私と契約して魔法少女になってよ!   作:鎌井太刀

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 今話で第二章Aパート終了。


第十九話 無垢なる少女

 

 

 一方、プレイアデス聖団の魔法少女達が見守る魔女の結界内でも、地面が不安定に揺れ動き、崩壊を始めていた。

 それでも心臓に似た魔女は健在で、より凶悪さを増して自身を封じる鎖を引き千切ろうとしていた。

 

「かずみちゃん達はまだなの?!」

「鎖が!? これ以上はもう抑えきれない!」

 

 これ以上は限界だと少女達が感じる中、突然目の前の魔女が裂け、黒い血潮を撒き散らした。

 同時に中から見覚えのある少女達が飛び出てくる。

 

「……待たせたわね」

 

 一人はゴスロリ服の魔法少女、神名あすみ。

 所々血に濡れた満身創痍な有様ながら、その瞳は未だ力強い光を放っていた。

 

「みんな! 大成功だよ!」

 

 そして黒の魔法少女、かずみ。

 一見すると地味な格好に見えるが、よく見ればかなり際どい衣装を着ている彼女は、一人の見知らぬ少女を抱き抱えていた。

 

「その子が?」

「……ええ、<ユウリ>よ」

 

 つい先ほどまで戦っていたユウリとは異なる姿のようだが――海香は一瞬怪訝な顔を浮かべたものの、すぐにそれどころではないと疑問を振り払った。

 

「そう……詳しい事情はまた後で聞きましょう。今は残った魔女を!」

 

 奪われた半身を取り戻そうと、混沌と化した魔女が襲いかかってくる。

 

 残された絶望は昇華する事なく闇を深めていた。

 もしもこの光景を【銀の魔女】が見ていたならば、こう評しただろう。

 

『人から生まれ、人に忌み嫌われる、人ならざるモノ。

 女神の祝福をもってしても救済する事叶わぬ呪われた獣――【魔獣】の出来損ない、といったところかしら?』

 

 誰も知らない異なる世界の知識を有する者は、【銀の魔女】以外には存在しなかった。

 

 故にあすみ達は、ただの魔女の変異種として立ち向かう。

 あすみとかずみの二人はあいりを守るため、戦いはプレイアデスに任せて後ろへ下がった。

 

 二本の触手が、あすみのモーニングスターにも劣らぬ勢いで振り下ろされる。

 

「散開! 取り囲んで一気に仕留めるぞ!」

 

 飛び退いた地面を魔女の触手が叩き付ける。土煙が上がる中、魔女は大振りで次の攻撃を放とうとしていた。

 

「そんな攻撃なんか!」

 

 みらいはステッキを魔法で大剣に変化させると、魔女の懐へと飛び込む。

 威力は確かに凄まじいものがあるが、そんな隙だらけの攻撃に当たるはずがない。

 

 だが近づくみらいの前で魔女の全身が震えた。

 それは怯えではなく、迎撃の挙動。それまで二本しかなかった触手が体中から幾つも生え、真っ直ぐみらいに襲いかかってくる。

 

 不意を打たれたみらいは咄嗟に大剣で振り払うも、四方から迫り来る触手に対抗できるほどではなかった。

 振り抜いた隙にみらいは串刺しになってしまうだろう。

 

「しまっ――!?」

「<プロルン・ガーレ>」

 

 あわや殺られると身を強ばらせたみらいだったが、突如飛来した小さなミサイル群が触手達を迎撃した。

 

「ニコ!」

 

 驚くみらいの腕を掴んで強引に離脱したのは、神那ニコ。

 先ほどの攻撃は、ニコお得意の指ミサイルだった。

 

 彼女はいつもの眠たげな瞳に若干呆れを滲ませていた。

 

「はいはい、ニコさんですよー。単騎突撃もほどほどにナァ。じゃなきゃ猪は鍋に煮られて食われる宿命(さだめ)ってね」

「……う、う~!」

 

 本心ではニコの忠告を「うるさい」と跳ね除けたい所だったが、助けて貰った恩もあるため、みらいの口からは意味のない唸り声が上がっていた。

 相手がサキなら抱きついてお礼を言う所なのだが、普段から若干苦手意識を持っているニコ相手にそれをする勇気はなかった。

 

