悪魔の薬売りは魔薬を運ぶ 作:月光画面
薄暗い森の中をひたすらに走る。
まだ数分と走っていないのに手足がガクガクと震えて息が絶え絶えになるのは足場が悪いとか俺の体力が無さすぎるとかの理由では断じて無いだろう。
『ギィィィイイ!』
コイツのせいだ。このよく分からない黒い肌をした毛のない猿のような化け物に追いかけられている恐怖で体がうまく動かせない。
心が折れ、足がもつれそうになるのを何とか抑えつけてひたすらに走る。
だが俺よりも大きな体を持った猿のような化け物の方が幾分か早い。あっという間に俺の努力を嘲笑うように追い付き、飛びさって追い抜き目の前に着地した。
その大きな手を振り上げて鋭い爪で引き裂かんと振り下ろす。俺の目には全く見えない速度で振り下ろされたそれは、足を止めることで体の制御を奪われた俺に回避する間も無く襲い掛かり……鋭く鞭のようにしなる棘つきの蔓によって弾かれる。
『ギギギィィィイイイ!!?』
これで都合三度目の妨害により、ひどく弱いだけの獲物を仕留めきれなかったのが気に触ったのか猿のような化け物は滅茶苦茶に暴れだす。
ブンッと振り回された腕に近くの木にぶつかると大きな酷く軋んだ音を鳴らしてまるで悲鳴をあげるかなように聞こえる。
あんなものを喰らえばひとたまりもない、運が良くても粉砕骨折だろう。普通に死ぬ。
直ぐに反転しその場から去ろうとする俺にこれまた三度目の謎の女性が手招きをしている姿を発見して苦しさから解放されたいと、楽になろうと悲鳴をあげる体を引きずってその方向へ向かう。
正体はわからないし、何なら追いかけているうちに
「どうして、どうしてこうなった」
また逃げ出した俺に気づいて追跡を再開する猿のような化け物の金切り声と草木の擦れる音が段々と近づいている。
死ぬわけにはいかない。家に待たしている唯一の
どうしてなんだ。
俺はただ、物を運ぶだけのバイトをしていただけなのに。
こんなことになると知っていたなら絶対に受けなかったのに。
ポケットに入っている小さなケースを感じながら叫びだしたい衝動を理性で噛み殺し歯を食い縛って速度を上げた。
あぁ、本当に……
┗┓
始まりは一本の電話だった。
『
丁度バイト先が改装に入り休みができてしまい親がいない俺達にとって結構なピンチだったのでとりあえず事情を聞くことにした俺は近くの喫茶店で待っていると言われ直ぐ様に向かった。
その喫茶店で店長をやっている
大畑さんは俺が中学の時からの知り合いで妹の
この前にちらっとバイトがしばらく無くて短期バイトでも受けようか相談した事を覚えてくれていたのだろう。
だから喫茶店で店員でもするのかなと思いつつ話を聞いてみると大畑さんはテーブルの上にあの四角いライターほどな大きさのケースを取り出した。
よく見ると蓋がついておりその中に針らしきものがあるし反対側には押し込めそうな構造の側面になっている。
まるでお注射みたいだぁ。
「短期のバイトっていうのはね、これをある場所にいる人物に届けてほしいんだよ」
「これって何です?」
「んー、聞きたい?」
嫌な予感しかしなかった。
勢いよく首を横に振る俺ににやりと唇を歪める。
「これはお薬だよ」
あ、そう……ところでここ喫茶店だよね?
