グラスワンダー短編集   作:よたか(ほし)

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トレーナー室から他のウマ娘のニオイがして掛かるグラスの話

一、

 

 

二週間。

それは果たして、どれくらいの長さであろうか。

14日?336時間?20160分?1209600秒?表現の仕方は様々あるだろうが、栗色のしっぽをゆらゆらさせながら空港を歩く少女にとって、この二週間は途方もない時間であった。

不思議なものだと少女は思った。

いつも――朝起きて、学園へ行き、授業を受けて、トレーニングに励む。――であれば、二週間など本当にあっという間。

光陰矢の如し?一朝一夕?

ともかく、いつもの二週間はいつの間にか過ぎ去っていて、気が付いたら月が半分終わっている。

その月に彼と顔を合わせた日数がいつの間にか両の指を足すよりも多くなっていることに驚き、”もっと時間がゆっくりであればよいのに”と思うのがいつものこと。

 

 

”長かった。”

 

ひときわ大きくしっぽを振った少女は、この二週間――帰省先のアメリカでの生活――を振り返った。

誤解を招かぬよう説明するが、彼女は帰省が憂鬱だったわけではない。

彼女は父母のことが大好きで尊敬もしているし、ちょっとだけやんちゃなかわいいかわいい妹に会うのも楽しみであった。

普段は大和撫子然として落ち着いているが、彼女がついこの間まで中等部であったことを忘れてはいけない。

大人びている彼女だってまだまだコドモ。

遠く離れた異国の地。

故郷を思い涙で枕を濡らす――ことはなかったが、彼女だって幼気な乙女であり、野武士なぞではない。

だから、彼女はこの度の帰省を心待ちにしていた。

 

帰省の一週間前には既に荷造りが終わっていた。

少女のライバルである同室の怪鳥がそう言うなら、間違いない。

学業もいつも以上に身が入っていた。

少女にいつも勉強を教わっている総大将がそう言うなら、間違いない。

トレーニングも、いつも以上に気合が入っていた。

彼女とともに三年以上の月日を過ごした男がそう言うのだからきっと、間違いない。

 

やはり、少女は帰省を楽しみにしていた。

ところで、楽しい時間というのはあっという間である。

では、彼女がアメリカに滞在した二週間はあっという間に過ぎるはずである。

では、なぜ?

 

二週間と少し時間をさかのぼり、その答えを見ていこう。

 

 

 

 

 

二、

 

 

少女は、目に見えて上機嫌であった。

荷づくりは昨夜済ませてしまったらしい。

ちょっとばかり気が早いかもしれないが、出発直前になって焦るなんて大和撫子らしからぬ無様は晒したくなかったので、少女は早めの準備を心掛けた。

 

トレーナーの男はそんな彼女の年相応のふるまいを見て顔をほころばせた。

普段はしっかりしていてどちらが年長者かわからないくらい大人びている彼女が、嬉しそうに耳をぴこぴことさせながら

 

「お土産は何にしましょうか?」

 

とか、

 

「あの子と走るのも楽しみです!」

 

とか言うものだから、男は”まるで娘でもできたようだ”と思いながら鈴を転がすような彼女の声に耳を傾けていた。

それに、

 

「楽しみですね、トレーナーさん!」

 

と、まるで自分も一緒に行くかのような言い方をするものだから、男は思わず愛しい担当の頭を撫でてしまう。

彼女らしからぬ言い間違いも、きっと楽しみが過ぎてしまったが故であろう。

それに、いちいちその程度の言い間違いを指摘するほど男は狭量ではないし、何よりこんなにうれしそうな愛バに水を差すことなどできない。

耳を左右によけてくすぐったそうにするも撫でられるがままの担当に

 

「ああ、とっても楽しみだね。」

 

とだけ答えた男は、一層笑みを深めた少女をもう一度優しくなでた。

 

 

 

 

 

三、

 

 