 特にニコは悪戯好きで、みらいはよくそのターゲットにされていたから余計だ。

 そんな風に素直にお礼を言えない所が、みらいらしかった。

 

 少し離れた場所から二人の無事を確認した浅海サキは、安堵すると同時に注意深く魔女を観察する。

 遠目からはまるで毛の生えた心臓のようなシュールな外見だったが、攻撃する<手>が数えるのも億劫なほどに増加している。

 

「……無理に近づくのは危険か。ならば」

「みんな<合体魔法>準備!」

 

 サキの指揮を受け、海香が号令を下す。

 それを聞いた少女達は、統制の取れた動きで魔女を中心に距離をとる。

 

 六芒星の陣を描くように散らばったプレイアデス聖団の少女達は、大規模な拘束魔法を発動させた。

 

「「「エピソーディオ・インクローチョ」」」

 

 魔法の光が輝き、魔女を包み込む。

 魔女は不快な鳴き声を上げて抜け出そうとするが、プレイアデスの合体魔法はその抵抗を難なく抑え込んだ。

 

「かずみ、トドメをお願い!」

「任せて! あすみちゃん、<あいり>の事お願いね!」

 

 この場にいる全ての魔法少女の中で、最高威力の攻撃魔法を持っているのはかずみだった。

 

 

 

 あすみは無言で頷き、かずみを見送った。

 肉体的にも魔力的にも限界に達していたあすみは、これ以上の戦闘に耐え切れないほど消耗していた。

 後の事はプレイアデス聖団に任せ、あすみは遠くからかずみを見守る。

 

 

 

 かずみが近づくと、拘束された魔女から音が流れた。

 それは壊れたスピーカーのような、ノイズ混じりの声だった。

 

『ハ■プテ■・ダ■■テ■、■のうえ。

 ■ン■■ィ・■ン■■ィ、落っ■■た。

 ■様の■、家■の全て■■かっても。

 ■■■■■を■には戻せない』

 

 割れた卵は二度と元には戻らない。

 そんな当たり前の事を声は告げる。

 

「それでも、魔法はあるんだよ!

 みんなの祈りが魔法になるのなら、奇跡だって起こせる!」

 

 ユウリを生き返らせる事はできない。

 けれど、あいりを戻すことはできた。

 

 この場にいるどの魔法少女が欠けても、きっと成功しなかっただろう。

 みんなの魔法を集めれば、それは奇跡にも等しい力を持つのだ。

 

 そんなかずみの想いを糧にして、絶望を払う魔法が放たれる。

 それは奇跡のような神々しい輝きとなって魔女を貫いた。

 

 

「<リーミティ・エステールニ>!!」

 

 

 魔女を倒した後。

 そこには何故かグリーフシードではなく、歪んだ種子<イーブルナッツ>が残されていた。

 恐らくは、あいりの魂を分離させた影響なのだろう。

 

 魔女が消滅するのと同時に、あすみの傍らで眠る少女が呟いた。

 

「……ユウ……リ」

 

 少女の頬を一筋の涙が流れた。

 

 

 

 

 

 

 数日後、ある一家の元に匿名の電話が掛けられてきた。

 それは今も行方不明となっている娘の所在を知っているという眉唾な物。

 

 性別不詳な声はいかにも胡散臭い物だったが、藁にも縋る思いで彼らはその声に従った。

 たとえ悪戯だと分かっていても、何の手掛かりも進展もない現状、飛び付かずにはいられなかったのだ。

 

 その日は休日で、丁度夫婦揃って家にいた事もあり、彼らは車に乗って指定された公園まで向かった。

 そして不自然なほど人気のない公園に入ると、そこには見間違えようのない愛娘の姿があった。

 

「あいり!!」

 

 娘の名を叫びながら、両親が血相を変えて駆け寄る。

 

 娘、杏里あいりは確かにそこにいたのだ。

 涙ながらに無事を喜び、そして今までどこに居たのかと、呆然と座っていたあいりを叱った。

 

 最終的には見ているこちらが可哀想になるほど、彼らはあいりの身を心配していた。

 話を整理すると、どうやらあいりは半年もの間行方不明になっていたらしい。

 

「……心配かけて、ごめんなさい」

 

 目覚めたばかりのあいりにとって、現状はよくわからなかった。

 長い夢から覚めたばかりのような覚ろげな記憶しかない。

 