既に嫌な予感は確信に変わっているので俺は逃げようとばっと椅子から立ち上がる。
だがそれと同時に物々しい雰囲気の中年男性が来店し、その何人も人を殺していそうな眼光に気圧されて怯んでしまう。
男はじっと店内を見渡し、大畑さんと俺を見比べてしばし考え込んでから口を開く。
「この子は?」
「気にしないで、大丈夫だから」
「ならいい『薬剤師』いつものやつは」
いつものやつ。
そんな頼み方をする客は俺の知る限りいない。そもそも椅子に座ってない時点で珈琲やケーキを楽しみに来たと思えない。
俺はヤバイところに来てしまったのかもしれない。
大畑さんの方はにっこりと笑いながら手元の引き出しからそこそこの大きさのケースを取り出した。
さっきのお薬とか言うのがダース単位で入りそうなケースだ……
「はい、約束の『チョコケーキ』だ。いつも通り生の魔素を強めにしてある」
俺の知ってるチョコケーキと違う。
男の方がスタスタと近寄りケースを開く。数を数えているだろう暫くしてゆっくりとケースを閉じた。
「…………確かに、他に『ブレンド珈琲』と『ホットココア』はあるか?」
「なんだもう切れたのかい? 在庫はあるよ、取ってくるからちょっと待ってて」
「すまない、最近物騒でな。体が暖まるヤツがいるんだ」
どう聞いても麻薬の取引にか見えない現場を見させられている俺氏。
先程から恐怖で足が震えまともに逃げられないゆえに観念して見学してます。
ケースが開いて中身にびっしりとさっきのが詰まってた時点でうっひょー! って腰が抜けました。
ガタガタと小うるさい音をならす俺に眼光が怖い男が俺に視線を向ける。
「あんた『薬剤師』の弟子か何かだろう。あいつが取引の場に誰か連れてくるとしたらそれしかないしな。俺は
そういって雲山さんは震える俺にかまわず名刺を差し出した。
「どうも……」
『グリーンカンパニー』……聞いたこともない企業名だ。そこに勤めている雲山佳彦さんというらしい。
「お、名刺もらったのかい? 良かったねぇ彼らの企業は元軍人の寄せ集めだからね兵隊の質がいいんだ……困ったことがあれば相談するといいよ」
「
二人は新しく持ってきたケースを確認して受け渡しが完了すると雲山さんの方は出ていこうとする。
最後に振り替えって一言。
「店長、肝の据わったやつを見付けたな。そこそこ威圧したがピクリともしやがらねぇ」
「だろぉ? 掘り出し物だぜ」
震えて動けないだけなんですが、表情も恐怖のあまり抜け落ちて真顔になってるだけなんですが……
ていうか足を見ろよ、震えすぎて8ビート刻んでるじゃねぇか足で床ドラムを奏でられるぜ!
そんな事を言えるはずもなく雲山さんが出ていくのを見届ける。そしてにこにこしながら俺を見つめる大畑さんが口を開いた。
「で、予想外の来客があったけれども……どうしたい?」
いやもうこれ逃げられんでしょ? (震え声)
だか、一抹の希望に賭けて最後の抵抗をしてみる。
「これって断れるんですか?」
「さっきの場面を見られた時点でもうこのまま帰すわけにはいかなくなったねぇ…………」
畜生罠じゃねぇか!!
絶対に仕組まれてただろ今の取引。いや雲山さんは俺が居たことに驚きはしてたから時間だけ指定してその時間に俺が来るように誘導してたのか……罠じゃねぇか!!
内心罵詈雑言の嵐になっている俺に可哀想に思ったのか毒々しい緑色の液体が入ったさっきの四角い注射器を大畑は取り出す。
「別に違法でも何でもないんだけどねぇ……そんなに嫌ならこれを注射させてくれるなら帰ってもいいよ?」
「何ですかそれ」
「ここ数時間の記憶が吹き飛ぶおくすり」
こ、ころされる……
いや死なないけどヤバイのぶっ刺されようとしている……っ!
どう考えても記憶が
えぇ……ここ数年家族ぐるみ(兄妹二人)で仲良くしてた店の店長がヤバかった件について。
駄目だわ悲観だらけで思考が纏まらないわ。
取り敢えず判断材料に仕事内容とお給金だけ聞いておくかな!
「俺は何をすればいいんですか? それとその報酬も聞きたいです」
「おっ、やる気になってくれたのかな? 君に任せる仕事は簡単だよ。僕が作った薬を僕が売る相手に渡すだけ。お金の取引もない、渡すだけだ。そこら辺はこっちで済ませるからね」
「渡すだけ……?」
それじゃあただのお使いじゃないか……何で俺を使う必要があるんだ? さっき見た感じじゃ薬っていうのは消耗品で体に直接作用するから売ってくれる相手の信用と信頼が必要になるようだけど……この場合大畑さん、いやもう心の中でくらいは呼び捨てでいいや嵌められたし。それで『薬剤師』とか言われてたから長い間このヤバそうな商売を続けてたのだろう。だから信頼があり信用がある。
そして大畑はこの場を離れることができないから俺を使いたい……ん? あぁ、そうか運び役にも信用が必要なのか。『薬剤師』が保証している運び役という立場がないと途中ですり替えられたりしたら専門の人間でもないと服用まで分からないだろうしな。
で、金銭のやり取りをしないのは運び役を殺してそのまま薬を持っていかれない為か、他の場所で決済するなら殺して奪う意味がないからな。
「ん、気付いたかな? そうなんだよ、どうしてもバイトにも質が求められてね……くすねられても逃がさないことはできるけど何事も無いのが一番だろ? うん、やっぱり君はいいね。突然の事にも頭を回せる余裕がある、もっともさっきまではちょっとだけ混乱の渦に飲まれてたみたいだけど」
「……で、お給料がまだなんですが」
僅かな間と表情だけで読まれたのか?
