男と少女が何やら話している。
その会話に混ざりたいのだろうか、ぴゅうと一つ、風が吹いてくる。
今しがた二人の足下で耳をそばだてていた落ち葉は、冷たい乱入者によってどこかへ吹き飛ばされてしまった。
「……それにしても、ここのところはすごく冷えますね。」
「そうだねぇ……」
なるほど。
どうやら二人はこの頃の気温について話しているらしい。
ありふれた、とりとめのないおしゃべり。
それこそ、もう一度風が吹けば飛ぶような話題。
だが、歩いているときにする話などはそれくらい軽い方がちょうどいい。
それに、二人が歩くのは朝の通学路。
重苦しい話題では、歩みも鈍ってしまうだろう。
男にとっては職場への道のりでもある。
昨日やり残してしまった書類と一晩ぶりに対面する男は、その憂鬱さを紛らすかのように「ほぅ」と一つ、大きく息を吐いた。
「……息も、こんなに白いや。」
少女は男のこどもっぽい仕草にくすりと笑みをこぼし、自分も白い息を吐いてみる。
「はーっ」
「おぉ……見事に真っ白だ。グラスも、そんな子どもっぽいことをするんだねぇ。」
男は少女の白い吐息の行方をしばし見送った後、少し意外そうにする。
「うふふ。息が白くなるのなんて、限られた期間だけですから。吐息が寒さを、季節を見せてくれているみたいで、私は結構好きですよ?」
「確かにそうかも……じゃあ、それっ!」
少女の言に鹿爪らしい顔でうなずいた男は、今一度大きく息を吐いた。
「まあ!トレーナーさんったら、まるで子どもみたいですよ~」
少女は一層笑みを深くして、手を口元にかざす。
その様子はまるで、わが子を慈しむ母親のようだった。
「ふふ~ん。これはグラスもやっていた、季節を感じるための高尚な行為なのです。それに、いま僕は失われていた童心を取り戻しただけから、子どもっぽくてもセーフなんだ~」
得意げに、分かるようで分からないことを宣う男。
その様子に少女はくすりと笑い、口元からは白い息がこぼれる。
「あら、そうなんですか?」
「そうなんです~」
「ならば仕方ありませんね~……はーっ」
「あ、グラスもやってる」
「うふふ。これは季節を感じる高尚な行為だからセーフ、なんですよね?」
「うん、セーフ。」
今度はまるで、二人の中学生がばかをやっているようだった。
先ほどまでは慈母のような微笑みを浮かべていた少女も、「童心を取り戻した」という男も。
互いに白い息を吐いては、それが空にとけてゆくのを眺めている。
「……」
「……」
「存外、楽しかったね……!」
「そうですね~」
二人はかすかに白い息をもらしながら歩く。
先ほどは少し元気がなかった男も、少年の心を取り戻したためか楽しそうにしている。
終始子どもっぽい男の横顔を、落ち着きを取り戻した少女が見つめている。
「……なんだか、白い息見てたらさ。」
「はい」
「お茶の湯気を思い出したよ。」
「あら~うふふ。」
幾分軽くなった足で学園に向かいつつ、男は少女に話しかける。
まるで何か重大な秘密を思い出したかのような神妙そうな顔で子どもみたいなことを言う男の姿は、少女の口角を上げるのに十分なほど滑稽だった。
「確かに、こんな寒い日には温かいお茶が飲みたくなりますね~」
「ね。そうだよね。」
男はなんだか期待がこもった眼差しで少女の方をちらちらと見ている。
少女は男の言わんとすることに気づきつつ、その様子があまりにも面白いため少しからかってやることにした。
「そういえば、最近新しい茶葉を買いましたね~」
「ね、ね。先週一緒に買いに行ったよね……!」
男は”その言葉を待っていました!”と言わんばかりに目を輝かせる。
それはまるで母親が戸棚から菓子を取り出すのを待つ子どものようで。
少女は心の中で、愛しい少年の頭を撫でた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……買いに、行ったよね……?」
「あらあら。そんなに悲しそうな顔をしないでください♪そうですね。トレーナー室に着いたら、朝練の前にまずはお茶を一杯。なんて、どうです?」
「やったーー!賛成!!」
男は小さくガッツポーズをして、幾分歩調を早める。
「そうと決まれば、息を吐いてる場合じゃないね!行こう、グラス!」
花より団子な男に苦笑しつつ、少女は男についてゆく。
「童心を取り戻したのではなかったのですか?」
「取り戻したけど……!お茶を楽しむのは大人の特権みたいなものだからね!童心は一度返却するよ。」
「あらあら、そうなのですか。では、また童心を取り戻したら教えてくださいね♪」
「うん。その時はまた。」
「ええ。移り行く季節を楽しむとしましょう~♪」
二人は数分前よりも足早に、学園へと向かう。
だが、大人に戻った男の横で少女は一つ、考えた。
「……」
「……グラス、どうしたの?」
急に足を止め、自らの少し後ろに控えた愛バを、先ほどまで子どもだった男が不思議そうに見つめる。
「トレーナーさん。」
「ん?なあに?」
はぁーーーーーーっ
すると少女はいきなり、大きく長く息を吐き始めた。
ぐるりと顔を動かし、吐息がおおきな円を描くように、息を吐いた。
円。
いや、少し違う。
「わあ……?なんだか、ぶきっちょな丸だね?」
案の状、男にはその形が何を意味するかは伝わらない。
だが、それでよかった。
この国では昔から、想いを伝える際に直接的な方法を取らないきらいがある。
和歌もそうだし、如何にして想いを婉曲的に伝えるかもまた、一つの文化だった。
だから少女は別に、今すぐこの想いに対する返事がなくても良かった。
……もっとも、「君の淹れるお茶を毎日飲みたい」とでも言われたら、少女は一も二もなく肯いたが。
今はとりあえず、良かった。
とある想い込めて描いたあの形が。
心臓を表すシンボルを描いたはずの吐息が、「ぶきっちょな丸」としか捉えられなくても。
「今のは?」
「そうですね……大人に戻ったトレーナーさんに向けて、です♪」
「……?」
「私が大人になったらでいいので、お返事、きっと聞かせてくださいね♪」
「……?まあ、その時はまた聞いてね?」
「!……わかりました~でも、その時はお返事をくださいね?きっとですよ?」
「分かった!」
「では、行きましょうか♪」
「そうだね!お茶を飲……朝練をしに!」
「あらあら、まあ~トレーナーさんったら♪」
寒さのせいだろうか。
少女の顔はお茶が沸かせそうなくらい、真っ赤になっていた。