 だから正直に行方不明の間の記憶を失っていることを告げると、慌てた両親によってすぐさま病院に連れて行かれる事になってしまった。

 

 あれよあれよと押し込まれた車の中で、あいりはふと、胸元に何かあるのを感じた。

 それはいつの間にか身に付けていたお守りだった。

 

 黄金に輝く夢色のスプーン。

 それを見たあいりの両目から、ぽたりと涙が溢れた。

 

「あいり? ど、どうしたの!? どこか痛むの!?」

「違う、違うんだよ、お母さん……」

 

 隣に座った母があいりの身を心配する。運転席にいる父もバックミラー越しに気遣わしげな視線を向けている。

 こんなにも親不孝な娘を心配してくれる両親に、あいりは涙ながらに謝った。

 

「……ごめん、なさい」

 

 お守りを手にした瞬間、あいりは僅かに思い出したのだ。

 

 それは長い長い、夢のようだった。

 

 親友を襲った悲劇。

 魔法少女という存在。

 聖団に対する復讐の誓い。

 そして自らが行った凶行。

 

 その挙句が、敵に救われるという喜劇めいた結末だった。

 

 親友の為に命を投げ出した事、それ自体に後悔はない。

 だがそれは我侭だった事をあいりは反省していた。

 

 ユウリの命を継ぐ。

 確かにそれは、あいりの望んだ事だった。

 

 ユウリの存在を継いだあいり。

 だが魔女となり、絶望の海に沈むその寸前、強引に引き上げられてしまった。

 

 敵であるはずの、神名あすみとかずみ。

 二人の魔法少女と、親友の手によって。

 

「夢じゃ、ないんだね……」

 

 手にしたスプーンがその証拠として、ユウリのいない現実を教えてくれる。

 ずっと悪い夢を見ていたかのようだ。

 

 今いる世界もまた、決して良い夢だとは言えないだろう。

 ユウリがいないことに変わりはないし、復讐対象であるプレイアデス聖団は健在だ。

 けれどもう、あいりの胸に復讐の憎悪は宿っていなかった。

 

 一通りの検査やら捜査やら、怒涛のような後始末を一先ずは終え、懐かしさすら感じられる自分の部屋に戻ったあいりは、ぼふっとベッドに横たわった。

 

 思い出すのは、あの時確かに聞いた親友の言葉。

 

「<アタシ>の分まで生きろって……命を大事にしろって……ユウリに怒られちゃった」

 

 お守りのスプーンをぎゅっと握り締める。

 一人きりになってしまえば、否応なしに襲いかかってくる現実。

 

「<私>は、ユウリのいない世界なんて……寂しいよ」

 

 それでもユウリに二度も救われた命なのだ。

 おまけに憎んでも憎み足りないはずの、二人のお節介達にも救われてしまった。

 

「これで復讐だとか言ってたら……私もう、どうしようもないバカじゃない」

 

 既にソウルジェムを失い、魔法少女の資格を失ったあいり。

 

 自身が信じられないほどの幸運の上に立っている事を知っているから。

 かつてはそれを身勝手に捨ててしまった愚かさを痛感しているから。

 

 あいりはユウリの分まで生きなければいけないと、ようやく分かったのだ。

 

「あはっ……馬鹿だ、私。大馬鹿だ」

 

 夢色のスプーンは、どこまでも優しい色で輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして復讐者に堕ちた一人の少女が救済された。

 不可逆の摂理は覆り、希望の道が示された。

 

 だがそれは幸福な結末(ハッピーエンド)を意味しない。

 

 【銀の魔女】

 全ては彼女の計画通りに進行しているのだから。

 

 人形がどれほど動き回ろうとも、操り糸を切ることは叶わない。

 自覚なきままに動く彼女達を、銀髪の魔女は愛おしげに観察している。

 

「ああ、神名あすみ。やはりあなたは最高ね。

 私の祝福(のろい)のせいで苦しいでしょうに、それでもあなたは気高くあろうとしている。

 あの絶望の淵でなお、最後まで残されたあなたの矜持。

 世界の全てを壊そうとしても消えない、隠された希望。

 

 あなたは、あなたの<大切>を裏切れない。不幸にできない。

 