本当に今までのは演技かなにかだったと思わせられる。
苦し紛れに放った俺の言葉に全く表情を変えずに大畑は手元のメモ用紙にさらさらとも字を書き連ねていく。
「さて、危険手当てと相場を考えて……そうだなこれくらいかな」
「……っ!? 嘘でしょう?」
書かれていた数字は拘束時間一日で3万が基本として移動、食事、宿泊費が経費で落とせてその他達成料として別途に金がもらえるというものだった。
そして、今回のバイト代というのが…………
「経費抜きで二日分合計6万と達成料として更に3万……9万で考えてるけどどうかな?」
最悪記憶飛ばしてでも逃げようとしていた心が崩れ始める。
一回だけ、一回だけ荷物を運ぶだけ。
このお金があれば妹にも好きなものを買ってあげられるし、その残ったお金で俺の趣味のものも買えるだろう。いや、それだけでなく貯蓄にも回せる余裕が出る。
そこまで頭が回った時には俺の手は大畑の元へ差し出されていた。
そしてそれを大畑ががっしりと握る。
「ようこそ
┗┓
この日から俺は『薬剤師』の元でたまに働く『薬屋』として活動を始めたのだ。
…………え? この一回だけじゃ なかったのかって? 馬鹿野郎お前あんな美味しい思いを一回で終わらせれるわけなかろうが。
ただ流石に二回三回目となると怪訝な視線になってたので今は貯金に回している。
嘘です今この危険に比べればかろうじて命の危険の方が勝っていますね……
ちなみに今回のバイトで大体十回目である。場所は北海道で今俺がいるのはかなり北の方。予め野性動物や現地の魔獣──大畑曰く、
もう諦めて帰った方が良かったと気付いても後の祭りリアル鬼ごっこの開始である。
死に物狂いで走り回りあの後も二回助けられて、猿の化け物の怒りが頂点を限界突破し俺の体力が底を突き破ったぐらいでようやく変化が起きた。
今まで俺を招いていた女の姿がまた消える。
突然道しるべが消え失せた俺は混乱しながらも足を止めず先程まで女がいた茂みへとつっむ。
「つぇ!?」
全身に走る小さな痛み、それがおそらく茨のようなものが体に巻き付いて棘が刺さったことによる痛みだと認識するが否やものすごい力で吹き飛ばされる。
回転する視界、その最中一瞬だけ猿の化け物が茨を引きちぎりながらも進路を塞がれ暴れまわっている姿を見つけてまた体がなにかに捕まれ加速し猿の化け物は視界から消えた。
これ、助かったのか? 別の何かに襲われている気がしないでもないが……どうしようもないので俺はされるがままに連続で吹き飛ばされ続けた。数秒の浮遊感のあと、優しくクッションに包まれるような感触とともに地面に着陸する。
それでも勢い完全に殺せずごろごろと頃がって衝撃を緩和。全身痛いことと三半規管がぶっ壊れた事を除けば無事といっていいだろう。
目眩と涙で歪む視界で周囲を素早く警戒。死にかけの老人のような震える体で全力で体を起こすが酸素不足極度の緊張肉体疲労に空中に投げ飛ばされたダメージにより人間のひ弱な体は尻を突き出した四つん這いになることしかできない。
体を引きずらせながらも全力で視界を確保していると、近くに綺麗な女性が立っていると気付けた。その女性は先程まで自分を導いてくれた女性だった。
全裸に植物の蔦を体に巻き付けたような欲情的な姿をしたその女はどういう理屈か枯れ葉の上を足音を立てることなく俺のすぐ近くまで移動してくると全身が擦り傷まみれの俺の体を優しく撫でた。
当然恐怖は感じるが先程の猿のような気持ちの悪い悪意や敵意のような意図を感じられなかったのでされるがままに全身を撫でられる。
やがて満足したのか、撫でるのをやめて軽く血の付いた手を口に……
「いっ!?」
恐らく魔獣……植物系統か? わからん、もっと大畑に頼んで勉強しておくんだった。
後悔しても遅いが……覚悟くらいは決めておこう。俺が死んでも妹の溜莉の方に金が入るように大畑に頼んで保証人になってもらい保険金が入るようにしてあるし、溜莉も強い子だから俺がいなくても大丈夫だ。
再び彼女? の手が迫る。だが予想に反してその手は俺の頬を優しく撫でるだけだった。
何だ? 結局俺をどうしたいんだ?
