グラスワンダー短編集   作:よたか(ほし)

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花言葉を知らずにたんぽぽを贈り、わたわたするグラスワンダー

これは、とある春の日のことです。

 

麗らかなお日さまの光が柔らかくベッドを温めていて、布団から出るのがなんとも惜しいと感じられるような朝でした。

上半身を起こしてなお未練がましく足を温めている布団にしばしの別れを告げ、私はようやく目を覚ましたのです。

 

 

色々と準備をしてふと時計に時間を尋ねると、真ん丸な時間の番人は朝の九時だと教えてくれました。

普段であれば遅刻も遅刻、既に一限目の授業が始まっている頃です。

でも、大丈夫。

今日は泣く子も黙る土曜日なのですから。

ちょっとくらいのんびりとした朝を過ごそうが、私を咎める者はいません。

 

「……」

 

いつもよりだいぶ遅めの朝食を取りながら、私はぼんやりと考えていたのです。

まあ、「考えていた」というよりはむしろ、春の陽気にあてられた頭にとりとめのないことが浮かんでは消えていただけなのですけれども。

 

「……!」

 

とまあ、こんがりさくっと焼けた食パンの耳をようやく口に放り込んだところで、私はふと思い立ったのです。

 

「おさんぽ、しよう。」

 

ありますよね。

ぼんや~りとしていたときに。

ふと、急に。

「何かをやろう」と思い立つことって、ありませんか?

まあ、私はたまにあるのです。

 

で。

そうすると不思議なことに、私はもうおさんぽがしたくて堪らなくなるのです。

不思議ですよね。

さっきまで何を考えていたかなんて昨日の夕ご飯みたいに思い出せなくなって、とにかく早く外に出たい。

あの陽だまりの下で青草を踏みしめて春の訪れを全身で余すことなく味わいたいと、気もそぞろになってしまうのです。

 

 

まあ、そんなわけで私はおさんぽをしていたのです。

 

 

やっぱり、外を歩くのって気持ちがいいですよね。

今日みたいな日なんかは、特に。

なんだかいつもより足取りも軽やか。

まるで弾む心がそのまま靴に乗り移ったみたいに、靴底がぽよぽよとしています。

 

そんな感じで、るんるんと。

春を迎えて鮮やかにおめかしした草花や木々を眺めながら歩いていたら、お日様が随分と高いところへ昇っていたことに気が付いたのです。

 

慌てて携帯で時間を確認すると、もうお昼前。

どうやら、二時間近くもおさんぽをしていたみたいです。

 

あ、休日なのになぜ慌てているかと言いますと。

13時から軽くトレーニングをすることにしていたのです。

 

彼は「せっかくの休日なんだから、ゆっくり休みな。」と言ってくれたのですが、どうしても少し体を動かしたくて。

私の体を案じてそう言ってくれる彼と。

しばらくの間、じーっとにらめっこをしたら、彼が折れてくれたのです。

うふふ。

理解あるトレーナーさんと巡りあえて、私は果報者です。

 

閑話休題。

ここからトレセン学園までゆっくり走って30分。

ジャージなどの準備をすることも考えれば、そろそろ戻らないと間に合わないでしょう。

 

体をほぐし、春の風を感じながらゆっくりと駆け出そう。

……としたところで、私の眼はある一点にくぎ付けになりました。

 

黄色くふわふわで。

花びら――実際は一つの花らしいのですが――一つ一つが元気に弾け、春という季節の訪れを目いっぱい喜んでいるような。

そんな子どものようにかわいらしいたんぽぽたちが、土手の隅にひっそりと集まっていたのです。

 

私の足は、ふらふらとその小さな陽だまりに引き寄せられました。

近くで見るとまあ、なんともかわいらしい。

小ぶりではありますが、それを感じさせないくらい力強く、爛漫と咲いています。

 

「わぁ……」

 

思わず口をついて出た、そのため息のような言葉を誰が聞いていたでしょうか。

返ってくるのは、草花がこすれるさらさらという返事だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ。」

 

どれくらい眺めていたでしょうか。

再度携帯を取り出しますが、まだ大丈夫。

よかった。

「たんぽぽに見惚れていて練習に遅れました」なんて、口が裂けても言えませんから。

 

「……」

 

どうしましょう。

迷います。

とても、迷います。

 

この小さな春を彼に見せてあげたくもあります。

でも、こじんまりと賑やかなこの子たちをそのままにしておきたい気持ちもあります。

 

「……」

 

「……」

 

「……えいっ。」

 

悩んだ末、私は不思議そうにこちらを見上げていた一輪のたんぽぽを連れて帰ることにしたのです。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「こんにちは~、トレーナーさん~」