 たとえ世界中の人間を皆殺しにできても、たった一人の<大切な者>を殺す事ができない。そんな普通の……優しい女の子なのね。

 ――やはり私とは違うのね、あなたは」

 

 成長した我が子を見るような穏やかな顔をリンネは浮かべる。

 ふぅっと息を吐くと、彼女は肩を竦めた。

 

 そこにはもはや何の感情も浮かんでいない。

 意味のない薄笑いだけを浮かべ、銀の指揮杖を振るう。

 

 

「だからまぁ、これも予定調和のうちなんだけど」

 

 

 仕組まれた因果。

 想いも、魔法も、奇跡すらも積み木代わりにして、邪悪の魔女は自らの思いのままに運命を築き上げる。

 その先にあるモノを手に入れるために。

 

「さてと、それじゃあお仕置きの時間を始めましょうか。

 建前とは言え、言い付けを破った悪い子には罰を与えないと。彼女の保護者としてね」

 

 そう嘯きながら、リンネは銀色の魔力を絵の具にして虚空に魔法陣を描いた。

 

聖呪刻印(スティグマ)

 服従者に力を与える祝福にして、反逆者に罰を与える呪いの首輪。

 銀の魔女は<神名あすみ>に罰を与えるため、指揮杖を振り下ろす。

 

「起動【聖呪刻印】、対象者<神名あすみ>――(ソウルジェム)への干渉レベル強化、レベルⅡからⅣへの移行を確認。【粛清術式(purge)無垢なる少女(Innocent girl)>】発動。

 銀色の支配よ顕現せよ。祝福されしガランドウの器を呪いで満たせ」

 

 銀色の光が立ち昇る。

 それは夜を払うかのように空高く伸びて行き、やがて跡形もなく消え去った。

 

「……ばいばい、あすみん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女ユウリによる一連の事件が終わり、プレイアデス聖団の魔法少女達と神名あすみ、かずみの二人は帰還の途に就いていた。

 

 ジュゥべえは里美の治癒魔法で怪我を治すと、またどこかへと行ってしまった。

 まぁどうでもいいか、とあすみはUMAの事は気にしない事にした。

 どこかの残飯でも漁りに行ったのだろう。所詮は畜生か、などと毒を吐く。

 

 あいりの事は海香に任せてある。というのもここにいる魔法少女達の中で、彼女が一番治癒魔法に優れていたからだ。

 

 また記憶操作系の魔法も使えるらしく、あいりの状態を検査するのに彼女以上の魔法少女はいなかった。

 結果は特に異常は見つからず、ごくごく普通の少女であると海香は太鼓判を押したのだ。

 

 あいりを彼女の家族に引き渡す手筈も、彼女ならば上手くやるだろう。なにせベストセラー作家らしいので。

 そんなあすみの偏見混じりの評価により後始末を押し付けられた海香だったが、彼女は機嫌良く引き受けた。

 

 なにせあすみのお陰で、絶望でしかなかった魔法少女システムに突破口が見えたのだから。

 運が良かったというのもあるだろうが、前例ができたというのは大きい。

 <不可能>という零パーセントの巨壁から、<可能性>が僅かな亀裂となって生まれたのだから。

 

 推し進めれば、絶望のサイクルを終わらせることもできるかもしれない。

 検査するついでにあいりのデータを取っていた海香にしてみれば、その程度の仕事は安いものだった。

 

 一同があすみの屋敷に着いた頃には深夜を通り過ぎ、もうしばらくすれば朝陽が昇ろうかという時刻になっていた。

 徹夜になったな、と誰かが気だるげに呟けば、他の誰かが同意した。

 

 皆それぞれ疲労しており、リビングにたどり着くと力尽きたように雑魚寝をし始めた。

 あすみが客室から持ってきた毛布やらクッションやらを放り投げてやると、ゾンビのようにもそもそと蠢いてそれを拾った。

 

「あれ、あすみちゃんは寝ないの?」

「……自分の部屋で寝るわ。こんな狭苦しいところは勘弁して欲しいわね」

 

 最後にかずみに何か言おうか、考えたあすみだったが特に思い浮かばなかった。

 語ることは語ったし、言いたいことは言った。

 

 変に格好付けるのも格好悪いと思い、傍から見れば素っ気なく言った。

 

「……それじゃ、おやすみ」

 

