お久しぶりです……
間に合ってよかったが、もっと時間をかけて書きたかった……
pixivにも投稿しています。
きっかけは、本当に偶然だったんです。
「あら?」
レース関係の提出書類は意外に多く、そのほとんどに名前を書くことが求められます。
人生で最も多く書くであろう、”グラスワンダー”という文字列。
だけど……いえ、だからこそ。
その一文字一文字を丁寧に書いていきたい。
「……?」
しかし、手元に戻った書類を見ると違和感があります。
見慣れている字だけれど、なぜか感じる違和感。
「あ。」
小首を傾げた私を、トレーナーさんは見逃しません。
「ごめん。その書類のグラスの名前さ、僕が書いちゃったんだ。」
なるほど。
いつもとはちょっぴり違う”[[rb:グラスワンダー > 私の名前]]”。
これは、彼の筆跡だったのですね。
どおりで。
下にある彼の名前を表す文字と瓜二つ。
ということは、つまり……?
「あの……もしかして私、名前を書き忘れていましたか……?」
「え?まぁ、そうだね。」
「……大変申し訳ございませんでした。」
「わわ~っ!?ちょっ、ぐら、グラス?土下座しようとしないで!?!?」
あまりにも、情けない……
大和撫子の姿でしょうか、これが?
先ほどまで偉そうに「一文字一文字を丁寧に書いていきたい……」なんて考えていた自分を白装束で座らせ、介錯をしてやりたいくらいです。
その後、私もトレーナーさんに介錯をしてもらうのです。ん?
「落ち着いてってば……大げさすぎるよ……」
「しかし……」
「頑固者!本人の署名が必要なわけじゃないんだから大丈夫!はい!この話おしまい!!」
トレーナーさんが子どものように振る舞っているのは、私に気を遣わせないようにあえてでしょう。
ならば、その好意を無下にすることこそが彼に対する非礼というもの。
だから、私が言わなくてはいけないのは。
「……ありがとうございます、トレーナーさん。」
「……まったくもう、大げさだってば。」
そんなことがあったのが、つい先日の話。
その時、私は言ったのです。
”次からは気を付けます”と。
しかし。
しかしですね……
「……」
この、たった一枚の紙とのにらめっこ。
私はこれを、いつまで続ければよいのでしょうか。
たったの7文字。
この7文字が記されている、A4の紙。
それなのに。
それだけのはずなのに……
「何してるデース?」
「!?え、エル!?」
思わず、紙を裏返してしまう。
我ながら、なかなかの瞬発力。
ゲート練習の賜物ですね。
……ぐしゃりと、折り目が付かなくてよかった。
「それ、この間提出した書類デス?なんでそんなに……えーと?ボケツ?があくほど?見つめてるデス?」
「そうは間違えないでしょう……?それを言うなら、”穴があくほど”ですよ。」
「そうとも言いマス。」
未だ慣用句を使いこなせない同室の間違いを訂正しつつ、何食わぬ顔で書類を引き出しに戻します。
「なんで隠すデス?」
「……別に、隠してなどいませんよ。以前、この書類を提出するときに名前を書き忘れたものですから。気を付けなければと思っていただけです。」
「ふーん?」
どこかで聞いたことがあります。
嘘をつくときには真実を織り交ぜると効果的、と。
……いえ。
別に、私が嘘をついているとか。
そういうのでは決してありませんけれど。
「エルも気を付けてくださいね?」
「……」
そう、話題を終わらせようとしたとき――
「……そんなに気に入ったデスか?」
「!?」
「図星、デスね?」
まるで名探偵のようなことを彼女が言うものですから。
私のしっぽやら耳やらはぴんと伸び、そのまま硬直してしまったのです。
「……何故、分かったのですか。」
「だって、グラスがその引き出しに入れてるのは大切なものデス。もらったファンレターとか、そこに入れてるの何度も見てマス。」
「……」
……さすが、ライバルといったところでしょうか。
「で、どうなんデス?」
そう言うと、エルはベッドに深く腰掛けました。
この話を終わらせる、もとい私を逃す気はさらさらないようです。
「自分の名前は、一番見慣れた文字のはず、なんです。」
「ふむふむ?」
「でも、彼が……トレーナーさんが書いてくれただけで、なんというか、その。胸がじんわりあたたかくなると言いますか。」
「デスデス?」
「ずっと見ていられると言いますか……」
「ホホゥ?」
「~~っ!とにかく、そんな感じなんです!もうっ!」
「ナルホド~。”怪物”な~んて呼ばれるグラスも、こうなってしまえばただの生娘デスね!」
「生娘ですよ……エル……覚えておいてくださいね……」
「アーッハッハッハッ!愉快愉快デース!」
「くっ……」
口惜しいですが、今回は私の負けです。
それにしても、彼女がこんなにも鋭かったとは……
「な~んにも分かってないエルに、ベラベラ全部話してくれるとは!!」
「え?」
「ちょっとカマをかけたらこれデス!グラスチョロいデース!」
「……」
「こんなにチョロいのがライバルだなんて失笑ものデース!次回のレース、エルが頂いたも同然デスね!」
……なるほど。
なるほどなるほど。
どうやら、エルが言っていたことは正しかったようです。
確かに私は、墓穴を掘っていたみたいです~♪
……
けれど、墓穴を掘っていたのは果たして一人だけでしょうか?