さて、グラスワンダーがアメリカへ発つ日になったわけであるが、なにやら当の少女は様子がおかしい。

大きめのキャリーバッグを引いた少女と、彼女に向き合う何も持っていない男。

「そもそも担当バの帰省を見送るために空港まで来る男の方がおかしいのでは?」という至極もっともなご意見もあるだろうが、それは一度置いておこう。

 

ともかく、少女は普段のおしとやかなたたずまいではなく、落ち着きを欠いた様子であった。

それはまるで、試験会場に到着したはいいものの受験票がないことに気が付いたような、そういった様子であった。

彼女は今更、何に気が付いたのであろうか?

仮に搭乗券などを忘れていようものなら、彼女は同室の怪鳥に「頭タンポポ畑デース!」とでも小ばかにされてしまうことだろう。

え?今日の夕食は焼き鳥ですか、そうですか。

 

閑話休題。

だが、少女がキャリーバッグをひっくり返す姿は見られない。

少女は目の前の男をじっと見つめて冷や汗を流している。

一体どうしたのだろう。

 

「…トレーナーさん。つかぬことを伺いますが、お荷物などは…?」

 

少女は一縷の望みにすがり、男に尋ねる。

 

「え?ああ、車の中だよ。」

 

「…そう、ですよね。……ちなみに、この後のご予定は…?」

 

少女はおそらくすべてを察した――というより、今の今まで自分がとんでもなく恥ずかしい勘違いをしていたことに気がついた――のだが、それを認めたくないがために質問を続ける。

 

「ん~。グラスを見送ったら、とりあえずご飯でも食べて、その後は学園に戻って仕事でもするかな。」

 

少女は頽れた。

そりゃそうである。

いくら専属契約を結んでいる間柄とはいえ、トレーナーが担当の実家――しかも国外――についていくわけがあるはずがない。

え?ドイツ?ああ、いい国ですよね、自然も豊かで。

そう。

普通、あるはずがないのである。

 

普通に考えれば――というか多少頭のねじが飛んでいても――トレーナーが帰省についてこないことぐらいは分かってほしいところだが、少女は久しぶりの帰省で掛かり気味になっていたようである。

 

「ど、どうしたグラス!?具合でも悪いのか!?!?」

 

「…いえ、ちょっと先が思いやられるだけです…」

 

「僕ってそんな信用ない?確かに朝ごはんは抜いたけど…」

 

微妙にかみ合っていない二人の様子はもはや喜劇ですらあるが、間もなく搭乗の時間である。

少女はとぼとぼと、帰省を楽しそうに待ちわびていた様子が嘘のような後ろ姿を男に見せてアメリカへ飛んだ。

 

…きっと機内では、綿毛を飛ばしつくしたタンポポのようにしょぼくれる少女が賢さトレーニングに勤しんでいることだろう。

 

 

 

 

 

四、

 

 

というのが、ちょうど二週間前の出来事である。

たくさんのお土産を携えた少女は、期待に胸膨らませるようにもう一度、大きくしっぽを揺らした。

移動で疲れているのは事実で、寮に戻って寝たいところではあるが、今の彼女にとっては必要なのは肉体の休息ではなかった。

 

「…お土産は、できるだけ早く渡した方がいいですもんね。」

 

少女は手にしたクッキーを見やり、そんなことをつぶやいた。

そもそもこのクッキーは男への土産ではないが。

…そうですね、すみません。クッキーは鮮度が命だと思います…エルコンドルパサーもそう言っています。

 

「…それに、体調が問題ないことも伝えなければなりませんし、トレーニングの予定も話し合わないといけませんから。」

 

自分にそう言い聞かせ、少女は歩く。

昨日の夜もトレーナーとテレビ電話をつないで小一時間は話していたが。

…そうですね。すみません。ホウレンソウは大切だし、アスリートにとって体は資本なので元気な姿を見せてあげた方がトレーナーも安心すると思います、はい。エルもそう思うよね?