 そう言い残し、あすみは一人リビングを離れた。

 二階に上がり自室へと戻ったあすみは、窓から庭へと飛び降りる。

 

 あすみの眠る場所は、ここじゃない。

 

 今の疲労した彼女達に気付かれるとも思えないが、念には念を入れて気配を殺し、足音を消して屋敷を離れる。

 

 銀魔女が提示した期限は明朝まで。

 恐らく日の出と共に何かしらの罰があすみの身を襲うだろう。

 

 それにかずみや他の連中を巻き込むつもりはなかった。

 かずみの願いを叶え、自己満足な誓いも果たせた。

 

 ならば後は潔く死んでやる。

 だがただでやられるほどあすみも大人しくはない。

 

 もしも粛清部隊や銀魔女謹製の人形共が来るようなら、返り討ちにしてやろうと思っていた。

 まぁ十中八九、そうはならないだろうと予想しているが。

 

 あすみの素肌に刻まれた隷属の首輪を意識する。

 この刻印がある以上、あすみに関する生殺与奪の権は握られたも同然だった。

 首輪に繋がれている以上、わざわざ猟犬を派遣する意味もない。

 

 死に際を悟った猫のように、あすみは遠くを目指した。

 出来れば山が良かったが、あすなろ市に山はない。

 ならばと、あすみは近場の海を目指した。

 

 思考がまるで自殺志願者のそれであるが、まぁ大差ないかとあすみは自嘲する。

 

 己の死体を銀魔女に回収されるなど冗談ではなかった。

 だから手の届かない場所に自らの死体を置く必要がある。

 

 海ならば、あすみのモーニングスターが重石になってくれるだろう。いつかは世間を騒がせてしまうかもしれないが、その時にはあの女も諦めているはずだ。綺麗な死体でもなくなっているだろうから、価値は零だ。

 

 行き先を決めたあすみは魔法で空を飛び、海原を目指した。

 ほどなくして海岸線が見えたので、人気のない場所を選んで着地する。

 

 ブーツが砂浜を踏みしめる。夜明け前の海は、ほのかに明度を増していく空の光を反射し、淡く輝いていた。

 

「……なんでこう、タイミングが悪いのかしらね」

 

 振り向いた先には、今頃屋敷でぐーすか眠っているはずの少女達がいた。

 

 七人の魔法少女達、その名も<プレイアデス聖団>。

 その全員が神名あすみの前に揃っていた。

 

「あなたの黒猫ちゃんから頼まれたのよ『ご主人様を助けて』って」

 

 里美の腕の中には、片目の潰れた猫がいた。

 黒猫は残った一つの目であすみを見つめ、にゃーと何かを訴えるかのように鳴いていた。

 

 ……余計な真似を。

 まさか飼い猫に手を噛まれるとは。

 

 猫ならば、死に場所を探すあすみなんか放っておけば良いのに。

 猫だから、そんなあすみに気付いたのかもしれないが。

 

 裏切り者、とことん可愛くない猫。

 お前なんかもう知らない。

 

 好きな所に行って、勝手に生きればいいのだ。

 元々野良猫だったのだ。

 今度はせいぜい悪い人間に気を付けることだ。言っても無駄かもしれないが。

 

「追跡ならお任せを。こんなこともあろうかと、あすみんの魔力パターンは記録済みってね」

 

 黒猫から顔を背けたあすみに、ニコが得意げに端末を見せびらかした。

 画面に表示されたアプリの地図上には、デフォルメされた神名あすみが表示されている。

 

 無駄に凝った機能に眉を潜め、知らぬ間にマーキングされていた事に舌打ちした。

 というか、あすみん呼びはやめろと言ったはずだ。

 

「一人で背負い込むなよ、あたし達にできる事なら力を貸す。あすみにはそれだけのデカイ借りがあるからな」

「そういう事。何を隠しているのか知らないけど今のあなた、雨に濡れた仔猫みたいよ?」

 

 カオルと海香が疲れを感じさせない声で言う。ここにいる全員、魔女との戦いで疲労しているはずなのに。

 なぜ彼女達がここまで来たのか、あすみには理解できない。

 

「君はかずみを守り、そしてまた一人の魔法少女をも救った。私達にとっても君は恩人で、英雄だ。カオルも言ってたが、私達にできる事なら力を貸そう」

「まぁ、少しは認めてあげなくもないけどね! あんまり勝手な行動するなバカ! ……心配するじゃん」

 