「アーッハッハッは……どうしたデス?グラス、顔が怖いデース……?」
「……」
「ちょ、ちょっとグラス!?ニコニコで詰め寄られると怖いデス!?」
「……」
「グラス!?グラス!?!?………………ケェーーーーーーーーーーーーーッ!?!?!?」
◇◇◇
「……はぁ。」
”悩まし気な溜息”とは、こういうもののことを言うのでしょうか?
手元には、紙。
A4の、何の変哲もない書類。
……氏名欄は、まっしろ。
「……」
「……えい。」
別に、悩むことではないはずです。
――彼は、何を思って書いたのかな?
自分の名前を、自分で書くなんて、ふつうのこと。
――きれいな字だったな。
一文字、一文字。丁寧に、心を込めて。
――こんな風に、書いてくれたのかな?
「……書けました。」
たったこれだけ。
十文字に満たない名前。
それを書くのに、どれくらいの時間を要したかは分からない。
けれどきっと、今までで一番丁寧に書いた……はず。
「……」
あとは、トレーナーさんに提出すれば、おしまい。
今回は忘れなかった。
さすがに二回連続で名前を書き忘れるなど、大和撫子としてあってはならないから。
……名残惜しさは、あるけれど。
◇◇◇
「失礼しますね、トレーナーさん。」
「えっ?グラスっ!?」
昼休憩の時間にトレーナー室の扉を開くと、やけに焦った彼がそこにいた。
Yシャツの袖をまくって、いかにも”作業中”な見た目。
何をしているのでしょうか?
「わ、わ……!」
わたわたと机の上のものを片付けようとする彼。
「それは……お皿?ですか?」
やけに大きな白い皿。
トレーナー室には不釣り合いな、大きな皿。
「来るなんて聞いてないよ……」
隠すのは無理と悟ったのか、恨めし気な視線を送る彼。
なにをしているのでしょう……?
「……え?」
「あ~……もう……」
しょんぼりした彼の手元を見ると、チョコペン。
「まぁ……!」
お皿の上には、これでもかというくらいに”[[rb:グラスワンダー>私の名前]]”が書いてありました。
「……今度、グラスの誕生日に。」
私が何も言葉を発さなかったためか、彼はぼそぼそしゃべり始めます。
「ケーキをさ、贈ろうと思ったんだ。手作りはできないけれど、少しでも、何かしたくて。」
グラスワンダー
グラスワンダー
文字の大きさは、ばらばらで。
「チョコプレートの上の文字くらいは、書きたくて。”グラスワンダー お誕生日おめでとう”って、祝いたくて。」
ところどころ文字はつぶれててしまっている。
「それで、練習してたんだ。」
市販の。
パティシエさんが書いてくれるものと比べれば、それはもう不格好だけれど。
「……ふふっ。」
「……笑わないでよ。」
文字の巧拙を笑ったわけではなくて。
……なんだか心がじんわりとあたたかくて、まるで私の心までチョコレートになってしまったみたい。
「サプライズの予定だったんだけどなぁ……」
「ありがとうございます、トレーナーさん。とっても嬉しいです。」
「僕は複雑な気持ちだよ……」
甘く、優しくとろけて。
「まだ、練習されるんですか?」
「え?まぁ、そうだね。」
「よろしければ、隣で見ていても?」
「……いいけど、さ……なんだろうね、この状況は。」
黙々と”グラスワンダー”を描き始めたトレーナさんを、この目に焼き付けながら。
私は二人分の名前が書かれた書類を、そっと机の端に置きました。