣にいる相手に声をかける。隣に座ったが、相手はスギノギューティーではない。
「いや~そんなに警戒しないでくださいよ」
「貴様は、セイウンスカイか」
「おっ!私の名前をかの氷の女王様に覚えていられるとは~」
...?
氷の女王?
「氷の女王?」
「みんなの噂ですよ、誰も近づけようとしない氷のような人だって。かっこい~。もうファンクラブもできてるんですよね~」
「...くだらん」
ん?待て待て待て、私はこのトレセン学園の生徒どもから氷の女王という呼び名を受けているだと?ようやく理解が追い付いてきた。なんだそれは、かなり恥ずかしいだろう!校内を歩けばあの人、氷の女王様よと噂されるということか?イカれてる。そしてなんだって、ファンクラブ?
ふざけるなよ。私は人気の出るような質ではなかろう。
「ま、まあいい。それにしても貴様、改めて聞くが何の用だ?」
目の前のウマ娘は、にへらにへらと笑ってはいるが隠しきれない「ヤバさ」がにじみ出ている。
そのヤバさの核心を突くように見据えると、二人の間に、剣呑な雰囲気があふれ出した。水色の瞳の奥底に潜む策略の悪魔がこちらを飲み込んでくる感覚が体を包む。
緊張して、身構えるが、彼女がにへらとした表情に変わったことで、その空気はすぐになくなった。
「いやいや、逃げの同僚がどんなのかなぁ~って見に来ただけですよ~」
「ふん...威勢だけは十分だな。あまり調子付くなよ」
「にゃはは~、お互い頑張りましょうね」
目を合わせた時、心の臓を握られたかと思ったし、背筋が久しぶりに凍えた。リンクスの殺気と同格、お前を見ているぞという気迫、いや、強さで言うならばそれ以上だった。怖い。殺気とは違う狂戦士の闘気はやはり怖いものだ。いや待て、普通にこの前見た時の強さと違いすぎじゃないか?ウマ娘の成長速度、闘争本能に戦々恐々としていると、隣にいたはずのセイウンスカイはいつの間にか教室の入り口おり、ひらひらと手を振って出て行ってしまった。
と、同時に私の横の席が再び動く。今度は誰だ、今日は来客が多いな。相も変わらず本来のその席の持ち主の身長ではない。何か気配が異様だな。なんというか、とても老練しているというか、シンボリルドルフ以上の年齢の風格があるというか。ちらりと横を見ると、知らないウマ娘がこちらを優しい笑みで見つめていた。
「誰だ貴様」
口をついて出たこの言葉に目の前のウマ娘はまあ!という顔をしたが、すぐに向き直り、姿勢を正して口を開いた。
「そういえば挨拶がまだだったわね!私はマルゼンスキー。ルドルフちゃんの同期よ」
「はあ。そんな大物が私なぞに何用だ」
「あなたのトレーナーさんに言われてお勉強を見に来たのよ」
私の悪態にも態度を特に崩す様子がないのはさすがというべきか。にしても皇帝の同期か、そんな化け物の時間を私ごときに使わせるな私のトレーナーよ。
「余計なお世話といいたいが効率が少しでも上がるのならばその手を借りないわけにもいかないな。遠慮なく利用させてもらうぞ」
「ふふ、その意気よ、そうと決まればレッツらファイト!」
何を言っているのかよくわからないが、マルゼンスキーの指導の下、座学がはじめられた。彼女の態度はお気楽飄々と言った感じだが、その実力は確かに感じられた。なによりも逃げに関しての造詣の深さには感嘆を禁じ得ない。
仕掛けるタイミングなどの実践的な情報を複数仕入れ、その結果として、私には逃げの適性がない疑惑が浮上した。その疑惑が浮上したのは、マルゼンスキーが途中で混ぜた独白が発端となる。彼女は、私は本来は逃げじゃなかったかもしれないのよね。と途中でこぼした。
それを深堀すると、昔から足が速くかけっこでも1年次のレースでも軽く走るだけで一着をキープできたそうで、おかげでクラシック入りしても逃げを得意としていたが、シンボリルドルフ、アンサングなどと走っていくうちに二着落ちや掲示板ギリギリのレースがちらほら出てきて、逃げじゃなかったらもっと戦えたのかな、と思ったことがあったということだった。それに気づいたのはクラシックの終わり、有馬記念のころであり、そのころからいきなりほかの脚質を研究するということもできずに結局逃げでやり通したというのだ。この話を終えたマルゼンスキーは、自分に合う走り方を妥協せずに研究しないと、後悔することになるわという言葉で締めた。まあ、そんなことめったにないとは思うけどね、とも笑った。
だが、その条件は、今の私にひどく合致している。圧倒的な速度でこの前は逃げとして勝利したが、あれは周りの弱さゆえにそうなってしまった試合でしかなかった。
研究の余地あり、か。