 連中の中でも特に嫌な奴だと思っていた二人からの言葉に、あすみは内心驚いていた。

 

 彼女達の好意が、行為が、理解できない。したくない。

 理解してしまえば、あすみの中で何かが壊れてしまう。

 

 大切なもの一つ以外を全て切り捨ててきた少女にとって、彼女達の想いは眩し過ぎて、致命的なほどに毒だった。

 

「……どうして、わたしなんかを。あんた達、頭おかしいんじゃないの?」

 

 普段なら刺々しく紡がれるはずの憎まれ口も、力を失った今のあすみには泣き言にしかならなかった。

 それに答えたのは、かずみだった。

 

「だってあすみちゃん、泣きそうな顔してるんだもん。放ってなんかおけないよ」

 

 そしてあすみの手をとって、太陽のような笑顔を浮かべた。

 

 ……本当にもう、このバカ娘は。

 

 どこまで他者を救済する気なのだ。

 ああ、今ならばあいりの気持ちが分かる。

 

 死にたくない。

 

 たったそれだけの思いが、あすみを支配しそうになる。

 生きたいと願ってしまいそうになる。

 

 かずみと一緒に生きて、あの時の晩餐のように彼女達と美味しいものを食べる。

 確かにそれは焦がれるほどに魅力的だ。

 

 だけど、それはもう叶わぬ夢なのだ。

 

 あすみの着るゴスロリ服の内側から青い光が点滅している。

 それは合図。今からお前を殺すという処刑宣言だった。 

 

 かずみ達から逃げる時間は最早ない。

 彼女達が納得できるだけの説明をする時間も。

 

 だからあすみは、残された短い時間で想いを残す。

 それは遺言だった。

 神名あすみが生き、そして死ぬための、最初にして最後の告白。

 

「……ねぇ、かずみ。わたしね、あなたの思っているような人間じゃないの。あのユウリ……あいりが、可愛く思える様な酷い事も、一杯してきた。

 正直、罪悪感だとか後悔だとか言われても、今じゃよく分からなくなってしまったんだけど。

 そんな狂ったわたしでも、あなたといるのは楽しかったわ。

 あなたといると、昔を思い出すの。

 わたしの温かな記憶、幸せな思い出。

 だから、絶望と呪いを振り撒く事しかできないわたしが、そんなあなたを守れたことは、ただの自己満足だとしても、唯一誇れる事だと思うの。

 色々あったけど、今じゃあなた達にも感謝してるわ<プレイアデス聖団>。

 これからもかずみの事、よろしくね」

 

 彼女達にしてみれば、意味がわからないだろう。

 自分でも気持ち悪いと思う。

 だけどこれが、あすみの素直な想いだった。

 

 そして【聖呪刻印(スティグマ)】が目覚める。

 

 これまでの経験から、かつてない苦痛が襲いかかる事を無意識に悟ったあすみは、反射的に目の前のかずみを突き飛ばしていた。

 

「あすみちゃん!?」

 

 思わず尻餅を付いたかずみが目にしたのは、震えながらも微笑みを向ける少女の姿だった。

 

 これまで他者に苦しみを押し付け、絶望に貶めてきた最悪の魔法少女、神名あすみ。

 自身の血塗られた経験が、己の身に起こる事を正確に予感させた。

 

 ――あすみは、ここで終わるのだと。

 

 空が白み、闇夜が払われ、海原が白銀色に揺蕩う。

 見れば朝陽が顔を出そうとしていた。

 

「わたしね。あなたと笑い合えた事が、嬉しかった」

 

 一歩一歩離れていくあすみを、突然の事態で誰も追いかける事ができなかった。

 オレンジ色の朝焼けの中、あすみは最後の笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「さよなら、かずみ」

 

 

 

 

 

 

 瞬間、光の柱があすみを包み込んだ。

 その光に塗り潰されるかのように、あすみの意識は闇に落ちていく。

 

「あすみちゃん!? きゃあ!?」

 

 駆け寄ったかずみだったが、光の柱に弾かれて砂浜をゴロゴロと転がった。

 反射的に口の中に入った砂を吐き出すと、海香が心配して駆け寄る。

 

