今日この私シンボリルドルフは、トレーナーくんに渾身のダジャレを披露するための本を買いに本屋へと赴いた。なんでもお慕いする先生のダジャレ全集が出たというのだ。これを逃す手はない。そして迅速果敢な行動の成果か売り切れる前に購入することができた。
目的の買い物を終え、ついでにショッピングモールで何か見ていこうかと歩道を歩いていると、車道を挟んだ向かい側。対面の歩道をスクーターが駆け抜けていくのが視界に入った。
ルール違反、これを取り締まらないわけにはいかないと静止をかけようと思ったとき悲鳴が聞こえてきた。
「ひったくりよ!誰か捕まえて!」
そちらを見ると、対面の歩道、自身よりも後方でスクーターの男を指差しながら息を上げている妙齢の女性が視界に入った。悪逆無道。なおさら逃すわけにはいかなくなった。あの程度の速度であれば今から追いかけても間に合う。そう考えて足に力をかけようとした時、スクーターを追う青いウマ娘が目に入った。
見たことがない。トレセンの所属ではないのだろう。だが、その脚力はまさしく驚異的だった。一歩一歩が力強く、地面を砕かんとするほどの踏み込み。それでいながらしなやかで、シニア級のウマ娘を思わせるような迅速な足運び。その少女の走りは気がつけば私に追いかけることを放棄させていた。そして、恥ずかしながら魅入ってしまった。その美しい走りは、オグリキャップなどの伝説を想起させる。
そして彼女はみるみるうちにスクーターに追いつき、追い越した。
そこからの行動がまた私を驚愕させた。
片足を軸とした180°の急反転。並のウマ娘、それどころか私ですら足が故障しかけないそれを彼女はいとも容易く、それどころかさも当然と言った様子で行い、右腕でスクーターを受け止めた。
ただただ魅入られてしまった。彼女には才能がある。その才能、野放しにしてなるものか。私はひったくり犯の処遇などすっかりと忘れて彼女の元へと駆け出していた。
駆け出す。
ただ早く、ただ強く眼前の犯人などは二の次にひた走る。ネクストに乗った時のようなスピードを肌で感じながら一歩また一歩と距離を縮めていく。そして追い越し、左足を地面につけてクイックターンの要領で真後ろを向く。回る勢いを利用して右腕を前に突き出しスクーターのライト部分を掴む。
ウマ娘のパワーというのは存外強いもので、少し力をかけるだけでスクーターはタイヤを空回しするだけの機械となった。ひったくり犯はどうしているかというと捕まったことに狼狽えあたふたしている。
「ふっ、こんなものか。」
誰かが警察を呼んだのだろう。遠くからサイレンの音が聞こえてくる。呆然としているひったくり犯からバッグを奪い、悲鳴を上げた女性の元へと向かう。
女性は、すでに私を囲うギャラリーの1人になっていた。
「これで構わんか。」
「ええ、ありがとうございます。謝礼と言ってはなんですが…。」
そう言って女性は数枚の札を渡してきた。
「ああ、十分だ。」
「本当にありがとうございました…。この御恩は後ほど必ずお返しいたします。」
「気にするな。気まぐれだ。」
そう言って立ち去る。これでこの世界の通貨も微小ながら手に入れることができた。数字を見るにどうやら一万だろう。それが五枚。五万も有れば何か見つかるまでの食い扶持の確保や寝所くらいなら用意できそうだ。残念なことに話ぶりからしてこの女性の家には泊まれなさそうだからこのあとは最寄りのホテルでも探しにいくとするか。
ギャラリーに囲まれるのはあまりいい気がしないので速やかに離れる。
それにしても一日歩き回ったからいい加減喉が乾いたな…。馬の体は瞬発力に優れるが燃費が悪いのが欠点か。
隠れるようにしてギャラリーをかき分け、すぐさま離れる。水分補給にどこかのカフェにでも入るか。そう思い喧騒を後ろに聞きながら歩いていると、誰かついてきている気配を感じた。殺気はない。憧憬でもない。より高潔で若い気配だ。リンクス時代に幾度となく浴びた気配どもとはまるきり違う。
だが、怪しいことに変わりはない。一定の距離を保ちながら歩いていると自動販売機が目に入った。ブラフと確認を兼ねてそこで何か買うことにするか。何もなければただ飲み物が買える。何かあってもこちら有利でことを始められる。舞台とするには悪くないだろう。
自販機の目の前に立ち、先ほどもらった札を入れる。そして気づかれないように横目で追跡者を見ると、それは少女だった。茶色寄りな髪の毛をした少女。耳が生えていることから私と同じウマ娘だろうか。
彼女は着々と近づいてきている。そして二人が交差するとき、自販機から札が戻された。
なぜだ。
訳もわからずもう一度入れるがまた戻されてしまう。
「自販機には万札は入らないよ。君。」
「む…。」
悪戦苦闘していると知らぬ間に隣に立っていたウマ娘に話しかけられた。近くで見ればわかるが随分と端正な顔つきをしている。聡明そうな顔だ。そして、万札が入らないと言われて対応する通貨を見ると確かに小銭とこれより小さい紙幣しか入らないようだ。
「一本奢らせてはくれないかな?」
「動機がわからん。」
「君と少し話がしてみたくてね。」
「…構わん。」
リンクスとして油断は禁物、それは前提条件だ。だがこの少女からは殺気と呼べれるものは到底感じられない。ならば少し話すくらいならば問題ないか、とそう考えてしまった。私の了承を聞いた少女は2本、ペットボトルの紅茶を買った。そして一本を私に手渡す。
「私はシンボリルドルフという。君の名前を教えてはくれないかな?」
「信頼に足る人物にしか名乗らないことにしている。」
「そうか。ならば会話を通して私を信頼してもらうことにしよう。」
少女…シンボリルドルフと言ったか。聞いたことのない名前だ。ただならぬ雰囲気は感じるが、詳細が掴めない。
「まず、私の身の上話をしても構わないかな?」
「好きにしろ。」
「私は今中央トレセン学園で生徒会長をしている。」
「ほう?」
今この少女は中央トレセンの生徒会長…と言ったか。つまり上手いこと取り入れればトレセンへと入る道筋も開けるかも知れない。そして彼女は言葉を続ける。
「私の目標はウマ娘が全て幸福になれる社会の実現でね、そのためならば私の身すらも捧げる覚悟だ。」
「そうか。」
おそらくだがこの少女は革命家で、扇動家で、ロマンチストだ。理想を語るその表情が、掲げている理想の形がORCAを立ち上げた当初のマクシミリアン・テルミドールにどうにも似ている。だが、彼女は私とは違う。諦観者ではない。本気で実現できると信じ、そのためにできることを全てするような気概を感じる。だがそんな理想を語る姿はどうにも定型句臭い。というよりかは彼女がよく使う前書きなのだろう。つまり本題が隠れている。
「余分な話は不要だ。本題に入れ。」
「おや、感づかれてしまっていたかな。三文芝居しかできないのは私の性質でね。許してくれ。」
そして彼女は向き直る。
「君の先程の走り、素晴らしかった。それでなんだが、君さえ良ければトレセンに入らないかな。」
そう彼女は手をこちらに伸ばす。握手を求めるような手の形だ。
今の私にとってこれを拒む理由はない。そして今の問答で判明した。彼女は信頼に足る人物である、と。
そして握手を求めたまま伸ばされている手を握る。こちらを見ているシンボリルドルフの目を見据える。彼女の目は握りかえされたことに一瞬驚きを表したが、すぐに先ほどと同じような瞳へと戻った。そして私は手を握ったまま告げる。
「ステイシス、それが私の名だ。」