グラスワンダー短編集   作:よたか(ほし)

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お世話になっております!


ひどい女、グラスワンダー

「君はひどい女だよねぇ。」

 

その呟きを聞き逃すほど少女の耳は悪くなかったし、それが誰に向けて発された言葉か分からぬほど少女は愚かでもなかった。

 

「まったく……誰の話をされているんですか?」

 

しかし、机の向こう側にいる男にわざわざそう返してやっても、彼は机に両の肘をついておしぼりをにぎにぎとしているだけだった。

”行儀が悪い。”

今までにしたことがないような注意を、今更どうして彼にしなくてはいけないのか。

 

「……やっぱり、ひどい女だよ、君は。どう考えても。」

 

おしぼりを弄るのに飽きた彼のごつごつとした手が、今度は湯呑に伸びる。

少女の細くしなやかな手も、困惑しつつそれに倣った。

 

「無責任だと思うよ。」

 

「私が、ですか?」

 

漸く視線を合わせてくれた男はそう言い放つと、湯呑を置いた。

口をつけることなく。

 

 

ことり。

 

 

どうやら、彼の湯呑は既に空だったようだ。

たった今持ったばかり湯呑に中身がまだまだ残っていた少女に残された行動といえば、その緑色の液体を少し減らすことぐらいだろう。

 

 

こくり。

 

 

うん。

おいしい冷茶だ。

目標レースの勝利を祝うために男が予約した、こぢんまりとはしているが風情ある茶屋。

注文した和菓子への期待も高まる。

 

「……それで、なぜ私は”ひどい女”と呼ばれなくてはならないのですか?」

 

少女は注文したみたらし団子を頭に浮かべなら尋ねる。

そういえば、男は抹茶パフェを注文していたっけ。

 

「自覚がないのかい?」

 

いたずらっぽく笑いながら茶化す男。

 

「ええ、ちっとも。」

 

「やっぱり、ひどい女だ。」

 

なかなか口を割らない男。

 

 

 

 

「お待ちどうさま。」

 

そんな折、店主が注文の品を持ってやってきた。

この初老の男性も、もったいぶる男に業を煮やしたのだろう。

きっと、そうに違いない。

グラスワンダーは礼を述べながら、そんなことを考えた。

 

「……だって、君は引退してしまうじゃないか。」

 

「え?」

 

彼女が空の湯呑を下げる店主の笑顔にしばし見とれていると、男は唐突に切り出した。

まるで、何かに嫉妬したように、

 

「引退、ですか……」

 

少女にとっては、まさしく寝耳に水というべきだろう。

だって、彼女は今まさに全盛期を迎えんとするウマ娘。

二人がこの茶屋になぜいるか、男の方は忘れてしまったのだろうか?

亜麻色の少女は、一番にゴールを駆け抜けたというのに。

 

「随分、突然ですね。」

 

「いや、全っ然突然じゃないね。」

 

パフェの上にちょこんと鎮座する栗の甘露煮を口に放り込みながら、男は自信満々に言い放つ。

 

「いいかい?君は、引退してしまうんだよ?」

 

「ええ、いつかは……」

 

でも、それは誰でもでしょう?

 

そんな正論を言うことすら躊躇われる。

それほどまでに、彼の口調は力強かった。

 

「それが、無責任だと思うのさ。」

 

 

からり。

 

 

氷がとける、涼しげな音が相槌を打ってくれる。

 

 

「君は引退するのさ。僕が泣こうが喚こうが。絶対に引退する。してしまう。」

 

 

遠くから、太鼓を叩く音が聞こえてくる。

そういえば、この辺りで今夜夏祭りがあるらしい。

祭囃子、屋台の灯り……

でも、それもきっと、夜が明けてしまえばおしまい。

 

「ひどい話だよ、まったく。君を知らなければ、ただ有名なウマ娘が引退するだけ。そうとしか思わない。なんとも思わないさ。けど、僕は君と出会ってしまったからさ……」

 

なんとなく、話がつかめてきた。

 

「或いは、こんな思いをするくらいならいっそ、君と出会わなかったほうが幸福だったのだろうか?」

 

「……ふふっ。」

 

だが、あまりにもばからしい。

少女は、笑いを抑えられなかった。

 

「人がこんなにも苦しんでいるのに。……やっぱり君は、ひどい女に違いないや。」

 

「……すみません。あまりにも下らなかったもので、つい……っふふっ。」

 

眉を寄せた男。

乱暴にスプーンを突っ込まれたパフェのクリームが、悲鳴を上げてとろけている。

 

「君は、走れない自分が怖くないの?」

 

「わかりません。」

 

そんなの、分かるはずがない。

きっと、その時になってみないと、分からない。

 

「ほら、やっぱり無責任じゃないか。」

 

「ひどい。私は賢人でも聖者でもありませんから。分からないものは分かりませんよ~」

 

からからと笑う少女は、年相応の”少女”そのものだった。

この152cmの少女は、レース場だと巨人のように見えるのに。

 

「僕が何をしても、君はターフから去ってしまうっていうのにさ。」

 

「それは、仕方のないことでしょう。」

 

「あ~あ。この先僕は、思い出に焼き付いた君の走りを反芻するしかないのに。そうやって、生きていくしかないのにさ。」

 

「今日はずいぶん、おしゃべりさんなんですね~。」

 

「……ほっといてよ。」

 

「あらあら。話を始めたのはトレーナーさんですよ?しかも、開口一番に”ひどい女”だなんて。」

 

ご機嫌な少女は、ようやっと団子に手を付ける。

夏の積乱雲のように真っ白な団子の上には琥珀のような餡がかかっており、まるで一つの芸術品のようにキラキラしていた。

 

「……」

 

「……」

 

 

「ごめんなさい。トレーナーさん。」

 

「え、なにさ。」

 

「さっき、嘘、ついたかもしれません。」

 

「どんな?」

 

しばしの沈黙ののち、今度は少女が切り出した。

 

「先ほどトレーナーさんが”走れない自分が怖くないか”と尋ねた時、私はわからないと答えました。」

 

「そうだね。」

 

「でも、改めて考えてみると、ちょっぴり怖いかもしれません。」

 

「……そっか。」

 

「でも、きっと大丈夫です。」

 

「それは、なんでさ?」

 

「だって、楽しみができましたから。」

 

「楽しみ?」

 

「ええ。この長い長い人生を彩る、とっておきの楽しみ、です。」

 

「どんな?」

 

「貴方ですよ、トレーナーさん。」

 

「え?」

 

「だって、泣いてくれるのでしょう?喚いてくれるのでしょう?私のために。」

 

「え?……あぁ……」

 

「私、とっても楽しみです。絶対、一生からかってあげるんですから。」

 

「……一生、か。」

 

「ええ、一生ですとも。覚悟してくださいね♪」

 

「はは……やっぱり君は、ひどい女、だね。」

 

 

一生をからかわれることになった男は苦笑してそう呟き、店主にお茶のお代わりを頼んだ。

だから少女も迷いなく、お代わりを頼むことにした。

 

 




読んでいただき、ありがとうございます!

話は変わりますが、私なんかが書いたトプロちゃんの話、需要あるのかしら?
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