「キガイをクワえるキはありません」
しゃ、喋った……
俺を安心させるためかまた優しく頬を撫でられる。
ようやく手足が回復した俺は、その手を払わずにゆっくりと立ち上がる。
そして、改めて彼女? を見る。
人間の女性に見えるが髪の毛の一部一部に蕾があったり草葉が混ざっている。容姿としては綺麗という言葉に尽きこの危機的状況でもなければ少なくとも一目惚れしていたであろう姿と仕草を自然に保っている。
…………何か食虫植物、擬餌という言葉が脳裏を過る。
周囲を見渡しても棘のある茨に包まれておりここだけが開けているようで一種の幻想的な風景に感じるが、つまり逃げれそうにないってことだ。
周囲をちらりと観察した俺に何かを察したのか不明だが女性? が片手を上げるとその先にある茨がひとりでに動き道を開けた……やべぇな。こんなのジ○リでしか見たことねぇぞ。
それを成した当の本人は可愛らしく首をかしげて作った道を指差した。
「アチラに、アナタのおナカマがいます。カレのチカラならばあの
会話できる事に関してはもう考えないでおこう。知識が足りてない俺では考えるだけ無駄だ。
黒い猿……もしかしなくてもあの化け物だろう。お仲間というのは元々俺が薬を渡す筈だった相手だと考えるのが自然だ。あの猿倒せるとこの女性? に思われるくらいには強いと言うことは裏の関係者だろうからな。弱っているといってもこの薬さえ届けばどうにかなるだろう。
だったら俺のするべき、聞くべき事は……
「三つ、三つだけ聞かせてくれ」
「ジカンはありませんよ?」
「直ぐに済ませる。一つに君が誰なのか知りたい。二つ目にあの猿について知っていること。最後に、何が目的なのか……だ」
この三つは知っておかなければならない。例え嘘を疲れたとしても後々にそれを判断材料にできる。
俺は返事を待ってじっと立つ。彼女? に答える義理はないと言われたらそれまでだが今のところそのような様子はない。
彼女? は数秒程度目をつむったあとに話し出した。
「ひとつめ、ワタシはこのモリにスんでいるモノです。ホカにイいようがありませんので」
「名前とかも?」
「はい」
セーフ、情報収集としては失敗だが機嫌を損ねたりした様子はなさそうだ。
その証拠に彼女? は続けて二つ目の質問に答えてくれた。
「あのサルについてはワタシもよくわかっていません。オナじシンカしたセイブツでとモクテキとするものがチガウからです」
「目的、猿の目的は分かるのか」
「はい、カンサツしているカギりあれのモクテキはガイテキのハイジョです」
外敵の、排除。
「リユウはわかりませんが、ある地点からエンをエガくようにセイブツをハイジョしていっています」
「……なら俺はその中に入ってしまったということか」
なら悪いのは俺か、縄張りというからには熊のように木に傷をつけたり糞や尿などでマーキングをしていただろうからな。
それを一切見つけることができなかったのが疑問だがそれならあぁまでして執拗に襲われた理由がわかるというものだ。
「いいえ、それはチガいます」
「……?」
なら何なんだ。
「あのクロいサルがナワバりのナカでセイカツしているのならワタシはカンショウするつもりはありませんでした。しかしあのクロいサルはそのソトガワのホカのセイブツをヒョウテキにしハジめたのです」
「……分かった。大体の事情は理解した」
つまり暴走しているということだろう。そりゃあ自分の敷地内で遊んでいるだけならまだしも他所の敷地にちょっかいかけるのは不味いわ。ということは三つ目の質問の目的というのもそう言うことだろう。ルールを破ったあの猿に罰を、といったところだろう。
この森の罰というのはどういうものかは知らないが。
「ありがとう、じゃあそろそろ……」
「そしてワタシのモクテキは──」
思ったより長引いたので足早に去ろうとする俺は彼女? の手に捕まれる。
何故か分からず振り向くと同時に彼女? が迫り……唇を奪われた。
同時に逃げられないように頭の後ろや背中に優しくだが蔦が巻き付けられる。
「っ!? ……っ!!?」
しかもこれディープなやつじゃねぇか!? 舌が、舌らしきものが入ってきて……っ!!