 

ともかく、少女は二週間ぶりに日本へ舞い戻った。

二週間ごときでは何も変わらない府中の街を、二週間という途方もない時間を耐え抜いた少女が歩く。

 

行先はもちろんトレセン学園、その中のとある一室であった。

 

 

 

 

 

五、

 

 

グラスワンダーにとって、男はもはや生活の一部であった。

トレーニングは言わずもがな、お出かけや野点…とにかく、彼女の生活のいたるところに男は入り込んでいた。

 

だから、仕方ないのである。

二週間前にトレーナーが自分についてくるのは当たり前だと思い込んで一人落ち込んでいたウマ娘がいても、それはまったくもって仕方がないのである。

少女は赤くなった顔を少しでも冷やそうと、手で顔を扇いでいる。

 

「…日本の夏は本当に、蒸し暑いですから…」

 

誰に向かってか少女はそう言い訳しつつ、トレーナー室の前で身だしなみを整える。

いくら帰ってきたばかりとはいえ、だらしのない姿を自らのパートナーに見せたくはなかった。

 

「…よし。」

 

自らの装いに満足したのか、少女は小さく気合を入れて昨日も電話した――というか、滞在中毎日電話していた――男が待つ部屋の扉を開けた。

 

 

 

 

 

六、

 

 

扉を開けた少女に飛び込んできたのは、いつも通りの、日常の匂い――

 

 

 

――ではなく、嗅いだこともないようなニオイであった。

 

 

「は?」

 

 

”ただいま帰りました。”

男に、真っ先にそう言おうと考えていた少女の口は、たった一文字しか発さなかった。

いや、意図せずその一文字を発してしまった。

温かく柔らかな、帰りを告げる言葉ではない。

冷たく敵意すら含む、鋭利な刃物のような一文字が可憐な少女の口から滑り落ちた。

 

「お?おぉ!!お帰り、グラス。今日帰るとは聞いていたけど、まさかここに立ち寄るとは思っていなかったよ。だからごめん、今からお茶準備するね~」

 

だが、男はそんな少女の様子に気が付かない。

少女が発する冷気がクーラーの風で阻まれたのか、はたまた少女が疲れ故に言葉を発さないとでも思っているのか。

 

「……」

 

少女はお茶を淹れる男をよそに、しきりに鼻を動かす。

 

誰だ。

 

――甘い匂いだ。

――おそらくは、自分以外の若いウマ娘。

 

何故だ。

 

――かなり強くニオイが残っている。

――数分いただけではこんなニオイはしない。

――おそらくは数日。あるいは、毎日。

 

「ふぅー-…」

 

少女は大きく、大きく息を吐いた。

まるで今取り込んだ空気をすべて吐き出すように。

そして、上機嫌に茶を淹れる男を見やった。

 

すたすた。

 

「疲れてないかい?ソファにでも座ってゆっくりしてていいよ。」

 

あの、ひときわニオイを発するソファにだろうか。

 

「最近、茶葉を貰ってさ。いつもは緑茶だけど、たまにはグラスと違うお茶を飲むのもいいかなと思ってたんだ~」

 

誰からもらったのですか。それ、二週間前にはありませんでしたよね。

 

 

 

すたすた。

 

 

 

少女は、お茶を淹れている男の後ろへと歩みを進めた。

 

「トレーナーさん。」

 

「ん?どうしたの?座ってていいよ?」

 

「この二週間、ずいぶんと忙しかったのではないですか?」

 

「あちゃ、やっぱりばれちゃう?通常の業務のほかに、せがまれて担当がいない子たちに指導してたんだよね。大変だったけど、有意義な時間だったよ。例えば、あの子の走りは今後のトレーニングに――」

 

――なるほどなるほど。そういうことだったのか。

 