 

「やあグラス、こんにちは。良い午後だね。」

 

「ええ、とっても。」

 

私が約束の場所についたのは、練習開始5分前でした。

彼はもうそこにいて、練習用具やらの用意をしていました。

 

「休日にもかかわらず、お時間をとっていただいてありがとうございます。」

 

「ははは。どういたしまして。昨日もしっかりと追い込んだんだから、今日は少しだよ?」

 

「はい。ところで、トレーナーさん。」

 

「んん?」

 

その時の私は、浮かれていました。

彼より先に春を見つけたと舞い上がっていたので。

 

後ろに隠した小さな春を一刻も早く見せたくて。

自慢したくて、たまりませんでしたから。

 

「これ、春のおすそ分けです♪」

 

だから、練習5分前だというにも関わらず、彼にたんぽぽを手渡してしまったのです。

 

「これはまた、随分とかわいらしい春だね。」

 

子どものようにはしゃぐ私。

そんな私が差しのべた花を彼は大事そうに受け取り、にっこりと大輪の笑顔を咲かせました。

 

「うふふ。」

 

「これは何か、お返しをしなくっちゃなあ。」

 

そう言うと彼は、自分の胸ポケットにたんぽぽを優しく差し込みました。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「んんん?」

 

担当、グラスワンダーの様子が変になったのは、どうも先ほどの休憩の後からだ。

休憩前の練習はいつも通りだったのに、休憩が明けてからはどこかそわそわしていて、なんだかこっちをまともに見てくれない。

 

「はて?」

 

一体、何が原因だろう。

休憩時間は10分。

その間に彼女は水分を補給し、タブレットで撮影しておいた走りの映像をチェックすることしかしていない。

なのに、なぜ。

 

「お~い、ぐーらす~~。」

 

何であれ、集中力を欠いた状態で練習しては怪我につながる可能性もある。

一度彼女を呼び、話を聞いてみる必要があるだろう。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「お~い、ぐーらす~~。」

 

「!!!!」

 

自分の耳としっぽがぴんと立ってしまったのを感じます。

彼に、名前を呼ばれました。

即ちそれは、彼が私に用があるということ。

 

油をさし忘れた機械がぎぎぎと音をたてるようにぎこちなく振り返ると、彼が心配そうに手をちょいちょいとしています。

こっちに来てくれ、ということなのでしょう。

 

……仕方がありません。

覚悟を決めて、不退転。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「お、きたきた。」

 

名前を呼んだ途端耳としっぽをこれでもかというほど高く天に突き刺した彼女はぶきっちょに振り返り、観念したようにトコトコとこちらへ歩いてきた。

 

「ねえ、グラス。」

 

「ひゃいっ」

 

「……え?」

 

「……あ……」

 

名前を呼んだだけで声が裏返るとは、いったいどうしたことか。

普段の彼女らしくもない。

 

「グラス、どうしたの?」

 

彼女を心配しているこの気持ちが少しでも伝わるように、努めて優しく声をかける。

すると彼女は顔を真っ赤にしてわたわたとしながら、

 

「た、たんぽぽ!」

 

と、言い放った。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

何を言っているのだろう、私は。

いきなりたんぽぽと叫ぶなんて、気がふれてしまったと勘違いされてもおかしくはない。

 

「あの、こ、これは。」

 

まずい。

思考がまとまらない。

何を考えようにも、先ほど休憩時間にタブレットで調べたことが脳裏にちらつく。

 

「これは、ですね。その。」

 

彼を見ると、”大丈夫だよ”と言わんばかりの優しい目をして私の発言を待っている。

一方、胸元のたんぽぽは意地悪そうにニヤニヤとして、私を見つめている。

友人たちのもとから連れ去った私が、そんなにも憎いのでしょうか。

 

「あの。」

 

だめです、何か、何か言わなくては。

 

「その、たんぽぽ、かわいいですね!?」

 

……やってしまいました。

彼を見ると、呆気にとられたのかぽかんと口を開けています。

本当に僅かの間。

彼がそうしていたのは本当に僅かな時間なのですが、私にとってそれは永遠にも感じられる時間でした。

……おさんぽをしていた時はあんなにも、時が過ぎるのが早かったのに。

 

「ふふふ、そうだね。とってもかわいいよ。」

 

正気に返った彼はくつくつを喉を鳴らしながら、そう答えた。

たんぽぽはまるで、大爆笑しているかのようだ。

 

「……でも、集中力が切れると危ないからね。もともと休みだし、今日はここまでにしようか?」

 