「かずみ大丈夫!?」

「海香! お願い、あすみちゃんを! あすみちゃんを助けてっ!!」

 

 絶叫するように懇願するかずみの言葉に、海香は力強く「任せて!」と請け負った。

 あすみにはまだ聞きたいことが山ほどある。それに救済の手がかりともなる少女を、ここでみすみす失いたくはない。

 そして何より、海香にとってもあすみは大切な友人だと思っているから。

 

 海香はあすみがどんな状態なのか知るために、迸る銀色の魔力に魔法を掛けた。

 

「ッッ!? なんて、悍ましい魔力っ! 魔女? いえ、違うっ! なんなの、この狂った魔法は!?」

 

 高度に洗練された術式でありながら、込められた魔力は見る者触れる者に術者の狂気を曝け出している。

 刺青のように擬態した、邪悪な威力を発揮する魔法陣に、海香は出来る限りの手を尽くそうと奮闘する。

 

「<イクス・フィーレ>!」

 

 吸収し、分析し、模倣する。

 だが許容量を越えた魔力と処理の追いつかない狂気的な術式を前に、海香の持つ魔法書がぼろぼろと崩れていく。

 

 限界を悟った海香は、おもむろにあすみに向かって駆け出し、魔力を込めた拳で殴った。

 

「このぉおおおお! <カルチェーレパウザ(解除)>!!」

 

 付与魔法を打ち消す魔法を込めた拳は、確かに届きその効果を発揮した。

 

 複雑な術式は歯車を狂わされ、暴走を開始する。

 あすみの体から青い不定形の化け物が、染み出るように現れた。

 それは蛇の形となって蜷局を巻いたかと思うと、再び取り込むためかあすみを呑み込もうとする。

 

「させるか! みんな行くぞ<合体魔法>!」

 

 かつてこれほどまでに合体魔法を短時間で連発した事はなかった。

 皆苦しそうな顔を浮かべ、それでも各々の限界寸前まで魔力を精製する。

 

「「「<エピソーディオ・インクローチョ>!!」」」

 

 青い蛇は六芒星の結界に拘束され、その巨体で砂浜をのたうち回る。

 

「かずみ! 最後はあなたが!」

 

 海香達から目に見えないバトンを受け取ったかずみは、自身の持つ最大の一撃を放つ。

 リィンとかずみの耳飾りの鈴が鳴った。

 

「あすみちゃんから離れろぉおおおっ!! <リーミティ・エステールニ>ッ!!」

 

 かつてないほどの怒りを得体の知れない<蛇>に向け、過去最大級の一撃が放たれる。

 蛇は苦悶するかのように身をくねらせたが、かずみの放った浄化の一撃に耐えかね、ついには光の粒子となって跡形もなく消え去った。

 

「あすみちゃん!?」

 

 どさりと銀色の魔力の拘束から開放されたあすみが、力なく砂浜に転がる。

 あすみの身に纏っていたゴスロリ服は最早ぼろぼろであり、半裸に近い有様だ。

 

 癒し手である海香と里美の二人があすみに近寄り、懸命に治癒魔法を施し始める。

 その間ずっと、かずみはあすみを抱き締めその名を呼んでいた。

 

「あすみちゃん! あすみちゃん!? お願い目を覚まして! やだよ……こんなのやだよ!!」

「かずみ落ち着いて! この子のソウルジェムは無事よ! バイタルは多少弱ってるけど、死んでなんかないわ!」

「ほ、本当?」

「ええ、大丈夫。助かるわ。たとえ死にそうでも、死なせるもんですか!」

 

 懸命な介護の甲斐あって、あすみの見た目はほぼ完璧に完治している。

 治癒魔法がなければ何ヶ月もかかるだろう怪我も、一時間もしない内に治っていた。

 

 そしてかずみ達が見守る中、あすみが目を覚ました。

 

「あ、あすみちゃん! 目が覚め――」

 

 喜び、声を掛けたかずみだったが、その言葉は途中で止まってしまう。

 かずみの膝から上半身を起こしたあすみは、きょろきょろと不安そうに辺りを見渡している。

 

 そして振り返ってかずみと視線を合わせると、少女はこてんと首を傾げた。

 

 

 

「……()()()()()()達、だれ?」

 

 

 

「………………………………ぇ?」

 

 かずみの世界から、音が消える。

 