少女は合点がいった。

もちろん彼女も、学園が常にトレーナー不足であることを知っている。

故に、担当が一時いなくなったトレーナーが契約を結べていないウマ娘に指導するのは非常に理にかなっている。

 

――だが、だからと言って。

 

少女は一度ソファに冷たい視線を送り、そして未だトレーニングについて語っている男へ戻した。

 

――少々、自覚が足りないのでしょうか。

 

「それはそれは、とてもお忙しかったのですね。でも、身だしなみには気を付けなくてはいけませんよ~。」

 

「え?」

 

「だってほら、襟元――」

 

「あ、よれてた?」

 

「いえ。――ほら、ネクタイがありませんよ。」

 

少女は手に持った小綺麗な箱を開け、中から真っ青なネクタイを取り出した。

 

「え?だっていまクールビズ…」

 

「ほら~動かないでください、トレーナーさん。今、わたしが、締めてあげますから。」

 

「ちょ、あの、グラス?――ッ!」

 

「あら、”動かないで”、と。そう言ったでしょう?手元が狂ってしまいますから。ね?」

 

そういわれてしまっては。

男はただ、自分よりずいぶん小さい愛バがネクタイを締め終わるのを待つほかなかった。

 

しゅる――

しゅら――

しゅっ――。

 

「はい、できました♪」

 

ゆっくりとネクタイを締めた少女は、朗らかに笑いながら男に告げた。

きつめに締められたネクタイからは、否が応にも少女の匂いが漂う。

己の体をすべて、彼女に掌握されたように錯覚しながらも男は礼を述べようとする。

 

「あ、ありがとう。ぐら――」

 

「あら、私としたことが、すっかり忘れていました~」

 

だが、男の謝辞は少女によって遮られた。

少女は先ほどよりもずいぶんと小さな箱から銀色に鈍く輝くものを取り出した。

それは、ただのネクタイピン。

 

「はい。これでばっちりです。」

 

だが、少女にこれを、たった5㎝しかない金属片をつけられた男は、形容しがたい寒気に襲われた。

 

「これ、お土産です。トレーナーさんに似合うものをと思い、心を込めて選びましたので~。つけていただけると嬉しいです♪」

 

「あ、ああ。とてもうれしいよ。ありがとう、グラス。」

 

「いえいえ~。あ、お茶飲まれるんですよね?持っていきますね~。」

 

「あ、ありがとう。」

 

少女はいつも通り、落ち着いた様子でお茶を運び、ソファに腰かけた。

男もそれに倣う。

 

「あ、そうだ。もう一つ、お土産があるんですよ~」

 

「え?」

 

お茶に手を付けようとしたその時、ソファに浅く腰かけた少女がポケットから小さな瓶を取り出した。

 

「それは?」

 

「オーデコロンです。私のお気に入りの香りなのですが、どうでしょう。」

 

少女は瓶の蓋を開ける。

すると、やさしい花の香りがふわりと漂う。

男はこの匂いに覚えがあった。

 

「これ、グラスたまにつけてる?」

 

「あら~。気付いていただけてうれしいです。トレーナーさんとお出かけするとき、つけていたりしますね。それだけでなく、床まき用にも使えるんですよ~。」

 

ぷしゅ

ぷしゅ。

 

そう言うや否や、少女はソファ周辺の床ににコロンを吹き付ける。

決して強いわけではないが、確かに立ち上る花の、少女の香り。

 

「…いい匂いだね。」

 

男がそういうと、少女はにっこりと微笑んで今度は深く、ソファに腰掛けた。

 

「使いかけになってしまい申し訳ありませんが、トレーナーさんに。」

 

「…ありがとう。使わせてもらうよ…。」

 

「ええ。是非。」

 

 

 

 

 

 

 

―――忘れずに、使ってくださいね。

 

 

二週間ぶりに二人がそろった、花の香りが立ち込める部屋の中で。

居場所を取り戻した少女は確かに、そう言った。

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