「……大丈夫です。まだ、やります。」

 

「うん、そっか。じゃ、も少し頑張ろう。」

 

ああ。

穴があったら、入りたい。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

かわいそうなくらい顔を真っ赤にした、いつもより小さくなったように見える彼女を解放すると、それはもうとんでもない速さで駆けていった。

 

「本当に、かわいいらしいね。なあ?」

 

ポケットのたんぽぽを優しく撫でながら語りかける。

どうやら、このたんぽぽが彼女をわたわたさせた原因とみて間違いないらしい。

 

「どれ。」

 

となると。

先ほどまで彼女が見ていたタブレット、その検索欄に答えがありそうだ。

少し意地悪いことだけど。

 

「……ふむ。」

 

花言葉、ねぇ。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

二人の男女が歩いている。

一方は中肉中背の男。

もう一方は、やけに縮こまっている少女。

 

「今日は……情けない姿をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。」

 

「いやいや、気にしないでよ。」

 

「しかし、私から練習を求めておいてこのざまです。」

 

「グラスは自分に厳しいねぇ。せっかくの週末なんだし、ゆるっといこう?」

 

「しかし……」

 

少女は何やら謝罪している。

男は気にしていない様子だが、少女は食い下がらない。

 

「あ、じゃあこの後少し、付き合ってくれる?」

 

「この後、ですか?」

 

「うん。罪滅ぼし……とはちょっと違うね。あ、もちろん予定があったら大丈夫。」

 

「いえ、予定はないのですが……それでは……」

 

「まあいいからいいから。」

 

「……わかりました。」

 

納得のいっていなさそうな少女も、男についていくことを決めたようだ。

 

「ところで、どちらへ行かれるのですか?」

 

「それは着いてからのお楽しみ。」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「ここは……」

 

男が先導して二人がたどり着いたのは、とある花屋であった。

「少し待っていてね。」と言い残した男は店先に少女を残し、何やら店員と話している。

 

「……」

 

待たされている少女は突っ立っているのもどうかと思い、店先の花を眺めている。

花屋に存在を許された花だけあってどれもきらびやかだが、少女の脳裏にはあの黄色くて小さな花がこびりついていた。

 

「お待たせ!!」

 

ぼんやりと待っていた少女の前に、ようやっと男が現れた。

その手には、白い花をつけた小さめの鉢植えが握られている。

 

「……これは?」

 

「アザレア、という花だ。」

 

「アザレア、ですか。」

 

八重咲の美しい白い花は、やはりきらびやかだ。

未だ男の胸元に刺さっているたんぽぽでは少々、いや、かなり分が悪そうである。

 

「はい。」

 

「え?」

 

しげしげと鉢植えを眺める少女に、男は差し出す。

 

「これ、グラスに。」

 

「……え?」

 

男はどうやら、少女にこの鉢植えを贈りたいようだ。

しかし少女はぽかんとしている。

まるで先ほどの少女と男の立場が逆転したようである。

 

「私に、ですか?」

 

「うん。」

 

「え、と……なぜ、でしょう?」

 

少女が理由を尋ねる。

 

「たんぽぽのお返しだよ!」

 

すると男は、屈託なく答える。

どうやら胸元にある黄色い花のお礼、ということらしい。

 

「え、そんな、悪いです。……言い方は悪いですが、そのたんぽぽは道端に生えていたものですし、とてもではないですが釣り合いません。」

 

少女は固辞する。

 

「でもグラスはこれに何かを見出してこれをおすそ分けしてくれたんでしょう?」

 

「それはそうですが……」

 

「グラスったら、やっぱり固いなあ。君からもらったものは何でもうれしいし、何より君は今日、春に気が付かせてくれたんだ。」

 

「しかし……」

 

「とにかく、はい。今日も休日なのにトレーニングを頑張った偉い子には、ご褒美さ。」

 

「わわっ。」

 

男は少し乱暴に鉢植えを少女に渡し、しょんぼりしていた少女の頭を撫でる。

ふわりと、花の香りが漂う。

 

「とにかく、今日もお疲れさま。明日こそは、ゆっくりと休むんだよ。」

 

「え?……ええ、分かりました。」

 

「よし、じゃあ、また来週!」

 

「え?ちょっと、トレーナーさん?!」

 

少女を撫で終わるやいなや、男は駆けだしてしまった。

その顔が少し赤みを帯びていたのは、気のせいか。

 

「……」

 

再び残された少女はやはりぽかんとしながら、夕日に消えていく男の後姿を見送った。

 

「……帰り、ます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女が寮の自室に戻り、花言葉を調べて真っ赤になるまで、あと30分。

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