口の中を蹂躙されているっ!
『三つ目の私の目的は、種の存続です』
繋がった口にから直接脳に響くような音のようなものが言葉だと気づく。口から喋っていた僅かな違和感のある日本語と違いこちらは脳に直接伝えたい意味が理解させられる。
脳に響く声のようなものが先程まで聞いていた彼女? の声と一緒だったのでこれが彼女? からの交信だと分かった。
分かったところでされるがままになるしかないのだけど。
『私の本能に根差した使命は今貴方の情報を取り込み、新たな種子を作るように指示を出しています。取って食べるわけではないので安心して身を委ねてください』
いや無理ぃ!
でも逃げられないので少しでも意識を逸らすために目を動かして何か見つけようとするがやべぇものを見つけてしまった……。
時間が立つにつれて薔薇の花っぽいのがどんどんと枯れていき……その花の根本が膨らんでいってる……。
なーんか果実ぽいよなぁー、そういえば果実ってその植物の種とか詰まってるんだよなぁー、つまりそういうことなんだろーなー!
他に見るものも無いので眺めているとやっと解放される。
体力的にとはまた違う意味で疲れた……
少しでと精神を回復しようとする俺に彼女? は先程まで俺が見ていたなんか果実っぽいのを俺に手渡していた。
「これをアナタにタクします」
「何でだよ、種を作るためだけじゃなかったのか?」
「ワタシではマモりきれなさそうなので」
「それは……」
俺がどういうと続ける前に近くから地面を砕くような轟音が鳴り響く。
『ギィィィィヤァァァァアアアアッッッ!!!』
続いて耳を塞ぎたくなるような猿声、咆哮。
さっき見た茨の防御と拘束を引きちぎってここまで来たのか。
「では、ワタシはジカンをカセぎます」
「何故、俺と一緒に逃げてアイツに勝てるという者を起こしに行けば良いじゃないか。近くまで来たといっても沿革での妨害は遠隔でできるみたいだし」
「いえ、ワタシはチカラモつニンゲンにキラわれているようなので。イッショにいってもコンランさせるだけでしょう。それに……」
また先程よりも大きな破壊音、それにさっきまでは聞こえなかった植物のちぎれる音が混ざる。
ずいぶんと、早い……?
「ジカンもタりなさそうでしょう?」
質問なんてしなけりゃ良かったか? そしたらまだ時間があったかもしれないのに……
見たところあの猿に対しての有効打を持っていないのであろう彼女? は足止めして無事で済むのか?
わからない、わからないが……もう時間がない。
「何か、俺に、できることは?」
「このコをおネガいします。アナタのマリュウインシをトりコみソダちました。それでもキケンだと、オモわれたのならソダてなくてもいいです」
ただ残してほしい、と。
だからか、だから俺に託すのか。自分がもし負けた場合あの黒い猿は他の魔獣や生物を見境なく襲うだろうから。俺が持っていた方が種の存続率が高くなるから。
彼女は大事そうに手のひらで包み込むその種を俺に差し出す。
これは……俺は幾つかのメリットデメリットを考慮して…………そんなものは関係ないと、力が及ばずそれでも、犠牲になるにしても何かを残すという、同じ何もできない弱者としてその手を取った。
『ありがとう。この子達は貴方の血と意思によって開花します。放置か開花か、貴方がどちらを選ぶにしても私は貴方に感謝します』
「俺は……どうするかわからないから……何とも言えないけど、人間で言う血を遺すという貴女の意思に、不義理な真似をしないと誓います」
赤い、手のひらに収まる小さな種肉に包まれた種を大事に抱えて茨が導く道を走った。
最後にと、ちらりと後ろを振り返る。彼女は仰向けになるように倒れこみ、無数の蔦や茨に飲まれて消えていった。その表情はどこまでも優しくて……俺の記憶にないが、そう、母のような表情だった、と思う。