「ここは、どこ? ママは、どこにいるの?」

 

 幼い無垢な口調で、あすみは母を探し求める。

 そのあすみらしからぬ仕草は、かずみに最悪の事態を想像させた。

 

「あ……あすみ、ちゃん?」

 

 ガクガクと、かずみは我知らずに体中が震えていた。

 知れば後悔すると分かっているのに、それでも確かめずにはいられない。

 

 果たして、かずみの予感は正しかった。

 

 

 

「……あすみって、だあれ?」

 

 

 

 無垢な表情で、あすみだった少女は首を傾げる。

 

「ママ……ママは、どこにいるの?」

 

 少女は全ての記憶を失っていた。

 ただ一つ、母の面影だけを残して。

 

 かずみの知る<神名あすみ>という魔法少女は、この世から消滅したのだ。

 

「そんな……こんな事って……!」

 

 海香が嗚咽を漏らす。

 全てがハッピーエンドで終わるはずだった。

 

 あいりを救い、あすみを救い、今まで以上に騒々しく、楽しい日常が始まるはずだった。

 神名あすみという魔法少女を、友を失い、プレイアデス聖団の魔法少女達はそれぞれ悲しみに襲われていた。

 

 かずみもまた彼女達と同じように、慟哭を上げたかった。

 

 それでも目の前の少女に教える為に、かずみは精一杯の笑顔を浮かべる。

 大切で、大好きな友達(ともだち)の事を語るために。

 

「……っ、あすみちゃんは、わたしの大切な……友達の、名前。

 意地悪で、ひねくれていて、口が悪くて。

 とっても頑固だけど……本当は誰よりも優しい。

 笑顔の素敵な、女の子なの……!」

 

 記憶喪失の少女(かずみ)は、新たに記憶を失った少女(あすみ)を抱き締めた。

 記憶を失う事の悲しみを、かずみは本当の意味で理解したのだ。

 

 胸が、痛い。

 こんな悲しみを、わたしはみんなに。

 

「……おねぇちゃん、どこかいたいの?」

 

 震えるかずみの頭を、少女の手が撫でた。

 

 

「いたいのいたいの、とんでいけー」

 

 

 かずみの目から、涙が溢れた。

 それはいつまでも止まることなく、頬を伝い落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下に築かれた魔法都市。

 その中心部にある神なき神殿。

 

 崇める主なき祭壇に腰掛けるのは、銀髪の少女だった。

 魔法少女達の運命を弄ぶ、邪悪の魔女は微笑む。

 

「誰かが救われるならば、他の誰かが救われない。

 そうやって世界はバランスを取ってるんだろうね、あすみん」

 

 悲しみも喜びも、全ては等しく天秤に乗せられた現象でしかない。

 夢見がちなほどに非現実的で、残酷なまでに現実的な「魔法少女システム」の体現者たる少女は、何かを悼むように目を閉じていた。

 

「さあ、実験を次の段階に進めましょう。

 魔法少女の理を、ここに晒して暴いてしまいましょう」

 

 開かれた右目は血を思わせる紅色。

 だが残された左目は、黄金色の異彩を放っていた。

 

 

 

「<神話創世計画(ジェネシスプロジェクト)>を次の段階へと進めましょう」

 

 

 

 奇跡も魔法も、この世界にはあるのだから。

 神話を地上に創ったところで、今更構わないだろう。

 

 もしも神とやらがいるのなら、止めて見せるがいい。

 だがその空席に腰掛けるのは、見知らぬ有象無象の化身ではない。

 

「……あなたにも協力してもらうわよ、<カンナ>」

 

 リンネが振り向いた先には、一人の少女がいた。

 

 仮面を被った少女の腕には刺青が刻まれている。

 それは蛇の如くうねり、蜷局を巻いていた。

 

「勿論さ。共に新世界(ネクストステージ)を創造しようじゃないか!」

 

 くすくすと、舞台裏で黒幕達が嗤い合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




〇ネタ ※キャラ崩壊注意

あすみ「お前のソウルジェムは何色だァー!?」
リンネ「銀色だよー。あすみんとお揃いだね!」
あすみ「怖気が走る! 反吐が出るぜ!」
QB「まったくだね!」
リ&あ「「お前は引っ込んでろ!」」
QB「……わけがわからないよ(ショボーン」


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